玄江院

 

 『耳取』旧道を北へ。

 

 石門発見。書かれているのは『鷹取山・玄江院』

 

 

 舗装道路から斜めに参道らしき草を刈られた跡が在ります。

 

 でも民家の庭………?

 

 

 本堂が火災などで焼失した後、取り敢えず運び出された『御本尊』を仮安置する為の『普通の民家』というものを見た事在ります。

 

 でも普通の家ですよね。看板とかも無いし。

 

 この民家の北側200㍍程の所、畑の中に高い木の茂った場所が在りました。

 

 大体が『神社仏閣』 行ってみますか。

 

 

 細い道を曲がると広い駐車場が在りました。

 

 参道の『杉』 どうした? 真っ直ぐ(すぐ)育つから『杉』と名付けられた筈なのに。

 

 一度倒れかけて、尚も点を目指そうとしているのでしょうか。

 

 普通なら倒木していますよね。つっかえ棒など無いのがエライ!

 

 

 樹の根に生命力を感じ、踏まない様に選んで歩きました。

 

 仁王門が見えて来ました。 続きは次回。

 

彌美登里神社

 

 参道を進むと『唐破風』様式の拝殿が見えて来ます。

 

 

 割とこじんまりした拝殿です。

 

 残念ながら引き戸は閉ざされており、硝子越に覗き込みますと。

 

 

 本殿の前には『神器の鏡』が置かれています。

 

 太い梁は『長刃・ちょうな』で削られた跡が付いています。

 

 江戸時代には『鉋・かんな』が広まりましたので江戸初期の建物?

 

 の割には新しく感じます。梁だけ使いまわししたのかな。

 

 

 井戸に彫り込まれていた年号は『寶栄・ほうえい』1704年と検索結果が出ました。

 

 拝殿周囲には数々の摂社が祀られています。

 

 

 でもこの神社一番の見所は『枝垂れ桜の大木』

 

 駐車場の脇に凛とした姿で立っています。

 

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小諸市・耳取

 

 『佐久市』と接する『小諸市・耳取』

 

 初めて『耳取』と聞いたとき『小泉八雲作・耳なし芳一』を思い出しました。

 

 多分子供の時、いちばん最初に読んだ怪談でしょう。

 

 でもその時驚いたのは『小泉八雲』が日本人じゃなく『ラフカディオハーン』というギリシャ人で、日本人(帰化)として日本で暮らし、日本から出版された事でした。

 

 筆者近影の写真には和服を着た鼻の高い人がいて『小泉八雲(ラフカディオハーン)とあったので余計に? 今ならスマホに話しかけるだけで疑問に答えてくれますね。

 

 『耳なし芳一』琵琶の語り部『芳一』が亡霊に見染められてしまい、体中に経文を書いて亡霊から見えなくしますが一ヶ所『耳』に経文を書き忘れてしまい、亡霊はこれを持って行ってしまう………んな馬鹿な。

 

 耳に経文を書き忘れる? 有り得ない。

 

 耳だけを引きちぎって持って帰る? 体ごと持って行くだろ。

 

 と思うのは世間に擦れた今になって想う事で、『紅顔の美少年』の頃は『耳が千切れる~!』と恐怖におののいた物でした。

 

 

 千曲川右岸道路『佐久小諸線(県道78号線)』を北に向かって走っていると耳取に入って直ぐ旧道との分岐が在ります。

 

 『何かないかな』と探して走るバイクは、こういう分岐を見逃しません。

 

 で神社の鳥居を見つけて停車します。

 

 神社名が書かれた柱には『彌美登里』と書かれています。

 

 

 珍しい石に彫り込まれた定款。旧漢字を用い、昭和12年と彫られています。

 

 どれどれ。解らなくても読んでみるの好きなんです。

 

 一、車や馬で乗り入れるな。

 一、魚や鳥を捕まえるな。

 一、竹や木を切るな。

 この条例を守る事。 ですかね。普通じゃん。

 

 

 一の鳥居の脇には大きな切り株が注連縄を巻かれ保存されています。

 

 おそらく『御神木』だったのでしょうが、枯木となり倒壊の危険も考慮し伐られてしまったのかもも知れません。

 

 

 『手水舎』と思われますが井戸と直結しています。

 

 残念ながら事故防止の観点からか井戸は格子で囲まれていて中を覗き込む事は出来ませんでした。

 

 石造りの井戸の上部には釣瓶櫓が組まれ『釣瓶車』が在ったのかもと推測されます。

 

 今現役稼働なら観光名所に成りますよ。

 

 手を伸ばし入れて井戸の写真を撮ろうとしましたが上手く撮れていません。

 

 まっ、まさか………。

 

 見えてはいけないモノが写っていたら怖いので深追いせず次に行きます。

 

三嶽神社・多賀神社

 

 『塚原・諏訪神社』から見て北側、道を挟んで『鳥居』が在ります。

 

 

 『諏訪神社』境内に『御岳山大神』『八海山大神』『三笠山大神』の三つの山岳信仰が祀られています。なのにこの距離で?

 

 扁額は『御嶽』じゃ無くて『三嶽』です。

 

 ふと疑問に思ってググってみました。

 

 『wikipedia』『NAVITIME』『神社庁』それぞれの解説がありますけど、読めば読むほど………⁈

 

 地理的に『塩尻市・三嶽神社』の『分社』だと思うんですけど真相は不明です。

 

 個人的には『木花之佐久夜姫・このはなのさくやひめ』に纏わる『白山』『立山』『富士山』の三つの山を信仰していると良いな。

 

 参拝後格子の隙間から覗き込むも神殿は閉ざされており、ならばと拝殿から裏に廻り込むも何も見えません。以上終了。

 

 でグーグルマップを見た時、更に近くに『多賀神社』があるじゃありませんか。

 

 『三嶽神社』から道路を歩いて行くと、マンションの前にそれらしき『祠』は見えるんですけど、マンションのフェンスが邪魔していてたどり着けない。

 

 まさかフェンスを乗り越えたりして、万が一にも警察沙汰になったらと思うとその勇気もないです。

 

 暫く辺りをウロウロしていたらマンション住人が此方を見ている。

 

 何か在って『不審者がウロウロしてました』なんて事になっても嫌だからそそくさ立ち去りました。

 

 で後日。グーグルマップを見ると西側に農道が延びてます。多分此方からからならと再訪しました。

 

 

 農道脇、用水の上に『縞鋼板』が渡されています。

 

 まさか此処が入口とは。

 

 新し目の白い鳥居を潜り、急坂を登ります。

 

 雨が降ったりしたら絶対滑って登れないゾ。

 

 

 多分『古墳』でしょうか、周囲より一段高い所に石の『祠』が祀られています。

 

 参拝を済ませフト目の前のマンション。以前訪れた時に駐車場からこちらを覗っていた方がいた駐車場です。

 

 『変な人がウロウロして写真を撮ってました』なんて云われたくないからサッサと帰ります。

 

塚原・諏訪神社

 

 佐久から小諸方面へ向かう時、中佐都小学校の横を通る県道139号『小諸・中込線』をよく利用します。

 

 新幹線の高架下を潜るのですが、『諏訪神社』がと書かれた石柱を見掛けます。

 

 

 新幹線の高架のお陰で鳥居が隠れちゃって、チョット可哀そうな位わかりづらい。しかも参道を横切って道路が走ってるし。

 

 

 立派な石造りの鳥居の奥、大きな注連縄を新調された本殿が在ります。

 

 きっと地域の氏神様としてお正月には賑わったのでしょう。

 

 大きな社務所が公会堂の様な役割をしているのかも知れません。

 

 

 本殿をぐるりと廻り込むと一段高い位置にも広場が在り、児童公園に成っています。

 

 そして本殿の西側には沢山の石碑・摂社が並んでいます。

 

 

 山岳信仰の『御嶽山』『八海山』『三笠山』

 

 『不動尊』や『摩利支天尊』の文字も見えます。

 

 天然石に機械彫りの文字ですので割と新しいのかも知れません。

 

 台座の石は古そうなんだけど………

 

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仙緑湖

 

 『上信越道・佐久IC』の直ぐ傍らに人造湖『仙緑湖』が在ります。

 

 高速道路の料金所付近でカーブや合流が在り、廻りを見廻す余裕なんてない場所です。

 

 湖には紅白の『ラジオ放送アンテナ』が建っています。

 

 

 チョットピントが甘かったです。フルオートなのに何処にピントが行ってる?

