掛樋と棚橋

 

 『掛樋・棚橋』何の事だろう?

 

 『掛樋・かけとい』 樋は屋根の庇下などに着けられていて、雨などを流す為の物、此処では農業用水を確保する為に樋を掛け渡し水路としたものです。

 

 今で云う処のU字溝みたいなものでしょうか。

 

 本来なら千曲川本流へと流れ込んでしまう水を『樋』を使う事によって田畑への水路としていました。

 

 『棚橋』 (某プロレス団体の人気レスラーじゃありません。)

 

 川の浸食作用によって削られた『峡谷』などは、断崖絶壁になる場合が多く、此処を通行する為に考えられた『木道』の作り方です。

 

 垂直の『断崖絶壁』に幾つもの水平な穴を開け、その穴に『丸太』を打ち込み、丸太の上に『板』を並べて『道』としました。

 

 この『高岩』近辺も昔、川の両側は切り立っており(現在千曲川左岸は開拓され高い擁壁に守られた場所を国道が走っています。明治時代までは千曲川沿いまで山が迫っていました。)交通の難所でした。

 

 故に『武田信玄』が信濃の国に入る時は『甲斐小泉』から八ヶ岳西側の裾野を通り『茅野』に抜ける真っ直ぐな道を造りました。『信玄の棒道』と呼ばれ今でも各地で名残が見られます。

 

 『天狗岩』と呼ばれる岩肌に穴の跡が見れるそうですが『JR小海線』の敷地内を通らなければ線路を渡れず、遠くから眺めるに留めました。

 

 『掛樋』も『棚橋』も現在残ってはいません。

 

 

 上の二枚の写真は『黒部ダム』に展示されていた『日電歩道』です。

 

 ポケットに手を津混んでる貴方!何故覗き込める?

 

 『棚橋』ではありません。作業性の関係から岩肌に水平に丸太を打ち込み、並べた丸太を吊っています。

 

 足場となる丸太を組み、完成した足場の上に延伸させ、水平に穴を開け、杭になる丸太を打ち込み、ロープなどを掛けて足場を吊るす。『吊り橋』です。

 

 高さ100㍍の断崖絶壁の中程に在ります。 

 

 足場が無ければ水平になる丸太を打ち込む穴を開けられません。

 

 『棚橋』の場合は地面から低い場所などに限り、足場などを汲み上げて穴を開けられたのでしょう。

 

 『木曽の桟』も『棚橋』の筈です。(個人的感想です)

 

 いずれにしても人間の英知と努力は凄いですね。

 

 凄いと云えば『Go。Ace!ハイ・フライ・フロー。タ・ナ・ハ・シ!』