龍雲寺

 

 『岩村田宿』は『旧中山道』の宿場町に於いても、最大規模の街並みだったそうです。

 

 『造り酒屋』や『遊郭』が在り、商業地としても『養蚕』のお陰でかなり潤っていたそうです。

 

 『鼻顔稲荷神社』は『日本七大稲荷』に数えられる事もあり、遥か遠方からも参拝者が集ったそうです。

 

 『マッチングアプリ』や『出会い系サイト』、ましてや『男女共学』の学校なんてのも存在しなかった昔、若い男女の出会いの場として『村祭り』や折々の行事が重要だったのかも知れません。

 

 岩村田『住吉交差点』の近くに『寺院』の石門が立っています。

 

 でも普段は通過ポイントの為、わざわざ立ち寄る事も無かったです。

 

 

 門柱の隣に石板が在り、見づらいですけど一番右の行の下、『武田信玄』の名前が刻まれていました。詳しく読んでみたかったのですが、光の反射でかなり見づらいです。

 

 

 石柱から続く参道の突き当りが『東山法窟』と扁額に書かれた『総門』です。

 

 でも『閂(かんぬき)』が掛けられていて開きません。

 

 だってその裏手には

 

 

 新たな『石柱』が立っています。

 

 『太田山・龍運寺』宗派は『曹洞宗』のお寺です。

 

 冬場の厳しい寒さの中で、早朝から修行を積む『曹洞宗』のお寺は、大抵が塵一つ落ちていない位に掃除されています。

 

 改めて一礼をして参道を進みます。

 

 

 山門は豪華な二階建て。(総門と山門、仁王門などの違いが良く解りません。仁王様が居ないから仁王門じゃない事だけは確か)

 

 扁額に又々難読漢字です。山号は『太田山』じゃなかったっけ?

 

 扁額下に並ぶのは『武田菱』の紋様。

 

 そう、この寺院は『武田信玄』によって手厚く庇護され、武田軍の信州遠征の際は必ずこの寺院によって必勝を祈願したそうです。

 

 正直、信州に暮らした者にとって『武田信玄』は来なくていい人だったのですが………。

 

 戦国時代のこの辺りは『大井氏』が城を構えていました。

 

 『塩』を求めて日本海を目指した『武田信玄』の武力は強靭で、片田舎の弱小勢力など物の数にもなりません。(太平洋側は『徳川氏』やら『毛利氏』が抑えていたからやむを得ず北上したんですけど)

 

 武田の強力な軍事力の前に『長い物には巻かれろ』的政策で従うしか、選択の予知は無かったのでしょう。

 

 『佐久甲州街道』経由で北上を繰り返した東信地区には『武田菱』が『寺紋』として数多く残されています。

 

 『上杉謙信』との闘いに於いて『謙信』は『敵に塩を贈る』と云う言葉を残していますが、実はれっきとしたビジネスで、結構高額な値段で塩を売買していたみたいです。

 

 『ロシア』………嫌いじゃ無かったのに、『プー〇ン』のお陰で嫌いになりそう。

 

 『ウクライナ』の一部に『親ロシア派』が居たのなら、その人たちを友好的にロシアに受け入れれば良かったのに。下手に強大な武力(地球を数十回破壊できるそうです)を馬鹿が手中にしたから。

 

 第二次大戦中の『ドイツ』の独裁者も最後は自分でワルサーの引き金を引きました。

 

 『プーチン』は『鞄に入ったボタン』と『引き金』のどちらを選ぶのか?

 

 

 先ずは本堂で参拝して。案の定施錠されていました。

 

 庫裏に声を掛ければ本尊とか拝めるんでしょうけどお賽銭が四桁になっちゃう。

 

 境内に面白い物無いかなと散策(詮索じゃ無いです)開始。以下次回です