水分神社

 

 『御代田・真楽寺』の『三重塔』脇に『石段』が在ります。

 

 石段横には看板が立っています。『水分神社』

 

 

 石段を中心線に考えると、左右の広さが異なります。1:2位の割合でしょうか。

 

 その一番奥には『お社』が建っていてます。

 

 

 水を分ける。農業が中心産業の時代、簡易な水路しか無く、日照りの時などは水争いが暫し起きました。田畑に必要な水を話し合いで解決する為に、神様の前で話し合いが行われた場所の様です。

 

 その分配量に応じ、話し合いの出席者数にも差が在るからでしょう。

 

 時代劇大好き(TVが我が家に一台の頃、チャンネル権は爺ちゃん婆ちゃんが握っていた影響)で、昔見た『水戸黄門?』だったでしょうか………

 とある寒村の日照りが続いた夏。枯れてしまいそうになる農作物を目の前にして、真夜中に人目を忍んで水路の流れを変え、『我田引水』してしまう。 当時『盗水』は重罪とされ、『村八分』の扱いを受けてしまい、家族は離散。田畑は没収の憂き目に遭う。しかし全ては土地の略奪を企てた者と代官が仕組んだ罠だった。諜報活動をしていた『弥七』が黄門様に………(長くなりそうなので割愛します)

 

 現在でこそ『水争い』はあまり聞きませんがその昔各地に悲劇を招きました。

 

 

 上の石は『水路』に置かれた『分水石』です。望月歴史資料館の庭に保存されています。

 

 この石で水路を堰き止め、『9:1』に水を分けたそうです。

 

 

 上の写真は『佐久穂町・鷽の口』にある『円形分水場』

 

 

 川の水を円筒の中心に噴出させます。円筒に開けられた穴からは均等に水が落ちます。その円筒のさらに外側にもうひとつ円筒が在り、コンクリート壁で仕切られ各河川へと流れて行きます。分水する河川に応じて(此処では四つの水路に分けられます)必要量を分けますが、その分け方は『穴の数』によります。穴の数が多ければ水量は多く、穴の数が少しならば水量も少なめ。上の写真では仕切られたコンクリート壁の左右で水位(水量)が異なるのが解ります。

 

 先日再訪した折には数個の穴が閉ざされ微調整されていました。

 

 昨今では余り耳にしなくなった『盗水』ですが現在でも重罪に値します。

 

 それだけ『治水』が良くなったって事でしょうか。(台風被害に対する自治体の判断は心苦しい点が多々ありましたけど。)

 

 先日の新聞紙面では『水道料金格差』が取り上げられていました。

 

 新しい『水争い』にならなければ良いのですが。