 

 

 何故わざわざ湖に建てたのかは不明ですが。

 

 人造湖故に湖底がコンクリートなので、建設しやすかったのかな?

 

 

 『仙緑湖』命名の碑が建っています。

 

 でもその後ろの協賛者の碑の方が大きいのは………

 

 

 農林大臣時代の『井出一太郎』さんの名前が読めます。

 

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マンホール

 

 各自治体や所有ごとにマンホールのデザインが違います。

 

 しかも近年、カラーデザインが施されていてコンプリートの対象にもなっているそうです。

 

 さて我が佐久市。

 

 漫画原作者の『武論尊』さんの出身地である事は周知の事実です。

 

 しかも中学校の先輩にあたります。

 

 『武論尊』さんと『原哲夫』さんがタッグを組んだ『北斗の拳』は現在でもパチンコなどの題材に成る程人気が在ります。

 

 佐久市市庁舎のエレベーターホールには『ア タタタタタタタタ~!』の『北斗百裂拳』が待ち構えています。

 

 

 で『佐久平駅』 

 

 北海道に『佐久駅』が存在する為に同じ名前は付けられず、新幹線駅は『佐久平』になりました。

 

 

 そして佐久市の玄関口にあたる『佐久平駅周辺』のマンホールにも白羽の矢が当たりました。

 

 

 北斗七星の形に並んだ傷。胸に七つの傷を持つ男。『ケンシロウ』

 

 佐久平駅周辺のマンホールを『北斗七星』に見立て『北斗の拳』に主要登場人物の絵が描き込まれています。

 

 

 まぁ正直『おすい』は見えない様にして欲しかったかな。

 

 下水用マンホールだからしょうがないんですけど。

 

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井川大橋

 

 大井川に沿って北上する県道60号線。いったい何処まで続いているの?

 

 しかも舗装道路とガードレールで走り易い道。

 

 取り敢えずダムに沿って走っていると『井川大橋』の案内看板が出ていました。

 

 

 現役、車両走行可能な吊り橋です。

 

 この手の橋、長野県に幾らも在ったのでそれ程珍しくも無いのですが、大半は老朽化の為『通行禁止』若しくは崩壊しています。

 

 

 私の車は車重≒1.2t。体重≒0.1tの私と、色々の車載物ひっくるめても0.05t。

 

 一応橋の手前で車から降り、歩いて橋を確認します。

 

 『揺れ止め』は無いですけど風も無いから大丈夫だろう。

 

 何時もは『カーナビ代わり』に使う『スマホホルダー』の向きを変えて前方が撮影できるようにセットしました。

 

 

 ソロソロと進み始めると至って普通の橋です。

 

 なんて思ったら、所々に『板の継』が充てられている部分が………

 

 昔見た映画『恐怖の報酬』を思い出してしまいました。

 

 『轍』部分の補修跡を避けるだけの幅は無く、そ~っと、そ~っと。

 

 私の車はFF(フロントエンジン・フロントドライブ)なので、いちばん重い部分の前タイヤが通り抜ければ問題は無い筈。

 

 結構な高さが在りますので脇見なんて以ての外。

 

 無事緊張感の中渡り切りましたが、対岸の道路は直角に曲がっている為、数回の切り返しを要してやっと橋から降りる事が出来ました。

 

 でグーグルマップを確認すると。行き止まりじゃん。

 

 て事は戻らなきゃ。

 

 又数回の切り返しの後、やっと橋の上に。

 

 

 しかもこちら側、手摺が曲がってるし。誰かぶつけたな。

 

 二度目は少し余裕が出てきました。

 

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井川大仏

 

 ダムを後に『井川大仏』を目指します。

 

 意外と大きな農耕地などが整備されていてビックリ。

 

 県道を進んでいると『井川大仏』の案内看板に従って左折。

 

 トイレも完備した駐車場に到着します。

 

 

 階段に積もった落ち葉から想像するに、人は余り訪れていないのかな。

 

 『ここから5分』 これが実に怪しいんだけどね。

 

 

 コンクリートの階段としっかりした手摺のお陰で実に歩き易い。

 

 真っ赤な『奉納旗』には地元のみならず、大勢の方が寄進しています。

 

 「ぜ~っ、ぜ~っ、5分経ったぞ。」と誰にともなく文句を言おうかと思った頃、視界が開けました。

 

 

 お~っ。目に痛い程真っ白な『大仏様』です。

 

 手前の『香炉』(人の背丈+α)と比べてもその大きさが解ります。

 

 ググってみますと。

 

 高さ11m。しかもこの付近に寺院がある訳で無くナント個人で建てられたもの。

 

 井川村唯一の『井川診療所』に勤務していた歯科医『佐藤平市郎』さんが、健康に感謝し、還暦に建立を思い立ったそうです。

 

 

 香炉には『灯明』『線香』『ライター』『マッチ』がケースに入って置かれていました。

 

 よくある『灯明¥〇〇』『線香¥〇〇』という無粋な料金箱も見当たりません。

 

 多分、気軽に灯明・線香をあげて貰えれば良いという『佐藤平市郎』さんの意志だろうと思われます。

 

 線香も一杯に補充され、ライターも直ぐに火が付きました。

 

 頻繁に訪れている証拠ですね。

 

 『灯明と線香』に自を付けました。その分お賽銭箱に入れるからね。

 

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井川ダム

 

 井川流域には沢山の『ダム』が在ります。

 

 堰き止めては発電し、下流でまた堰き止めては発電し。

 

 その起源を南アルプスの『間ノ岳』や『農鳥岳』まで遡る『井川』 実に沢山の発電施設を擁しています。

 

 『火力』や『原子力』を使わない『水力発電』をはエコロジーの観点からも優位ですが、欠点は大消費地の都市部まで距離が在る事。

 

 送電線を流れる電力は、抵抗によりかなりの電力をロスしてしまいますが、その距離が長くなる程ロス率が高くなります。

 

 又、流れ込む砂泥が溜まってしまう為に、定期的に浚渫(しゅんせつ)しなければ貯水量の低下に繋がります。

 

 もうひとつ憂える点は、万が一にも戦争やクーデター、テロが発生してしまった時、爆破による施設破壊のみならず、下流に甚大な被害を及ぼす可能性が在る事です。

 

 2019年台風19号が長野県・東信地方を襲いました。

 

 普段、溢れることなど想像も出来なかった小川に土石流が流れ込み『ダム化』、ある一定量以上の水圧に成ると耐えられずに崩壊。下流の橋脚などに流木などが引っ掛かり『ダム化』また耐えられなくなり崩壊。

 

 こうして『入沢地区』や『常和』地区の河川氾濫を引き起こしてしまいました。

 

 実際に第二次大戦中には『ダムバスター』と云う『ダム破壊用爆弾』とまで開発されています。

 

 現在稼働中のダムは、損壊しない様に様々な工夫がされているみたいですのでご安心を。(でも絶対安全と云われた核施設が世界中で3ヶ所も事故を起こしているし………)

 

 

 雪解け水が流れ込む時を想定していますので冬場のダムはどこもこんな感じ。

 

 そして水位の下がった時期はメンテナンスに忙しいそうです。

 

 

 本来の水位は流木防止ネットが貼られるこの辺りまである筈。

 

 低い水位だからこそ現れる足場と手摺です。

 

 枯れた流木が引っ掛かってますね。

 

 

 そしてなんと『井川ダム』~『本村』までを遊覧船(渡し舟の扱いですが)が運行しています。しかも誰でも無料!

 

 所要時間15分。発着時間は井川駅の発着時間にシンクロかな?

