大蓮寺

 

 普段、朝5時には起きます。

 

 特に仕込み、受注など無い日は朝から『ウオーキング』や『バラ公園の手入れ』をして時間調整をし、朝6:53分の『紙ウサギ〇ペ』を観てから仕事開始。

 

 一通りの仕事をこなしてから『朝食を兼ねた昼食』を軽く食べ、夕飯は晩酌を伴い食べる、呑む。(基本一日二食です)

 

 ついつい量がかさみ、痩せないのは分かってんですけどネェ。

 

 お昼から『胃袋満杯』まで食べたから運動しなきゃね。

 

 で腹ごなしを兼ねて『知らない町を 歩いてみたい どこか 遠くへ行きたい(BY永六輔)』と気取ってみますか。

 

 

 群馬県庁所在地『前橋』のアーケード街を歩いていて見つけたお寺。

 

 『大蓮寺』 山門がアーケードに同化している。(写真が無いです)

 

 で『弁財天』が在るらしいので寄ってみます。

 

 

 『芸能・商売』に御利益があるとされていますので良~くお詣りしまして。

 

 

 何だか興味そそられるものが在りました。

 

 『赤穂四拾七士・矢頭右衛門七(やがしらえもしち)』って17歳だかで病死した父親に代わって討ち入りに参加し、非業の最期を遂げた人物。

 

 討ち入りに参加する為、母と連れだって旅をしていたが、小田原辺りまで来た時、急に決まった討ち入りの日取りに間に合わせる為、母一人を小田原に残し、『今生の別れ』を済ませた後駆け付けた。

 

 討ち入り寸前の名シーン。

 

 大石内蔵助 「右衛門七はまだか~」

 

 右衛門七  「只今にございます~」 

 

 大石内蔵助 「母はいかがいたした」

 

 右衛門七  「小田原にて今生の別れを済ませて参りました」

 

 士気がぐっと高まりイザ突入!

 

 

 与謝野晶子の時代、戦時中に在るにも関わらず『君 死にたもう事 無かれ』と我が子に言葉を掛ける人がいた。

 

 『時は元禄15年………』と始まる江戸時代、『武士として散る事が潔し』と子供に伝えなければならなかった母親の胸中を思うと胸が痛んだ。

 

 合掌。