追分

 

 道路・街道がふたつに分かれる所を『追分』と云います。

 

 日本全国で一体幾つ在る事やら。

 

 多分日本で一番知名度の高い『追分』が『信濃追分』です。(個人的感想です)

 

 

 国道18号線群馬県側からを走って来ると必ずこの前を通るんですが、なんせ交通量の多い道路です。脇見なんぞしようものなら危ないですもんね。

 

 

 何故此の地が有名かと云いますと。

 

 今から40年近く前、男性兄弟ディユオ『狩人』のヒットソングに『コスモス街道』があります。(知っている人は同世代以上)

 

 その歌詞の一節

 

 バスを降りれば カラマツ林 日除けの降りた 白いレストラン

 

     中略

 

 右は 越後へ行く北の道  左は木曽まで行く 中仙道  続いてる コスモスの道が

 

 『北の道=北国街道』と『中仙道』の分岐点だったんです。

 

 ただし周辺に『バス停』は無いですし、『白いレストラン』は離れています。

 

 残念ながら『コスモス』が咲いているのは一部分だけ。

 

 夢も素っ気も無い結末ですが。

 

 

 

 すぐ傍らを大型トラックがビュンビュンすり抜ける現代。

 

 一体いつ頃からこの石像は佇んでいるのでしょうか。

 

 

 優しい顔の石像も見守ってくれています。

 

 『観世音菩薩』だと思うんですけど、『キリシタン』ぽくも見えません?

 

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ぬくめ

 

 漢字で書くと『温め』です。

 

 田植え後の田んぼに水を入れる時、『苗』に直接冷たい水が当たらない様に水路を幾重にも折り返し、太陽光で少しでも水を温めてから取り入れようとする構造です。

 

 標高600㍍を越えている『佐久』地方では、春、『雪解け水』主体の河川・用水の水温は低すぎますので、考え出された『苦肉の策』が『ぬくめ』です。

 

 

 位置的には『エクシ〇軽井沢』の南側、別荘やペンション、『洒落たレストラン』などが点在する静かな雰囲気の一角に『千ヶ滝湯川用水温水路』は在ります。

 

 別荘族の人達の散歩コースにもなっているみたいで、ご夫婦仲良く歩いているのを良く見かけます。

 

 川幅は広いのですが水深は数センチと浅く、底の黒いコンクリートで太陽熱を吸収し水を温めています。

 

 

 温水路を抜け、流れ出た水量は実はこの程度。

 

 これより下流の田んぼに流れ込む用水です。

 

 

 当然『水鳥』の集まる環境にもなります。

 

 『鴨』の他にも『オシドリ』なども見受けられます。

 

 『オシドリ夫婦』と云えば、一生を添い遂げられる中の良い夫婦の例えとされますが、実際はそうとばかり言えないそうです。

 

 個体識別しているわけではなく、『ジオグラフィック』だったか『ネーチャー』だったかによれば『毎年違う相手』とも報告されていました。

 

 人間ぐらいなものですよ。『オシドリの夫婦』は。

 

 中には『偽りのオシドリ』もいますけどね。

 

薬師堂と観音像

 

 更に旧中仙道を当てもなく追分方面へと走っていると、浅間山の噴火溶岩でしょうか大きな『溶岩石』が見えました。

 

 

 奥の溶岩石の上には『観音像』が立っています。

 

 バイクを停め、入り口らしき所から入ってみると。

 

 

 参道の雑草が刈られゴミ一つ落ちていません。

 

 きっと毎日訪れている人がいるのでしょう。

 

 

 入り口近くの溶岩石は自然に開いたのかぽっかりと穴が開き、格子戸が取り付けられていました。

 

 その穴の奥には何やらお札らしきものも見えます。

 

 にしても『基石』と銘板が彫られたこの『溶岩石』、よく見ると上に乗っている岩は二つに割れ、微妙なバランスを保っています。

 

 そして祠の様にぽっかり空いた『穴』

 

 子宝祈願の象徴にも見えなくないです。

 

 

 佐久から移住した『満蒙開拓団』は、『第二次大戦開戦』と共に命からがら引き揚げてきたました。

 

 しかし以前住んでいた場所には居場所が無く、追分周辺の未開拓の地を自ら開拓し『沢庵漬け』などで生計を立てていました。

 

 『佐久穂・大日向地区』に住んでいた『満蒙開拓団』が引き上げてきて『追分エリア』に『大日向』を造り上げました。

 

 しかし終戦後の時代の流れと共に生活は困窮、そんな時『西軽井沢高原温泉ホテル』が開業し、雇用拡大にに大いに貢献いたしました。(と書いて在るっぽいんですけど)

 

 余り知られていませんけど『国道18号線』と『しなの鉄道』に挟まれた西軽井沢エリアには、『ペンション』や『別荘』『企業保養所』や『大学の所有地』などが多いんです。

 

 『北軽〇沢』程寒くなく、生活圏としても常住可です。

 

 『軽〇沢』は夏、道路は混むし、物価はお高い。

 

 皆さん。お勧めは『西軽井沢』です。(宣伝しても私個人に何のメリットも無いですけど)

 

大山神社

 

 普段滅多に部外者なんぞが通らないであろう旧道の、更に裏道なんぞをブラブラして居ようものなら、『不審者』でも見るように遠くからこちらを覗ってっる人がいたりします。

 

 必ずヘルメットを取って、『カメラ撮影が趣味なんです』感を醸し出しながら歩いてますけど。

 

 『旧中仙道・小田井宿~追分宿』の道の途中に鳥居が在りました。

 

 

 丸太を組み合わせただけの『神明系鳥居』には扁額も在りません。

 

 はてさてどんな『神様』をお祀りしていますやら。

 

 

 拝殿にも扁額は在りません。

 

 編み込まれた『注連縄』と大屋根の合わせ目に飾る『懸魚・げぎょ』がシンプルながら味わい深いです。

 

 参拝しましたけど神様は?

 

 

 傍らの『絵馬掛け』に真新しい『絵馬』が沢山奉納されています。

 

 この『絵馬』に書かれているのが『山ノ神神社』 でも社務所とか見当たらないんですけど、何処で領布してるのかな。

 

 

 摂社として『大山神社』が祀られていました。

 

 『大山神社』に関しては『広島県・尾道』『神奈川県・伊勢原』など諸派在るみたいです。

 

 落語『大山詣り』に出てくる『大山』は、江戸から現国道246号線伝いに走る『大山街道』を通って神奈川県・伊勢原まで続いています。

 

 落語では、町内旅行で『大山詣で』の最中のいざこざから、家で留守番している嫁さん連中が頭を丸坊主にされてしまいます。

 

 落ちは「お怪我(毛が)無くって御めでたい」 ってやつ聞いた事無い?

 

 手を合わせまして。今後もバイクでこけたりしません様に。

 

 

旧中仙道・小田井宿・長倉神社

 

 道路がどんどん整備され、旧道脇にバイパスが出来ると、生活圏以外でわざわざ旧道を通る人は少ない筈です。

 

 車で見知らぬ地に入っても、駐車できる場所が無いとなかなかゆっくり散策など出来ません。

 

 その点バイクは便利。トコトコ走って何かを見つけたら取り敢えず停車します。

 

 旧中仙道を小田井宿でフラフラ走っていたらこんもりした森を発見です。

 

 大体『欅』の大木などが密集している場所は何かが在ります。

 

 

 鳥居の脇のスペースにバイクを停め、ヘルメットを取ると轟轟と水音が響いてました。

 

 『滝?』 音のする方へ歩いて行ったら用水の『U字溝』でした。

 

 赤い『躑躅の花』が落ちているこの時、2020/5末の事です。(半年も前じゃん)

 

 

 拝殿の扁額には『長倉神社・諏訪神社』と併記されています。

 

 『注連縄』の掲げられている正面、透かし彫りや『木鼻の龍』見事です。

 

 鳥害除けの『金網』が興ざめですけど致し方ないですかね。

 

 

 『本殿』と『拝殿』を保護する為の大屋根や鎧壁、障子って珍しくないですか?

 

 実はこの神社、佐久地区の冬の風物詩で必ずニュースに取り上げられます。(地方版ですけど)

 

 

 この大きな『藁馬』を引き廻ししながら各家々を廻ります。

 

 子供が引くのは小さな『藁馬』です。

 

 『神馬舎』に奉納されていますので興味ある方『小田井宿』までどうぞ。

 

田中隊長~

 

 まだまだ『横根・救世尊』ですので付いて来てね。

 

 『諏訪神社』境内から登って来たのは、『救世尊』の建物の後ろ側。

 

 正面に廻ってみて驚いた。

 

 

 石段の上から見下ろした参道です。

 

 倒木が完全に石段を遮っています。

 

 まるで『立ち入るべからず』と示唆しているかの様です。

 

 でも登って来ちゃったし。

 

 『寺院』なら、入り口に何らかの石碑とか無いかと思い、この倒木の下を這いつくばって通りました。

 

 『神社』ならば『鳥居』がある筈です。(でも『鈴緒』も無かったし)

 

 

 石段の下から見上げるの図。

 

 『観音様』らしき石像が見えます。

 

 辺りを見廻すと。

 

 

 ぽっかりと横穴が開いています。いかにも人工的な『石の天蓋』

 

 『古墳?』

 

 でも入り口の高さ×横幅が各30㎝程しかない。

 

 すぐ行き止まりになるようにも見えるんだけど、まさか頭から入れないし。

 

 そうだ『田中隊長~出番ですよ』ってTV番組に毒されているかな。

 

 『救世尊』すら解らないのに、余り深入りするのも良くないだろうと今回は此処まで。

 

救世尊 境内

 

 『救世尊』とは何ぞや?

 

 ググってもヒットしませんでした。

 

 『世尊偈・せぞんげ』という経文までは辿り着いたのですけど。

 

 そもそも『神社?』『寺院?』

 

 『横根・諏訪神社』から登ったのですが、各所にお地蔵様が在る所から『寺院』みたいです。

 

 扁額を撮影した後、建物も撮っている筈なんですけど、写真が行方不明?

 

 (私のデジカメ、時々不思議な事が起こるんです。)

 

 

 こちらの『多宝塔』と『お地蔵様』は普通ですけど、あれ?

 

 

 明治政府発令の『廃仏毀釈』により、日本各地でこのように『仏像』が壊されてしまいました。

 

 チョット長くなりますので、興味無い人は飛ばしてください。

 

 日本は元来『イザナギノミコト』が『淡路島』を造って以来の『神道』の国です。

 

 『神の子孫』が人間となり『神武天皇』に成りました。(日本書紀より)

 

 5世紀初頭、朝鮮半島は『高句麗』『百済』『新羅』の三国に分かれていましたが『高句麗』と『百済』の間で戦争が勃発。難を逃れ多くの朝鮮民族が日本に渡りました。

 

 この時中国経由の『仏教』が、『道教』や『儒教』と共に日本に伝播します。

 

 様々な解釈がまかり通る中、平安時代に『遣唐使』が中国に渡り『正しい仏教』を持ち帰ります。(遣唐使=最澄・自費留学生=空海)

 

 最澄は『延暦寺』を創建し『天台宗』開祖と成ります。

 

 空海は日本各地を巡礼し『高野山』に『金剛峰寺』を建て『真言宗』の開祖と成ります。

 

 その後『鎌倉時代』に『延暦寺』で仏教を会得した人により『浄土宗=法然』『浄土真宗=親鸞』『曹洞宗=道元』『臨済宗=栄西』『日蓮宗=日蓮』などが生まれます。

 

 『神道』が皇族・武家などに保護される反面、庶民の間には『仏教』の教えが浸透していきます。

 

 『神道の神々』の中に『仏教の神』との同一性を見い出し、長い間『神仏混載・しんぶつこんさい』が起こります。

 

 明治時代初期、『神仏分離令』が発令され、『廃仏毀釈』により心無い『仏像破壊』などが行われました。

 

 現在『神社』は『神社庁』の管轄、『お寺』は『文化庁』の管轄となっています。

 

 しかしこの時完全に分離した訳では無く、『お寺なのに稲荷=豊川稲荷』『神社なのに三重塔=新海三社神社』などが残されています。

 

 因みにこの『神社に三重塔』日本に九社あるそうです。

 

 その一つが『佐久市・新海三社神社』

 

 更にその近くには、日本に二つしかない五稜郭『佐久市・龍岡城』が在ります。

 

 『ぴんころ地蔵』参拝の折は是非とも足を延ばしてみてね。

 

 『旧中込小学校』は日本最古の『西洋式建築学校』とされています。

 

 あ~長かった。

 

 

 更には自然に倒壊したのかこんな大きなものまで。

 

 一種異様な雰囲気です。 続く。

 

救世尊

 

 人っ子独りいない境内をウロウロ。

 

 おっ。この花(草?)知ってる。

 

 『蝮草・マムシグサ』です。

 

 

 説明は難しいので各自ウイキペディア参照の事。

 

 晩秋になると、赤く毒々しい、逆さまになった『ヘビイチゴ』状の実をつけます。

 

 サトイモ科の『雌雄異体』の植物です。

 

 こーちゃんはこのストライプ模様が美しいと思うのだけれど………毒性が強いので触れない様に。

 

 根っこには特に猛毒が在ります。

 

 戦時中毒抜きをして食用にしたらしいですが止めた方が無難です。

 

 

 境内に在った木の根っこですけど、『犬』?『豚』? に似てません?

 

 色々ある境内を散策していたら、高台の上にも建物が在りました。

 

 

 この『祠』を廻り込むように踏み跡が続いています。

 

 勿論行ってみると。

 

 高台に見える『社』に廻り込むように上り坂が続いています。

 

 社の軒下に在った額には『救世尊』とのみ読み取れます。

 

 市の後が擦れてしまっていて………

 

 スマホで検索するも良く解らん。

 

 

 次回も『救世尊』周辺です。

 

横根・諏訪神社

 

 入り口の脇に在った『佐藤春夫』の文字に、ひょっとしてこの辺りに疎開していたのかもと考えながら鳥居を潜ると、すぐ目に入って来たのが『明治37.38年 戦従紀年』と書かれた石碑。

 

 明治37年は『日露戦争開戦』の年です。

 

 明治27年に勃発した『日清戦争』に勝利した日本は、『満州』を統治しその勢力を拡大していきました。

 

 日本の繁栄に脅威を感じた『ロシア』は対抗すべく圧力を掛けます。

 

 当時世界一の海軍と称する『バルチック艦隊』を日本に向け開戦『日露戦争』が始まりました。

 

 この時代の流れ、『山本周五郎』ファンのこーちゃん、『坂の上の雲』なんぞで読みました。

 

 

 『諏訪神社』とありますけど何か雰囲気が重いんです。

 

 境内には『児童公園』なんぞも在りますが『壊れたブランコ』や草生した広場が寂しげです。

 

 きっと以前は子供たちの遊び場として、かくれんぼや野球なんぞで歓声が聞こえていたんでしょうけど。

 

 『二の鳥居』を潜ると本殿ですが、違和感の正体が分かりました。

 

 

 左右に対を成す石柱の上には、大砲の『砲弾』を模した物が乗っています。

 

 『戦勝祈願』を祈念し、又『出兵式』などが行われた場所なんでしょう。

 

 その場所に『戦争疎開』(第二次大戦)で『佐藤春夫』さんが来ていたんですね。

 

 

 社務所と拝殿を繋ぐ橋のアーチが美しいのですがどうにも『武』と云う言葉が『諏訪神社』に似つかわしくありません。

 

 『寅さん映画』の『帝釈天』にも登場するアーチ橋。

 

 人が潜れるようにする為と、雨水が溜まらないなどの意味が有るみたいです。

 

 石柱の『〇武維揚』『萬〇維懐』 (〇の文字がよく解らない?)

 

 でも何とな~く『戦争』を感じてしまします。

 

横根

 

 突然ですが問題です。

 

 ①次の漢字の読み仮名は 『磊庵』

 

 ②「あはれ秋風よ 情あらば伝えてよ」で始まる詩の題名は?

 

 ①② に共通する人物の名前は?

 

 

 『佐久市・平根地区』から旧道を『横根』に入ります。

 

 集落の中ほどまで進むと右手にこんもりとした森が見えて来ます。

 

 石段の上に鳥居が建ち『諏訪神社』と在ります。

 

 バイクを停めふと脇を見ると

 

 

 『佐藤春夫』の名前が在りました。

 

 『サンマの唄』の作者で在る事くらいしか知りませんけど、此の地に疎開していたんですね。

 

 そういえば佐久インターそばの『仙緑湖』に『佐藤春夫のレリーフ』を見たような気が。

 

 実際に住んでいたのは『横根』だったそうです。

 

  あはれ 秋風よ こころあらば伝えてよ 

 

  今日の夕餉に独り 秋刀魚をくらいて 思いに耽る と。

 

  そが上に 青き蜜柑の汁を滴らせて 喰うは その男の故郷の習いなり。

 

          中略

  

  秋刀魚 秋刀魚。 秋刀魚苦いかしょっぱいか。

 

  そが上に 熱き涙を滴らせ 喰うは いずこの里の習いぞや。

 

 『いずこの里』とは『佐久市・横根』の事なんですか?

 

 前回『東京オリンピックの年』に亡くなられたんですね。

 

 帰りに『ブック〇フ』にでも寄って行こうかな。

 

 

 いつもの様に『鳥居』を潜って………いきなり『石碑』に『五芒星』が見えるんですけど。

 

 しかも『石板』には『明治37・38年 戦従紀年』と在ります。

 

 何やら きな臭いぞ。

 

 ①らいあん ②秋刀魚の唄 ③佐藤春夫 でした。

 

 次回へと続きます。

 

大井城partⅡ

 

 まだまだ『大井城』編です。

 

 大ケヤキが守るようにして沢山の祠や石碑、墓標が並んでいます。

 

 

 中には不思議な形の『天然石』も在りました。

 

 『注連縄』が巻かれ『御幣』が下がっています。=『神様』と云う事ですかね。

 

 

 そして『石垣』に残る『石のみ』の跡。

 

 昔の人の技術力の高さが覗えます。

 

 

 悲しいかなこのお城も『侵略』を受け、滅んでしまいました。

 

 戦に敗れ亡くなった方のご冥福をお祈りします。

 

 一本横道に『鳥居』が見えました。

 

 『擁壁』と『石段』に時代の差を感じます。

 

大井城

 

 佐久市『岩村田』交差点から『平尾』方面へ曲がって暫く行くと『湯川』に向かって下り込みます。

 

 の手前。左手の河岸段丘の高台に『大井城跡』が在ります。

 

 こお『大井城』は室町時代頃までこの地を統治していた『大井氏』の居城でした。

 

 

 設置されていた案内を読むと、他にも『石並城』『黒岩城』と『王城』を併せて『大井城』と呼ぶそうです。

 

 確かに『湯川』の河岸段丘と、田圃の低地が造り出した段差は『天然要塞』の感を出しています。

 

 県道側から急坂の舗装路を上ると城跡は公園になっていました。

 

 

 公園の奥に『大木』が聳えています。行ってみると。

 

 

 祠や墓碑が並んでいました。きっと統治していた『大井氏』を偲んでの事でしょう。

 

 長野県では結構『大木』が『県指定天然記念物』に認定されています。

 

 

 柵と生垣に囲まれ、更には石段まで築かれています。

 

 聖域でしょうから、遠くからそっと手を合わせます。

 

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御嶽神社

 

 今から半世紀も前、国道141号線は『山梨県・韮崎』を起点に『野辺山』を通り、『小海町』~『臼田町』ときて『野沢十二町』の大ケヤキで右折、(直進は国道142号線)『野沢橋』~『中込』~『佐久市役所・西側』を通って『岩村田』へ。

 

 『通称・佐久甲州街道』と呼ばれていました。

 

 『岩村田・相生町』から『現・こども未来館』の脇を通って『小諸』方面へと抜け、『国道18号線』で終点でした。

 

 現在は『佐久平駅』の脇を通っている道が『国道141号線バイパス』です。

 

 国道と云うからには『補修費用』などには『国税』が使われます。

 

 『佐久市役所』の東側を通る『片側2車線』の道が『一般国道141号線』です。

 

 新しく『バイパス』が出来て国道に格上げされると『旧国道』は県道などに格下げされます。

 

 確か『バイパス』と『一般国道』の二路線までは国道として認められていて、『管理・補修』は国が行います。

 

 昔『佐久市立浅間病院』へ行くのに、この岩村田の信号の無い交差点から『小海線』を渡って行きました。

 

 現在『佐久市立浅間病院』前の道が『旧中仙道』です。

 

 現在は『塩名田線』と呼ばれる県道154号線の事ですが、知らない人も多いのかも。

 

 

 踏切を渡ると住宅地を抜け『岩村田高校』の南側に出るのですが、空き地を避けるように道路はカーブを描いて迂回します。

 

 この迂回している場所に建つのが『御嶽神社』です。

 

 神社なのに鳥居が無く、『御嶽神社』と書かれた石柱と小さな『御社』他に石碑が並んでいて、何だか近寄りがたいイメージが在りましたが今回立ち寄ってみました。

 

 

 鳥居が無いんじゃなくて、根元から折れていたんですね。

 

 更に夏草も伸び放題。参道すら人の踏み跡が残っていません。

 

 この『境内』と『石碑』の間を中仙道が通っていて、昔の旅人は木陰に休んだのかも知れません。う~んロマン。

 

 

 『月神尊』『庚申塚』『妙見尊』(なんと北極星を神格化した神様です)

 

 

 『保食神社』(保食・うけもちのかみを祀っている神社です)

 

 石の祠は?

