茂田井間の宿・アレコレ

 

 『黒澤酒造』さんの屋根裏に本物の『高札』が多数保管されていましたが、それも其の筈。

 

 本陣の無い『間の宿』では『黒澤酒造』さんの壁が『高札所』に指定されていました。

 

 更に『天狗党』を追った『幕府軍』の『作戦会議所=本陣』としての役割も果たしたそうです。

 

 

 『消火栓ボックス』の代わりに『天水桶』でも置いてあれば『江戸時代』です。

 

 一日の野良仕事を終えたお百姓さんや、左官職人さんなんかが立ち止まってひそひそ話。文盲率の高かった時代の事ですので、誰か読める人が通りかかるのを待っていた。なんて想像できますよね。

 

 

 坂の途中には『一里塚』も在りますが、雪の下。

 

 

 『一里塚』は『信長』提唱でしたか。

 

 

 坂の名前は『石割坂』 なんでも通行の邪魔になる『大石』を割ってまでして道を開通させたとか。ならばと割った石の残骸は無いかとあちこち探したのですが、それらしい形跡は在りませんでした。(まっ、云われなんてそんなものかな)

 

 

 舗装路だから何でもないですけど、江戸時代の『泥道』では、ぬかるんだら最後、この急勾配は登れません。此処、五街道の『中仙道』ですよ。

 

 

 マンホールに描かれているのは『蓼科山とスズラン』 でも『水道』?『下水』?