真田氏記念公園partⅡ

 

 公園と云っても運動できる広場や遊具が在る訳でなく、『花壇』と『真田氏三代のレリーフ』と謂れの書かれた『石碑』があるのみです。

 

 

 どうも数年前の『真〇丸』の出演者の影響なのか、眼光鋭い坊主頭に違和感を感じます。

 

 まぁ、教科書に描かれていた人物像が本人かどうかの確証は薄いらしいですけど。

 

 『真田幸隆』は武田家家臣であったにも関わらず、『織田信長』が台頭してくると『織田軍』と和平を締結。『信長』亡き後再び『武田軍』に近づいたり、『武田信玄』に攻められると今度は『上杉謙信』に庇護を求める。

 

 何でも有りの戦国時代、弱小の地方豪族が生き延びる為には、策略を巡らしあらゆる手を尽くしました。

 

 その最たるものが『天下分け目の関ヶ原合戦』。どちらが勝っても『血筋を絶やすな!』と『父・昌幸+次男・幸村』=西軍(豊臣軍)VS『長男・信之』=東軍(徳川軍)に別れ参戦しました。

 

 東軍として参戦した『信之』は傍観の立場を取り戦場には赴かなかったそうですが。

 

 真田の知略を陰では日和見呼ばわりされていましたが、イザ戦になるとその勇猛果敢な戦いぶりに他を圧倒、『日本一の豪傑』とさえ言わしめました。 

 

 実は『長篠の戦い』で戦死した『真田信綱』(昌幸のお兄さん)は『三方ヶ原の戦い』に於いて『徳川軍』と戦い、『徳川家康』討伐まであと一歩と迫ったんですが、鎧兜を脱ぎ捨て農民の服を着た『家康』にまんまと逃げられてしまいます。

 

 城に逃げ帰る途中『家康』は恐怖の余り馬上で脱糞してしまったそうです。

 

 その事を『臥薪嘗胆』 肝に銘じる為『しがみ像』を描かせたと云われています。

 

 『真田家』はかなり反感を買っちゃいましたね。

 

 二度にわたる『上田城合戦』でも『徳川軍』に対して勝利を収めましたが、第一次合戦では4倍の敵数、第二次合戦においてはナント10倍の敵に勝利してしまいました。

 

 ですもん『大坂冬の陣』では『真田の赤揃え』は『目の敵!』

 

 壮絶な生き様の『真田家』は数々の逸話と共に物語となり、『池波正太郎』作『真田太平記(真田十勇士の元祖?)』や『司馬遼太郎』作『城塞』が発表されると大人気を博しました。

 

 数年前の某国営放送『真〇丸』においてブームが再燃。特に上田城内に造られたテーマ館は連日の大混雑でした。

 

 秋の夜長。胡桃の殻を割りながら水割りチビリ。久しぶりに『真田太平記』でも読んでみますか。

 

 ホントはダイエットの為『運動の秋』にしなければいけないんですけど『食欲の秋』だもんなぁ。

 

 

 おまけ『徳川家康・しがむの像』