 

 乗りて~。けど欠航だ~‼ 冬季は土日だけですと。

 

 ダム湖には保全管理の為に船を使う為、船着き場を有する所が多く、一部で観光遊覧船を持ってたりします。(そういえば黒部ダムも点検修理で運休だった。ダム湖の船には縁が無い?)

 

 観光案内図には『夢の吊り橋』や『井川大仏』などが在るみたいです。

 

 にしても何故こんな山奥の不便で在ろう場所にこれ程の集落が在り、人々は生活しているんでしょうか。

 

 駐在所や郵便局、小・中学校なども在ります。無かったのはコンビニ、ファストフード店などかな。衣料品店、食料品店、床屋などがそろった完全な町です。

 

 こんな辺鄙(失礼)な場所に住む理由とは………

 

 

 ダムの傍に建っていました。

 

 扁額も無く何の神社か解りませんでしたが、水神様を祀っているのではと推察します。

 

 大仏様が在るなら行ってみようかな?

 

井川駅

 

 『井川駅』 現在『大井川鉄道井川線』終着駅です。

 

 終着駅では鉄道止めの盛り上がりレールが見られます。

 

 でもこの『井川線』実はまだその先が在ったんです。

 

 現在、建設資材運搬に力を発揮するのはトラック・ダンプ・トレーラーなどですが、山間部奥地に『ダム』を開発する為の主力となったのは『鉄道』でした。

 

 今は無き『小諸・布引電鉄』も『島川原・発電所』建設資材を運ぶ為に運行が開始されましたが、『発電所』完成後の利用率は激減。挙句廃線に追い込まれてしまいます。

 

 『井川線』も以前は『堂平駅』迄続いていました。(一駅区間ですけど)

 

 『堂平駅跡地』は現地を訪れていませんので憶測ですが、多分資材置き場とか宿舎などが在ったのかもしれません。 

 

 

 主要道路から『井川ダム』へ降りていく脇道を行くと、一軒の売店(休み?)とバス停が在り、石段を登ると『井川駅』が在ります。

 

 ♬ バスは一日 ニ度も来る。

 

 

 足腰丈夫なうちに行ける所に行っとかないとネ。

 

 数十段の石段。結構堪えてます。

 

 この手の『駅舎』、『小海線』沿線在住のこーちゃんには珍しくもないですけど、『有人駅』だけこちらの方が『都会』だったりして。

 

 

 駅舎から、道路を経由して線路をたどってみます。

 

 一番奥には『堂平』へと続いていた線路跡と切通が見えます。

 

 

 暫くして車両が駅に到着しました。急いで戻らんと。

 

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奥大井湖上駅part3

 

 そろそろ次に行かないと。なんせ奥大井を訪ねたのは2021/1の事なんですもん。

 

 

 凪いだ湖面に映っているのは旧線路の鉄橋です。

 

 ダム湖が出来る前の『井川線』は井川に沿って崖の中腹を走っていました。

 

 こんな湖でパドルを操ったら楽しそう。

 

 こーちゃん。今は無き『洞源湖』でカヌーを乗り倒した事が在りますのでお手の物です。

 

 いかんいかん昔話なんぞを始めたらページがいくらあっても足りない。

 

 トットと行きましょう。

 

 

 youtubeにupした動画です。

 

 東京駅から離れていくので下りになるのかな。

 

 

 同じく『井川発 千頭行き』

 

 両編成とも機関車が一番坂に対して下り側に在るのが解ります。

 

 さて。

 

 

 来る時ゃ下り階段でも帰りは登り階段≒200段。

 

 鉄製の階段は石段や山道の階段と違って歩幅も高さも均一で一番歩き易いんです。 普段ならどうって事無いですよ。でもアッチコッチ歩いていたから膝関節がオーバーヒート気味です。

 

 やっとの事で登りきって、『レインボーブリッジ展望台』まで後15分登り………見なかった事にしよう。

 

 今となっては悔やまれます。何時の日かもう一回チャレンジだ!

 

 待っていろよ『レインボーブリッジ展望台』 

 

 次に行ったら有料駐車場になってんだろうな。

 

奥大井湖上駅part2

 

 ふと気が付きました。駅のホームに立ち入っているって事は『入場券が必要』

 

 でも券売機とかも無いし。

 

 

 小さな待合室(出入り口の戸が無いから待合所)の壁には。

 

 千頭~井川間¥1340はチト高くない?

 

 

 冬季平日は3.5往復? (そうすると回送が一本入る筈だけど?)

 

 問い合わせれば答えてくれるんでしょうけど。

 

 テープで覆われた部分は夏季営業用ですかね。

 

 

 駅から斜面を少し登った所にコテージが建っていました。

 

 暫く機関車の発着は無いみたいだから散策してみますか。

 

 

 このコテージが駐車場の看板に在った『晴耕雨読』なんとカフェです。

 

 冬季閉鎖中にも関わらず、ドアーは解放されていました。

 

 まさか『ドロボー』がこじ開けた⁈ そこには優しさが詰まっていました。

 

 『奥大井湖上駅』にはトイレが在りません。寒風に晒されても戸口を占めることも出来ません。そんな時にこの場所をご利用くださいと施錠されていませんでした。

 

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チャバコ自販機

 

 一度は訪れてみて下さい。『奥大井湖上駅』

 

 駐車場から急坂を登り、200段の階段を下り、『レインボーブリッジ』を渡って辿り着くのが『大井川鉄道井川線・奥大井湖上駅』ホント一度は訪れてみて下さい。

 

 

 肩寄せ合えば5人は座れるかなの待合室。

 

 カップルで鳴らして下さいの『HAPPY² BELL』

 

 

 『ハート形のカップルベンチ』といい、オッさんの一人旅にはチト肩身が狭いが幸いな事には廻りに誰も居ない。

 

 鐘も鳴らしましたですよ。澄んだ音が山肌にこだまします。

 

 そして一番の旅の目的『自動販売機』発見。

 

 

 今回この駅を訪れたのはこの『自動販売機の仕組み』を知りたかったから。

 

 以前TVの旅番組で、この『奥大井湖上駅』で芸能人がお茶を買っていました。

 

 お茶と云ってもドリンクじゃなく、抹茶の粉末パック×8杯分が箱に入っています。=『茶箱』

 

 この『自動販売機』実はウチにもある『タスポ対応タバコ自動販売機』です。

 

 『タバコ自販機』でタバコを購入するには『タスポカード』が必要になり、1回目の申請は写真と身分証のコピーを送付すれば無料で造れますが、2回目からは手数料¥1000。無くしたりしたら再申請しない人がほとんどです。だってコンビニ・スーパーでは無くても普通に買えるでしょ?ワザワザ造る人いないって。 しかも『自販機は買取』タスポ対応装置を取り付けるのも有料、通用紙幣・硬貨が変更されるたびに『紙幣識別装置』や『コインセレクター』の交換が有料で必要になります。『二千円札』が出た時も『紙幣識別装置』導入で¥20000の出費。にも拘わらず『二千円札』見た事も無え!!!!!!!!!!新型500円玉?ウチの自販機は使えません!JT産業(旧日本たばこ専売公社)。どうしてくれる?タバコの小売り利益は販売価格の1割程度です。現在主力販売店はコンビニエンスストアであり9割ほどを売り上げています。タバコ離れの進む中、タバコ屋さんは存続が厳しいです。にも拘らず『組合費』や『共済制度』などがあり辞めるにやめられない状態です。見た事無いですか空っぽの『たばこ販売機』だけが置きっぱなしになってるの。JTさん、利権の匂いがプンプンしますね。

 

 この『茶箱販売機』はそんな『タスポ対応自販機』の再利用に繋がるかもしれないんです。

 

 『飲料自動販売機』で珍しいモノを販売しているのも在りますよね。

 

 皆さん四苦八苦して売り上げ向上を考えているんです。

 

 

 実は偶然にも『塩郷の吊り橋』を渡ろうとしたとき見つけちゃったんです。

 

 『茶箱=チャバコ』の自販機。多分同じ人が設置したんでしょうけど。

 

 SLの煙を引き上げると『タスポカード』を感知して販売できる仕組み。

 

 考えてますね。

 

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レインボーブリッジ

 

 お台場の橋じゃないです。

 

 『大井川』を『長島ダム』によってできた『接岨湖』

 

 その湖を横断する鉄道橋の赤い橋、それが『レインボーブリッジ』です。

 

 

 『線路』と万が一の『はずれ止め』が線路内側に二本在りますので4本にみえますけど単線です。

 

 そして鉄橋の向かって左側、保護策に囲まれて人道橋に成っています。

 

 人道橋は頑丈なエキスパンド鋼の『手摺』と足元は『縞鋼板+ゴムマット』で覆われている為、歩くのに恐怖感は在りません。

 

 遠くで鳥のさえずり以外、音の無い静寂の中をマットの上を歩くゴソ、ゴソ、という足音が響きます。

 

 

 峡谷に架かる為時に強風が吹き抜けるのでしょう。吹き流しが在りましたが全くの無風・無音です。

 

 ん~。この景色の中に一人だけ!やったね独り占め。

 

 なんせ冬、雪の上を歩くときは人の踏み跡の無い場所を選んで歩きますんで(精神年齢が知れちゃいますけど)こんな雰囲気大好き!

