川中島合戦

 

 『妻女山』から『海津城』の武田軍の動向を観察していた上杉軍。

 

 ある日、炊事の煙が何時もより多い事に気が付きます。

 

 それだけ余計に『ご飯』を炊くという事は、普段の食事の他に『握り飯』などの『兵糧食』を造っているに違いない。と予想した『上杉軍』その日の夜のうちに闇に紛れて『妻女山』を降り、『川中島・八幡原』へと移動します。

 

 一方武田軍。『武田軍参謀・山本勘助』提唱の『啄木鳥の戦法』で『妻女山』の裏山から別動隊が『奇襲攻撃』をかけ、慌てて『妻女山』を下って来るであろう『上杉軍』を『武田軍』本隊が待ち伏せして叩く。予定でした………。

 

 ところが別動隊が裏山から『奇襲攻撃』を仕掛けてもそこにいる筈の『上杉軍』はモヌケノ殻。まんまと作戦の裏を掛かれてしまいます。

 

 テスト勉強の『ヤマ勘』が当たった! などの『山勘』、『山本勘助』から来ているそうです。

 

 自分の考えた作戦が裏を掛かれ『孤軍奮闘』で『汚名挽回』しようとした『山本勘助』はこの戦いで戦死してしまいます。

 

 

 『川中島』を合戦場に選んだのは、千曲川河川敷で田圃が無かったからともされています。

 

 たとへ他人の田畑だったとしても、お百姓の苦労を分かち合う『足軽』は、作物を踏み荒らす事など出来なかったのかも知れません。

 

 上は『上越市埋蔵文化財センター』に展示されていた写真です。

 

 『毘沙門天』の『毘』を馬印にしている『黒い甲冑』が『上杉軍』です。

 

 『川中島公園』でも写真を撮った筈なんですけど何処に在るのか分からない?

 

 

 同じく展示されていた『三大刀七大刀の跡』の『軍配』です。

 

 陣幕の中、床几に座っていた『上杉謙信』目掛け、幕を蹴散らし馬上から切りつける『武田信玄』 

 

 刀を取る暇も無く、手にしていた『軍配』でこれを受ける『上杉謙信』。

 

 「ちょっと待った!」

 

 陣幕の中には『太刀持ち』も居れば帯刀した家来も居る筈。

 

 『信玄』にしてもこれだけの混戦状態の中を『一騎掛け』で敵本陣まで来る?いや来れる?

 

 結局は周囲が応戦した為、とどめを刺せずに自陣に引き返すんですけど。

 

 多数の戦死者が出たにも関わらず両軍一端引いてしまいます。

 

 そのまま暫くは対峙していましたが、収穫期の訪れと共に両軍とも深追いせずに引き上げます。

 

 『講談』が美化しすぎましたね。

 

 故に、太刀筋の残る『軍配』も………

 

 『軍配』近くにはこんな資料も。

 

 

 一、殺生を禁ずる。

 

 一、山林草木を切るを禁ずる。

 

 一、鉄砲を撃つことを禁ずる。

 

 右の事、『居多神社』で守らぬものは厳重に罰する。

 

  永禄三年五月    日下〇〇 (花押)

 

 本物の『花押・かおう』が残されていました。

 

 初めて見たかも。(偽造されても見抜けないと思うんだけど。)