真親神社

 

 グーグルマップで検索するなら『佐久市浅科・さねちか神社』でどうぞ。

 

 恐るべし『市川五郎兵衛』 群馬県に生まれながらも私財を投じて、佐久浅科の地に広大な田園地帯を構築する為に、ナントひと山隣を流れる川の水を引いちゃった。

 

 岩盤地帯に『堀貫』(トンネル)を掘削し、長~い用水路を掘り、広大な田園を潤すだけの水の確保に成功!

 

 此処でフト考えた。 他に農業用水足る川は無かったの?

 

 だって『千曲川』がすぐ近くを流れているんだし、山間から幾筋もの『沢』が流れ出ている筈?

 

 『千曲川』からいいますと、早い流れの為浸食が進み、当時から河岸段丘を形成していた為、水を汲み上げるのは困難。

 

 『沢』に関しても、幾筋もの『沢』を確認していますけど、絶対的な水量不足。

 

 故に『大河原峠』に端を発する『鹿曲川』の水が貴重だったんです。

 

 

 朱色の鎧戸で囲われた『社』は、向かって右に『諏訪大社』、左に『真親神社』が並んでいます。

 

 神社境内に置かれる『摂社』『末社』の類ではなく、『諏訪大社』と同等格の扱いです。

 

 現存した『人』が神様として祀られているのは知る限り『東照大権現』の『徳川家康』、『豊国大明神』の『豊臣秀吉』、『天満宮神社』の『菅原道真』、『将門神社』の『平将門』等々の日本を代表する時の権力者ばかりです。

 

 江戸時代に大阪の道路事情を憂い、私費で橋を架けた『淀屋辰五郎』=『淀屋橋』や『岡田新三(心斎)』=『心斎橋』などは地名にもなり、石碑なども建てられていますけど神社に祀られるまではいっていません。(勉強不足ならすみません)

 

 佐久・浅科の地を広大な水田地帯にすべく、私財を投じた『市川五郎兵衛』さん。

 

 感謝・感謝です。(爪の垢が在ったら、高い報酬を得ているのに問題ばかり起こしている国会議員の〇〇に飲ませてみたいもんです。)

 

 

 諏訪神社入り口の『手水鉢』に彫られた元号は『延享(えんきょう)=1744~1748』 280年も前に造られ、風雨に耐えています。

 

 ねっ。俄然面白くなってきたでしょ。(個人的感想です)

 

 他にも何かないかな?と探していると在りました。

 

 

 『馬頭観音』でしょうか、通常は文字が彫られているだけの場合が多いのですが、文字の読めない人の為に、かなり細密な『馬の絵』が彫られています。

 

 これなら誰が見ても『馬』=『馬頭観音』と理解できますね。

 

 残念ながら文字が読み取れず何時頃の物かは判断できませんでした。

 石碑の右上に見られる石を割った『のみ』の跡を見ればそこそこ古い物だと思われます。

 

 最近は『ドリルor削岩機』で穴をあけ、油圧を使って押し広げて割るらしいです。

 

 『ノミ』や『鏨・たがね』を叩きこむやり方は昭和以前デス。