 

 

 鏡のような湖面に冬の太陽が写っていました。

 

 ホント揺らぎのひとつもない。ず~っと見て居られます。

 

 不思議な湖水の色は多分流れ込む成分の化学反応だと思われます。

 

 数年前『小海町・松原湖』でも同じような現象が見られました。

 

 正式に発表は在りませんでしたけど普段澄んだ色の湖が変色していてビックリ。

 

 

 上の写真は2018/10の『松原湖』です。この時だけこのような色に染まりました。

 

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奥大井湖上駅

 

 実に娘が赤ちゃんの時、車で『寸又峡温泉』を訪れました。

 

 でもその時にはなかったなぁ。ググってみますと。

 

 2001年完成の『長島ダム』に併せて沿線の移設工事により湖のど真んを線路が通っています。

 

 

 でその線路はこのダムのすぐ傍らを通っており、『長島ダム駅』の可愛らしい駅舎を過ぎるといきなりトンネルへと突入して行きます。

 

 残念ながら道路はぐんぐん高度を上げて行きますので帰りに寄ろうと。

 

 

 湖を見下ろす道路にはガードレールに『駐停車禁止』と書かれた横断幕がこれでもか!って程取り付けられています。景観を損ねる程の注意書きが必要なほど『違法(無法)駐車』の輩が多いのか!

 

 故に写真を撮ってません。もしここからの写真をUPしている人が居たら………

 

 駐車場から歩いて展望台へ行けます。そこから写真も撮れますけど、角度が違いますから分かりますね。

 

 『成らぬものは成らぬのです』某歴史TVドラマの有名なセリフじゃ在りませんけど、『ダメなものはダメ』

 

 幹線道路を走行中、前を走る車が突然止まってハザードを付けました。追い越したくても対向車が途切れず、やっと追い越す時見た光景。『携帯電話』でした。後続車の迷惑を全く考えず、運転中じゃないから違法じゃ無いと主張したいんでしょうけど、何人の運転手をイラっとさせたか解ります? せめて側道に入るとかしないとね。お陰で渋滞が発生し大型トラックはクラクションを鳴らしていました。こんな人ダメだよ運転しちゃ。

 

 

 5.6台停められる駐車場から歩いて15分の案内を頼りに急坂を登って行きます。

 

 観光シーズンには駐車場の空き待ちの車で混雑するらしく、隣接して駐車場を増設しています。(個人所有地の有料駐車場なら『濡れ手に粟』)

 

 

 腹廻りを何とか凹まそうとウォーキングをしてはいますけどこの斜度は山登りですよね。

 

 カメラをウエストバッグに入れ替えまして、靴ひもを締めなおします。

 

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アプト

 

 解らない人には何のこっちゃ?ですが、鉄道ファンにはたまらない筈です。

 

 『アプト式』が何たるかはウイキペディアに譲るとして。

 

 鉄道の急勾配を登る為の仕組みで、『スイス登山鉄道』だとか『旧碓氷峠』などでも使われていました。

 

 鉄道は鉄製レールの上を鉄製の車輪が走行します。

 

 急勾配では摩擦係数の関係から、車輪が空回りしてしまい動力を伝える事が出来ません。

 

 そこで二本の線路以外にギザギザのレールを敷き(ラックレール)そのギザギザにかみ合う歯車(ピニオンギア)を用いて動力を伝達し急勾配を登ります。

 

 急勾配を経由する鉄道の鉄則はもうひとつ。

 

 『後押し式』車両編成です。(運転室が最後尾)

 

 機関車を最後部に連結し登坂時には後ろから押し上げます。

 

 もし万が一連結器が外れたりしても一番下で踏ん張る事で事故を回避できる為です。

 

 

 発電の為の『導水管』と『発電施設』の手前、川に架かる急傾斜の軌道をディーゼル機関車は駆け上ります。(いや這い上がる位のスピード?)

 

 見てみたい。スマホで確認すると『アプトいちしろ駅』の時刻表では、ついさっき通り過ぎたばかり。暫くは運行が無いみたい。

 

 

 上の写真は県道の『市代橋』から観た『井川鉄道アプト式市代架橋』です。

 

 鉄道では水平方向1000㍍移動の間に垂直方向へ何メートル移動したかを『〇〇/1000‰(パーミル)』で表します。

 

 そして『日本国内・鉄道で登れる最大勾配』90/1000‰が此処『井川鉄道』のこの辺り。

 

 ただ併走する道路が在りません。

 

 乗車するしかないのかな。

 

 日本には『鉄道営業法・鉄道事業法』と云うのが在りまして、事故を未然に防ぐ為の様々な取り決め『法律』が存在します。

 

 普通軌道で登れる勾配は35/1000‰迄で、それ以上の急勾配では『ブレーキの強化』とか、『アプト式の導入』『下りスピード制限』とか規制が厳しくなります。

 

 

 上の写真は『天狗山』を背景に佐久広瀬付近の『小海線』を走行するディーゼル機関車ですが『アプト式』では在りません。(と云う事は≦35/1000‰)

 

 カメラを水平に構えてなかったかな?背景の杉などは普通垂直に育つ筈です。

 

 更に『鉄道法』には『ケーブルカー』や『ロープウェイ』にも関与しています。

 

 痴漢行為を疑われた男が線路内を走って逃走なんてのをTVニュースは報道していましたけど『軌道内進入往来妨害罪』なんてことに成ればかなり手痛い罰金刑に成る筈です。

 

 『撮り鉄』の皆さん。ルールとマナーは守りましょう。

 

 『自業自得』とか『自分で自分の首を絞める』って意味分かりますよね。

 

両国吊り橋

 

 『日本の屋根』と呼ばれる『北アルプス~中央アルプス~南アルプス』

 

 『フォッサマグナ』と呼ばれる『中央構造線』

 

 その二つが鬩ぎ合っている場所が『天竜川・佐久間ダム』やら『分杭峠』やらでで感じられます。

 

 そしてもう一ヶ所。『中央アルプス』と『身延川』に挟まれた『大井川沿線エリア』です。

 

 秘境の温泉地『寸又峡』や蒸気機関車に乗車できる『大井川鉄道』で近年人気では在るみたいですが。

 

 今回訪れた『奥大井エリア』 長野県から行くには偉い遠い場所に感じます。(中部横断道・山梨区間が開通すればかなり近くなりますね)

 

 高速代金をケチるバイク旅ではやっぱり高速使わないと思いますけど。

 

 『恋金の吊り橋』を堪能した後はもうひとつお目当ての吊り橋『両国吊り橋』を目指します。

 

 

 『塩郷の吊り橋』みたいな何も無いよ(安全性も?)の吊り橋もいいですけど、この張られたワイヤーの美しさ。

 

 

 揺れ止めに上から吊っているワイヤーの他に、左右に引っ張る為のワイヤーのカーブの美しい事。

 

 

