銭蔵

 

 『高濱虚子』が第二次大戦中『小諸・与良町』に家族と共に疎開していた家が保存されています。

 

 意外と子沢山で『二男六女』の子供がいたとか。さぞかし大豪邸………

 

 

 土塀の平屋、板ガラスに雨戸(戸袋)。八畳二間! 縁側付き。そして昭和のキッチン(ガスコンロ)・バス(タイル張り)・トイレ(ボットン)。小さいながら庭が在ります。

 

 

 まぁ昭和初期は、一部例外を除いてみんなこんなもんかな。

 

 

 猫が縁側で昼寝なんかしてたりして。

 

 残念ながら施錠されていましたので此処まで。

 

 隣接した『柿の木』なんぞも風流です。

 

 柿食えば 金が鳴るなり チャリーン とな。

 

 

 この『飛び石』を下ると、移築された『小諸城・銭蔵』に出ます。

 

 

 明治政府発令の『廃城令』により、『天守閣』を含むお城の主要部分を破壊せざるを得ませんでした。反政府組織などが武力などにより占拠・軍事基地化するのを防ぐ為でやむを得ないのですが、文化遺産の多大な喪失ですね。何とか民間に払い下げられた『銭蔵』などが今日に残されているのがせめてもですね。

 

 『銭蔵』と云うんですから『千両箱』に小判がザクザク。(お主も悪よの~)

 

 ひょっとしたら床板の隙間から一枚ぐらい地面に落っこちてたり………するわけないか。 

 

 一両小判一枚が約18gですから、千両=千枚で18㎏。+頑丈な木箱ですので合わせて25㎏程。『鼠小僧』が片手でひょいと肩に担いで高い塀をひとっ飛び………できる筈ないじゃん。しかも25㎏の硬い木箱を肩に何ぞ担いだものなら肩の皮ズル剥けです。(祇園祭で少し神輿を担いだだけで皮剥けました)

 

 明治初期にはこの場所に移築された『小諸城・銭蔵』ですから『高濱虚子』の子供達も絶対にこの辺りで遊んだんだろうな。

 

 

 上の写真は『佐久市前山・貞祥寺』の境内に移築された『島崎藤村旧宅』です。

 

 経済的理由などで取り壊されようとしたところを篤志家の方が購入し移築保存。その後『貞祥寺』境内に移築され保護に努めました。

 

 でもホントこの手の『休館日』 水曜日(玉屋店休日)が多くてねぇ。