 

 この『鳥居』から真っ直ぐ続く御社が『御嶽神社』

 

 『御嶽神社』には『おんたけじんじゃ』と『みたけじんじゃ』の二通りの読み方が在り、『木曽・御嶽山』に由来する山岳信仰が『おんたけ』 東京・青梅の神社は『みたけ』

 

 我らが郷土力士『御嶽海』は『みたけ』

 

 もし噴火災害が無かったら『おんたけさん』になっていたかも。

 

 『御嶽神社・おんたけ』は割と日本全土に散らばっているみたいです。

 

 山岳信仰では他によく聞くのが『白山神社』『浅間神社』

 

 『立山』や『出羽三山』など『山』そのものが修験道者の修行の場で在ったりもします。

 

 『八ヶ岳・蓼科山』にも山頂には『蓼科神社・本宮』が祀られていますけど、登山しなきゃ参拝出来ないです。

 

 元気なうちに登っとこ。

 

 PS 頑張れ~『御嶽海』 夕方、店番しながらの唯一の楽しみなんだから!

 

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愛宕神社

 

 この章は2020/5の事です。

 

 新型コロナウイルスの影響で『越境自粛』 近場をバイクでぶらつき憂さ晴らしします。

 

 『佐久市・石神・杜宮司神社』で石柱の文字を検索し、スマホを見ながら拝殿へ。

 

 改めて『お賽銭』を取り出し参拝………ン?

 

 

 天井から『とっくり』がぶら下がっています。

 

 よく『とっくり蜂の巣』と誤解されていますけど、これは『コガタスズメバチの巣』です。(間違ってるかもしれませんので自分で確認してね)

 

 『トックリバチ』は『ドロハチの仲間』です。滅多に他人を攻撃しませんが、片や『コガタスズメバチ』は縄張り意識が強く近くを人が通るだけで『偵察部隊』が飛来します。

 

 まぁ、刺激しなければ刺されることは少ないですけど。(以前、刺されました。メチャクチャ痛いです。刺激してないのにサ。)

 

 で参拝そこそこにバイクへ戻ります。

 

 

 国道141号線、滑津川に架かる『中込大橋』を『佐久郵便局』方向へ登って行きます。

 

 『千曲川と滑津川』の造り出した『河岸段丘』の段差を『中込大橋』で一気に駆け上ると左手に鳥居が見えます。

 

 きっと見かけた人も多い筈。でもわざわざ行く人も居ないかな。

 

 空き地の一角(多分分譲地の売れ残り?)に『鳥居』と『祠』が在りました。

 

 新緑の美しい『ヒバの木』でしょうか参道を造っています。

 

 で鳥居を潜って『参拝』と思ったら、こーちゃんのもう一つの『苦手』が居ます。

 

 『スズメバチ』と双璧を成す苦手な生き物『女郎蜘蛛』です。

 

 子供の頃平気で掴んだりしてましたけど、首筋を咬まれてから大っ嫌い!

 

 首筋に痛みを感じ、思わず叩き潰してしまいました。潰れた蜘蛛がシャツにベットリ………

 

 チョット違ってれば『スパイダーマン』に成れたかも知れないのにねぇ。

 

 棒切れなんぞで蜘蛛の巣ごと払いのけてもいいんですけど、万が一『カンダタ』にならないとも限らない。

 

 その時は『お釈迦様』、是非太めのロープでお願いします。

 

 で無用な殺生を避けまして。次。

 

杜宮司神社

 

 佐久市の千曲川沿いに『東京電力』の『第一調整池』が在ります。

 

 『湖』の無い『佐久市』(あっ『仙禄湖』や『美笹湖』があるか)にとって、この『東京電力第一調整池』=『貯水湖』は『野鳥』や『水鳥』の集まる貴重な水場になっています。

 

 近くの『河岸段丘』には『チョウゲンポウ』の営巣も確認されています。

 

 『沢蟹』の生息地も近くにるんですよ。

 

 住所は『佐久市 石神』 『杜宮司神社』が在ります。

 

 

 鳥居の奥に見える小さ目な『御社』とその手前の『拝殿』(神事用)だけですが、境内の石柱に驚きました。

 

 

 鳥居の手前に、頭頂部の欠けた石柱ですが『嘉永』としたら1850年頃の物です。

 

 『ペリー来航』が『嘉永六年』です。

 

 年号『文化』は1804年~。(年号はgoogle調べ)

 

 

 

 で、石灯篭には『文政』の文字。(1814~)

 

 『文化・文政』の頃。江戸時代も末期に近づき、江戸庶民の暮らしにも余裕が出てきます。

 

 そこで発達するのが『十返舎一九・東海道中膝栗毛』などの滑稽本や『小林一茶』などの『俳句』

 

 『葛飾北斎』や『歌川広重』などの『絵師・版画』

 

 『蘭学』として『杉田玄白』や『平賀源内』などなど。

 

 時代劇好きな爺ちゃんのお陰で、子供の頃観たTVは『時代劇ばっか』

 

 でも嫌いじゃ無かったですよ『水戸黄門』とか『一心太助』

 

 『黄門様一行』の歩く砂利道に写り込む『ガードレール』とか『車の轍』

 

 ぼかした遠景に見える『送電線の鉄塔』とか『ペンキで塗られた橋』なんぞの『粗探し』する『嫌なガキ』でしたねぇ。

 

 『杜宮司神社』の建立年は定かではありませんが、その後の『幕末~明治維新』の激動の時代を見守っていたんですもんね。

 

八幡神社の諏訪神社

 

 『旧中仙道・八幡宿』現在でも古い街並みが残っています、

 

 それも『保存エリア』みたいな人工的なもので無く、人の生活が見える古さ(失礼)です。

 

 『八幡様』を祀るから『八幡神社』なのか、『八幡宿』に在る『諏訪神社』から『八幡神社』と呼ばれる様になったのか、『八幡神社』の摂社として『諏訪神社』が在るのか?

 

 誰も居なかったので聞くに聞けなかったです。

 

 

 おろ?今度は『諏訪神社』の正面写真が見当たらない。

 

 グーグルの『フォト』が勝手に順番入れ替えてる? まさか『暴走❕』

 

 

 『諏訪神社・本殿』の彫刻が素晴らしいです。

 

 『脇屏風』の『透かし彫り』や『組木』毎に飾られている『鼻木』は『獏・龍・蛇・獅子』と様々です。

 

 しかも『ゴテゴテ塗られてない』のが実に素朴です。

 

 

 背面の彫刻です。この凄さ、知ってる人はどれくらいいるんだろう?

 

 『八幡宿』に行ったら是非とも『諏訪神社・拝殿裏』に廻って下さい。

 

 そして末永く残す為にも『千社札』は無しでお願いします。

 

 保存の為です。『お賽銭』も奮発してね。

 

 こーちゃん、デジカメはフルオートでしか使いません。(いや使い方が分からない)

 

 なんで上の写真だけ靄っているのか分かりません。ひょっとして………

 

厳島

 

 表参道の鳥居の脇には池が在りまして、『浮島』に『社』が建てられています。

 

 橋が架かっていて参拝できる造りになっていました。

 

 あらら写真が無い………撮らない訳がないんですけど。まさか超常現象?

 

 『厳島神社』は云わずと知れた『安芸の宮島』の摂社です。

 

 『池』は『海』を表し『祭神』の『三柱』は『宗像三女神』

 

 『宗像三女神』を説明するには『天照大神』と『素戔嗚尊』の姉弟喧嘩『誓約・うけい』から説明しないといけないので、物凄~く長くなるから『誓約』でウイキペディア参照。

 

 続いて傍らに『高良社』が在ります。

 

 

 『十六弁の菊の紋』と『五七の桐』『三柏』?が在ります。

 

 金色の『神紋』に有難みを感じますけど、『高良社』って何だろう?

 

 

 ここでも『水垣』が開いていましたので参拝します。

 

 『高良社』がどんなものかもよく分からないですけど。

 

 国の重要文化財です。大切にしなきゃね。

 

 こーちゃん『千社札』反対派デス。

 

 江戸時代は『粋』だったかも知れませんけど、一種の迷惑行為ですよ!

 

 

 『厳島神社』の写真在りましたので載せときます。

 

八幡神

 

 広い境内を持つ『神社仏閣』の入り口近くには、何処にどんな建物や『社』が在るかを分かり易く図説した『俯瞰図』や『見取り図』が在るのが普通です。

 

 『本殿』以外にも『摂社』や『石仏』など是非見て貰いたい!と案内しています。

 

 もしかして改修工事で一部立ち入り禁止になっていたので見落とした?

 

 

 『扁額』が掛かって無かったので定かではありませんけどこちらが『八幡神』の『御社』

 

 何故なら『幟旗』を建てる『ポール』が在るのが此処だけ。

 

 『主神』をお祀りしているって事でしょう。(きっと)

 

 『幟旗』を掲げる『旗竿』 今では金属製のポールに取って代わりましたけど、以前はホントに大変でした。

 

 『長~い木の柱』を『基礎石』の『穴』に落とし込み、片や柱を押し上げる組、片やロープで引っ張る組と別れ、およそ十人掛かりで立てました。

 

 それが『神社』の取り付け道路入り口と、神社前など最低でも2~4本立てます。

 

 昔は『青年団』や『消防団』の任務の一つでした。

 

 『神事』の日取りは決まっていますし、朝は早いし、様々な決まり事が在って………

 

 そして『祭事』が終わると今度は片付けです。 

 

 ナイショの話、消防団時代これが嫌で嫌で。

 

 

 太い髭や背びれの立ち具合、宝玉を握る爪といい『力強い龍』です。

 

 奮発して100円をお賽銭箱に。 いや~良い物見せて貰った。

 

 と此処で社の向かい側にも鳥居が在るじゃないですか。勿論行ってみます。

 

 

 どうやらこの『鳥居』が『八幡神社』の表参道みたい。

 

 『明治神宮』の表参道なら欅並木と小洒落たカフェが並んでるんですけど。

 

 『八幡神社』に祀られている『八幡神』通称『はちまん様』とは、『初代・神武天皇』から数えて15代目『応神天皇』の事であり、『源氏』が氏神とした事で武家の間に信仰が広まったとされています。

 

 その後戦国時代などに『必勝祈願』の為、全国各地に建設されました

 

 現在、お祀りされている『神社数』では日本最多を数えます。

 

 良く知られる『倭建命(日本武尊)・やまとたける』は13代目『成務天皇』の弟にあたり、九州『熊襲・くまそ』『や出雲』をを討伐しました。

 

 続いて東方平定の為『三浦半島』から千葉県に海路を進む途中で暴風雨に遭い、鎮める為に自ら海中に没した妻『弟橘比売・おとたちばなひめ』を『碓氷峠』で偲び、思わず出た言葉『我が妻よ』から『吾妻』の地名が生まれました。

 

 最近『日本書紀』を読んだりしたもんで。

 

瑞垣門を潜る

 

 神社参拝では、『鳥居』を潜り、『手水舎』で手と口を清め、『随身門』を潜ると『聖域』です。

 

 場所によっては敷地内に『太鼓橋』が在って、穢れている者は渡れないとされています。

 

 『神楽殿』が在ったり『拝殿』が在る所では『鈴』と『賽銭箱』が在ります。

 

 『本殿』(御神体をお祀りしている所)は『瑞垣』によって囲われており、『本殿正面』には門が設けられています。これが『瑞垣門』

 

 此処で『神道』に則って『お賽銭』を入れ『鈴』を鳴らし『略礼』の後『二礼・二拍手・一礼』の参拝儀式を行います。

 

 これも格式により『二礼・四拍手・一礼』や『二礼・八拍手・一礼』などの参拝方法があります。

 

 『伊勢神宮』や『出雲大社』などの神社も『一般人』は『瑞垣』の中には入れないのが普通です。『皇族』や『神職』の人のみが『禊』の後に入れる場合があります。(あと補修工事の宮大工さんかな)

 

 

 そして『水垣門』の『梁』の部分にも『猿』の彫刻が在りました。

 

 

 いや『鬼?』 前と後ろでは腕の形や表情が違います。

 

 『縁の下の力持ち』的な意味合いですかね。

 

 

 そして『支え』になってる柱は『天然木』 これだけで力強さを感じます。

 

 只、『蛍光灯』は………まっ、見なかった事にして次!

 

瑞垣門

 

 『算額』の奉納されている『領布所』前で暫し考え込むもさっぱり解らん。

 

 頭の中がムズ痒くなる前に次行こう。

 

 

 古い社務所でしょうか。その前に在る彩色された彫刻の見事なこの建物。

 

 『格子戸』の位置からして『神馬舎』ですかね。(あくまで個人の感想です)

 

 何も書かれていませんので分かりません。そして軒下には

 

 

 クオリティは『日光東照宮』の『左甚五郎』には及びませんけど、透かし彫りの手の込んだ作品です。

 

 『蟹』でも彫られていれば分かりやすかったんですけど謎?

 

 さらに進むと

 

 

 『水垣門』が在ります。

 

 普通、『水垣門』から先は『神域』となっていて、一般人は此処から先に入れません。

 

 門の手前に賽銭箱が置かれ、此処で参拝します。

 

 でも『八幡神社』では先に入れるんです。 滅多にない経験。

 

 でこの門が又凄かった。

 

 でも写真UP容量が足りません。古いブログ削除してきますので次回持越しです。

 

八幡神社

 

 日本各地で見かける『鳥居』=『神社』のほとんどが『稲荷神社』、『八幡神社』(八幡様)、『天神』(菅原道真)、『諏訪神社』(長野県の神様です) などです。

 

 更に云うなら 『熊野神社』(熊野権現)、『春日神社』、『八坂神社』『住吉神社』

 

 山岳信仰なども加えると『白山神社』『御嶽神社』『浅間神社』(富士山なのに)

 

 海に関して『金比羅神社』 『恵比寿神社』などなど。

 

 日本には『八百万の神様』が居るとされていますので中には『蚯蚓神社』(長和町や)『九頭竜神社』(芦ノ湖) 『河童神社』などの『生き物系』から、『場所の神様』として『竈神社』や『厠神社』 道具や物の神様としては『付喪神』と呼ばれていたが、人間が粗末な扱いをしていた事に怒りを表し『妖怪』となってしまった『傘骨』『鳴釜』『琴古主』などを鎮める為に、お祀りしている神社も在ります。(興味あったら調べてね)

 

 『八幡神社』 主神は『やわたの神』とか『誉田別命・ほんだわけのみこと』と呼ばれる神様です。 

 

 更に云うなら『第十五代天皇・応神天皇』の事であり、『源氏・平家』の頃から『戦勝祈願』『武運長久』を祈願されてきました。

 

 現在は『勝利する』『成就する』ところから『祈願達成』『恋愛成就』などを願って参拝する方が多いみたいです。

 

 『総本社』は佐賀県宇佐市『宇佐神宮』です。

 

 京都府八幡『石清水八幡宮』と福岡市『笠崎八幡宮』を併せて『日本三大八幡宮』と云われています。

 

 昨今、鎌倉『鶴岡八幡宮』は? との声も出ているみたいですが………

 

 

 『随身門』を潜り、『御札領布所』の軒下に『奉納額』が在りました。

 

 『和算』と呼ばれる計算問題を出題し、『解けるものなら解いてみな!』的な挑戦状です。

 

 江戸時代、人の多く集まる神社境内などに『額』として奉納し、解けた者を公務採用した『採用試験』的な意味合いもあったのでは?

 

 

 額を睨みつける事暫し。先ずもって日本語であるにも関わらず全く読み取れません。

 

 『安永庚子・あんえいかのえね』と在りますので、1700年代に生きたエリートはこんな文字を読解し、更には計算出来たんですか?

 

 出来ねぇ、出来ねぇ。オイラにゃ出来ねぇ。

 

 因みに『甲府・武田神社』には現代の算額が掲げられていました。

 

随身門 partⅡ

 

 寺院は入り口に『山門』が在り、次いで『仁王様』が通行人を見張る『仁王門』が在るのが普通です。

 

 神社の場合、入り口に『鳥居』 それも『一の鳥居』『二の鳥居』と続き、『千本鳥居』何て所も在りますし、『京都・伏見稲荷』なんぞは拝殿前までに収まりきらず、裏山の山頂目指して延伸中の所も在ります。

 

 『鳥居』の次に在るのが『随身門』 『雛段飾り』の『右大臣・左大臣』にあたる人が警護しています。

 

 『八幡神社・随身門』

 

 

 『木鼻』の『獅子頭』の他に、『四神』の南の方角を司る『朱雀』や

 

 

 北の方角の『玄武』 『白虎』と『青龍』は割愛させて頂いて。

 

 天の中心に『鳳凰』(一説には『麒麟』)が居ます。

 

 

 祭りで担ぐ『お神輿』の天辺に『鳳凰』が鎮座しているのも同じ理由です。

 

 

 読めなかった『扁額』の説明が書かれていました。

 

 『彰仁親王』の御言葉だそうです。

 

 でも『神社・随身門』に『武』の文字ですか? で調べてみました。

 

 時は明治32年。『日清戦争』直後です。

 

 そう思ってこの『扁額』を見ると『明治維新』で尽力した『小松宮彰仁親王』の言葉、深いですね~。

 

 まだまだ続きますよ~。

 

八幡神社・随身門

 

 『神仏混淆』の名残が強く残り、『分離令』が出たにも関わらず『お寺』の一角に『鳥居』が在り『神様』が祀られていたりします。(うまく説明できませんので『しんぶつこんさい』で検索願います)

 

 『八幡神社・随身門』 

 

 

 先ず、外観の『彫刻』に圧巻です。

 

 歴史を感じさせる黒くいぶされたような木肌。『欅』ですかね。

 

 重厚感が伝わります。(あ~足場、登りてぇ)

 

 詳しくは下の説明を拡大して見てください。

 

 

 『随神』と表記されていますお二人。

 

 

 向かって右側、雛飾りの『左大臣』にあたります。

 

 文武に優れた年長者で、『右大臣』より位は上です。

 

 

 いかにも勇猛な若者然とした『右大臣』

 

 『皇宮警察』で例えるならエリート中の超エリート!

