
テラス下の正面玄関から中に入ります。
普通に昇降口になっていて、『目隙板』があり、左手は教師・来賓客用の下駄箱。右手奥の部屋は生徒用の『下駄箱』(時代が変わっても『靴箱』とは云わないなぁ)が並んでいます。

廊下正面にはナント『ステンドグラス』が嵌め込まれており、当時の西洋式建築をふんだんに取り入れようとしています。
廊下を進むと教室跡は展示室になっていました。

この木製の二人並びの机、こーちゃんが小学校低学年の時、実際に使っていました。
木の蓋を裏返すと『粘土板』になる仕組みで、そこに彫刻刀で名前なんぞ彫ったりして。(すぐバレるのに)

廊下と教室の境に壁や戸は無く、全部筒抜けに聞こえてきそう。
壁の大きさの割には『窓』がが小さく、北側の教室ではかなり暗かったのでは?
当時は『裸電球』の時代でしょうからもっと暗い筈です。

在りましたねぇ。「日直当番、授業の始まる前に取りに来なさい」なんて言われて、社会科準備室から運んだ記憶が在ります。結構長くて重かった。

階段を上がり二階へ。玄関上のテラスから当時は眺めが良かった事にしときましょう。
この『旧中込小学校』は地域住民(主に農民)の寄付によって建設されました。
一見すると『様式建築』ですが『モルタル』の代わりに『漆喰』が使われたりしていてかなり苦労した事が覗えます。

この椅子の後ろの引き戸から『太鼓楼』へと登れたのですが、現在は一般公開されていません。

『八角形の太鼓楼』には方位図が書き込まれています。
窓を開け放って四方に響く太鼓の音を聞いてみたかったなぁ。
この小学校を設計したのは大工の『市川代治郎』と云う方で、東京=埼玉間に『戸田橋』を掛ける際、その設計が最終選考まで残った方です。(残念ながら予算の関係で未採用でした)
このゴールデンウイーク期間中、『佐久市大沢』の『旧大沢小学校』も特別公開されています。
仕事サボって行ってこようかな………(あ~天気が良すぎる。バイク乗りて~)