『明泉寺』から続く林道(ゲートで封鎖中)を歩き始めます。
一町(一丁≒108㍍)毎に石碑が建っており、所々に石像や短歌の歌碑も。

林道の両脇の藪と化した中にそれらは点在しています。

『千手観世音』と在ったり。

四丁目は『歌碑』になっています。
奥之院の建築資材を送る為の林道でしょうか、平らな歩き易い道をゆるゆると登っていきます。(登りって程の坂じゃないですけど)

『南朝』と在ります。日本で『南北朝時代』と云えば『後醍醐天皇』位しか思い出せないのでウィキペディア参照。
行政は『鎌倉幕府』の末期の時代、天皇家(朝廷)では『後継者争い』が勃発。
挙句『南朝』率いる『後醍醐天皇』が『北朝』を下し、兄弟げんかに終止符を打った。
(※あくまで個人の見解です。間違ってたらスミマセン)
その『後醍醐天皇』の『忠臣』、『香坂高宗』の功績を称えた『碑』があります。
(写真で容量使いすぎました。削除してきますので次回です。)