 

 この二人が門を潜る人をしっかりと見定めています。

 

 まるで『空港税関の検査官』みたい。

 

 微悪も絶対見落としません。

 

 TV番組の『侵入!〇〇税関』みたいなの好きでよく見ますけど、対応する職員は物腰が柔らかいようでも『目つき』は厳しい。

 

 以前、飛行機に搭乗の際に、『カメラバッグ』の中に『ビクトリノックス社』の『アーミーナイフ』を入れたまま機内持ち込みしようとして止められました。

 

 いや、ほんとに忘れていたんです。で上空からの写真が撮りたいのでカメラを機内持ち込みしようとしたんです。

 

 別室に案内され、『機内預け品』の封筒にナイフを入れ、事なきを得ましたが。

 

 今ならどうなるんでしょう? 飲みかけのペットボトルも持ち込めないですもんね。

 

 残念ながら昨今の状況では、当分飛行機に乗れないですけど。

 

 『早く新型コロナが沈静化しますように!』

 

八幡宿

 

 『五郎兵衛用水』を遡ろうとして何故か『旧中仙道・和田宿』をウロウロし、ついでに『八幡宿』にも行ってみようかな、と。

 

 『和田宿』と『八幡宿』の間には『長久保宿』や『芦田宿』なんかもあるんですけど、『八幡神社』も写真に収めとこ。とバイクで目指しました。

 

 『八幡宿』は割と大きな宿場町であり、旧家が街道沿いに並んでいます。

 

 そんな街中に『八幡神社』が在ります。

 

 

 普通にの家と並んで『一の鳥居』が在りますが、入り口の枯れた大木からしてPower~。

 

 

 入り口脇に邪魔にならない様にバイクを停めて。

 

 んじゃ行きますかね。

 

 

 石造りの『一の鳥居』で一礼して潜り、扁額の掛かった『二の鳥居』へ。

 

 おんや? 工事用の足場が組んである。

 

 これはまたとないチャンス。普段じゃ撮れない写真が撮れるかも。

 

 でも足場には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれています。(当たり前か)

 

 誰か工事関係者が居れば許可を貰うことも出来るでしょうけど、生憎と誰も居ません。

 

 勝手に足場を昇り写真を撮るなんて………。何か在ったら責任問題ですので諦めます。

 

 断じて昇って無いですから! 

 

 

 境内には『水準点』も在り、面白そうな臭いがプンプンしています。

 

 それでは奥へと進んでみますかね。 

 

 でも 続きは次回です。

 

何じゃこりゃ~

 

 TVドラマの刑事殉職シーンじゃありません。

 

 『ミミズの石碑』 『蚯蚓神社』がある位だからおかしくないですけどね。

 

 

 杓を持った♂と左前の服をまとった♀。 高貴な『ミミズ』なのかも。

 

 それが朱塗りの鳥居の下にいます。

 

 よく山道脇の駐車スペースなんかに小さな『朱塗りの鳥居』が立ってたりします。

 

 マナーの悪い人が車を停めてする『立ち小〇』をそれとなく禁止しています。

 

 子供の頃云われませんでした? 「ミミズにオシッコ掛けると腫れちゃうぞ!」

 

 まっ、何処が腫れるかは置いといて。

 

 何じゃこりゃ~は他にも

 

 

 『大日堂』に行く手前の壁に架かっていた長~い梯子。

 

 『孟宗竹』の根っこ部分まで利用してその長さ12~13メートルはありそうです。

 

 今まで見た『梯子』で最長かも。

 

 何に使うんだろう? しかも黄色いペンキの跡が在ります。 不思議~。

 

 でも一番好きなのは

 

 

 バリバリ現役稼働の『茅葺のバス待合所』です。

 

 何処かから聞こえてこない? ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ~。

 

 因みに写り込んでるのは『オーブ』じゃ無くてレンズの汚れですからご安心ください。

 

 いや~『和田宿』 面白いわ~。

 

 

 

大日堂

 

 『大日堂』とは『大日如来像』を収めた『御堂』の事です。

 

 『大日如来』は『真言密教』の中心『御本尊』となます。

 

 昔、インドで生まれた『釈迦』が『悟り』を開き、その『教え』を弟子達が書き留めた物が『御経』です。

 

 読む人の解釈により様々な形で『宗派』が確立していきました。

 

 『摩訶般若波羅密多心経』に出てくる『舎利子・しゃりし』とは『弟子の名前』とされ、『釈迦』が『舎利子』に自分の考えを伝えているとされています。

 

 『キリスト』の教えも解釈する側により『宗派』が別れています。

 

 更に世界を見渡せば『宗教』の違いにより『弾圧』されたり、『戦争』が起きたりしています。

 

 折角の『偉人』の教えなのにね。

 

 

 看板の方向に進むと『土蔵』の裏に石仏や石灯篭が立っています。

 

 どう見ても『田んぼ』の畦道の奥、それらしい『御堂』が建っています。

 

 写真を見ても解るように、至る所に石が積み上げられています。

 

 

 『御堂』の中には『金色』の仏像が並んでいます。

 

 どれが『大日如来』? いや全部?

 

 

 折角説明書きが在ったんですけどこれじゃぁ読めません。 残念。

 

 その先に道案内が見当たらなかったので、取り敢えず引き返しましたけどホントは『ルート』とかあるのかも知れません。

 

 通りをブラブラ歩いていると。

 

 プッ、プッ、プッ、プッ~。何じゃこりゃ~⁈で次回です。

 

『和田宿』という所

 

 『佐久地方』と『諏訪地方』を結ぶ国道142号線バイパスを、昼と云わず夜と云わず『物流トラック』がビュンビュン駆け抜けていきます。

 

 そんなバイパスに並行して『旧中仙道・和田宿』が在るのですが、江戸時代『旧中仙道・和田峠』は街道随一の難所と恐れられていたそうです。

 

 その為もあり、『和田宿』で一泊し翌朝早くから峠超えをしました。

 

 『新和田トンネル』のお陰でアッという間に越境できますけど、旧街道は九十九折の坂道を延々と登り、峠からは急峻な下り坂を降りる。

 

 人間の足でも危なっかしい山道を、『馬』や『荷車』が往来したのですから多々事故もあったのでしょう。

 

 更には『山賊』伝説なども残っています。

 

 旅人に安心して旅を続けて貰えるように『和田宿』では『無料接待所』なども設けたそうです。

 

 

 特に旅する『僧侶』に食事や宿を提供し、『和田峠超え』の安全祈願に努めました。

 

 まず『壱千人』の『僧侶』をもてなし、達成記念に石碑を建てましたが、アッという間に『三千人』に到達、やむなく石碑の『一』の文字に『二』を彫り足して『三』としました。

 

 その為文字の上の空間が窮屈になっています。

 

 『接待』と云えば『四国お遍路』さん。地元の人があれこれ提供するのが有名ですが、昔車で四国一周していた時、全然知らないおばさんから『お茶』と『おにぎり』頂きました。

 

 『接待』=『功徳』に繋がるので断るのはかえって失礼に当たるそうです。

 

 有難く頂きました。『毒入りカレー事件』の後でチョット怖かったですけど。

 

 

『上組』(多分隣組の区分?)と書かれた立て札の脇に『ながわ半時間散歩路』と在りましたので行かない手は無い。

 

 『英語』と『ハングル語』が併記してあるって事はそれだけ外人さんも多いのかな?

 

 もし外人さんに『excuse-me?』何て問われたらどうしよう?

 

 辺りを見廻して、それらしき人影が無い事を確認してからスタートです。

 

おきん様

 

 『蚯蚓神社』に辿り着くまでに、何か『ゴロ石多くない?』と思っていました。

 

 

 この辺り、隣接する『武石』との山頂の境まで結構急峻な斜面が続きます。

 

 『ゴロ石』は水流に磨かれていない為、ゴツゴツと角ばっています。

 

 降雨によって土砂が流され、露わになったのは白い『石灰岩』でしょうか。

 

 

 チョット読みづらいですので、聞いた話と要約しますと。

 

 その昔、(年代不詳)何日も大雨が続き、山頂から土砂が流れ出したそうです。

 

 土石流は次第に大きくなり、間もなく田畑に達するという所で何故かぴたりと収まりました。

 

 後に土砂の片付けをしていると、一匹の大きな『蚯蚓』が『大石』の下敷きとなり死んでいました。

 

 村人はこの『大蚯蚓』が、身を挺して『大石』を止めてくれた為、田畑が被害に遭わずに済んだ事に感謝し、この『大蚯蚓』に『おきん様』と名前を付け、神社を建て祀ったそうです。

 

 その大きさを『竹』で表現していますが、生物学的に考えてもチョット無理あるかな。

 

 物凄い速さで地中を移動し人間を捕食する『ミミズ』を扱ったハリウッド映画は『トレマーズ』だったっけ?  に比べりゃ可愛いもんです。

 

 

 参拝を終え、戻ろうとしてフト見ると、大量の石、石、石。

 

 この大量の石を運び出し、田畑を切り開いたのかと思うと頭が下がります。

 

 かくも『お百姓』という仕事は過酷なのでしょうか。

 

 俗に『米造り』には『八十八の苦労』があると云われています。

 

 大変ですけど頑張って下さい。(としか言えないですもん)

 

みみず

 

 ブログ前回は『みず』 で今回は『みみず』

 

 実はこの『旧中仙道・和田宿』は『蚯蚓・みみず』と大いに関係が在ります。

 

 日本には『八百万の神様』がいると云われています。

 

 江戸時代の日本総人口数が3000万人位と云われていますので、実に人口の1/4に匹敵する神様の数?

 

 なもんでどんな辺鄙な山の中でも『神社』が在ったり、こんな神様もいるんだって驚いちゃいます。

 

 

 日本で唯一、此処だけで祀られているのが『蚯蚓の神様』

 

 『のみ水』の傍らにバイクを停め、(消防団詰め所が隣接していますので邪魔にならないように)歩いて散策開始です。

 

 グーグルマップで検索すると、おおよその場所は特定できるんですけど道が無い。

 

 農作業中の方がいましたので道を探していると伝えますと、

 

 「この山、全部俺んちのだで好きなところを歩いて行け」ですと。

 

 更に聞くと『蚯蚓神社』を建てられた方がこの方のご先祖様だそうで、今でも神事はかかせないそうです。

 

 わざわざ作業の手を止め、歩きながら色々教えて頂きまして、更に道案内まで。

 

 ホントに有難うございました。(個人所有地ですので勝手に入らない方が宜しいかと)

 

 

 『藪漕ぎ』しながら近づきますと、手造り感満載のトタン囲いが見えて来ます。

 

 『蜘蛛の巣』を払い、『ヤツ』がいない事を確認しながら。

 

 雨が降っても濡れない場所に『ヤツ』は巣を造ります。

 

 例えば『橋の下』 『大木のウロ』 『神社仏閣の屋根の下』など要注意です。

 

 ヤツの正体『キイロスズメバチ』です。

 

 昨今、生活圏にまで平気で『巣』を造るようになり、かなり狂暴化している気がするのは気のせい?

 

 

 『みみずさんのおひるね』と『みみずののたくったような字』(失礼!例えなもんで)で書かれていました。

 

 『賽銭箱』も見当たりませんし、土足で上がり込んでいいのかも躊躇われます。

 

 板の間に『財浄』を置きまして。

 

 

 しかも名前がついています。『おきん様』

 

 して『おきん様』 次回です。

 

みず

 

 『五郎兵衛用水』を追いかけてバイクで走っていたけど、そこは気まぐれな『こーちゃん』の事、何故かバイパスをビュンビュン走っていました。

 

 国道142号線『大和橋』交差点を右折、次の『青原』交差点から『旧中仙道』に入ったのもホンの気まぐれです。

 

 この辺りよく来ますので以前のブログにも書いてますけど。

 

 

 道の傍らに『のみ水』とだけ書かれた石柱が立っています。

 

 石柱の上の部分が折れたのかな、ホントは『〇〇の水』 それだと『み』が余る………

 

 苔むした味わいある大きな石の上に乗っかった『手水鉢』 溢れて濡れた場所と乾いた所のコントラストも何かいいですねー。

 

 実は『こーちゃん』大の湧き水好き。

 

 だって大概24時間無料で汲める。(中には有料の所も在りました。そんなの意地でも飲みません)

 

 よくある『〇〇の銘水』などと大層な肩書が付いていて、尚且つ大袈裟に飾り立てられているけど『味』(無味無臭が良ですけど)も素っ気も無い! 酷い処では青臭かったり(藻の繁殖?) 何か薬』臭くない? 何てのも在りましたけど。

 

 『美味しい湧き水』の条件。

 

 ①無色透明 ②水温が低い事 ③水量が豊富

 

 日本のほとんどは『軟水』で、コーヒーやお茶と相性が良く、そのままでもゴクゴク飲めます。

 

 硬水の湧き出る場所は北海道や沖縄など地域が限られていますけど、ウイスキーの水割りにするのが好きです。

 

 輸入品の『ミネラルウォーター』でも『エ〇アン』や『ペ〇エ』などは硬水。でも普通に飲めますけどね。

 

 湧き出る水を両手ですくってゴクゴク。(タダでミネラルウォーターが飲めるんですよ)

 

 で濡らしたタオルを絞って汗をぬぐいます。

 

 ヘルメットの中は結構蒸れるので、実に気持ち良いんです。

 

 ハァ~生き返るぜぃ。

 

矢嶋道祖神

 

 前回、容量不足を補う為に、古いブログ記事を削除しまして、ついでに要らないモノ整理しようとアレもコレも。

 

 パソコン、おかしくなっちゃいました。

 

 何とか知り合いにも手伝って貰って、やっとこさ回復です。

 

 (酒飲みながらパソコンいじっちゃダメ!)

 

 『矢嶋』で見つけた『諏訪神社』での数々の発見。では後半です。

 

 

 雨除けの大屋根の下、『諏訪神社』と『八幡神社』が並んでいます。

 

 しかも拝殿から続く渡り廊下は共通です。珍しいですよね。

 

 

 この時期、神事として『虫祭』が行われたんでしょうか、御幣が真っ白です。

 

 二つの『社』が同時に造られたのかな?

 

 佐久には他にも『新海三社神社』が在り、こちらは三柱の神様が一ヶ所に併設して並んでいます。しかも神社なのに『三重塔』なんかも在ったりします。

 

 こんな雨の当たらない場所は、決まって『あいつら』が大きな『巣』を造ったりしていますんで、注意深く観察してから近づきます。

 

 よかった。此処らは飛んでいないみたい。

 

 戻りかけると沢山の『祠』が並んでいました。

 

 解説によりますと村に点在していた『祠』を一ヶ所に集めたみたいです。

 

 一度に廻れるんですからお得!

 

 

 

 県下最古ですよ! もっとPRしなきゃ教育委員会。

 

矢嶋・諏訪八幡神社

 

 『矢島』と云えば「サラリーマンを舐めんじゃねえ!」の『矢島金太郎』を何故か思い出しますが、『矢嶋』は旧浅科の地名です。

 

 最近のバイクは『カーナビ』(バイクなのに)を着けているツーリングマシーンも多数見かけます。

 

 その他『インカム』を使って『タンデム会話』や、携帯を使ってグループ会話したり。

 

 そりゃ対向バイクに『ピースサイン』(最近はヤエーって言うんですと)出す余裕も無いわいな。

 

 私のバイクは『バッテリー』すら着いていませんので電装関係はメチャクチャ弱いです。

 

 なので『道のり』に関しては『ほぼ感!』たまに迷いますけどネ。

 

 迷ったら『スマホ・GPS』で確認すれば済む事なんですけど、イチイチ停まって、スマホ操作が煩わしくて。

 

 で結局『行け~!』 で迷って『戻れ~!』の 何て多い事でしょう。

 

 だからこその発見も多いです。

 

 

 『一の鳥居』、『二の鳥居』と続いている処がほとんどですが、こちらは二つ並んでいます。

 

 鳥居が並んでいると云う事はお祀りされている神様が『二柱』と云う事。

 

 しかも『同等格』と見るべきでしょうか。

 

 見ると『諏訪神社』と『八幡神社』と書かれています。

 

 実は『諏訪神社』『八幡神社』の『合祀』は結構各地で見られます。

 

 (グーグルマップで検索してね。)

 

 

 こんな山の中(失礼)にも大掛かりな『御社』を建て、緻密な彫刻が施されています。

 

 土地の権力者の自腹なのか、地元民の寄付なのか定かでは在りませんけど、日本各地至る所に在る『神社仏閣』 大したものです。

 

 

 まだまだ続きますけどUP容量不足です。

 

 古いブログ削除してきますので暫しお待ちを。

 

宝泉寺

 

 貯水池の隣に目指す『正覚山・宝泉寺』の大屋根が見えて来ました。

 

 貯水池は藻が発生していて、綺麗な水とは言えませんけど、農業用ですから。

 

 

 建て直されたのか割と新しめの感じです。

 

 でも『法泉寺裏堀貫』とあるんですから当時からお寺は存在したはずです。

 

 

 流石に厳しい修行で知られる『曹洞宗』のお寺です。

 

 手入れされた庭にはゴミ一つ落ちていません。

 

 つつじの花が落ちているのは自然の摂理って事で。

 

 

 この看板の裏側の溝らしきものが『用水跡』なんでしょうかね。

 

 興味在るのはその右の『大石に穿った穴』に立てられた『石棒』

 

 『安産祈願』『子孫繁栄』から『豊穣祈願』のシンボルとされた『男性シンボル』?

 

 因みに『佐久穂町』には男性シンボルを模した日本一大きな『大石棒』が存在します。

 

 

 コンクリートの擁壁にとって替わってますけどこれが用水でしょうか。

 

 残念ながら寺院裏手の堀貫までは分りませんでした。

 

 下手にうろつき回って防犯カメラにでも収められたら『賽銭泥棒』と疑われちゃう。

 

 庫裏に声を掛ければきっと案内してくれるんでしょうけど、個人的興味の為にそこまで手を煩わせるのも何だかねぇ。

 

 暫く公園の周りをうろうろして、さっ次です。

 

五郎兵衛用水

 

 何の気なしに『市川五郎兵衛記念館』を訪れたのだけれど『休館』だったので、自分の足(いやバイクです)で探してみますか、と。

 

 

 坂を下りかけた所に何やら看板が立っていました。それによると此処は『道陸神坂』と云うらしいです。

 

 

 カメラをぶら下げて、歩いて探すも『堀貫』らしきものが見当たらない。

 

 ようやく美容院の裏手に何やら小さな『石標』を発見したのですが『堀貫』までは分らない。

 

 ひょっとして個人の敷地かも知れないので、確認の為にも『美容院』に声を掛けたんですけど誰居ませんでした。

 

 

 個人住宅の裏庭にあたるんでしょうか?

 

 

 この石積が用水の一部だったかどうかも確認できませんでしたが、まぁ他にも在るだろうと先を急ぎます。

 

 

 目指すは『正覚山・宝泉寺』 続きは次回です。

 

ふるさとの森公園

 

 『市川五郎兵衛』さんの足跡を辿ってみようかとバイクを走らせていたら、あれれ迷った?

