真田『信綱寺』を枡形の在る『石門』から入りまして、参道をゆるゆると歩いて行くと、『薬師堂』やら微妙なバランスの『積み石』やらを通り抜けて到着するのが山門である『黒門』です。

お寺の山門にも関わらず、重厚な造り。
しかも左右は『大岩』が際まで来ており、侵入者を拒むような感じです。


門柱の両脇には大きな『岩』が迫り、戦国時代の城門の様。(因みに二代目だそうです)
一礼して『信綱寺』へ。
して『信綱』?
『甲斐・武田信玄』家臣として働き、信玄公からの信望も厚かった『真田幸隆』は、『真田・松尾城』城主としてこの地に赴く。
『上田・砥石城』に勢力を持っていた『村上氏』を懐柔し、後に制圧。併せてこの地を『真田』と云わしめた。
『真田幸隆』には『信綱』『昌輝』『昌幸』『信尹・のぶただ』の4人の嫡男がおり、特に長男『真田信綱』は『豪将』としての名を天下に知らしめた。
『長篠の戦い』で二男『昌輝』と共に生涯を終えてしまうが、その功績を称え菩提寺として『信綱寺』を持つ。
『三方ヶ原の戦い』において『徳川家康』を討ち取る寸前まで攻め、馬上で脱糞させた逸話の相手武将でもある。
家康はこの時の事を忘れぬように『しがみ顔の像』を造らせ『臥薪嘗胆』を肝に銘じた。
そっか。戦国ゲームでメッチャ強そうな武将が『真田信綱』でした。

門をくぐったすぐ先には『鳥居』(お寺の境内にです)が在りました。
何か気になったので扁額を見ると『大六尊天』と在ります。
『第六魔王』って聞いた事ある? 多分それに掛けての『大六』だと思います。
『第六尊天』(第六天)とはいかに?(たまには自分で調べなきゃ)