『風穴』は割と各地にみられ、『冷蔵庫』の無かった時代には大変重宝しました。
『世界遺産認定』の『富岡製糸工場』とセットで認定された『荒船風穴』も『藤岡・高杜社』で確約された『養蚕技術』のお陰で広く知れ渡りました。
ここ『小諸市氷風穴』も『養蚕技術』や『常用保冷庫』として食品管理などに利用されていました。

入り口に在る『看板』を読んでみると成程、そうだったのね。
江戸時代には氷を貯蔵し献上したり、鉄道駅に比較的近かったので『蚕種』の全国発送も可能だったそうです。
駐車場脇の遊歩道入り口には看板が立っています。

この日夏の日差しを避ける為の日陰は大変有難い。
駐車場脇の自販機で麦茶を買って、ゴクゴク飲みながら歩きます。
トイレは在りませんので『あぐりの湯』などで済ませて置く事。

へ~。『氷』の地名の由来は『弘法大師』だったんですね。
しかも『草津の湯』とセットだったとは。
『弘法大師』さんは日本全国に逸話を残していますけど、『遣唐使』(正確には同乗した私費留学生扱い)として帰国したのが30歳、『京都・東寺』において『結果報告』兼『後輩指導』を長年続けた後、『高野山』に『金剛峰寺』建設が50歳位だったから(年齢は適当です)諸国を隅々まで廻るって………まっ『弘法大師』ですから。不可能は無し。
うちの宗派は『真言宗』ですので何も申しません。
さて、『餅米』も蒸けた事ですしお仕事、お仕事。