 

 まぁバイクだからいざ行き止まりならば引き返せばいいだけの事と、細い山道をズンズン登ると。

 

 

 『ふるさとの森公園』ですと。

 

 実はかなり以前に来た事ありました。マレットゴルフの盛況な地でこんな山の中でも結構の人がプレーしていました。

 

 現在は荒れちゃってます。管理小屋に人の気配すらありません。

 

 『佐久市』とある下には以前『浅科町』とあった様な。

 

 と云う事は『平成の大合併』以前に来たんですね。

 

 

 結構草丈が伸びちゃってます。

 

 マレットゴルフコースも荒れ放題。暫く人の手が入って無さそうです。

 

 とくれば、例の苦手な奴が飛んでいそう。ブンブン来る前に逃げよっと。

 

 

 

 で又、トコトコ走っていて見つけたのがコレ。

 

 『佐久甲州街道』は『旧中仙道・岩村田宿』から分岐して甲州へと延びる道。でも『富岡街道』も『ねが街道』も初めて聞く街道。

 

 『ねが街道』で検索してもヒットなし。一応『佐久教育委員会』で認定しているんですけどね。

 

 電話で確認何かしようものなら、たらい回しの度に同じ説明をして、えらい時間と通話料かかった挙句、担当不在かなんかで『有耶無耶』ってパターンが何て多い事でしょう。(個人的感想です)

 

 道標も風化が進み、読み取れません。仕方ない。

 

 なんせ『オフロードバイク』の良いところは行ける所まで行っちゃえる事。

 

 次、いってみよ~か~。(ドリフ時代の『長さん』風に)

 

真親神社

 

 グーグルマップで検索するなら『佐久市浅科・さねちか神社』でどうぞ。

 

 恐るべし『市川五郎兵衛』 群馬県に生まれながらも私財を投じて、佐久浅科の地に広大な田園地帯を構築する為に、ナントひと山隣を流れる川の水を引いちゃった。

 

 岩盤地帯に『堀貫』(トンネル)を掘削し、長~い用水路を掘り、広大な田園を潤すだけの水の確保に成功!

 

 此処でフト考えた。 他に農業用水足る川は無かったの?

 

 だって『千曲川』がすぐ近くを流れているんだし、山間から幾筋もの『沢』が流れ出ている筈?

 

 『千曲川』からいいますと、早い流れの為浸食が進み、当時から河岸段丘を形成していた為、水を汲み上げるのは困難。

 

 『沢』に関しても、幾筋もの『沢』を確認していますけど、絶対的な水量不足。

 

 故に『大河原峠』に端を発する『鹿曲川』の水が貴重だったんです。

 

 

 朱色の鎧戸で囲われた『社』は、向かって右に『諏訪大社』、左に『真親神社』が並んでいます。

 

 神社境内に置かれる『摂社』『末社』の類ではなく、『諏訪大社』と同等格の扱いです。

 

 現存した『人』が神様として祀られているのは知る限り『東照大権現』の『徳川家康』、『豊国大明神』の『豊臣秀吉』、『天満宮神社』の『菅原道真』、『将門神社』の『平将門』等々の日本を代表する時の権力者ばかりです。

 

 江戸時代に大阪の道路事情を憂い、私費で橋を架けた『淀屋辰五郎』=『淀屋橋』や『岡田新三(心斎)』=『心斎橋』などは地名にもなり、石碑なども建てられていますけど神社に祀られるまではいっていません。(勉強不足ならすみません)

 

 佐久・浅科の地を広大な水田地帯にすべく、私財を投じた『市川五郎兵衛』さん。

 

 感謝・感謝です。(爪の垢が在ったら、高い報酬を得ているのに問題ばかり起こしている国会議員の〇〇に飲ませてみたいもんです。)

 

 

 諏訪神社入り口の『手水鉢』に彫られた元号は『延享(えんきょう)=1744~1748』 280年も前に造られ、風雨に耐えています。

 

 ねっ。俄然面白くなってきたでしょ。(個人的感想です)

 

 他にも何かないかな?と探していると在りました。

 

 

 『馬頭観音』でしょうか、通常は文字が彫られているだけの場合が多いのですが、文字の読めない人の為に、かなり細密な『馬の絵』が彫られています。

 

 これなら誰が見ても『馬』=『馬頭観音』と理解できますね。

 

 残念ながら文字が読み取れず何時頃の物かは判断できませんでした。

 石碑の右上に見られる石を割った『のみ』の跡を見ればそこそこ古い物だと思われます。

 

 最近は『ドリルor削岩機』で穴をあけ、油圧を使って押し広げて割るらしいです。

 

 『ノミ』や『鏨・たがね』を叩きこむやり方は昭和以前デス。

 

五郎兵衛

 

 新型コロナウィルスの蔓延防止の為、『越境禁止令』が発表になり、他県に行くのは控えなければの5月の定休日。

 

 バイクのエンジンを温めながら、近いが故に最近訪れていない場所を廻ってみようかなと思い立ちました。

 

 何処をどう廻るとか何~も考えずに『浅科』へ。

 

 『五郎兵衛記念館』の案内看板を見つけました。

 

 

 駐車場の片隅にバイクを停め、入り口に………

 

 『コロナ対策の為閉館中』ですと。  ハイ終了  にしてたまるかい!

 

 

 浅科の誇るブランド米『五郎兵衛米』の採れる田園風景と見守る浅間山。

 

 でもなんでこの佐久の地が広大な田園になったの?

 

 

 石碑の文言は、スマホを『ピッチアウト』or設定・拡大して見てください。

 

 湯川の水を引いて『市村新田』『三河田新田』、そして鹿曲川の水を引いて『五郎兵衛新田』を開発したのが『市川五郎兵衛』その人。

 

 記念館は閉館中だったので、足で探すしかないか。

 

 でバイクに戻りかけると隣接して神社が見えました。

 

 

 神社詣での際は出来るだけ『一の鳥居』から潜ります。

 

 扁額には『諏訪大明神』と在りますが進むと参道が分岐していて、其処の鳥居には

 

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館のつつじ

 

 「【ゆううつ】って漢字、書ける?」何かのTVCMだったですかね。

 

 他にも難しい漢字の筆頭は【れもん】と【つつじ】

 

 勿論書けませんけど。

 

 だってキーボードポチポチですぐ変換してくれる現代、覚える必要なし。

 

 山梨県・甲府には『武田信玄』が居城とした『武田氏館跡』=【躑躅ヶ崎館』が在ります。

 

 恥ずかしながら『躑躅』を『どくろ』と読んでしまい、随分ヤバイ人だったのか武田信玄?と思い込んでいました。

 

 『どくろ』=『髑髏』と『躑躅』 似てなくも無いですよね。

 

 『躑躅ヶ崎城』実際行ってみると『つつじ』の咲き誇る美しい庭でした。

 

 で『真田三代記念公園』の次に向かったのは『躑躅』の美しいと云われている『真田氏館跡』(ブログに何度も出てきてますね)

 

 何回も行ってはいるんですけど『躑躅』のイメージは無かったので、今回つつじの花の咲いた頃を見計らって訪れました。

 

 

 Oh!  Beautiful~  野趣あふれる花の色、なかなかいいもんです。

 

 長野県は『つつじの名所』が多くて『岡谷・鶴峰公園』とか『八千穂高原』『湯ノ丸山』なども有名ですが。

 

 

 道路の歩道脇などに植えられる『クメツツジ』の小振りな朱色も好きなんですけど。

 

 実に様々な色合いを持ってますよね。

 

 因みに 『れもん』=『檸檬』 『ゆううつ』=『憂鬱』

 

 漢字書けなくても困らないけど、新型コロナのお陰で売り上げが………

 

 ハァ~憂鬱。

 

 

真田氏記念公園partⅡ

 

 公園と云っても運動できる広場や遊具が在る訳でなく、『花壇』と『真田氏三代のレリーフ』と謂れの書かれた『石碑』があるのみです。

 

 

 どうも数年前の『真〇丸』の出演者の影響なのか、眼光鋭い坊主頭に違和感を感じます。

 

 まぁ、教科書に描かれていた人物像が本人かどうかの確証は薄いらしいですけど。

 

 『真田幸隆』は武田家家臣であったにも関わらず、『織田信長』が台頭してくると『織田軍』と和平を締結。『信長』亡き後再び『武田軍』に近づいたり、『武田信玄』に攻められると今度は『上杉謙信』に庇護を求める。

 

 何でも有りの戦国時代、弱小の地方豪族が生き延びる為には、策略を巡らしあらゆる手を尽くしました。

 

 その最たるものが『天下分け目の関ヶ原合戦』。どちらが勝っても『血筋を絶やすな!』と『父・昌幸+次男・幸村』=西軍(豊臣軍)VS『長男・信之』=東軍(徳川軍)に別れ参戦しました。

 

 東軍として参戦した『信之』は傍観の立場を取り戦場には赴かなかったそうですが。

 

 真田の知略を陰では日和見呼ばわりされていましたが、イザ戦になるとその勇猛果敢な戦いぶりに他を圧倒、『日本一の豪傑』とさえ言わしめました。 

 

 実は『長篠の戦い』で戦死した『真田信綱』(昌幸のお兄さん)は『三方ヶ原の戦い』に於いて『徳川軍』と戦い、『徳川家康』討伐まであと一歩と迫ったんですが、鎧兜を脱ぎ捨て農民の服を着た『家康』にまんまと逃げられてしまいます。

 

 城に逃げ帰る途中『家康』は恐怖の余り馬上で脱糞してしまったそうです。

 

 その事を『臥薪嘗胆』 肝に銘じる為『しがみ像』を描かせたと云われています。

 

 『真田家』はかなり反感を買っちゃいましたね。

 

 二度にわたる『上田城合戦』でも『徳川軍』に対して勝利を収めましたが、第一次合戦では4倍の敵数、第二次合戦においてはナント10倍の敵に勝利してしまいました。

 

 ですもん『大坂冬の陣』では『真田の赤揃え』は『目の敵!』

 

 壮絶な生き様の『真田家』は数々の逸話と共に物語となり、『池波正太郎』作『真田太平記(真田十勇士の元祖?)』や『司馬遼太郎』作『城塞』が発表されると大人気を博しました。

 

 数年前の某国営放送『真〇丸』においてブームが再燃。特に上田城内に造られたテーマ館は連日の大混雑でした。

 

 秋の夜長。胡桃の殻を割りながら水割りチビリ。久しぶりに『真田太平記』でも読んでみますか。

 

 ホントはダイエットの為『運動の秋』にしなければいけないんですけど『食欲の秋』だもんなぁ。

 

 

 おまけ『徳川家康・しがむの像』

 

真田氏記念公園

 

 『米山・砥石城駐車場』を後に『幸村街道』を左折しまして。

 

 牛乳缶マークのコンビニに滑り込み、アイスコーヒーを飲みながらふと見ると、道向こうに石碑やら何やらが並んでいました。

 

 普段、何気なく通過してしまう為、傍らの石碑とか気付かなかったみたいです。

 

 

 公園とは云っても遊具や広場は無く、駐車場も2台ほどのスペースです。

 

 その脇に立っていた『公衆電話風・タクシーコール』が不思議に感じました。

 

 歩きで来て、タクシー呼ぶ人がいるとは思えないんですけど。

 

 写真、在りません。ストリートビューで見つけてね。

 

 

 『真田氏三代・幸隆・昌幸・幸村』の拠点を、『越後・上杉謙信』『甲斐・武田信玄』後には『徳川家』までもが『虎視眈々』と狙っています。

 

 名の知れた『真田氏』ですが『大名格』では無く、千曲川西岸『室賀』~『上田城』、『真田の里』~『沼田城』までの広大な地を治めていた『豪族』です。

 

 元々『甲斐武田家臣』で在った『真田幸隆』は『武田軍』として侵攻し、手柄を立てた褒章としてこの地を貰い受けました。

 

 当時隣接する一帯を治めていた『村上義清氏』を調略の末追放し『真田領』を確立しました。

 

 

 あらら。良いところなのにUP容量不足です。

 

 古いブログ削除しますんで暫しお待ちを。

 

櫓門眺望

 

 膝に違和感を感じながらも階段を下り終え、あと残すはほぼ平坦路のみ。

 

 驚いた事に、すれ違った人の数が、ざっと数えて50人!

 

 皆さん、考える事は同じかな。

 

 『櫓門』まで下って来たら門上部に人の姿が見えました。

 

 登りの時は閉まっていた入り口が開いたのかな?

 

 

 人一人分の幅しかない急な階段を昇ってみると………。

 

 眺望は良く無いです。だってこの門は、近づく者を見張る門。

 

 場合によっては上から『弓矢』『鉄砲』『石礫』などで攻撃を加える事が出来るしくみ。

 

 

 駐車場に戻ってくると、あらら駐車場は満車状態。

 

 因みに只の空き地ですから駐車枠など引いてある訳も無く、車を出すのに一苦労しました。

 

 他人を思いやって駐車しましょうね。

 

 アイスコーヒーが飲みたいな。とコンビニに立ち寄ると目の前に看板が在りました。

 

 

 普段車で通過してしまう場所です。近寄ってみると。

 

 以下次回です。

 

山城の名残

 

 『砥石山山頂』が山城で在った証拠が各所に見られます。

 

 その一つが

 

 

 なだらかな斜面を削り取り、人工的な『崖』を造り出し防御としました。

 

 梯子を使ってした昇り降りしたそうだが、片手で梯子を使うのは物凄~く大変です。

 

 水汲みしてきた『足軽』や『雑兵』は梯子を登れたんでしょうか?

 

 

 『木の根』などが張り出しているので、闇にまみれて忍者なら侵入しちゃいそう。

 

 当時はもっと急峻で、木の根なんかも無かったんでしょうけど。

 

 

 昇ったって事は降りなきゃ。

 

 『笑福〇鶴瓶』師匠のTVCMに

 

 「人は何故太って膝を痛めるんや? 膝を痛めるから太るのか?」

 

 と石段に座って考える人のポーズをとっているのがありました。

 

 まるでトイレに座っているとしか見えませんでしたけど。

 

 下山途中に膝が痛み出しました。

 

 そりゃ体重≒100㌔ですから膝に負担も掛かっています。

 

 『グルコサミン』入り健康食品の出番かな?

 

 山岳マラソンのお兄さんは此処も走って昇り降りしたんでしょうか。

 

砥石城山頂

 

 やっぱり『おにぎり』は山頂で食べるのが美味いんだな。

 

 『裸の大将』が云ったかどうかは知らないですけど、一仕事終えた~と、気分爽快で食べるおにぎりの美味しい事! 4個ペロリ。

 

 

 上田市街方面ですけど、樹木が育ちすぎていて眺望はイマイチ。

 

 

 北アルプス~蓼科山。別所近辺の山々が一望の筈なんですけど。

 

 

 南に向けて。 曇り男ですから………。

 

 国土地理院の『一等三角点』の隣、『関東の富士見………』

 

 

 知らなんだ。長野県は『関東』だったんだ。

 

 124㌔先には『富士山山頂』が在るんですね。

 

 春の新緑の頃の山は、芽吹いた緑が綺麗なんですけど、何んとな~く空がモヤモヤ~。

 

 ウグイスの鳴き声が聞こえたりして、シャツが汗だくになる夏山よりはチョットだけ好き。

 

 まぁ痩せればいいんですけどね。

 

砥石城跡

 

 『米山城』から分岐まで引き返し、次に向かうは『砥石城跡』

 

 誰が造ってくれたのか延々と階段が続きます。

 

 (市の受注を受けた建設業者でしょうけど)

 

 『クローラー』という運搬車は、ゴム製の無限軌道キャタピラー(固有名詞だっけ)のお陰で登坂能力も抜群。

 

 富士山で働く人の移動手段や、負傷者の搬送、各山小屋への荷揚げも行います。

 

 この階段に使用されている『心材入りプラスチック樹脂』も『クローラー』で運ばれたんでしょう。(ヘリで荷上げもあるかも)

 

 

 お陰でぬかるんだ時でも安全に昇れるんです。

 

 さもなければ滑って大変。

 

 『木」は垂直に伸びますので、坂の斜度は推測できます。

 

 結構きつかったです。小学校の遠足地なのに………。

 

 

 一番狭い所では『チョモランマ』の『ヒラリーステップ』宜しく(規模は1/100)、岩の切通しになっており、人がひとりしか通れません。

 

 基本坂道では『登り優先』です。(ケースバイケース)

 

 城跡まで馬では駈上れず、鎧兜を身に着けていれば走って登る事も無理。

 

 天然の要塞の意味が良く解ります。だって手ぶらで登ってもゼーハーゼーハー。

 

 

 やがて頂上部の広場に到着。

 

 『城郭』などの建物は一切残されていません。

 

 ま、一息入れてから散策です。

 

米山城山頂

 

 山城である『米山城』山頂は現在、叢で覆われた広場が在り、休憩所の『東屋』と数点の石碑が並んでいます。

 

 

 『村上義清?』

 

 便利ですよね~『スマホ』って。

 

 Google開いて🎤をタップ、スマホに向かってしゃべるだけで検索できるんですから。

 

 『村上義清』 真田氏がこの地を統治し『真田』の地名が付く前の領主。

 

 しかも『メガネ』忘れても、読み上げてくれるんですから。

 

 

 お地蔵さんの体をしてますけどおそらく『村上氏』胸像。

 

 

 『真田昌幸』は、この山頂に『居城』していたってんですからよっぽど足腰丈夫だったんですね。

 

 でも一つ疑問が。『水』はどうした?

 

 越後の虎『上杉謙信公』の居城『春日城』も山城ですが、なんと『山頂直下』に今も涸れない『井戸』が在ります。

 

 水さえあれば『籠城』も可能です。

 

 でもこの『米山城』 一切『水』が無い………麓の『矢出沢川』から運び上げたとしか考えられないんですけど。

 

 沖縄県・糸満市の『ひめゆりの塔』は有名ですが『健児の塔』って知ってますか?

 

 第二次大戦末期、日本陸軍は沖縄決戦に備え、軍事基地を断崖絶壁の上に造りました。

 

 問題は『水』 なんと『崖』を降りて水を汲み上げるのは『少年兵』の仕事でした。

 

 昼間は狙撃される為、夜間真っ暗な中を『断崖絶壁』を降りて水を汲み、又よじ登ったそうです。

 

 中には足を踏み外したり、狙撃され帰らぬ少年兵も少なくなかったそうです。

 

 その『少年兵』を慰霊して建てられたのが『健児の塔』です。

 

 『米山城』も『断崖絶壁』こそ無いですけど、急峻な坂道を運び上げるのは大変な苦労だったであろう事は想像できます。

 

 だからこそ『お米』で馬を洗っているかの様に見せた『白米城伝説』が生まれたんでしょうけど。

 

 良かった。1㍑のペットボトルだけで済んで。

 

櫓門

 

 駐車場からトコトコ歩くと『登山道』いや『遊歩道』の入り口に

 

 『なめんなよ』の石板が在ります。

 

 なんか『学ラン&サングラス』or『くるくるパーマ&ロングスカート』の『猫』を想像してしまうのは私だけ?

 

 『なめるな』には『舐める』と『嘗める』の意味があり、ベロでペロペロが『舐める』、 『鬼龍院花子』の「嘗めたらあかんぜよ~」の『みくびんなよ』 の意味の嘗める。

 

 他にも『スパナが空回りする』とかズルっと滑る事も『舐める』と云います。

 

 多分二つを掛けてるんじゃないかなぁ。

 

 前回来たときは『嘗めて』バイクブーツで登り始め、『舐めて』登れなかったという悔しい思い出があります。

 

 さてさて今回は。

 

 

 この『櫓門』から登り始めます。

 

 という事は此処から『山城』の始まりです。

 

 

 松の木陰の中、ゆるゆると歩きます。

 

 普通に平坦路に近い散歩道なんです………途中までは。

 

 

 途中に分岐があり、『左・米山城』『右・砥石城』

 

 先ずは『米山城』から。

 

 

 途中で土剥き出しの急登坂『男坂』が在ります。

 

 砂が浮いていた為に、前回は平底のバイクブーツは滑ってしまい無理!とあきらめた坂。

 

 横には『女坂』が在りました。(何で気が付かなかったかな)

 

 今回は『女坂』を『ウォーキングシューズ+ウォーキングポール』なので楽々クリアです。

 

 その時、後方から足音が聞こえてきました。

 

 『山岳マラソン』の選手? なんと走って登ってくるではありませんか!

