保津川下り、partⅣ。

 

 峡谷に差し掛かると今までの流れが一変します。

 

 急流となった流れの中を、『棹』を巧みに操って舵を取る『前乗り』

 

 今まで漕ぎ続けだった『櫓』は暫し休憩。

 

 

 この『保津川下り』の歴史は古く、今からおよそ1200年前、長岡京市が都だった頃に丹後の材木を運んだ事から始まります。

 

 山で切り出した木を筏にし、船頭さんが棹裁き宜しく川を下る。

 

 その為には川の手入れが必要で、大水の度に荒れた水路を人力で手入れしていたそうです。

 

 江戸時代になり京都の豪商『角倉了以・すみのくらりょうい』(嵐山の下船場近くに胸像が在ります)が私財をなげうって水路の開発に挑みます。

 

 実はこの方、後に幕府の命を受け『木曽川』や『暴れ天龍川』の水路開発もした凄い方。

 

 明治時代に入り、観光開発に尽力したのが『川本直水・かわもとなおみ』

 

 またこの方も凄い人で、小さなタクシー会社から会社を大きくし、京都に観光客を呼ぶ為に数々の観光資源を開発、そしてなんと『はとバス』創始者です。

 

 タクシー利用者を増やしたい⇒観光客を増やす⇒観光開発⇒自分でやっちゃえ!

 

 玉屋の売り上げ伸ばしたい⇒観光客を増やす⇒ぴんころ地蔵さんに人が沢山来ます様にと成田山に願掛け。(って完全に他人任せです。)

 

 

 え~っ話戻します。

 

 渦巻く川面、でも船はどっしりとしていて安定している。

 

 この程度の流れならローリングもピッチングも無し。

 

 まっ、船は満員ですからね。

 

 日本の河川で、人の手の入らない自然水利は『四国・四万十川』や『北海道の原野を流れる川』位なものだと聞いたことが有る。

 

 この辺りでも『コンクリート擁壁』や『蛇籠』の護岸工事の後が見られる。

 

 右岸の紅葉の中を『トロッコ列車』が走る為、安全確保は仕方ないけど。

 

 丹後の山の中から木を切り出し、『筏』で運んだ頃とは見える景色が違うんだろうな。

 

 だからと言って『筏』で下れって言われても、紅葉時期は『濡れる』し、『寒い』し。

 

 やっぱり『保津川船下り』でいいや。