二王堂

 

 小高い丘の上に建っています。

 

 その手前の『松』 実に絵になりますね。

 

 

 前回『長命寺』を訪れた際、佐久市に現存する最古の年号が彫られた石が存在すると在りました。

 

 ところが『長命寺』をが焼失した時、この『二王堂』に移されたそうです。

 

 で『二王堂』 『仁王』じゃ無いんですね。

 

 

 御堂の中や境内を見て廻ったのですが何処?

 

 因みに『応永』は南北朝廷統合後の1392~1428年の事だそうです。

 

 彫られている『応永二十二年七月』は1415年7月に成ります。

 

 『いいくに(1192年)造ろう鎌倉幕府』(現在は『1185年壇ノ浦の戦い勝利』とされています)の『源頼朝』が、『現・神奈川県鎌倉』に遷都した行政機関(幕府)はやがて嫡男の問題から『頼朝の妻方・北条氏』に乗っ取られ、武家社会の確立へと繋がります。

 

 ところが『お金』が無かった鎌倉幕府、十分な報奨金を与える事が出来ず(封建制度の崩壊)各地で『武家』が反旗を翻します。それに乗じて『後醍醐天皇』を中心とする『貴族』が金の力にモノを云わせて出兵、『足利尊氏』や『新田義貞』らが『鎌倉幕府』を滅ぼしてしまいます。

 

 その後、京都に『天皇政権』を開きます(建武の新政)が『足利氏』が実質政権を握り、やがては皇族政治を排除して行きます。

 

 で逃げ出した『後醍醐天皇』が『奈良県・吉野』に開いた『朝廷』(南朝)と、京都に新政権を起こした『足利氏』の『朝廷』(北朝)の二つの政権が生まれてしまいます。

 

 幾度かの戦いの末『南朝総大将・新田義貞』の戦死により『南朝・天皇家』は『北朝・足利尊氏』を『征夷大将軍』に任命し実質『南北朝時代』は終焉します。

 

 西暦1338年『室町幕府』誕生です。

 

 『南北朝の戦い』に勝利し『天皇家』『公家』を牛耳っていた『三代将軍・足利義光』は、権力を見せつける為に『銀閣寺』を建設します。

 

 ※あくまで個人の見解です。違っていたら御免なさい。

 

 の『応永二十二年(西暦1415年)』です。

 

 

 参拝を済ませ、格子の間から中を覗き込みますと

 

 

 厨子の中に見えるのは確かに『仁王像』の様に見えます。(でも片方だけ?)

 

 ここから見える『浅間山』が実に美しく、訪れた冬晴れのこの日、ゆっくりとした時間を過ごせました。