 富士山の稜線が美しいと感じるのは『黄金曲線』に近いカーブを描いているからだとか。

 

 このピンと張り詰められたワイヤーも『黄金曲線』じゃないですかね。

 

 でこの美しい橋を渡りきると

 

 

 『川根両国駅』と隣接する『車両保管庫』が在ります。

 

 蒸気機関車は現在『千頭駅』までの運行で『大井川鉄道大井川本線』、『千頭』から終点『井川駅』迄は『大井川鉄道井川線』とチョットだけ名前が変わります。

 

 スマホで時刻表を調べると、まもなく下り列車の通過時間みたい。

 

 吊り橋の途中まで戻り、動画撮影の準備完了。

 

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久野脇

 

 『吊り橋』を渡りまして『久野脇地区』へと。

 

 お茶が特産品の集落は観光地化が進み、喫茶店やお茶やさんののぼり旗が揺らめいていました。

 

 『〇〇の鐘』とくれば完全に対象はカップルですが、どんな音色か興味在りますので鳴らしてみます。

 

 カップルが居て鳴らしてくれれば態々鳴らさなくてもいいんですけどね。

 

 

 暗くなれば電飾の中、二人で鐘を鳴らしながら自撮りしているカップルが想像できますね。

 

 でも何で『恋金』なんだろう?

 

 聞いてみたくても人が居ないんですもん。

 

 

 陽射しを存分に浴びる急斜面はお茶畑に適しているようです。

 

 1月下旬でもジャンパーが要らない位暖かい。

 

 お茶も緑色の訳だ。

 

 

 でもう一度吊り橋を渡って戻らなきゃ。

 

 

 河川敷内に支柱が一本も無く、両側で引っ張っているだけですので、吊り橋の自重で橋には勾配が付いています。

 

 木製の足場板より軽いジェラルミン材質の足場なども在るんですけど、そんなの使ったら此の景観が台無しです。

 

 末永く残っていて欲しいなぁ。

 

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恋金橋

 

 『塩郷の吊り橋駐車場』に車を停めます。

 

 この駐車場余りキャパは無く、第二駐車場も造られたみたいです。

 

 『大井川』と『県道77号線』に挟まれて『大井川鉄道』が通っています。

 

 この駐車場の近くに駅が在り、駅名が『塩郷』 で着いた名前が『塩郷の吊り橋』

 

 

 『恋金橋』とも呼ばれるこの吊り橋、『久野脇橋』が正式名称です。

 

 何と足場板2枚分の幅(60㎝)しかないこの吊り橋は観光目的ではなく、対岸の『久野脇地区』から『塩郷駅』を利用する人の為に掛けられたものです。

 

 以前、無尽旅行で『千頭』まで行きました。

 

 その時『SL』に乗ってこの橋の下を通ったんですが、車内で配られた『お弁当とビール』に気を取られ見落としちゃいました!

 

 だって4人向かい合わせのボックス席は膝がぶつかる位狭く、膝の上にお弁当広げて、左手でビールの缶を持ち、右手のお箸で食べるという実に窮屈な食事を強いられたんですから。

 

 もし『大井川鉄道SL』にご乗車の際は進行方向左側をお勧めします。

 

 広い大井川の真っ白な河川敷を堪能出来ます。お弁当は我慢かな。

 

 

 『瀧』が好き。『大木』が好き。当然『吊り橋』も大好きです。

 

 『城ケ崎の吊り橋』『四国・かずら橋』やら『寸又峡・夢の吊り橋』『三島・スカイウォーク』なんかも渡っています。

 

 昔、まだスリムで若かりし頃、山登りして結構危ない場所も歩いていましたので、多少の事じゃ驚きませんけど。

 

 

 こちらが『塩郷』側ですけど、ナント普通の民家の上を歩いて行くんです。

 

 時間は朝8:00前。そろそろ車が増えてきた頃ですけど、この橋の周辺には私の他にだれも居ませんでした(ラッキー!)

 

 だってこの橋、定員10名でそれ以上の人数だと渡りきるまで待っていなければならないんだそうです。

 

 しかも『SL』のダイヤに合わせて橋の上でカメラを構える輩が居るとか。

 

 観光地化には成功していますけど『オーバーツーリズム』は痛し痒しですね。

 

 

 『大井川』の水量はすぐ上流のダムで調整されている為、それ程多くは在りません。

 

 河川敷に広がる白い石は重機で整地されていてます。

 

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日本一短い〇〇

 

 『ビジネスホテル』に一泊しまして早朝5時から行動開始です。

 

 『ホテル』や『旅館』に泊ると『朝食時間』が設定されている為、どうしても朝方ボケ~っとテレビを見ている時間が勿体ない。

 

 食事無しで泊れる『ビジネスホテル』や場末の『〇ブホテル』なんぞに泊まれば『夜討ち朝駆け』で行動できます。

 

 しかも少しうらぶれた『ラ〇ホテル』なんぞは一泊¥2980で食事つき。何てのまでありますからね。

 

 大きいお風呂、ゆったりベッド。チェックアウトも時間を気にしない。

 

 只一人で入れる図々しさが必要ですけど。

 

 静岡県・浜松市で朝を迎え、牛丼屋さんで朝定食。安くてうまいから大助かりです。

 

 国道473号線で『大井川』を北上します。

 

 

 国道沿いに『日本一短いトンネル』と案内が出ていました。

 

 物好きじゃ無きゃ素通りしちゃうかもの小さな看板に、誘い込まれるように行ってみました。

 

 私の認識では『群馬県嬬恋村』の『吾妻峡谷』附近を走る『吾妻線』に『日本一短いトンネル』にの看板を見た気がしたんですが、そう云えば『八ッ場ダム』建設に伴い、線路そのものを移設した為、トンネル部分は廃線になったそうです。

 

 『日本一短いトンネル』正確には『現在鉄道として稼働している日本一短いトンネル』ですね。

 

 

 お茶畑の中にトンネルは在りましたけど………?

 

 コンクリート製のトンネルだけ? 

 

 山を堀り抜いたとか、交差する道路の為にとかでは無いですよね。

 

 線路の向こう側は普通に民家とか在りますけどこのトンネルの意義は?

 

 誰かに尋ねてみたいと暫く此の地にいましたけど誰も通りゃしない。

 

 勝手に『昔は山や畑が在ったんだろうね』と思い込むようにして先を急ぎます。

 

 そのまま国道を北上して先ずは本日最初の目的地

 

 

 『塩郷の吊り橋』到着です。

 

ねずこ

 

 某大ヒットアニメの登場人物と同じ名前ではありますが。

 

 『ねずこ』は木曽谷に生息する木曽五木のひとつです。

 

 『南木曽』から『嬬恋』を経由して『清内路トンネル』を抜けるのが、権兵衛トンネル以南では唯一『木曽谷』から『伊那谷』に向かえるもう一つの一般国道です。大平峠を越える県道も在りますが、暗くなってからは走らない方が宜しいかと。

 

 何たって『中央アルプス』が間に聳えていますからね。

 

 

 『木曽五木』はとは『尾張藩』が財政確保の為に一般人に伐採を禁じた『停止木・ちょうじぼく』の五種類の樹の事で(翌桧アスナロ・椹サワラ・檜ヒノキ・杜松ネズコ・高山槙コウヤマキ)、頭文字を並べて『旭猫・アサヒネコ』と呼んだそうです。

 

 でもそのお陰で、200年以上経った今日でも貴重な木材が残っています。

 

 木曽谷を戦国武将『木曽義仲』が統治していた頃、『織田信長』が『聚楽第』建築に必要な大木を敵対する木曽から運ばせた逸話『火天の城』を映画でみました。

 

 『西田敏行』さん主演映画の中で特に好きな映画です。

 

 この『ねずこ橋』はアニメとは関係が無く、五つの橋に木曽五木の名前を付けただけでしたけど。

 

 夕闇迫る前にビジネスホテルのある街に出たいと思って国道153号線を南下していました。

 

 『愛知県・静岡県・長野県』の県境の在るこの辺りを『三河・遠州・南信州』の頭文字を並べて『三遠南信』と云い、現在『中央自動車道・飯田インター』から『浜松いなさ』に向けて高速道路を延伸中です。

 

 所々部分開通しているんですけどナビも無ければ地図にも無いので、標識を見つけては勘に頼って走ります。(部分開通=無料区間ですから走るんですけどね)

 

 

 実は『豊田市稲武』で氷瀑のライトアップを探していて手間取ってしまい、辺りはすっかり真っ暗闇。

 

 やっとこさ写真を撮り、時計を見るとまだ19:00。まだ先に行けるかなと地図を確認しないで走り出したのが大失敗のもと。

 

 真っ暗な山道をズンズン走って行くと『緑色の標識』が在りました。

 

 『有料道路』や『高速道路』(一部自動車専用道路)を意味する標識に停まって確認すると『面ノ木』?