 

 あっという間に追い越し、あっという間に見えなくなりました。

 

 こちとら、歩いてても『ゼ~ハァ~・ゼ~ハァ~』

 

 ひょっとして『宇宙人?』 

 

 

 辿り着いた山頂には屋根付きの休憩スペースが在り、そよぐ風が気持ちいいです。

 

 そしてそこには………以下次回です。

 

砥石・米山城

 

 新型コロナの影響を受け、ツーリングなども行きづらくなってしまった。

 

 『荒船山』トレッキングに味を占め、そうだ以前断念した『砥石米山城』行ってみようかな?

 

 平日の早朝家を出て、勿論駐車場に一番乗り。

 

 コンビニのお陰で、早急な行動でも食料調達には事欠かない。有難いことです。

 

 『おにぎり』×4個がいつものパターン。

 

 『梅』『こんぶ』『五目御飯』『シーチキンマヨネーズ』がど定番です。

 

 

 上田インターから車で10分、無料駐車場には『トイレ』『水道』『飲料自販機』『案内看板』が在ります。

 

 『案内図』が在る時は『スマホ』で撮っておくと、途中で確認したい時に便利です。

 

 途中、『水場』『トイレ』は在りませんので事前に済ませておく様に。

 

 実は以前バイクで来た時、平底のオフロードブーツで登り始め、途中の急登坂で滑ってしまい断念!それが悔しくてリベンジじゃい!

 

 

 『砥石城』まで20分~30分ですと。

 

 小学校の遠足地ですもん、まっ25分みとけばいいかな。

 

 

 登山道入り口の目印です。

 

 前回は『バイクブーツ』でなめていました。

 

 今回は『ウォーキングシューズ』に『ウォーキングポール』『お茶とおにぎり』準備万端。

 

 大体が人が住んでた山ですよ。遠足で来る山ですよ。

 

 『余裕綽々』 イザ出発。

 

艫岩

 

 『艫・とも』とは『船』の一番後ろの部分。波を切る『舳先・へさき』とは逆に、波に押して貰う為に垂直な平面に成っています。

 

 国道254号線・内山峠を、明るいうちに走行していれば嫌でも目に入る『巨大な絶壁』

 

 『荒船山・艫岩』です。

 

 何年か前、漫画『クレヨンしんちゃん』作者『臼井儀人』さんが滑落した事で広く報道され、ニュースに何度も映し出されました。

 

 『荒船山』は地元小学生でも遠足で登る山です。

 

 『艫岩』の『断崖絶壁』に近づき過ぎなければ安全な山です。

 

 

 こーちゃん、高所恐怖症ではありませんけど、『君子危うきに近寄らず』の言葉を知っていますので、覗き込むことはしません。

 

 ベンチでおにぎりタイム。

 

 

 『山の方角図』ですが、『乗鞍岳』~『浅間山』~『妙義山』方面は眺望が開けていますけど、『八ヶ岳』~『甲武信岳』方面は此処からは見えません。

 

 360度の展望なら『荒船山・山頂』まで行かなくちゃ。

 

 

 目の前に見える山は『閼伽流山』~『八風山』 関越自動車道の『八風山トンネル』が貫いています。

 

 

 あと一歩前に出たら………しません。

 

 国道254号線の曲がりくねった道が見えます。

 

 冬の空気が澄んだ頃、北アルプスの白い峰々が美しく見えるんですが………なんせ『曇り男』の異名を持ってますんで、こんなんでも上出来。

 

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登山道

 

 『荒船山』は登山道もキチンと整備され、危険個所も無く快適な登山が楽しめます。

 

 只、一ヶ所『崩落個所』が在り、倒木の下を潜らなければなりません。

 

 

 登山道は崩れる恐れがあるので、一度谷に降りて倒木を潜ります。

 

 蛍光テープ付けておきました。

 

 谷あいを吹き上げる風が実に心地よいです。

 

 

 しかも有難いことに、途中『水場』が在ります。

 

 この『水場』、有ると無いのでは大違い。携帯する水の量=重さに影響します。

 

 まぁ『荒船山』なら夏場でもない限り『1㍑』も有ればなんとかなりますけど。

 

 折角の『美味しい水』ですので一口。

 

 

 橋を渡って、岩場を廻り込んで登ると写真上部の『柵』に出ます。

 

 その先で安全に水が汲めます。

 

 下流の事を考えて荒らさないでね。

 

 で登山道をノロノロ歩くと。

 

 

 断崖絶壁の『艫岩』です。 以下次回。

 

荒船山登山

 

 背中の『リュック』(ディパックなんて格好いい物じゃ無いんです)には『合羽』と『水』『おにぎり』

 

 前に廻した『ウエストバッグ』には『カメラ』『スマホ』『メガネ』なんぞ。

 

 腰に『手ぬぐい』ぶら下げて~。(タオルですけど)

 

 『熊除け鈴』は静かな中を歩くにはあまりにも『五月蠅い派』なので、100均の『火薬鉄砲』を使用してます。

 

 オモチャですけど陸上競技のスターターピストルの1/10位の音がします。

 

 8連発のキャップ式火薬が12個で¥100。オモチャの鉄砲も¥100。

 

 見通しの悪い林などに入る前に『パ~ン』と鳴らします。

 

 いかにもオモチャの音ですので、本物と間違える人はいません。

 

 以前『尾瀬の木道』を歩いていた時、少し後ろを歩いていた人がず~っと『熊除け』をガランガラン鳴らしっぱなし。

 

 周囲に人が居るならそれ程警戒しなくても………音に辟易してしまい、予定外の場所で音が聞こえなくなるまで休憩としました。

 

 『パ~ン』も他人には不快に聞こえるかもしれないので、人が居る時は使わないですけど。

 

 

 『艫岩』と呼ばれる『絶壁の縁』に辿り着くと、以前は『御堂』が在ったらしいのですが、今では名残として『柱の基礎石』だけが残されています。

 

 岸壁の窪みには修業の後でしょうか。

 

 

 『石積』や『御札』などが残されています。

 

 此処で一息。凍らせたペットボトルの水でタオルを濡らし、汗をぬぐいます。

 

 普段、家では『ハイボール』を飲みますので、炭酸の『1ℓのペットボトル』がゴロゴロ。

 

 空きボトルを洗ったら『水』を6~7分目まで入れ、冷凍室に斜めになるように寝かせます。

 

 1日凍らせただけだとすぐ溶けてしまいますので、出来れば2・3日は凍らせます。

 

 山行きの直前に空間部分に水を満たし、持っていきます。

 

 夏場、日帰りで2本。タオルで巻いてリュックに入れます。背中の冷却効果も抜群。

 

 勿論冷たい水を飲めますし、タオルなどを湿らせることも可。

 

 更には万が一の傷口の洗い流しや、冷却用にも使えます。

 

 『ペットボトル』には決して直接『口』を着けないでね。

 

 思わぬ『菌の繁殖』に繋がる可能性が在ります。

 

 だからハイボール用炭酸ボトルが便利、しかも臭いもしないですからお勧めです。

 

 氷がどんどん解けるから、飲んでも無くならないです。

 

 で、もし飲み切っちゃったら水場で補充。

 

 

 『湧き水』は、コップなどが置いてあればまず『飲用可』ですが、沢を流れてくる水『沢水』は、上流部に『民家』『牧場』『スキー場』『山小屋』等々の『生活圏』が無い事が絶対条件。

 

 『非常時』以外では飲む事をお勧めしません。何処で『菌』や『農薬』『汚水』が混入しているか分かったもんじゃ無いです。

 

 水を汲みに沢に降りる時も、道が無いところではかなりの危険行為に繋がりますので要注意です。

 

荒船

 

 小学生4年で『ノアの箱舟』の話を読んだ時、佐久にも箱舟があるじゃん!と興奮しました。

 

 

 手前の有刺鉄線にピント合っちゃってますけど、全貌の解る写真がなかなか無くって。

 

 これは『JAXA宇宙区間観測所』の敷地内からズームした物です。

 

 右側の船の『舳先』から『艫』までが屋根で覆われている様に見え、手前の山並みは波の様にも見えます。『箱舟』じゃん。

 

 

 怠惰を貪る『ソドム』の人々を見て憤慨した創造主『ヤハゥエ』は、唯一正直者の家族『ノア』に訓示を与え、山の上に箱舟を造らせる。

 

 全ての種類・種族の『つがい』を船に収めた後、『ヤハゥエ』の起こした七日七晩の嵐が吹き荒れ、地上の全ての物は破壊されてしまう。

 

 嵐が収まり『ノア』は一羽の鳥を飛ばした。暫くして『オリーブの小枝』を咥えて戻ってきた鳥は『ハト』 平和が訪れ、陸地がある証拠です。 

 

 国連の象徴はこの逸話に因んで造られたそうです。

 

 C・Gの無い時代に造られた映画『天地創造』を観た時、『ライオン』『熊』などの猛獣や小動物・鳥類までを船に乗せようとしたシーンはおったまげました。

 

 (『シロクマ』や『深海魚』はどうしたなんて野暮な事言いませんです。)

 

 

 で時は4月下中旬。

 

 新型コロナウイルスの影響で家にず~~っと籠っていた為、心と身体が『風』と『青空』を求めて爆発しそうになったので、人の来ない山に行こう。と思い立ちました。

 

 平日の朝6時、誰も居ない旧内山峠の登山口駐車場に到着。

 

 軽くストレッチなどをしてイザ出発。

 

 登山口には『熊出没注意』ですと。

 

三太郎

 

 『三太郎』と聞いて何のこっちゃ?

 

 『桃太郎』『浦島太郎』『金太郎』の三人が登場する某携帯電話会社のCM。

 

 

 他に誰も居ない広場。能舞台の前に座り、ぼ~っと眺めていました。

 

 ふと気が付いた。三太郎のCMじゃん!

 

 三太郎の三人がスローモーションで飛び跳ねながら入ってくる。確かそんな感じだったかな?

 

 背景の松の絵(潰れて見づらいですけど)でそれと気が付きました。

 

 『ゆず』のコンサートが行われたり、CM撮影にも利用されている。

 

 やるな『身曾岐神社』

 

 

 『伊勢神宮様式』の『古神道』を踏襲した『鳥居』や、本殿の『神明造り』の『切妻屋根』『『鰹木』『千木』。

 

 『能舞台』は池に囲まれ、『薪能』の炎が映えそうです。

 

 惜しむらくは『藻』が育っている事。水の流れが停滞しているので、やむを得ないんですけどね。

 

 youtubeで『栄光の架け橋』を聞きながら暫し佇んでいたら、大声で話す中〇語が聞こえてきた。

 

 折角静けさの中、感慨にふけっていたのに。退散時ですかね。

 

 三太郎のCMの事を『お姉さん』に尋ねてみようかとも思ったが、話が長くなりそうなのでパス。

 

 後で調べたらやっぱりこの舞台が撮影に使われていました。

 

 『パワースポット』に佇んでいたから充電完了。さて帰りますか。

 

白砂青松

 

 ホントは海岸の『白い砂』と『松の緑』のコントラストが、互いに引き立てあう景勝の事を云いますが。

 

 

 玉砂利で覆われた広場には、『ゴミ』どころか『葉っぱ』一枚落ちていません。

 

 『能舞台』の裏に植えられた松が風にそよいで実に清々しいです。

 

 

 更に進んで石段の奥、注連縄を潜りまして。

 

 『天照大神』の祀られた『本殿』は『礼拝所』の更に奥、一般人立ち入り禁止の聖域です。

 

 

 500円を収めて『焚き上げ護摩』の『祈願木』に祈願文を書きます。

 

 『新型コロナウイルス』が一刻も早く収束します様に。

 

  世界から戦争がなくなります様に。

 

 などとあれこれ考えた挙句に書いたのは

 

 『商売繁盛』 (だってスペース限られてるんだもん)

 

 

 

 白い砂利に付けられた『箒目』も鮮やかです。(熊手で付けるのに箒目?)

 

 左右には『右近の橘  左近の桜』の垣根に囲われた桜です。

 

 『雛飾り』でも最近は、向かって左が『お内裏様・男性』のパターンが多いですけど、正式には向かって右側です。

 

 結婚式が洋風になってきた為、エスコートの関係で男性が右、女性は左になってきました。

 

 『宮中行事』などでも『男女平等』の考えから臨機応変みたいです。

 

 警護する『左大臣・右大臣』も『お内裏様・男性』に近い方が位が上。

 

 来ている服も『左大臣』は『赤系統』と決まっています。

 

 そもそも警護の為に弓・刀を構えているのですから、♬赤いお顔の右大臣 なんて事したら即クビですね。

 

 ハイ。無駄な知識をひけらかしてみただけです。

 

ゆず

 

 古神道の『明伸系鳥居』を潜りまして、白い玉砂利の上をジャリジャリと歩き、ふと右手を見ると『初穂料』を収めた方の『銘板』がありました。

 

 あまりこの手はワザワザ見るような物でも無い………

 

 ん? 100万円!

 

 しかも名前の『北川悠仁』と書かれた上に『ゆず』の文字。

 

 『ゆず』+『北川悠仁』=紅白出場男性ディユオ。『栄光の架橋』とか『夏色』の‼

 

 

 『領布所 兼 接待所』でお茶を出してくれた方に聞いてみました。

 

 「100万円の『ゆず』ってあの『ゆず』ですか?」(どんな『ゆず』だ)

 

 お姉さん。水を得た魚のごとく喋る喋る。

 

 得た情報によりますと、『ゆず・北川悠仁』さんのお父さんが『神職』の方で、以前『身曾岐神社』でお勤めしていたそうです。

 

 その縁も在り、『ゆずコンサート』が能舞台で行われたそうです。

 

 現在お父さんは『身曾岐神社神職』を引退されたそうですけど、『北川悠仁』さんとのご縁は続いているそうです。

 

 

 『岩沢さん』は? と突っ込まない様に。まさか右足で………。

 

 意外とチャラいイメージが湧いてきてしまいました。

 

 

 先ずは本殿で参拝してからね。と先を急ぎます。

 

 『神鳥』として飼われている『烏骨鶏』の所を左に曲がってジャリジャリ歩いて驚いた。

 

 以下次回です。

 

鳥居

 

 『身曾岐神社』の一の鳥居は直線的な丸太を組んだ物。

 

 鳥居の形は大きく分けて『神明系』と『明伸系』(間違いじゃなくホントの話)の二つが在り、『伊勢神宮』『鹿島神宮』『靖国神社』などでもみられるのが『神明系』

 

 解かりやすく云うなら、一番上の部分が反っているか真っ直ぐかの違いです。

 

 鳥居の並びには

 

 

 達筆で大書きされた『天下泰平』と

 

 

 『天壌無窮』 神道で聞く言葉です。

 

 地に降りた『天孫・邇邇芸命』に『天照大神』が云った言葉とされています。

 

 意味は………たまには自分で調べなきゃ。(ウィキペディアも窮しているようだし)

 

 正統系の神道みたいです。

 

 だって日本には八百万程の神様がいらっしゃるから、中には?の神様もね。

 

 

 『古神道本宮 御祭伸は天照大御神』 全生命の太祖ですと。

 

身曾岐神社

 

 『オオイトサクラ』から駐車場に戻る時、小川の流れる脇にも綺麗な桜並木が在りました。

 

 

 村の氏神様が祀られているのでしょうか『社』と石碑が見えます。

 

 好きなんですね~。こんな場所。

 

 

 『社』の中に『観音開き』の『逗子』があり、『石仏』らしきモノが祀られていましたけど風化して輪郭しか解りません。

 

 向かって右側の木造などは『首』が有りません。代わりに載ってるの何?

 

 明治時代になり『神仏分離』が盛んになった時、心無い人の為に多くの仏像が壊されてしまいました。

 

 各地で見られる『首なし地蔵』などもその例です。

 

 

 『社』の周囲には色々な石碑などが在りました。

 

 土地の人が大事にしている場所なのかもしれませんので早々に退散します。

 

 後、100年も経てばこの桜にも名前が付いているかも知れませんね。

 

 

 その後ナビに従って10分も走れば『身曽岐神社』到着です。

 

 ガランとした広い駐車場に車を停め、先ずは『一の鳥居』から。

 

 実は何回かこの前の道を走ってはいますけど、参拝するのは初めて。

 

 さてさて行ってみますかね。

 

オオイトサクラ

 

 桜を観ながらおにぎり食べて、又国道20号線を山梨県へ。

 

 『荒田』の交差点から『小淵沢』方面へ左折する。

 

 この道は大好きな『ループ橋』が在るんだけど駐車スペースが無いのが残念。

 

 

 以前、バイクを端に停めて撮った写真です。

 

 ループの中心に向かって上ってきた道が360度ループを描きます。

 

 あまり他所では見かけないですけど、こんな事に興味持つのは私だけ?

 

 後方に聳える山は『甲斐駒ヶ岳』?

 

 

 『小淵沢』に近ずくと『神田オオイト桜』の案内看板が現れます。

 

 まぁ急いで帰る事も無いし。『桜』は開花時期に見なくちゃ只の『樹』

 

 折角看板まで出しているんだからノコノコ行ってみますか。

 

 

 案内に従い車を停めると『ウグイス』の『地鳴き』が聞こえてきました。

 

 3回に1回位、綺麗に『ホ~ホケキキョ』と聞こえますけど、まだ練習中なのか『キ・キキョ キキョ』みたいに聞こえます。頑張れ~。

 

 交通規制のガードマン(市の職員風)が交差点に立ち、案内兼監視していました。

 

 桜の脇には立派な石碑も立っていました。

 

 油絵を描いている人もいますので邪魔しない様にして。

 

 

 ………………。 

 

 以上。

 

蔦木宿

 

 国道20号線を山梨県から長野県に入り、直ぐの所に在る道の駅が『信州 蔦木宿』

 

 この辺り、あまりコンビニ・食堂とか無いから、結構利用する人が多い道の駅です。

 

 よく大型トラックが停まっています。

 

 大型トラック運転手の仕事は運転するだけでなく、荷物の積み下ろしという大変な作業があります。

 

 10tトラックなら10tの積み荷を積み下ろしするわけです。

 

 『パレット』積みのキャベツなどは、フォークリフトで荷下ろしできますが、『パレット』に積むのは運転手です。

 

 ひと箱10㌔の段ボールとして1000箱を積み下ろしする事もある訳です。(法改正により車載量増t車両は13t位積み込みます)

 

 体格にもよりますけど2時間~掛かる重労働です。

 

 汗もかきます。でも荷積みしたら次の車両の為に即車を移動させなければならず、風呂・シャワーは後回し。

 

 しかも車両が大型ですので、駐車スペースも限られてきます。

 

 で『道の駅 蔦木宿』

 

 

 温泉が在るんです。しかも気持ちいい露天風呂も。

 

 朝から汗みずくになって荷台一杯に荷物を積んだ運転手さん。

 

 荷下ろしの時間を計算して、こんな所で汗を流します。

 

 運転手さんが『入浴道具』一式入っている『プラスチック籠』下げて歩いてるところなんて見た事ありません?

 

 高速道路の『サービスエリア』にも『入浴・シャワー施設』が設置されている処が増えました。

 

 『長野県・諏訪湖サービスエリア上り』は温泉が有りますし、『談合坂サービスエリア』や『多賀サービスエリア』なんかにも入浴施設が在ります。

 

 レストランで食事して、ひと風呂浴びて道路が空いてくる時間まで仮眠する。

 

 大変な仕事です。

 

 

 『御柱・木落し』の自動販売機が出迎えてくれます。

 

 高速道路の各施設では『酒類』の販売は禁止ですけど、道の駅ではお土産用の日本酒など販売している処もチラホラ。あくまで『お土産』用ですので飲酒運転はご法度です!

