松代城part3

 

 『廃城令』発令により、お城の堀は埋め立てられたり建物は破壊、若しくは火を着けられてしまいました。

 

 流石に堅牢な石垣をわざわざ取り壊すほどの労力とお金は使わなかったみたいです。

 

 『徳川家康』は滅ぼした『大阪城』を完全に埋め立て、その上に新たに『大阪城』を築城しましたけどね。

 

 現在ある『大阪城』は『徳川家』の建てたモノを復興しています。

 

 

 『天守閣跡』の石垣には『展望台』が設置され、四方を見渡すことが出来ます。

 

 展望台から観た『内堀』です。

 

 

 『方位図』は昔の絵師が書いた物でしょうか。

 

 筆使いの柔らかい絵が使われていました。

 

 

 因みに上の絵図と同じ北の方角の写真です。

 

 『戸隠連山』から『飯綱山』が覗えます。

 

 

 唯一『海津城』の痕跡がこの石碑に残されていました。

 

 武田軍の最北端にあたる『海津城』は、対『上杉軍』の最前線基地として常に北を監視していたそうです。

 

 『川中島の合戦』において『上杉軍』は南側の『妻女山』に陣取るんですけどね。