 

 キャンプ場とかが在るような山の中をウロウロしていました。

 

 這う這うの体で山道を抜け出し一路ビジネスホテルを目指します。

 

 はぁ~お腹もすいたな。

 

甌穴

 

 小さい頃から『千曲川』で泳いだり、魚を獲ったりしてました。

 

 でも『滝』と『甌穴』は『千曲川』には無かったですね。

 

 バイクに乗れば何処でも行けると錯覚していた高校生の頃、『相木村』や『鹿曲川林道』などに入り込んでは『滝壺』などに行ってました。だって『イワナやヤマメ』がわんさか。その頃は遊漁券を買わなければいけないなんて知らなかったですもん。

 

 『甌穴』詳しくはググって下さい。このブログでは何度も説明しています。

 

 

 『木曽の桟』付近の川原に見える『元甌穴』が在ったであろう岩場。

 

 アメリカの『アンテロープキャニオン』何かとは比べ物にならないですけど水流の造り出したナントも言えないウェイブ。芸術品ですね。

 

 

 上の写真は『軽井沢』の『甌穴』です。『木曽川』じゃ無いです。念のため。

 

 

 川面に降りていく細道の脇に大岩が在り、石像が祀られていました。

 

 

 この『赤い橋』を渡った先には一軒の『温泉宿』が在りますが、バイパスが開通した後は経営も大変かもしれません。

 

 食事だけでもOKらしいので今度来た時寄らせてもらいます。(さっきコンビニでおにぎり買っちゃった)

 

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木曽の桟・かけはし

 

 国道19号線は大型トラックもビュンビュン駆け抜ける片側一車線道路です。

 

 生活道路としも利用されてますが、ひとたび事故が起きたら迂回路すらない箇所も多々あります。

 

 暫く振りに走ったら、道路が良くなっていてビックリ。

 

 長野県民なら誰もが口ずさめる県歌『信濃の国』 でも変調する4番を性格に歌える人は少ない筈

 

 その4番の歌詞に『木曽の桟かけし世も………』と謳われている『木曽の桟』

 

 バイパスのお陰で知らずに通り過ぎちゃいました。

 

 慌てて引き返しましたけど。

 

 

 この赤い橋の袂に旧国道19号線が通っています。写真の手前側。

 

 この国道に建っている標識が

 

 

 で国道を通る皆さん、この赤い橋を『木曽の桟』と勘違いしている方も多いのでは?

 

 『桟』とは『架け橋』の事で、垂直面の岩肌に水平方向に穴を開け、そこに丸太などを打ち込みます。それを幾つも並べ、その丸太の上に『板』を架け渡して通路とします。

 

 『旧中山道』は『参勤交代』などで諸大名も通った道です。

 

 それこそ『馬』や『駕籠』に乗った殿様なんぞも渡った筈。

 

 岸壁に打ち込んだ丸太ですから木道の幅も多寡が知れています。

 

 大名行列とすれ違う一般人は、行列が通り過ぎるまで道を譲って土下座していないといけません。一度土下座したら大雨が降ろうが、トイレに行きたかろうが動く事は許されず、ジッと我慢していたそうです。

 

 以前バイクでツーリング中、交差点にパトカーが停まっていました。

 

 「皇族の車両がまもなく通過しますのでそれまで通行止めに成ります。」ですと。道路を横断しようとしただけなので、「じゃあ迂回します」と告げその場を移動しようとすると、「では免許証拝見」ですと。免許証を提示して「行くけど文句無いな!」と確認し、その場を後にしました。(別に見たくも無い)

 

 それ以来『皇族』とか『お偉いさん』の為の『道路確保』が大っ嫌いになりました。その後も『サミット』や『国賓来日』等で数回待たされたことが在りますけど。人に迷惑かけてまで「車で走るな!」と云いたい。

 

 『桟』の話でしたね。

 

 

 絵図を見ても分かりますけど手摺なども無く、落ちたら怪我だけじゃ済まない筈です。

 

 『耐荷重』とかどうだったんですかね?

 

 

 岩肌には『丸太』を打ち込んだ後の穴が確認出来るとか。

 

 う~ん分かりませんでした。

 

 私の居た30分ほどの間、この旧道を走る車は在りませんでした。

 

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旭乃瀧

 

 実は境内に入った時から気が付いていたんですけどね、本殿の裏山に見える白い氷瀑。

 

 でも以前来た時『滝』が在れば気づかない訳が無い………。

 

 でも『瀧』は確かに在る。ハテ?

 

 

 不思議に思いながら散策を続けていると石段の先に鳥居が在ります。

 

 おそらく『摂社』の類かなと近づくと。

 

 

 この鳥居を潜ればこの数々の神社のご利益が得られます。

 

 有名所から土地の氏神様迄、一所で参拝出来ます。お得!

 

 参拝を終え、石段を下りかけた時に見てしまいました。

 

 

 『滝』の上部へと続く『黒い塩ビ管』

 

 水を引き込んで『瀧』を造り出していたんですね。

 

 道理で『滝つぼ』や『水路』が見当たらなかった訳だ。

 

 

 『さざれ石』でしょうか小川の傍らに注連縄を巻かれた石が在りました。

 

 来る時には気が付かなかったんですけど鳥居の脇に古い『手水鉢』があり、年号を探していたら

 

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南宮神社

 

 木曽路に入ると延々と国道19号線を走ることに成ります。

 

 伊那谷との交通路は『権兵衛トンネル』か『清内路トンネル』の二本のみ。

 

 『権兵衛トンネル』への分岐点『神谷』交差点を過ぎて暫く南下すると鳥居が見えて来ます。

 

 

 駐車場へは一端通り過ぎ、看板の在る処を入ります。

 

 

 実は新聞に『旭の瀧』の氷瀑の写真が載っていて、以前(かれこれ20年も前?)に訪れた時『瀧』を見落としたのか気が付かなかった?

 

 冬に木曽谷に行く事が在れば是非見てみたい。と思ってました。

 

 

 流石木曽谷。神社境内には屋根付きの立派な土俵が設えて在りました。

 

 第二の『御嶽海関』が練習しているかもです。

 

 

 『関ケ原・南宮神社』を『木曽義仲』が分祠勧進したと在ります。

 

 『木曽氏』の必勝祈願の神社だったそうです。

 

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奈良井 第一駐車場。

 

 奈良井宿散策を諦め、奈良井 第一(有料)駐車場へ。

 

 季節外れの観光地には一台の車も停まっていない。どころか駐車場の係員も不在です。料金徴収はどうするの?