 

 そして此処、春先には

 

 

 『釜無川』沿いに桜並木が在ります。

 

 駐車場からでも充分綺麗ですが、川沿いに降りていくと

 

 

 二本寄り添う『夫婦桜』(勝手に命名しました)が在るんです。

 

 『山梨県・道の駅白山』で『南アルプスの天然湧き水』を汲んできて、おにぎりを食べる。

 

 いつもは『コーヒー』ですけど、おにぎりには『日本茶』か『みそ汁』

 

 川風に吹かれながら食べるおにぎり最高です。

 

 ※春先の川辺は蛇に注意。注意してから座りましょう。

 

オブジェ

 

 Radish 渡辺治美さん

 

 

 CULTIVATION   GOLD-WALL   平戸貢児さん

 

 

 オブジェだよね? データ紛失です、スミマセン。

 

 そして『ラス・ボス』

 

 

 メタリック調の『大村智さん』 北斗市の育んだノーベル賞受賞者です。

 

 ノーベル生理学・医学賞(長年の微生物の研究による物です)

 

 『イベルメクチン』の発見により、『蚋・ブヨ』被害による『失明治療薬』の開発に成功し世界中でどれほどの人が救われたか。

 

 

 この辺りを散歩しながら、時に土を手に取ったりしていたそうです。

 

 両親の為にと温泉『武田の里・白山温泉』を造っちゃったり、『韮崎大村美術館』を建てたり。なかなかの行動力と資金力!

 

 『一期一会』と『恕』 『恕・じょ。』って何だ?『怒』じゃ無いなぁ。

 

 調べましたよ。『思いやる事=思いやり』ですと。

 

 う~ん見習いたいけど難しい。

 

 

 これを書いてる今日は10/9です。

 

 タイトル的には『秋桜』のはずですが………『桜』です。

 

 毎年、春になって桜の開花を聞くと訪れる場所があります。

 

 バイクで1時間とチョット。

 

 『一本桜』で有名な『山梨県北斗市・鰐塚桜』です。

 

 それだけでは寂しいから今回は他の桜の名所にも。

 

 いくら規制緩和宣言が出ても、人混みは避けたいですもん。

 

 

 『武田の里』 甘利沢川沿いの『桜公園』でです。

 

 舗装された遊歩道は歩き易く、途中でトイレ・水飲み場なども完備され、地域住民憩いの場所となっています。

 

 

 晴れた日には橋の袂から『富士山』も望めます。

 

 実は山梨県、『富士山』が余りに近いが為に手前の山が干渉して、『富士山』の見える場所は全県中の半分位らしいです。

 

 更に天候次第では雲の中。

 

 なかなかお目に掛かれないから価値が在ると云うモノ。

 

 更に『桜』ですもん。

 

 なんか『金運UP』しそうじないですか!

 

 

 更にこちらの遊歩道沿いには数々の屋外彫刻が展示されています。

 

 全部の写真UPは大変なのでグーグルマップで観てください。

 

 その中でもお気に入りを何点か。

 

 スペースの関係で次回です。

 

 

 『畑山発電所跡』がどれだけ『藪』の中なのか伝わらなかったみたいですので。

 

 

 『竹藪』越に

 

 

 此処を行くのは………

 

 

 別に『マムシ』や『ハブ』でない限り、『蛇』もそんなに苦手では無いけど、顔にへばりつく『蜘蛛の巣』だけはカンベンです。

 

 まぁ何時の日か水路の確認してみます。

 

発電所

 

 「物の始まりが 一 ならば、島の始まりが 淡路島。」

 

 寅さんが縁日などの参道で人を呼び込み『啖呵売』を始める時の『常套句』です。

 

 電気の『始まり』は『発電所』

 

 水力・火力・原子力・太陽光に至るまで、発電所から『鉄塔』に向かって『斜め』に延びる送電線。

 

 「行っといで!」と声を掛けたくなるのは『私だけ?』

 

 

 川沿いの道路をトコトコ走っていたら『砥石城・登り口』の案内標識が立っていました。

 

 取り敢えず『バイク』で行ける所まで。と思い駐車場まで。

 

 バイクじゃ無理ですね。日暮れも近いし、歩いて登るのもパス。

 

 そのまま来た道引き返すのも面白くないので細い砂利道へ乗り出すと………

 

 

 藪の中に太い鉄製の『送水管』の様な物や、石積みの構築物が見えます。

 

 何だろう?

 

 バイクを停めて藪の中へと近づくと。

 

 

 『畑山発電所跡』ナント今から120年前にこの地に発電所が在ったんです。

 

 温泉源が近くに在るから『地熱発電』かと思いましたが『水力発電』でした。

 

 と云う事はこの山の中に『水』を蓄えた『湖』なり『河川』が無ければならない。

 

 在ったかなぁ?

 

 

 昭和20年、終戦時に自然災害により損壊・廃止されるまで稼働していたそうです。

 

 どうしても『水利』を知りたくて、パイプを辿ってみましたが藪、藪、藪。

 

 下手に突いて『蛇』が出るのも嫌なので今回は此処まで。

 

 そうかこんな所に『文明開化』の一端が在ったんだ。

 

 「結構 ケ だらけ、猫 灰だらけ。お前の………」

 

 下品になりますんで以下略。

 

千古温泉

 

 『千古の滝駐車場』から南に200㍍程進むと、立派な看板が出ていました。

 

 『千古温泉』

 

 

 看板裏を下っていく舗装路があります。

 

 以前は『温泉宿』でしたが、今は『立ち寄り入浴』だけの営業みたいです。

 

 

 よく見ると対岸に『源泉』を掘り出し、パイプで引き込んでいるのが見えます。

 

 

 『物見湯山』をいつも車に入れていますんで、真田に来た時は『真田ふれあいの湯』を利用する事が多いのですが、今度は『千古温泉』に入ってみたいと思います。

 

 

 上の写真は能登半島突端、『珠洲岬』に在る温泉宿です。

 

 チョッチお高いので見るだけですけど。

 

 『千古温泉』なら入れそう。

 

コンクリート桝

 

 道路脇にある排水用のU字講には、所々に四角いコンクリート製の『桝・ます』が設置されています。

 

 『排水桝』と云って、合流・分配に使われたり、砂・落ち葉などを一時的に貯め、水が溢れ出すのを防いだり。

 

 『千古の滝』の傍らに大きなコンクリート製の『桝?』が在りました。

 

 

 高さ2m以上。ヨッコラショっと覗き込むと、落ち葉溜まりとなっていました。

 

 そんな落ち葉の中に何が潜んでいるか分からないからそ~っと離れます。

 

 

 更に滝に近い斜面に立て札が在りました。

 

 

 残念ながら現在、周囲で臭いも・湯気も無く『温泉』が湧き出ている気配は在りません。

 

 立て札の『墨書き』も薄れていますのでかなり以前の物ですかね。

 

 

 二筋の滝を挟んで岩の上に『祠』が見えます。

 

 昨年の台風被害で流された『木』がそのまま取り残されています。

 

 風化し始めて白っぽくなっています。いずれは砕けて流れていくんでしょう。

 

 江戸時代、滝を観ながら温泉なんか入ってたんですかね。いいなぁ。

 

千古の滝

 

 中学生になった時、長野県下の割と詳しい地図帳を貰った。

 

 天竜峡に合流する川『万古川』や真田の里の『千古滝』なんてのを見つけてはアンダーラインを引いていた。(呆れる位の馬鹿だねぇ。)

 

 因みに『千古』は『せんこ』ですから。

 

 

 数台停められる駐車場があり、河原までものの数分で降りていける。

 

 トイレ、水道無しです。『おにぎりタイム』は国道沿いのコンビニ、町営温泉施設の売店などをご利用して入手して下さい。

 

 

 案内看板は取り敢えず飛ばし読みにでも読んでおきます。

 

 特に『地図』などが描いてあれば『スマホ』で撮っておくと後で確認したい時に役立ちます。

 

 江戸時代には『富士見温泉』が滝の傍らに在ったんですと。

 

 滝の上に『ベン天』とカタカナ表記がありますけど時代考証を突っ込まない様に。

 

 右上に描かれた交通の要所『横尾』集落から『物見遊山』がてらの絶好のロケーション。そりゃ賑わったんでしょうね。

 

 

 『滝つぼ』は大分堆積したのか広い河原になってしまいました。

 

 崖の上には前出の『御堂』が見えます。

 

 白さが目立つから『石灰岩』でしょうか。柔らかいから『甌穴』が出来やすく、又『浸食』されやすいのかも。

 

 後、何百年後には只の川かも知れません。

 

 西側には急峻な山肌が迫っており、午後3時にはもう日が陰っています。

 

 滝つぼを正面に見据え、ぼ~っと見つめていました。

 

 マイナスイオンをたっぷり浴びて、リフレッシュ完了!

 

 岩の上に『石の祠』があります。

 

 『弁財天』とありますので遠くから一礼。

 

 『金運UPしますように。』

 

千古の甌穴

 

 『滝』との上流は『ガッカリ』の事が多く、『見なけりゃ良かった』の場合が多いです。

 

 でも此処は必ず見てください。『甌穴群』があります。

 

 

 う~んチョット解りづらい?

 

 

 白波立つ右側に『大きな丸い窪み」と『小さな窪み』

 

 『甌穴石』は見えません。

 

 水の流れは『高い方』から『低い方』へ。

 

 浸食を繰り返し、遮る物を乗り越え、柔らかい処は抉られる。

 

 実に『自然の理』にかなっています。

 

 

 どうも写真のUPが上手くいかない………。

 

 又何かやってくれたかいJIMDOさん?

 

 

 上の写真は『甌穴』がよく解ります。軽井沢町に在ります。

 

 

 次回は 『千古の滝』です。

 

甌穴

 

 『甌穴』 読めます? 

 

 川床の一枚岩などに出来る事が多く、急な流れの中に窪みが出来、其処に小石などが入り込んで水の流れと共にくるくる廻ったり。んでいつの間にか窪みが広がると少し大きな石が入り込んでくるくる。長い年月をかけて繰り返し、大きな石が入り込んでくるくる………廻らない位の大きさの石が長い年月をかけ砂などに削られて真ん丸になる。

 

 川床の窪みを『甌穴・おうけつ』 丸くなった石を『甌穴石』と言います。

 

 この『甌穴石』はその姿形に神秘を感じ、神社などに奉納されたりします。

 

 

 『千古の滝』。『せんこ』と読んで下さい。間違っても『ち〇こ』とは読みません。

 

 案内を頼りに滝の上流へ。 そこに『甌穴』があるそうです。

 

 

 滝に向かって『御堂』が建てられていますけど扁額の文字が消えちゃってます。

 

 滝の傍に在るのは大抵が『不動明王』か『観世音菩薩』 

 

 気になるところですけど扉開けて覗くわけにもいかないし。

 

金剛寺峠

 

 『この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ』

 

 我が心の師『アントニオ猪木』さんで有名になった『一休さん』こと『一休宗純』の詩『道』(『一休さん』作の根拠は無いそうです)

 

 オフロードバイクに跨っている時のこーちゃん。

 

 『この道を行けば どうなるものか 行き止まりだったら戻ればいいじゃん』

 

 とばかりに林道を駆け上がっていく。

 

 人気のない林道を走っていて時々出くわすのが『一般車立ち入り禁止』の看板と『チェーン』などのゲート。

 

 たまたま開いていた『チェーン』と看板が無いのを確認し山の中へ。

 

 この手の『ゲート』を設置しているのが『営林署』の場合は特に問題は無いのだが、『材木商』などが伐採・出荷の為に造った『道』の場合チョット勝手が違ってくる。

 

 心当たりありません?なんでこんな所に閉鎖された林道が何て事。

 

 伐採業者は『木』を切り倒し、『枝打ち』して運び出します。

 

 山に残されたのは『木の根っこ』と枝打ち後の『枝』 山は『はげ山』と化します。

 

 そんな『はげ山』を待ってましたとばかり買い入叩く企業。

 

 『太陽光発電業者』です。

 

 倒産したゴルフ場など瞬く間に『メガソーラー発電所』と化してしまいます。

 

 先の『はげ山』なども『陽当り』さえ良ければ一面に『ソーラーパネル』が設置されてしまいます。

 

 問題は『雨』 山に森林が育っていれば降った雨が『枝葉』を伝い、『下草』や『苔』が水を貯え、徐々に地面へと吸収されていきます。

 

 やがては濾過されて水が『湧き水』や『温泉』となって『人』に還元されます。

 

 『太陽光パネル』に降り注いだ雨は表面を流れ、『水流』となって『道路』や『山肌』を流れます。

 

 その時『枯葉』や『小枝』を押し流し、『側溝』を詰まらせ溢れだします。

 

 一度流れ出してしまうと『土石流』となって、最悪『土砂崩れ』や『河川崩壊』を招きます。

 

 2019年の台風19号も佐久地方に甚大な被害をもたらしました。

 

 今年も強力な『台風9号』が九州に接近しつつあります。

 

 山を守り森林を守る事が必要な時かも知れません。

 

 てな事考えながら途中。

 

 

 こんな形の『木』を見つけました。

 

 オイオイ。何があった?

 

根小屋城登り口

 

 『経塚』江戸時代は賑わったんだろうなぁ。などと思いながら『神川』沿いの砂利道へ入ってモノの200mです。

 

 『根小屋』への登り口は『神川』のすぐ脇に在りました。

 

 

 広くなった砂利道の端に車なら3台は停められそう。

 

 で登り口はと見ると、『竹の杖』や『ストック』が置いてある。

 

 

 『尾引城跡』から見た感じも急峻に見て取れた。どうしようかなぁ?

 

 と言いながらも何故かバイクは走り出す。いやこの登りは結構キツそう。

 

 暫く走ると お!湧き水発見。

 

 

 銘水『一杯清水』 象山先生もここで清水を飲んだんでしょう。

 

 

 水量はそれほど多くは無いですけど、標高差100㍍程の山ですから湧き出ている事だけで充分。

 

 『湧き水』は地面から沁み込んだ水が『濾過』されて流れ出た物。大抵は飲めます。

 

 『流水』はよほどの場合じゃ無ければ飲まない方が。

 

 上流に人の生活圏が在るかも知れませんし、動物などにより汚染の危険もあります。

 

 で『石の祠』も祀られている『湧き水』を飲んでみます。 まっ普通です。

 

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交差点

 

 道路から外れたこんな藪の中に石碑?

 

 『経塚』はやっぱり人目に触れちゃぁ行けない場所?

 

 それでも好奇心には勝てませんで、蜘蛛の巣掻き分け石碑の前へ。

 

 

 いや立て札とかは新しいし。なら『道』くらい整備しといて欲しいなぁ。

 

 きっと成長の早い『竹』の事、道を塞いじゃったんでしょう。

 

 

 なになに………………そうですか。

 

 

 

 確かに『多重の宝塔』の輪郭が彫られており、中には『梵字』らしき文字が刻まれている。

 

 そして『道標・みちしるべ』

 

 

 比較対象が無いので分かりづらいですけど、高さ20センチくらいです。

 

 で彫られている文字は

 

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経塚

 

 私のバイクに『カーナビ』在りませんので(最近のバイクにはスマホ=ナビを取り付けられるんです)勘を頼りに走ります。

 

 だから他人の見つけないモノなんか見れたりして。いや迷った末ですけど。

 

 『経塚』もグーグルマップに記載されていませんでした。

 

 道路沿いの小さな『看板』に『経塚』と書かれていました。

 

 『根古屋城』を目指していたんですけど寄り道です。

 

 

 普通なら見落とす。いや見掛けても通り過ぎるでしょ、壊れかけた案内看板。

 

 看板の示す先は『草叢』~『藪』の中。

 

 実はヤバイ処かも知れませんけど、真昼間から『お化け』や『幽霊』の出た試しは無い!

とばかりに藪の中へ。

 

 

 清水の湧く池の畔、『竹』が通路を遮ってます。まるで『近かづくなョ~』と通せんぼしているよう。『昼間から幽霊お化けの出るじゃ無し!』と『竹』を掻き分け………

 

 

 綺麗な水です。『藻』が多いという事は日の光が差し込むという事。

 

 池には『ニジマス』や『ヤマメ』が泳いでいますけど、それ程山間に入って来た訳でも無い。誰かが放流したのかな?

 

 もしホントに『デンジャーゾーン』なら、嫌な感じがしたり、頭が痛くなってきたりと何らかの変調を感じます

 

 そんな場所は自然界も不思議な『力』を感じるのでしょうか、鳥が鳴いていなかったり、蜘蛛の巣すらなかったり。何となく違和感があります。

 

 今までにも何回か、『これ以上行っちゃあいかん!』と感じ、引き返した事があります。

 

 でも此処は『プラスのパワースポット』みたい。

 

 で『蜘蛛の巣』を掻き分け藪の中に在ったものは………丁度時間となりました~。

 

 又のご来場をお待ちしております。

 

秋葉神社

 

 東京の電気街(今はメイド喫茶?)で知られる『秋葉原』 上京した頃アマチュア無線機を買いに行きました。

 

 他にも『アキバデパート』前の広場で常設されていた実演販売。

 

 寅さん映画みたいな『啖呵売・タンカバイ』って感じじゃ無くて、テレホンショッピングみたいです。 人混みにつられてチョイと覗き込むと、いつしか買わされてんだよね。

 

 『万世橋』の袂に在ったから『肉の万世』 格安で肉が買えました。

 

 『山手線』と『中央線』の乗り換えポイントでも重要です。今の地下鉄は複雑すぎて、スマホアプリが無いと乗り換え出来ません。

 

 『秋葉原』の地名の由来は『秋葉神社』の在った原っぱです。

 

 『秋葉神社』って?

 

 『古事記』(『日本書紀』かも)に書かれていた『イザナギノミコト』の奥さん『イザナギノミコト』は第一子を産みますが、『未熟児』(諸説あります)で生まれた子供を『海』に流します。ところが生きていて『蛭子』=『恵比寿』神になりました。

 

 次に生まれたのがナント『日本の島々』=『島産み』 続いて『様々な神々』=『神産み』 不思議ですけどなんせ『神様』ですから。(ツッコまない様に)

 

 そしてある時『火の神』を産みます。その出産時のやけどが元で(何処をやけどしたか聞かない様に)『イザナギノミコト』は命を落とし、『黄泉の国』へと旅立ちます。その時産まれた神が『火之迦具土神・ヒノカグツチノミコト』とされています。

 

 『火之迦具土神』=『火を司る神』として 『火伏せ』=『火事除け』に崇められます。

 

 江戸時代『東京・秋葉原』の辺りは草叢が多く、些細な事で大火事になったそうです。

 

 そこで建てられたのが『火之迦具土神』を主神に祀る『秋葉神社』です。

 

 

 山頂部『主郭』に在る建物は『秋葉神社』の『拝殿』と『社』のみです。

 

 

 古くから『焼き畑農法』を行ったのでしょう。延焼を防ぐための『秋葉神社』だと思われます。

 

 

 参拝を済ませ、先ほどの案内図を見ながら『根小屋城』も近いななんて考えまして。

 

 実はこれが大間違い!デフォルメされた絵なんて信じちゃダメ!の典型です。

 

尾引城・横尾城

 

 何故・で繋がっているのか?

 

 地籍『横尾』に在るから通称『横尾城』と呼ばれていたと推測デス。

 

 

 実は『尾引城』へはバイクで行けそうと思い、山間部へ入って行ったのですが(看板に描かれた図の一番右の道)

 

 

 何本かの倒木を避けながらもここまで来ましたが、更に数本の倒木が道を塞いでいるので断念して引き返します。

 

 『尾引城』の看板近くにバイクを停めて、看板を見ると僅か250mで城跡まで行けそう。

 

 行くっきゃないでしょ。

 

 

 看板には城跡まで250m、10分と書いてあったけど、日頃の運動不足で息がゼ~ゼ~。

 

 汗をダラダラ流しながら登ります(ホントに大した距離じゃ無いんですけど)10分じゃ無理。

 

 

 『城跡』のから見下ろす真田の里。遠くに見えるのは『八ヶ岳』です。

 

 春、ウグイスの地鳴きを聞きながら。城跡で『涼風』に吹かれる。

 

 う~ん、コンビニ寄って来ればよかった。

 

 オフロードバイクで走る時、『胃下垂防止用ウエストベルト』を着けています。

 

 『モトクロス』の頃からの習慣ですが、今は『出っ腹』が揺れるのを防ぐ為?

