渋峠

 

 外国人観光客にもダントツの人気を誇る『スノーモンキー』

 

 温泉に入る『野猿』を観光目的で餌付けしたので『野生』と云って良いか………。

 

 冬、餌に困っている『野生の猿』の為に餌をあげていると考えればね。

 

 その猿がついでに温泉に入ってそれを見に観光客が大勢集まった。

 

 『野猿公苑(何故公園じゃ無い?)』を管理する一軒宿もそりゃあ大繁盛します。

 

 だって入場料だって馬鹿にならない。(その代わり何時間でも観ていられます。)

 

 野生のサルは群れで行動しているので何時現れるかは運しだいです。

 

 エサの豊富な時期より冬場のエサの少ない時の方がよく集まってくるみたい。(個人的感想です)

 

 雪の残る山々に囲まれて温泉に入る猿を観る。但し寒いですから。

 

 この『野猿公苑』が在るのが『渋温泉』です。

 

 『湯田中温泉』と隣接していますが『源泉』が違うらしいです。

 

 で、そこから20kmも離れた『志賀高原』にある群馬県との境の峠が『渋峠』です。

 

 更に『志賀高原』と名前が付いた由来を御存じですか?

 

 『長野電鉄』創業者の『神津藤平』さんは『長野市権堂』(現在は長野駅)から『湯田中温泉』まで鉄道路線を引きました。そこから更に高地に続く自然豊かな高原地帯の観光開発に努めます。

 

 『温泉』と『滝』『湿原』『高原植物』や『美しい紅葉』冬は『スキー』と一年を通じて楽しめる観光地開発に成功した『神津』さんの出身地が『佐久市・志賀村』でした。

 

 この方、長野県の地方銀行『八十二銀行』合併前の『十三銀行』(もう一つは『六十九銀行』)の創業にも携わっています。佐久の『渋沢栄一』ですかね。

 

 音楽家の『神津善行』さん(息子で画家の『神津善之助』も有名)や、日本で一番早く『西洋式酪農』を取り入れたとされる『神津牧場』創始者も全部一族です。

 

 更に更に云うなら長野県出身総理大臣『羽田孜』の義理のおじいちゃんにあたります。(凄い家系)

 

 この『志賀高原』、別荘地やホテルも在り、静かに『高原ライフ』を楽しみたい人が大勢いますので『改造マフラーのバイク』や『暴走行為』はご遠慮ください。

 

 

 この『渋峠ホテル』は県境の上に建築されています。納税とかややこしそう。

 

 

 公衆トイレの向かいに真新しい石碑が建っていました。

 

 平成30年夏。群馬県防災ヘリコプターが危険個所調査中に墜落してしまいました。

 

 9人の尊い犠牲を慰霊する為の碑です。日頃のたゆまぬ訓練あってこその人命救助です。

 

 

 現場方向に向かって合掌。

 

 高校の頃、草津から『志賀草津有料道路』(今は無料の国道292号線)を走り『蓮池』から林道を抜けて『秋川郷』へ行ったことが在ります。11月初頭の連休(シルバーウィーク)を利用して、『テント・寝袋』を積み込んでの一泊ツーリングを計画したのですが、『志賀高原』から林道を走った頃は日も暮れて真っ暗。薄暗いバイクのヘッドランプのみで山道を走り抜けました。当初の予定では自分で温泉を掘り、入って温まる計画でしたが、疲れ切って尚且つ冷え切った体では断念。広場と思わしき片隅(実は分校の校庭でした)にテントを張り、寝袋の中で丸まって寒さに耐えました。翌朝ナント『雪景色』積雪15㎝は在りました。凍える手で寝袋・テントを丸めてバイクの荷台に括り付け、滑るタイヤを両足で支えながらナントか国道117号に出て食事にありつけました。観光どころか命からがらの痛い経験です。

 

 災害現場で救助隊が『止む無く捜索を中止します』という場面をニュースなどで見聞きする事があります。人情として『もう少しで探せるかも』とか『明日迄生存しているかどうか』などの状況も加味しなければならないので一概には言えませんけど、二次災害による捜索隊の命も大事にしなければいけません。経験豊富な隊長の判断に委ねます。日頃弛まぬ努力と経験を積み重ねてくれる救助隊の皆さんに只々感謝です。

 

 一切の光が無い山道(本当に真っ暗闇)では、人間は一歩も歩けません。遭難したら陽のあるうち以外、現場から動かない事が肝心です。万が一の時に参考にどうぞ。