 

 

 料金箱と書かれたポストが在りました。

 

 この駐車場の片隅に、以前木曽路を走っていたであろう『SL』が保存されていました。

 

 

 『動輪三軸=C 12型。199番目に製造された機関車』です。

 

 小型ながらボイラー出力が高く、D型(動輪四軸)が開発される前の主力機関車です。

 

 小海線を走っていた『高原のポニー C62型』はボイラーを長くした改良型だそうです。

 

 

 手入れや保存状態も良く、とても綺麗な車体にうっとり。

 

 

 何時までも見て居たいけど先に行かなきゃね。

 

 さらに片隅には御堂が在り、石像が並んでいました。

 

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六角月見堂

 

 『夜泣き石』からすすり泣きが聞こえたりしたら嫌だから、合掌して坂道の途中に在る『月見堂』へと向かいます。

 

 

 まぁ『展望台が六角形』以外に特筆も無く、矢印に従って『妙義神社』を目指します。

 

 確か案内看板には500~600㍍と書かれていたと思ったので登りでも20分は掛からないだろうと。

 

 踏み跡を辿り歩く事30分。ん? おかしくないかい。

 

 行けども行けども『社』らしいものが見えてこない。

 

 フト見ると雪の上に動物の『フン』が落ちている。

 

 『熊』じゃぁ無いだろうけど、余り深追いしない方がいいみたい。

 

 下ろ。

 

 

 『月見堂』『からの風景ですけど、それ程高度が在る訳じゃ無く帰って樹木が邪魔してる。

 

 因みに右手前の柵で囲まれた中に在るのが『夜泣き石』です。

 

 さて一路木曽路へとはいります。

 

 

 木曽川に架かるこの橋が見えてくると『中仙道・奈良井宿』です。

 

 おっ橋に雪が積もってる。まだ誰も歩いて無いらしい。

 

 って『通行禁止』ですから。 

 

 

 実は『奈良井宿』には『マリア地蔵』と云う『キリシタン+仏教』のようなものが在るらしいのですが、あれ?地域住民以外車は進入禁止ですと。

 

 国道19号から車道で橋を渡ったのですが、線路の向こうに入れない。

 

 駐車場から歩く………。雪道だからなぁ 今回パス。又来た時でいいや。

 

元洗馬・妙義神社

 

 『武石』から『三才山トンネル』を抜け、一路『松本』へ。

 

 今回『松本市内』はスルーする為、『サラダ街道』を経由して『木曽路』を目指します。

 

 『松本空港』西側を大きく迂回して『洗馬地区』へ。

 

 ここでの目的地は『妙義山・妙義神社』

 

 群馬県以外に『妙義山』なんて妙な名前の山が在ると思ったら、『妙義神社』まで?

 

 『妙義神社』推しのこーちゃんとしては行って確かめないと。

 

 

 取り敢えず『六角月見堂』に行けば資料館が在る。行ってみますか。

 

 

 え~っ資料館ですが、展示物入れ替えの為『改修中・閉館』ですと。

 

 仕方ないので『六角堂』へ歩き出すと。

 

 

 傍らに立つ案内書き。Yの三つ重ねの例のマーク発見。

 

 

 この山城の城主『三村氏』が『群馬・妙義神社』を勧進したらしんですが詳しくは解らずじまい。

 

 でもこんな静かな所で暮らせたら風流でしょうね。

 

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旧武石村

 

 今回より新章スタートです。と云っても2021/1の事ですけど………

 

 冬故に車にて移動しました。

 

 真冬にバイク………乗りますけど今回は野宿するかものパターンなので車に寝袋積んでます。

 

 現在は上田市に合併した『武石』実に面白い所です。

 

 

 『窯元・武石焼』を目印に『鳥羽山』へ。

 

 この『武石焼』 庭先に人間より大きな『鉢』が伏せて在ります。(電柱の右奥に並ぶ二つの白い焼き物です。)

 

 この日営業はしていなかったので遠くから写真だけ。

 

 

 

 『雪しろ窯』と名付けられていますので、真っ白な焼き物でしょうか。

 

 で目指すは『鳥羽山洞窟』

 

 グーグルマップを見ても近づける道は在りません。

 

 邪魔にならない所に車を停めて『依田川』を渡河出来そうな所を探しましたが、『胴長靴』でも無ければ無理。

 

 遠くから写真だけ。

 

 

 雪の残る河川で足を濡らしたくないですしね。

 

 

 実はこの『鳥羽山洞窟』は昔、亡くなられた方を安置した場所だそうです。

 

 『チベット』辺りでは今だに『鳥葬』が行われているそうですが、日本でも『埋葬』以前は洞窟に収めたそうです。

 

 その後、権力者は『墳(現在の古墳)』を造らせましたが、一般的には埋葬のみ。その後墓石を造る様になりました。

 

 まぁわざわざ登って行くような場所でも無いから見るだけにして。

 

 で目指すは『木曽路』です。

 

 次回に続く。

 

布引山まとめ

 

 今から半世紀も前、親父の運転するバイクの後ろに乗って、小諸の布引迄来たのが始まりです。

 

 4/8の花祭りの日で、結構人出が在りました。

 

 山道を登って観音堂の前に在った『甘茶を掛けるお釈迦様』に興味を持ち、陽気の中の甘茶を一口嘗めてみた記憶が在ります。

 

 その後真っ暗な洞窟を抜け、崖伝いに山頂まで登りました。

 

 当時は金属製の手摺とかなく、必死で岩にしがみついて登ったと思います。

 

 子供が小さい時、やはり下から登り上げ、洞窟を潜って『布引山展望台』まで行きました。

 

 今回は通行止めになっていましたが、本堂の西側から大きく回り込んで稜線伝いに行けるかも。

 

 行かれる方、情報を仕入れてから自己責任でお願いします。

 

 

 『武田菱』が覗えます。武田信玄の庇護、若しくは逆らうと焼き討ちに在ったりしちゃうからね。

 

 

 観音堂舞台の『木鼻の獅子』です。男前じゃん。

 

 

 この稜線伝いに行けば展望台に出れるかも。

 

 かなりの迂回を強いられますけど。

 

 

 御札の領布は本堂を時計回りに廻り込むと在ります。

 

 実はこの前の道を少し登ると駐車場が在ります。

 

 狭い生活道路ですれ違い困難な為、あまりお勧めしませんけど。

 

 以上『布引山・釈尊寺』からでした。

 

布引観音

 

 『観世音菩薩』=『観音様』には『聖観音』『千手観音』『日輪観音』『馬頭観音』『十一面観音』etc と実に多くの観音が存在します。

 

 そもそも『観音』とはなんぞや?

 

 インド・シャカ国の王子『釈尊』は『生まれた者は必ず死ぬ。それまでに様々な病気や苦しみに遇うのは何故か?』と考え、地位や名誉、家庭をも捨て修行に入ります。ある日菩提樹の下でハタと気が付き悟りを得ます。

 

 自分の悟った考え方=『仏教』を人々に乞われるままに語ります。

 

 仏教の開祖『釈迦』に成ると沢山の弟子が出来、共に修行し考えるようになります。

 

 その『釈迦』が弟子に話した内容を書き記したものが『御経』です。

 

 やがて『釈迦』にも寿命が来ます。 釈迦の入滅=『仏滅』です。

 

 『釈迦』が入滅し、56億7000万年後『弥勒菩薩』が現れこの世を統治するまでの間、万物の道標として守って下さるのが『地蔵菩薩』=『お地蔵さん』

 

 この『地蔵菩薩』は『輪廻転生』後の『六道』をも見守ってくれています。

 

 全ての苦しみや病から人間のみならず、あらゆる物を救ってくれるのが『弥勒菩薩』 

 

 ≒56億6999万7500年後に『弥勒菩薩』様が現れるまでの辛抱ですね。

 

 

 『国宝』に指定されたにも関わらず、現在『重文』って何?の宮殿。

 

 

 岩屋の中はご覧の通り。金色に輝く『観音様』

 

 『布引観音』と呼ばれていますけど『聖観音』?