 

 ギッチギッチに締め上げる為、あんまり空腹感を感じないんです。

 

 やっぱり『冷たいお茶』と『昆布のおにぎり』のド定番は外せない。

 

 

道標

 

 『道標・みちしるべ』

 

 行く先を示唆し、通行人などに『行く先』『距離』などを教えるもの。『道路標識』

 

 昆虫の『斑猫・ハンミョウ』の通称。

 

 一般国道などでは『青色系』の看板。高速道路・有料道路などは『緑色』が多いです。

 

 夜間でもヘッドライトなどに反射しやすい塗料を使っていたり、高速道路沿いではライトアップされたりしています。

 

 山を下りて『信綱寺』の枡形から付近をブラブラ散策してました。

 

 

 『石舟の橋』が不明ですけど、『横尾区・戸沢』は『黒門前駐車場』の東側集落。

 

 推測の域ですけど、北関東『栃木県・宇都宮~群馬県・前橋』辺りに掛けて『善光寺詣り』をしようとした人達(江戸時代関所を抜けられなかった人含む)は『上州街道』(現国道406号線)の『鳥居峠』を超えて『真田の里』に下りてきました。

 

 

 そこで見つけた『善光寺』の文字にどれだけ元気付けられたでしょうか。

 

 『ナズナ(ぺんぺん草)』の大きさと比べてもそれ程大きなものではありません。

 

 実際、立て看板が無ければ素通りしていたかも知れません。

 

 

 更に『横尾集落』で県道35号線の一本裏通りに見つけた立て看板です。

 

 『コーナーミラー』の真ん前、否応なく目に飛び込んできました。

 

 で『どこだ?』

 

 

 砕石敷きの駐車場の一角に風化した小さな石票が在りました。

 

 国道・県道が整備されたおかげで交通の便が良くなった半面、誰からも見向きもされなくなりつつあるもの。

 

 どうか探してみてください。身の廻りにもきっとある筈です。

 

馬頭観音

 

 『信綱寺』の裏山で『真田信綱夫妻』弟『昌輝』のお墓で合掌の後、山を下ると『信綱寺』のすぐ前に駐車場が在りました。

 

 『黒門前駐車場』から歩かなくても車で此処まで来れたんです。

 

 でも折角の『薬師堂』とか『黒門』、『馬頭観音』を観ないとね。

 

 ん!『馬頭観音』?

 

 慌ててスマホに撮っておいた『黒門前駐車場脇の案内図』を確認。

 

 『黒門』の傍に在ったのに気が付かなかった。

 

 

 こんなオモシロイの初めて見ました。 万治の石仏にも匹敵します

 

 普通は漢字で『馬頭観音』と彫られているものが多いのですが、これは天然石の材質を生かし、『梵字』の下に馬の顔が彫られていました。

 

 上部が欠けているように見えるんですけど、本来は『馬頭観音』と書かれていたのかも。

 

 でも『梵字』は通常一番上に来る筈だから?

 

 文盲の人でもそれと解るように『絵』にしたのかも。

 

 その後も気を付けて『馬頭観音』を観てきましたが、他で見つけたのが

 

 

 『旧浅科・市川五郎兵衛記念館』へと続く細い道の傍らに在りました。

 

 隣には『市川五郎兵衛』を神格化した『真親神社』が在ります。

 

 そこに奉納された『絵馬』かとも思いましたが、馬の絵の上の部分には

 

 

 辛うじて中央部に『馬頭亦観音』と在ります。『亦』って何だ?

 

 『亦』 音読み・えき 訓読み・また  意味・又と同意。

 

 余計に❓ 以上『絵』による『馬頭観音』でした。

 

 『馬頭観音』は『畜生界』を彷徨う人を救済する『観世音菩薩』です。

 

 庶民信仰として、『馬』を敬う意味と、旅の安全を願う意味も在ったようです。

 

 農家にとっても『牛・馬』は大切な労働力ですし、戦国時代は機動力にもなりました。

 

 ♬ 藁~に まみれてヨ~ 育てた栗~毛

 

  (オ~ラ オ~ラ 風邪ひくな。オ~ラ オ~ラ 達者でな!)

 

六地蔵

 

 童話『かさじぞう』で、正直者のおじいさんが、内職で『笠』(頭に被るタイプ)を造り、大晦日、街まで売りに行きますが………売れず。

 

 家に帰る途中、村の入り口の『お地蔵様』が雪を被っていました。

 

 心優しいおじいさん。雪を払い、売り物の『笠』を被せてあげました。

 

 しかし『笠』が一つ足りず、自分の手ぬぐいで『頬被り』してあげました。

 

 家で待っていたお婆さん。その話を聞いて「良い事をしましたね」と労います。

 

 そして翌日………。

 

 の『六地蔵』ですが、この『六』には意味が在ります。

 

 

 正確に云うなら『地蔵菩薩』 

 

 そして仏教では、『輪廻転生』と云う考えが在ります。

 

 一つの命が消えると、新しい命に生まれ変わるとされ、審判するのが『閻魔大王』(実は仏様)

 

 その時、『天上界』『人間界』『修羅』『畜生』『餓鬼』『地獄』の『六道』と呼ばれる六つの世界に生まれ変わるのだけれど、中には道を間違えちゃう者も出てくる。

 

 そこで迷っていそうな人に「どうしました?』」声を掛けたり、道案内をしてくれるのが『お地蔵様』

 

 そして各界の治安を図るのが『観音様』 此方も正しくは『観世音菩薩』

 

 『天上界=如意輪観音』『人間界=准胝(じゅんでい)観音』『修羅=十一面観音』『畜生=馬頭観音』『餓鬼=千手観音』『地獄=聖観音』と担当が決まっています。

 

 でも一番多く目にするのは、道の傍らなどにポツンと立っている小さなお地蔵様。

 

 地域の『守り神』や『道祖神』の意味合いを持つものや、『子供の成長』『病気治癒』などの『願掛け』に祀られたものなど様々です。

 

 『ぴんころ地蔵』もピンピン長生き、寝込まずボケず、コロっと往生!がコンセプトです。

 

 

 『ぴんころ地蔵』のある『成田山・薬師寺』は『真言宗』のお寺です。

 

 お地蔵さんに参拝する時は「オン カカ カビタマエソワカ」と唱えてみては如何ですか?

 

信綱のお墓

 

 お盆明けの3日間。夏休みを取らせていただきました。

 

 と言っても『病院』×2日。近場の山をトレッキング。

 

 心身ともにリフレッシュ!(チョット違うけど)

 

 

 本堂の扉を開けまして参拝させて頂きます。

 

 流石に畳に上がり込む訳に行きませんので『賽銭箱』の手前で合掌。

 

 御本尊ではなく、『信綱公』の位牌が祀られていました。

 

 

 本堂を後に、庫裏を廻り込むように細い急坂を登ります。

 

 息が切れ始めた頃………

 

 

 存在感の在るお墓と六文銭が目に飛び込んできました。

 

 周りを取り囲むのは家臣や縁しい人の墓石でしょうか。

 

 正直なところ気後れしてしまい、遠くからの合掌のみにしました。

 

 『信綱夫妻』と次男『昌輝』(向かって右側)のお墓です。

 

 

 『信綱寺』境内を望む高台に眠る『信綱』と『昌輝』

 

 『真田の里』を見下ろしながら、弟『昌幸』とその息子『信之』と『幸村』の活躍を見守っていたのかも知れません。

 

 ※ 文章力の無さを写真でカバーしています。稚拙な内容はご容赦です。

 

境内

 

 『大柏山・信綱寺』は『曹洞宗』のお寺です。

 

 『禅』に修行を見い出す宗派は他に『臨済宗』が在ります。

 

 『曹洞宗』は一般庶民に寄り添い、『臨済宗』は武家社会などに広まったそうです。

 

 「この道を行けば どうなるものか 危ぶむ無かれ………」で始まる『アントニオ猪木』さんのマイクパフォーマンスの『道』 実は『一休禅師』の作です。(違っていても責任持てません)

 

 時の将軍『後小松天皇』(北朝・足利家)と南朝・藤原家の娘『伊予局』の間に生まれた『一休さん』 今なら『皇太子』の扱いですが、禁断の恋だった故に世間に知られてはマズいと『禅寺』に預けられます。

 

 身辺護衛担当『蜷川新右衛門』さんも実在の人。将軍家側近の超エリートです。

 

 子供のなぞかけ問答に負ける訳ないんですけどね。

 

 因みにアニメ『一休さん』の母上様、同時期『峰不二子』も担当してた声優さんです。

 

 『座禅』では足を組み、目は半眼にして頭の中を『無』にします。

 

 『福井県・永平寺』で『座禅体験』出来ますが、難しく考えることなく先ずは体験してくださいとの事でした。

 

 『膝』に疾患を持つこーちゃん、足は組めません。それでも良いんですと。

 

 『禅堂』を持つお寺なら案外気楽に体験させてくれるみたいです。

 

 お試しあれ。『警策・きょうさく』でバシ~ん。なんて修行僧だけですから。

 

 

 石段を登り、門を潜ると中庭は光に溢れていました。

 

 

 『多宝塔』『灯篭』『香炉』『お釈迦様立像』そして何より枯葉一枚落ちていない中庭。

 

 厳しい修行の賜物です。

 

 

 トタンの覆いの下に『茅葺屋根』そして『梁』には『六文銭』が見えます。

 

 『真田信綱』の位牌寺として建立された『信綱寺』 まだまだ続きます。

 

信綱寺

 

 『黒門前駐車場』からあちこち散策しながら『信綱寺山門』へ到着した時には、早1時間は経過していた。(だって見どころが沢山ありますもん)

 

 

 正式には『大柏山・信綱寺』曹洞宗のお寺です。

 

 『真田幸隆』の長男で在り、その戦いぶりから『豪将』の名を天下に知らしめた『真田信綱』残念ながら次男と共に『長篠の戦』で戦死してしまいます。

 

 『三方ヶ原の戦い』において、『徳川家康』を、馬上で脱糞しながら這う這うの体で逃げ出させたという逸話の張本人。

 

 『徳川家康』はこの時の自分を恥じ『しがみ顔の像』を造らせました。

 

 執拗に『真田征伐』に執念を燃やした原因、実はこんな所に有ったりして。

 

 

 山門の『唐獅子』 黒いのは塗料?焦がしたようにも見えるんですけど。

 

 こういう仕事を見るにつけ「良い仕事してますね~。」とパクりたくなります。

 

 『獅子の目力』の強さときたら。悪しき者は退散ですね。

 

 こーちゃん。清廉潔白(と言う事にしときましょ)ですので一礼して潜ります。

 

 

 名残の梅が咲いていました。

 

 あらら、まだ登るの? 日陰で一休み一休み。

 

花押

 

 花押・華押(かおう)って知ってますか?

 

 『大名』や『武将』が手紙の文末などに書き記した『個人特定』の為のマーク。

 

 我が国で印鑑文化の最も古い物は、福岡志賀島で出土したとされる『漢委奴国王』と彫られた『金印』ですが、これは『漢』から贈られたもの。

 

 書画などに押される『落款印』も中国から伝来したものであり、盛んに使われるようになったのは諸説ありますがおおよそ室町時代以降。

 

 『戦国武将』などが用いた『花押』は『印鑑』とか『サイン』的な意味合いを持っています。

 

 

 他にも数々の『花押』が展示されています。

 

(左右バランスが不揃いなのは大理石が反射してしまう為)

 

 

 上の写真2枚は上越市資料館保存

 

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モノリス

 

 『信綱寺』の境内には鳥居が在って『大六尊天』が祀られていたり、バーベキューの出来る東屋が在ったり。

 

 そして『上田市役所真田古城緑地公園』(上田市役所って肩書、要るか?)が広がるその奥には

 

 

 ん! 何だありゃ?

 

 

 『碇ゲンドウ』を取り巻く数字の書かれた石板。

 

 「人類補完計画の為には犠牲もやむをえん」

 

 なんて『新世紀エヴァンゲリオン』のワンシーンみたいな。

 

 いやいや、『スタンリー・キューブリック監督』の『2001年宇宙の旅』 

 

 オープニングで『ツァラトゥストラはかく語りき』が鳴り響く中、巨大な『モノリス』が通り過ぎてゆく。

 

 今まで何回か観ても理解できない映画。『2010年宇宙の旅』もしかり。

 

 でも今年『2020年』なんですけどね。

 

 『モノリス』とは『石柱』の事です。

 

 映画ついでに『十戒』では、神からの十の訓告が山中の岩肌に刻まれ、モーゼはこれを石板として持ち帰る。

 

 『偶像を造り、これを崇拝してはならない』と『汝 姦淫してはならない』位しか覚えてませんけれど。

 

 赤茶けた色の『モノリス』の立ち並ぶ一角は『歴史の丘』

 

 

 最上段最奥に『真田幸隆』を置き、『真田家の重要人物』を左、『時代考証と中心人物』を右に相対して配置している。

 

 最下段は『大阪冬の陣』に於ける『真田丸』を表しています。

 

 上段からの時の流れを、水の流れで表現しようとしているのだろうが、残念水は流れていませんでした。

 

 折角だから一番上まで行ってみますかね。

 

 この『モノリス』が赤いのは、真田家の『赤揃え』を意味しているようです。

 

 そして各武将の名前の所に在ったモノとは。

 

 丁度時間となりました。又の続きをお楽しみに。

 

大六尊天

 

 鳥居の扁額には『大六尊天』と書かれてあった。

 

 『大六尊天』 聞き馴染みの無い言葉。ふと思い当たったのが『第六天魔王』

 

 『織田信長』が非道の攻略を繰り返していた時、『バテレン』の着るような『ロングコート』を羽織り、自らを『第六天魔王』と呼んでいた。

 

 『第六天魔王』 仏に近づこうと修行している者の邪魔をする邪神、いや『邪心』

 

 人間には『煩悩』と呼ばれる『欲』が在り、これを断ち切ろうと修行をするのだけれど、ふとした瞬間に『欲』に負けてしまう場合がある。

 

 俗に言う『魔が差す』 この『魔』が『第六天魔王』(※個人の感想・解釈です。間違っているかもしれませんのでウィキペディア参照)

 

 

 鳥居を潜り、参拝をと思った時、軒に掲げられていた看板が目に入った。

 

 『当寺 第六大魔王 宝暦六年………』 『大魔王』の言葉に慌ててスマホをポチポチ。

 

 おそらく『織田信長』に畏敬の念を抱き、『祟り』などを恐れて建てられたものと考えられます。

 

 なんだかムズムズした感じがして、『早く離れた方がいいよ』と警告しているみたい。

 

 ひょっとして『マイナスのパワースポット』なのかもしれないので『お賽銭』だけ挙げてそそくさと離れる。

 

 なんだかスッキリしない気持ちで『アジサイの道』(残念ながら開花前)を下って『信綱寺』へ。

 

 

 橋を渡ると大木の根元に『警告』と書かれた紙を発見。

 

 『スズメバチ注意』ですと。急いで通り抜けて(故に写真無しです)………えっ?何?

 

 そこに待ち受けていたモノとは? 次回です。

 

黒門

 

 真田『信綱寺』を枡形の在る『石門』から入りまして、参道をゆるゆると歩いて行くと、『薬師堂』やら微妙なバランスの『積み石』やらを通り抜けて到着するのが山門である『黒門』です。

 

 

 お寺の山門にも関わらず、重厚な造り。

 

 しかも左右は『大岩』が際まで来ており、侵入者を拒むような感じです。

 

 

 門柱の両脇には大きな『岩』が迫り、戦国時代の城門の様。(因みに二代目だそうです)

 

 一礼して『信綱寺』へ。

 

 して『信綱』?

 

 『甲斐・武田信玄』家臣として働き、信玄公からの信望も厚かった『真田幸隆』は、『真田・松尾城』城主としてこの地に赴く。

 

 『上田・砥石城』に勢力を持っていた『村上氏』を懐柔し、後に制圧。併せてこの地を『真田』と云わしめた。

 

 『真田幸隆』には『信綱』『昌輝』『昌幸』『信尹・のぶただ』の4人の嫡男がおり、特に長男『真田信綱』は『豪将』としての名を天下に知らしめた。

 

 『長篠の戦い』で二男『昌輝』と共に生涯を終えてしまうが、その功績を称え菩提寺として『信綱寺』を持つ。

 

 『三方ヶ原の戦い』において『徳川家康』を討ち取る寸前まで攻め、馬上で脱糞させた逸話の相手武将でもある。

 

 家康はこの時の事を忘れぬように『しがみ顔の像』を造らせ『臥薪嘗胆』を肝に銘じた。

 

 そっか。戦国ゲームでメッチャ強そうな武将が『真田信綱』でした。

 

 

 門をくぐったすぐ先には『鳥居』(お寺の境内にです)が在りました。

 

 何か気になったので扁額を見ると『大六尊天』と在ります。

 

 『第六魔王』って聞いた事ある? 多分それに掛けての『大六』だと思います。

 

 『第六尊天』(第六天)とはいかに?(たまには自分で調べなきゃ)

 

黒門前駐車場

 

 『おたっちう松の碑』を後にして、『真田街道』を走っていると『信綱寺』の幟が並んでいました。

 

 ハテ『信綱』って誰だったっけ?  ま、行けばわかるるさ1,2,3、ダ~っ‼

 

 で着いた所が『黒門前駐車場』

 

 平日の昼下がり。サボリーマンの営業車が数台停まっている。

 

 会社名とか写っちゃうとマズいから、カメラは向けないでおきますね。

 

 

 駐車場の脇に立っている『案内看板』をスマホに収めまして。(後で確認する時に、スマホ等で写真に収めておくと便利です)

 

 無理やりな観光名所は行ってみたら『何じゃこりゃ』なんてのも多いですけど、果たして彼の地は如何に。

 

 すぐ目の前にある階段を昇りましたが何か違う方向へ誘われているような?

