千国街道

 

 日本海で造られた塩を運んだ『塩の道』

 

 その昔は馬の背に塩の入った俵をくくりつけ、『千国街道』を南下しながら売り歩いたと云われる。

 

 そして塩が売り切れ、来た道を引き返す場所が『塩尻』

 

 直江津を起点に売り歩き、上田市で売り切れた事から、やはりそこにも『塩尻』の地名が残っている。

 

 『上杉謙信公』は『敵に塩を送る』という故事を残したが、実は立派な貿易収入。

 

 太平洋側を『今川家』『北条家』に抑えられてしまい、塩を求めるには日本海側に出るしかなかった『武田家』は強力な武将のいなかった長野県を通って北進。

 

 結果長野県の農地を踏み荒らし、戦場とした。

 

 『川中島の戦い』では、両軍の足軽=農民を考慮し、米の実る田園地帯を避けたとも云われる。

 

 結局この時も勝敗はつかず、両軍共結局は米の収穫の為に国へ引き返した。

 

 こんな事、四回も繰り返したんですから長野県民たまったもんじや無い。

 

 

 ヘッドライトの暗いオフロードバイクはトンネルが苦手。

 

 千国街道のトンネル多発地帯を抜け、新潟県に入った所でバイクを停める。

 

 『蒲原沢土石流災害慰霊碑』前の駐車場から橋まで歩いて引き返す。

 

 

 急峻な谷間には幾つもの『滝』が見える。 

 

 赤い橋から写真を撮ろうと思い旧道に入ってみたが、現在は崩落ヶ所があり通行止め。

 

 確か近くに『大仏』が在ったと思ったが分からなかった。