洞窟に『祠・仏像』などを安置し、信仰の対象としている処は結構沢山あります。
東信地区で知る限り『鼻顔稲荷神社』『望月・弁天窟』『長和町・大門稲荷神社』などなど。
岸壁の窪みなどに収められている『お地蔵様』『観音様』『不動明王』などを数えたらきりが無い程です。
『龍洞山・宝蔵寺』さんも拝殿裏の洞窟内に『観世音菩薩様』が祀られています。
拝観を終え、境内を下ってくると『岩窟』の文字が目に留まりました。
『洞窟』と『岩窟』………好奇心がムクムク。
案内に沿って山道を登り始めると。

落石防止のフェンスにバリケード代わりの『古タイヤ』が縛り付けて在ります。
頻繁に落石・転石が在るのかもしれません。
足場の悪い所では『単管足場』が組まれていたりして、一抹の不安がよぎります。

『岩谷堂岩窟古墳』所在地は『御嶽堂字岩谷堂』で所有者は『宝蔵寺』さん。
読んでみますと五体以上の人骨が出土したと在ります。
この『依田川』上流には『旧武石村・鳥羽山古墳』が在り、やはり『洞窟』が埋葬の場所として使われています。
更に上流には『黒曜石』の産出地が在り、石器時代から縄文時代に掛けて日本各地から人が集まったそうです。各地で出土した『矢じり』などの『黒曜石』を調べるとその産地が『長野県・長和産』と分かるそうです。
道路も橋も一切ない時代に、北は『青森』南は『関西』辺りから遥々歩いて来て黒曜石を掘り出し、更に歩いて持ち帰る。中には病気の人もいたでしょう。時には争いに巻き込まれたり、熊・狼と戦ったり。川を渡る時だって場合によっては命の危険も在った筈です。

『葬所』として使われていたそうですので踏み入る事は遠慮しておきます。
結局の処『古墳』では無いそうですけど『洞窟』と『岩窟』の決定的な違いって?

『鳥羽山洞窟』も載せておきます。
でもこの洞窟は川を渡らなければいけません。対岸からズームです。

あくまで『お墓』若しくは『葬所』ですので『合掌』