 

 仕方ないから急斜面の崖をよじ登りました。

 

 駐車場に車を停めたら、『枡形』から登ると間違いなしです。

 

 

 入り口で一礼しまして。イザ出陣(という程の山でも無いんですけどね)

 

 参道は所々で石段のゆがみなどが出てましたけど、概ね歩き易いです。

 

 だって高齢のおばあちゃんが散歩してました。

 

 緩やかな登り坂をゆっくり歩いて。最初に見えてきたのが『薬師堂』です。

 

 

 『西洋医学』どころか『薬』すらなかった時代、病気になった人は神仏に『祈る』しかありませんでした。

 

 仏教では『仏様』の変身した『薬師如来』に願掛けをして病気の治癒を願ったそうです。

 

 『薬師如来』は手にした薬草の入った『薬壺』で人々の病気を治療したそうです。

 

 『悪い所』がいっぱいあるこーちゃん、『薬師如来様』に両手を合わせて願掛けします。

 

 

 驚くのは隣にある大岩。

 

 人の手の入らない自然の成す技ですか。

 

 上の大きな岩は3点で支えられ、完全に浮いています。

 

 その下の『砂岩』も亀裂が入っていたりして、大きな地震が来たらやばいかも。

 

 微妙なバランス、見るならお早めに。

 

おたっちゅうの碑

 

 婆ちゃんは「おたっちゅうの松」(おたっちう?)と云っていたが在るのは生い茂った竹藪。

 

 その中に大きな石碑が建っていた。

 

 

 聞いてみたくても人がいない。いや気配すらしない。

 

 後で調べてみて解った事は、『真田館・さなだやかた』(上田城に居城する前の真田氏拠点、現在の『御屋敷公園』)が出来る前、真田城跡(松尾城跡)を中心にした町が形成されていた。その一角に『十輪寺』と云う寺が在り、その門前に一本の松の大木が在った。その松を『おたっちうの松』と呼んでいたらしい。

 

 なぜ『おたっちう』なのかは不明。尊敬の意味を込めた丁寧語の『お』に、立っている『たっちう』の方言?(『竜馬』の話す土佐弁じゃないだろうけどサ)

 

 

 樹齢四百年、高さ11m、幹回り4.8m。

 

 大正十五年、十林寺の青年団により建てられたものらしい事が読み取れます。

 

 

 でも残念ながら桜の木と竹藪はあれど、『松』は無かったです。

 

 しかも藪の裏手は急峻な坂。此処にお寺を建てられるスペースが無いんですけど。

 

 『十輪寺』は上田城築城時に移築されたらしいのですが、検索しても『真田~上田』に『十輪寺』そのものがヒットしません。日本各地に在るのにね。

 

 こーちゃん唯一苦手なのが『スズメバチ』(一回刺されてますんでアナフィラキシーショックになる可能性大)と『蜘蛛の巣』。

 

 藪漕ぎしていて顔に『へばりつく』蜘蛛の巣だけはカンベンです。

 

 この日はまだ『蜘蛛の巣』のシーズンじゃ無いからいいですけど。

 

 この奥に入り込むのは止めときましょうね。

 

 実は全て見張られていて、何処からともなく『毒の塗られた吹き矢』が………

 

 なんて事は無かったですけど。

 

おたっちう

 

 『真田氏本城』を歩いていて見つけた『おたっちう』を探して『縁切り地蔵』を発見。

 

 『病気・貧乏神』との『縁切り』をお地蔵さんに願掛けしまして、戻ろうと後ろを振り向いたら『お婆さん』が手押し車を手にしながらじ~っとこっちを見ていました。

 

 えっ? 集落では誰一人とも逢わず、更には『TV』や『エンジン音』などおよそ生活音がしなかったので背後に人がいた事にビックリ。

 

 さては『気配』を消して近づいた? 『忍』?

 

 などと漫画的演出が一瞬頭をよぎりましたが、怪しまれない様ににっこり笑いながら

 

 「おたっちうを探しています。此処がそうですか?」

 

 「縁切り地蔵って書いてあんだろうが」

 

 「どこにあるか知ってます」

 

 「下の道曲がって暫く登ると看板がある」

 

 「おたっちうって何ですか」

 

 「ホントはおたっちゅうって云うけど知らん。石碑が在るから行ってみろ」

 

 手押し車に仕込んだ『刀』でも出されたらたまらんと身構えていましたが、そっけない返事の後、すたすたと歩いて行ってしまいました。いや『手押し車』でも要らんでしょ。

 

 きっと『お頭』に「どんくさそうなので問題なし」とでも報告しているのかも。

 

 正直『忍者もの』大好きです。

 

 『カムイ』に始まり『南総里見八犬伝』『真田十勇士』『あすか』から子供と観た『忍たま乱太郎』最近ではパチスロ『バジリスク』などなど。

 

 日本各地に『忍者の里』と呼ばれる地が在ります。

 

 超有名どころでは『伊賀』と『甲賀』、長野県では『戸隠』『真田』

 

 その他各地の有力武将は、敵対する武将に対して『諜報活動』をさせるべく『忍者』を養成。奥深い山里などに『忍者養成所』を秘密裏に建設し、並外れた能力・体力を身に着けさせた。(ハイ。漫画の読みすぎですね)

 

 『武田信玄』曰く。『人は堀 人は石垣 人は城』

 

 『武田信玄』は強固な『お城』を築城せず『躑躅ヶ崎城』に暮らしていたが、周囲を取り巻く『田畑』で従事していた者は全て『忍者』並みに鍛え抜かれた者であった。

 

 『よそ者』が『躑躅ヶ崎城』に近づこうものなら一挙手一投足見張られ、不穏な動きをしようものなら日ごろから研ぎ澄まされた『鎌』でバッサリ。(ハイ漫画の読みすぎです)

 

 このブログは脱線がかなり多いです。悪しからず。

 

 

 『googlemap』がやっと認めた『おたっちう(婆ちゃん曰くおたっちゅう)』の登り口をようやく発見です。

 

 この辺りの地名を『十林寺(旧表記十輪寺)』と云いまして、以前は『十輪寺』と云うお寺が在ったそうです。

 

 日の当たる斜面に無造作に石像が置かれていました。

 

 

 朴訥な彫りは素人が彫ったものでしょうか、しっかり手を繋いでいます。

 

 道教由来の『庚申塚』なども見受けられます。(こう云う処が良く解らん)

 

 さて民家の物置脇を通って。

 

 

真田の里

 

 『平成の大合併』によって『上田市』に編入されましたが『真田』大好きです。

 

 余りにも身近過ぎてゆっくり廻るなんて事、しなかったですけど。

 

 『池波正太郎著・真田太平記』や『真田十勇士』更には『猿飛佐助』なんぞで知っている方も多い筈。

 

 数年前の大河ドラマ『真田丸』でブームになり、上田市内と共に『観光協会』が頑張ってます。

 

 『真田十勇士』はモデルとなった人物を元に創作された話ですが、『猿飛佐助』が修行した『岩場』とか、滝行をした『滝』と云われている場所が在ります。(創作話なのにねぇ)

 

 

 昔、『小諸市』と『菅平』を結ぶ『菅平有料道路』(現在無料化)が在り、『真田の里』を貫いています。

 

 この道(現真田東部線)を走っていて『小さな公園』を見つけました。

 

 桜の木の下に何やら大きな岩が。『兜岩』と在ります。

 

 よ~く見ると『顔』が見えてきません?

 

 確かに『顔』が見えると『兜』を着けているようにも見えます。

 

 比叡山の『僧兵』が頭巾を被っているように見える(武蔵坊弁慶参照)のは私だけ?

 

 この『兜岩』は『真田の七つ石』に数えられているそうです。

 

 

 となれば残る六つも探してみたくなるのが人情。

 

 でも手掛かり無いんです。これは足で探さなければ。

 

 『旗見石』はすぐ見つかるのですが残りは………まっぶらぶらしてれば見つかるかも。

 

 

 『十林寺(旧表記・十輪寺)』の細い道を下ると『縁切り地蔵』と在ります。

 

 そりゃぁ行きますよ。好奇心旺盛ですもん。

 

 

 すっくと立ったお地蔵様の下、子供のお地蔵さん?

 

 お顔立ちが風化してますので、かなり歴史のあるものでしょうか。

 

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十二丁目界隈

 

 佐久平の向こうに『八ヶ岳連峰』を眺めながらお湯を沸かしてコーヒータイム。

 

 バイクツーリングでは相変わらず『コールマン社・ピークワン』をシュポシュポ、ポンピングさせながら使ってますが、(40年間使用してますがポンピングパッキンの交換のみ)現在は『SOTO』もどき中国製コンパクトバーナーを使ってます。

 

 だって100均のカセットボンベが1本あれば2~3日使用可。

 

 しかも超コンパクト。

 

 コンロ+バーナーで1㍑のペットボトル位の大きさ。

 

 リュック(ディパック?ちゃんちゃら可笑しい言い方です事)の中は水1㍑のペットボトルとバーナー。ドリップコーヒーとカップ麺。余裕のパッキングです。

 

 

 こんな山の上に『石積み』があります。

 

 昔この上には『閼伽流城』が在り、展望の利くこの見晴らし台は『見張り台』兼『狼煙台』として使用されていたのかも知れません。

 

 この斜面を登っていくと閼伽流山山頂へ廻り込めるんですけど、コーヒータイムを取りすぎたら面倒くさくなっちゃって。

 

 まっ今日の処はこんなもんかな。

 

 

 山道進むとこんな『オブジェ』の如き枯れ木が在ったりします。

 

 ※採取禁止ですからね。

 

 

 観音堂の基礎となる石垣。堆積岩が剥離したものでしょうけどその昔、人力で積み上げた?

 

 

 何時の時代の物でしょうか、岩の割れ目にひっそりとたたずむ石像。

 

 とてもじゃ無いけど、普通の人じゃたどり着けない場所です。

 

 帰り道にもう一度『観音様』に合掌しまして、さて帰りますか。

 

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観音堂から更に

 

 『閼伽流山観音堂』到着。

 

 って言う程の山歩きでも無いんですけどね。

 

 『縁の下』に動物が住み着かない様に金網が張られています。

 

 『軒下』に金網が張られていないのがせめての救いです。

 

 鳥除や蝙蝠除け(主にフン害防止ですけど)の為、文化財保護の観点からは致し方無いですけど興ざめするんですよね。

 

 で近年建て替えられたであろう『閼伽流山観音堂』軒下対策もばっちりな造りです。

 

 『観音様』に手を合わせまして。

 

 裏に廻り込むと、岩の間を縫うように急峻な登路があります。

 

 晴れているのに『ぬかるみ』があったりして滑りますので注意。

 

 更に30分程登ると『閼伽流山山頂』ですが、樹木に囲まれ眺望も無し。故に今回は分岐を右。

 

 秋から積もったままの落ち葉は所々で深く積もっており、足元を気にしながらの登山です。

 

 

 『十二丁目』の碑の向こうに屋根付きの展望台が在ります。

 

 この展望台。

 

 

 天井部分に『菊の御紋』付き。

 

 近くにもうひとつ石碑があります。

 

 

 皇室御用達の景色です。

 

閼伽流山観音堂

 

 ようやく建築物が見えてきます。

 

 『鐘撞堂』

 

 

 なんて、かなりの山登りっぽく書いてますけど、地元小学生が遠足で来たり、初詣に登ってくる処です。

 

 健脚家でなくても30分も歩けば到着。

 

 でも何時『熊さん』と出会うとも限らないから『熊除け』はあった方がいいです。

 

 よく『ラジオ』とか言いますけど、山の中では電波が届かなかったりします。

 

 こーちゃん100均のオモチャ、『火薬鉄砲』派です。

 

 『熊除けベル』は普段から『ガランガラン』ウルサイ、五月蠅い!

 

 せめて『ウグイスの鳴き声』や『小川のせせらぎ』聞きたいじゃ無いですか。

 

 見通しの悪い森の中などを歩く時のみ『ベル』を取り出します。

 

 

 この『鐘撞堂』から『岩壁沿い』に数々の石像が並んでいるのですが、台風の影響で岩肌が緩み、崩落の危険も在る為、現在『立入禁止』です。

 

 

 『十丁目』到着。で遠くから『石像群』に手を合わせまして。 

 

 すぐ並びに『社務所』兼『接待所』がありますが、普段は無人です。

 

 

 軒下には各『丁目』の『歌詞』が奉納されていました。

 

 ん?『十一丁目』

 

 『富士山』などでは『合目』で山頂までの残り距離を大まかに示しますが、此処は一丁(108㍍)歩きました。の表示なので『十二丁目』まで表示されています。

 

 なんだ高々1300㍍しか歩いてないのか。

 

 ついつい写真でごまかしてますんで容量が一杯です。

 

 又削除。暫しお待ちください。

 

閼伽流山城趾登山口

 

 前回は『明泉寺』の駐車場から林道『四丁目』まででUP容量がいっぱいになってしまい、古いブログを削除した所まで。

 

 続きです。

 

 

 林道脇の林(自然林みたいだから森?)の中にはこのような『千手観音』などが所々に建っています。

 

 にしても誰が?

 

 

 こんな『歌碑』も目につきます。誰が何の為?

 

 

 尾根まで登りきると『七丁目』 遠くに『北アルプスの白壁』が望めます。

 

 此処まで来れば道はほぼ平ら。

 

 

 この道から更に登り込むようにして『閼伽流城趾登山口』があるんですけど、人の踏み跡は少ない感じ。まっ帰り路で体力余ってたらって事にして先を急ぎます。

 

 気が付きました? お城のあと=『城跡・城址』が普通ですが『城趾』と書かれていました。

 

 『城址』の『址』の字が常用外漢字に指定されたため『城跡』の文字が使われるようになったみたいです。

 

 でも『城趾?』 漢字検索アプリで探しました。 常用外ですと。

 

 因みに『蹟』も常用外。

 

 以前、東京に暮らしていた時、京王線『聖蹟桜ヶ丘』から都内に通ってましたけど、定期券購入申し込み用紙に記入するのが大変でした。

 

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閼伽流山

 

 『明泉寺』から続く林道(ゲートで封鎖中)を歩き始めます。

 

 一町(一丁≒108㍍)毎に石碑が建っており、所々に石像や短歌の歌碑も。

 

 

 林道の両脇の藪と化した中にそれらは点在しています。

 

 

 『千手観世音』と在ったり。

 

 

 四丁目は『歌碑』になっています。

 

 奥之院の建築資材を送る為の林道でしょうか、平らな歩き易い道をゆるゆると登っていきます。(登りって程の坂じゃないですけど)

 

 

 『南朝』と在ります。日本で『南北朝時代』と云えば『後醍醐天皇』位しか思い出せないのでウィキペディア参照。

 

 行政は『鎌倉幕府』の末期の時代、天皇家(朝廷)では『後継者争い』が勃発。

 

 挙句『南朝』率いる『後醍醐天皇』が『北朝』を下し、兄弟げんかに終止符を打った。

 

 (※あくまで個人の見解です。間違ってたらスミマセン)

 

 その『後醍醐天皇』の『忠臣』、『香坂高宗』の功績を称えた『碑』があります。

 

 (写真で容量使いすぎました。削除してきますので次回です。)

 

明泉寺

 

 『香坂』から細い旧道(バス通りです)を戻ってきて、『明泉寺』へ続く細い山道へ登り込みます。

 

 通常は『明泉寺』住職ご一家の生活道路ですが、『明泉寺』にお墓を持つ人などが石段を登らずに済むよう駐車場が用意されています。

 

 

 山寺特有の長い石段と古刹『明泉寺』あまり詳しい事は分かりません。

 

 今回の目的地は更に林道を進んだ奥に在るのですが、林道はゲートで閉鎖されており、車を『明泉寺』駐車場に停めさせて頂きました。

 

 先ずは『明泉寺・御本尊』に手を合わせてと思ったら本堂の扉は閉ざされたまま。

 

 仕方なく『合掌』のみに済ませ、いざ『閼伽流山』へ。

 

 『上信越道路』を長野から群馬へ向かう時、『佐久平SA』を過ぎた辺りから上り坂になり、10本ものトンネルが続くようになります。

 

 その中でも長いトンネルが『閼伽流山トンネル』

 

 そう『明泉寺』の裏山は修行僧が修行の場とした『閼伽流山』の岸壁が聳え立っています。

 

 『サンスクリット語』で『清らかな水の湧き出る』を意味するらしく、山頂付近は晴れていても泥濘(ぬかるみ)が在る不思議な場所です。

 

 車に戻り、水とおにぎりをリュックに詰めて、いざ出発。(という程の山じゃ無いんですけどね)

 

佐久市香坂

 

 佐久市の北東部に『香坂』という場所があります。

 

 『香る坂』 なかなか素敵な名前です。

 

 『香坂』には『香坂ダム』が在るのですがいつ行っても人の気配が無く、『ダムカード』が在るのかも分かりません。

 

 この山の中に昔、『モトクロスコース』が在り、免許証を修得したばかりの頃はよく通いました。

 

 何十年振りかに訪ねてみたら、『マレットゴルフ場』が出来ていました。

 

 ロッカーに『ボール』や『スティック』が置かれており、誰でも気軽に遊べるようになっていました。

 

 今回も行ってみようと思ったのですが台風の影響で道が荒れていて断念。

 

 軽トラックなら行けそうですけど、無理する事も無いか。

 

 引き返して旧道をトコトコ走っていて見つけたのが

 

 

 『如意輪観音』 石碑には『如意輪大士』と在りますが、石で囲われた石室の中に祀られているのは『夫婦道祖神』です。

 

 どれが『如意輪観音』?

 

 

 桜の老木は、関所の無い裏街道を抜けてきた人達を、温かく見守っていたと思います。

 

 又、裏街道故に『山賊』などの『不逞の輩』が出没し、様々な悪事が行われたのかも知れません。

 

 『如意輪大士』や右から2柱目の『円形』などは機械彫り?

 

 『百万遍供養』と彫られた石柱は、『石のみ』と『金槌』だけで彫られた『手掘り文字』の温かみが伝わってきます。

 

 小林亞聖さん扮する『寺内貫太郎一家』好きだったなぁ。

 

健康パピリオンとミュージアム

 

 広域農道を挟んで西側、『本社社屋』や『社是』が在るエリア。

 

 まだまだ面白いものがあります。

 

 『社是』の鎮座する『憩いの広場』の先には『そば処・栃ノ木』

 

 さっき小腹を満たしたばかりなので今回はパス。

 

 階段を上った建物は『ミュージアム』 入り口に嬉しい『無料』の文字を発見し、中に吸い込まれて驚いた。

 

 『野村陽子・植物細密画』ですと。

 

 写真撮影禁止エリアなので検索してね。

 

 字が上手な人。羨ましいです。

 

 絵が上手い人。尊敬します。

 

 細密画。神業ですね。

 

 思わず画集を手に取りましたが、財布は車の中。ポケットの小銭では足りませんでした。

 

 いやぁ~ いい目の保養になった。

 

 続いて健康パピリオンへ。

 

 此処では理想的な食事のサンプルや、各種測定器を使用した健康診断&体力測定&年齢診断。(一部有料ですが無料測定だけでも充分楽しめました)

 

 体重98㌔のこーちゃん。あるコーナーでドキッとしました。

 

 

 シリコン製の模造品ですけど、お腹周りに一体何㌔くっついているやら。

 

 確かに1ポンド(450g)のステーキ肉で考えれば2枚とチョット。

 

 昔、1ポンドステーキ×2枚 ライス×2皿 スープ×2カップ サラダ×2皿 を30分以内で食べきれば タダ‼ というのに挑戦して見事クリアした事あります。

 

 流石に今では30分は無理。 でも時間かければ食べることは出来るかも。

 

 この『脂肪』を見ていたら、これから脂身は控えなきゃと思いました。

 

 駐車場に戻る途中で沢山の人が並んでいました。何だろうなと?

 

 皆さん大型ペットボトルを持ち込んで水を汲んでいます。

 

 『湧き水』ファンですので並んででも飲んでみます。

 

 良くも悪くも普通の湧き水。ミネラルウォーターを飲んでいるような感じです。

 

 ミネラルウォーター。今夜は『芋焼酎の水割り』に焼き鳥ですかね。 

 

 もう『脂身』の事忘れてるし。

 

伊那食品工業株式会社

 

 『かんてんぱぱ』でつとに有名な『伊那食品工業株式会社』

 

 本社前の駐車場にはさぞ役員用の高級外車がズラ~リかと思いきや、あれ普通の車ばかり。

 

 いや地下に重役専用駐車場とか在るのかも知れませんけど。

 

 『寒天』は海藻の『天草』から造ります。

 

 海藻ですから海辺が有利な筈、なのに『長野』の山の中ですよ。

 

 輸送費だって馬鹿にならない。

 

 『諏訪』周辺では冬の冷え込みを利用して『棒寒天』を造ります。

 

 造り方は至って簡単。『天草』を洗って水で煮出し、型に入れて冷ますと『心太・ところてん』が出来ます。これを寒気に晒して凍らせます。

 

 『フリーズドライ』のはしりですね。

 

 昨今は冷え込みが緩く、上質の寒天を造るのが大変だとか。

 

 『かんてんぱぱガーデン』の隣には『肥料プラント』が在り、上質の肥料をお手頃価格で購入できます。

 

 実はこの『肥料』