金城山・康國寺

 

 国道142号線から『春日温泉』を目指すと『協東橋東』交差点からトンネルを抜ける道が案内されます。県道151号線を走り、ガソリンスタンド手前の道案内に従ってバイパスを走ります。

 

 バイパスでは無く、旧道を直進すると『春日小学校入り口』交差点に出ますが、現在付近に小学校は存在しません。

 

 この付近、『春日集落』の中心であり、JA施設や飲食店、酒屋なんぞも点在しています。実はすぐ近くの河川は、夏になると『ホタル』の飛び交う隠れた名所なんですけど訪れる人、荒らさないでね。

 

 

 正式名称『曹洞宗・金城山・康國寺』

 

 何となくお寺の名前が人名じゃない?と思って調べるてみると案の定でした。

 

 『松平氏』が小諸城主だった頃の領主『松平康國』とあります。

 

 『小諸城』自体が非常に面白い履歴を持っていて、竣工は戦国時代の初期、佐久地方を収めていた『大井氏』によりますが、完成した頃は『武田軍』の勢力が強く、配下の『下曽根氏』が城代となります。後に『織田・徳川連合軍』が台頭し、『織田家家臣・滝川氏』が城代となりますが『本能寺の変』により『織田家』の勢力が衰退、『滝川氏』は身の安全を考慮し、生まれ故郷の『伊勢』に戻ってしまいます。其の時地元の豪族『依田信蕃』が功を認められ城を譲り受け『徳川』より『松平姓』を授かります。『小田原城攻め』で武功を認められた『仙石秀正』が5万石の禄を得て大名となり正式に『初代小諸城城主』と認められます。(大名じゃ無いと『城主』と言えず『城代』の扱いです)

 ところが『大名』とい言えども宮仕え。天下を収めた『徳川征夷大将軍』の命令一下で『真田氏』退去後の『上田城』へ移転命令が下されます。

 

 戦国時代、『真田攻め』の為に『甲斐武田氏』が進軍した時『真田氏』が『小諸城』で『武田騎馬隊』を打ち負かした事もあったりと、ホント歴史に翻弄されたお城です。更に日本で唯一『城下町』ならぬ『城上町』(町よりお城の方が低い位置に在る)だったりします。

 

 『佐久市・田口』に在る『龍岡城』も実に面白いお城で、日本に二つしかない五角形の城『五稜郭』であり、日本で一番最後に造られようとしたお城です。(『大政奉還』により明治政府が『廃城令』を発令したた為未完成のまま) 此のお城を建てようとした人が『大給恒・おぎゅうゆずる』で旧名を『松平のりたか』(八代目三河藩主) 後に『日本赤十字社』前身の『博愛社』の創立に尽力しました。

 

 当時の佐久地方の『田んぼ』は『幕府管轄』の『管領地』や『領主所有地』など複雑に入り組んでいたそうです。

 

 蛇足~多すぎて付いて来れるかな?

 

 早い話。平穏な『江戸時代』に『小諸城主』を務めていたのが『松平康國』であり、亡き後に『菩提寺』が此処『春日』に建てられました。

 

 

 御本尊の『御鹿埜聖観音・おしかの?しょうかんのん』(何と読むのだろう)

 

 

 チョット大陸的な雰囲気の『三解脱門』

 

 

 本堂は施錠されていました。

 

 手入れの行き届いた庭は流石『曹洞宗』 塵ひとつ落ちていません。

 

 

 そしてこのお寺の裏山には、かつて『春日城』の山城が在ったそうです。

 

 ひょっとして山登らないといけないの?

 

 足が攣りそうなのでこの辺で勘弁してやるぜイ。