観清寺

 

 暫く続いた『藪漕ぎ』は、杉木立で陽射しが遮られる場所まで来てやっと終わります。

 

 ズボンに着いた『引っ付きムシ(植物の種子)』はどうせ帰りもくっ着くんだからとそのまま。

 

 

 『しこおらむ?』 狙ったな。漢字で書いたら『し越お村』

 

 昭和に建てられたなら態々右書きする事無いじゃん。

 

 やはり観光地を造ろうとして石仏群を整備したんだけど、如何せん入り口が分かりずらい。何時しか訪れる人も少なくなり、やがては草刈する人も居なくなった………

 

 お地蔵さんの『涎(よだれ)掛け』の色が褪せてきています。

 

 『頭巾』や『涎掛け』の『赤色』は魔除けを意味します。

 

 そして『赤ちゃん』でも無いのに『涎掛け』を奉納する風習は、我が子が健やかに育って欲しいとする気持ちと、『水子地蔵』に亡き子供を導いて欲しいとする意味とが在るようです。

 

 現代医療が確立する前、特に医療行為も無く『加持祈禱』のみしかなかった時代には、死産や幼児期の死亡率が今とは桁違いに多かったそうです。

 

 その為、3歳まで生きてくれた。5、7歳まで生きてくれたと盛大にお祝いしました。

 

 今なら治療すれば痛いけど簡単に治せる『虫歯』も、下手すれば命取りに成りかねない時代。歯が痛くなると『在り(梨)の実』断ちをして、川に『梨の実』を流し治癒祈願したそうです。

 

 

 中腹まで登って行くと『東屋』が在り、簡易トイレも設置されていました。

 

 依田川を見下ろし一休み出来る様になっています。座って………イヤまだ疲れてないって事で更に登ります。

 

 たまに山の中の見晴台とかで、『こんな所にまで水道が引かれている!』と驚く場所も在りますけど此方に『水道』等は在りません。(登る前に水分を用意して下さい。)

 

 でも『お寺』が在ったのなら『井戸』や『川』の類が在った筈。

 

 じゃ無きゃ生活出来ませんし、掃除なんぞでも『水』が必用です。

 

 『山形・立石寺』でも『奥之院』に人が住んでいて『水道』(井戸?)が在って驚きましたけど、此処も元『観清寺』が在ったのなら『水』が無いと………不思議?

 

 

 登れ。登れ。登れ~。と息を切らせながら『崖』迄辿り着くと

 

 

 『崖の窪み』に『鳥居?』の残骸らしき物が見えます。 お寺なのに?

 

 しかも『岩肌』には『柱』を嵌め込んだであろう穴の跡でしょうか。

 

 渡されたロープは『注連縄』? おそらく『社』が在ったのでしょう。

 

 何となく煤けているので火災で焼失でもした?

 

 

 窪みに石仏が安置されていましたけど、この角度を独りじゃ登れません。

 

 階段とかもあったんでしょう。奉納された『鉄製の馬』でしょうか、残されているのはこの二つのみ。

 

 取り敢えず『合掌』しました。