 

 須弥壇脇にも沢山の観音様が並んでいます。

 

 格子の間から撮影しました。

 

 

 子供が小さい時、この像を見て怖がりましたけど確かに低い位置から見上げると目つきが怖い。『賓頭盧尊者』=『びんずるさん』ですよね。

 

 実は………この像の右奥には洞窟が続いていまして。

 

 真っ暗な中を数メートル行くと、外に出られた穴が在るんですけど現在通行止め。

 

 

 『通行止め』にしているからには理由が在るんでしょうからマナーは守らないとね。

 

 につきまして此処まで。 引き返しますか。

 

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観音堂・舞台

 

 長野県下には他にもお勧めの『懸造り』の建物が在ります。

 

 『長野市・浅川ダム』の近くの『ブランド薬師堂(八櫛堂)』(カタカナ表記です)

 

 『高山村・赤和観音』なども何故こんな不安定な場所に?と思わず首を傾げたくなります。

 

 万が一が起きても自己責任でお願いします。

 

 

 上の写真は晩秋の『ブランド薬師堂』です。

 

 足元が落ち葉で滑る。

 

 『ブランド薬師堂』からは浅川ダム下の『360度ループ橋』が良く見えます。

 

 

 『布引観音堂』へは隧道を潜ります。

 

 『鑿と槌』で手掘りしています。

 

 『砂岩』ですので柔らかいと云えば柔らかいんですけど。

 

 よく見る『洞窟潜り』には修験行や『胎内くぐり』の意味を持つそうです。

 

 天井に頭擦りそう。

 

 岩棚の下には奉納された『石仏』や『お地蔵様』が並んでいます。

 

 

 『布引』と云えばやっぱり『観音堂・舞台』

 

 初めて『京都・清水寺』の舞台を見た時、『布引観音と同じ!』と思った位です。

 

 しかも恐怖感は『布引』の方が上。

 

 絶対安全安心の最新式ジェットコースターより(そういえば最近は乗ってない)圧倒的に怖かったのは『浅草・花やしき』のジェットコースター。

 

 だって『ハンドアップ』すれば確実にぶつかるだろうし、走っているコースターの下では骨組みが歪むのが見えるた。(不思議と事故が起きてない)

 

 入園料無料の時代だったからもうかれこれ20年も前の事です。

 

 同じ理由で『観音堂・舞台』怖いですよ~。

 

 まぁ体重≒100㎏の私ですから、『ミシッ』とか『ギィ~』なんて木が悲鳴上げるんですもん。

 

 手摺に体重書けるなんて以ての外です。

 

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布引観音・大師堂

 

 『布引観音・釈尊寺』は『三締章』の御紋から見ても宗派は『天台宗』

 

 とくれば総本山は『比叡山・延暦寺』 開祖は『最澄』です。

 

 そして境内にある御堂は『大師堂』 『弘法大使』の事で『空海』

 

 諸国を歩き『高野山』に『金剛峰寺』を建て『真言宗』を開きます。

 

 

 左が『釈尊寺・本堂』 正面の御堂が『大師堂』です。

 

 遣唐使として『帝』の勅使を受け、公費で『唐』へと渡った『最澄』と、自費で志願して船に乗った『空海』 当然修行・勉強の仕方も見の入り方が違います。

 

 二年の年季が開け、迎えの船が来るとさっさと引き上げた『最澄』に対し、ハングリー精神で仏教を取得しようとした『空海』は更に『唐』に居残ります。

 

 日本に帰って来た『最澄』は『公費』をふんだんに使って『根本中堂』や『大講堂』『常行堂』などを建て、仏教を教える為の学校を造ります。

 

 この『大講堂』や『常行堂』で学んだ高僧が、後に『鎌倉仏教』と呼ばれる宗派『道元=曹洞宗』『栄西=臨済宗』『親鸞=浄土真宗』『日蓮=日蓮宗』などを開きます。(間違ってたらごめんなさい。詳しくは自分で調べてね)

 

 一方の『空海』 修行の末に『金剛密教』を習得し、帰国の直前、日本に向かって自分の持っていた『独鈷杵』を投げます。落ちた所に寺院を建て人々に仏教を伝授する場所を探す為だったそうです。帰国後も『独鈷杵』を探して全国を行脚、日本各地に数々の逸話を残しています。

 

 只唯一廻らなかったとされるのが『高知県・土佐清水』の『見残し海岸』です。

 

 『三本の松葉』が見られると『弘法松』とか、杖を地面に刺したら清水が噴き出たから『弘法の泉』だとか地名になっている処も多いですね。

 

 高野山・山中に自分の投げた『独鈷杵』を見つけ建てたお寺が『金剛峰寺』です。

 

 

 はぁ~。この千社札何とかしてくれ~! の『大師堂』です。

 

 見るも無残なこの姿を見て、なおも貼る?

 

 残念ながら『御堂』は閉ざされており、戸口の穴から中を覗くもうまく写真に撮れませんでしたので割愛します。

 

 『最澄』vs『空海』がこの地でも?なんて事では無く、『神仏混載』や『宗派混同』故の名残だと思われます。

 

 因みに『牛に引かれて善光寺詣り』の頃には『布引山・釈尊寺』は建立されていた筈で、わざわざ『長野』まで行かなくともねぇ。

 

 『善光寺』は唯一『定額山』の山号を使い、『無宗派』の寺院で在り本堂は『国宝指定』 御本尊『一光三尊阿弥陀如来』は日本最古とされており『秘仏』故に誰も見た事が在りません。

 

 地下に在り、水槽の上に渡された須弥壇に安置されているそうです。(誰も見た事無い筈?) 万が一火災が発生しても支えの柱が焼け落ち、御本尊は水の中に落ちて火災から難を逃れる事が出来るそうです。

 

 唯一『御戒壇巡』で須弥壇に通じるとされる通路の『鍵』を触れます。

 

 『福島原発』も万が一の時に水没するシステムにしてあったら………

 

 『100年に一度』とか『史上最大の』とかの言葉を使い、責任逃れしている様に聞こえるのは私だけ?

 

 今だ故郷を離れ避難生活をしている人もいれば、コロナ騒動の中でも普通にボーナスを貰い休暇を楽しむ人もいる。

 

 『オリンピック』を開催しながら『非常事態宣下発令』

 

 日本。どっかおかしい。

 

布引観音釈尊寺・本堂

 

 『布引観音』と云えば『懸造り』の舞台が象徴です。

 

 大きさは『清水寺』に及びませんが迫力は負けていません。

 

 只、舞台からの景観は………狭い谷間に立っている為、対岸が近いので壮観な景色とまでは云えないのが残念です。

 

 以前は観音堂の洞窟から外に出れる穴が在って、更に登って山の山頂の展望台に出る事が出来ました。

 

 そこからの眺めは『千曲川』越しに小諸城下町、浅間連山を一望できる雄大なものですが、現在大きく迂回して、稜線を行かなければたどり着けません。

 

 

 本堂前の石像はおそらく開祖の方だと思われます。

 

 こんな山の中ですがご住職家族在住のお寺です。

 

 現在は、山間を縫って細い生活道路が『氷』集落から続いていますけど、その前はこの参道を行き来したそうです。(それ云いっちゃえば『立石寺・奥之院』とか、夏場限定ながら富士山頂『浅間神社奥宮』にも常駐してますもんね)

 

 

 残念ながら本堂は閉ざされており『御本尊』は拝めませんでした。

 

 おそらく、声を掛ければ開けてくれるのでしょうけれど何か人の気配が感じられない。留守かな?

 

 

 それにしてもこれ『十六弁の菊』に『九芒星』が三つ。

 

 『比叡山延暦寺』の御紋と一緒です。

 

 『天台宗』の御紋で『三締章・さんたいしょう』と云うそうです。

 

 今度『天台宗』の寺院を訪れる時は探してみて下さい。

 

 ちょっとした生活の豆知識でした。

 

布引山・釈尊寺

 

 通称『布引観音』はこの『釈尊寺』の『観音堂』に鎮座まします。

 

 諺にある『牛に引かれて善光寺詣り』とは。

この辺りに住んでいた不信心だったお婆さんが洗濯をしていた処、何処からか一頭の牛が現れ、角に洗濯物を引っかけてしまいます。洗濯物取り戻そうと側らを掴んだお婆さん。そのまま引っ張られるように『善光寺』まで来てしまいまました。ところが『牛』はお釈迦様の化身で御堂の中へと姿を消します。

お婆さん。時分の不信心を恥じ入りその後は世の為人の為に尽くしたそうです。

 

 って『布引』~『善光寺』≒50kmです。いくら健脚な人でも一日の移動距離で考えれば相当無理の在る話です。

 

 ましてや歩くのが遅い『牛』ですから歩行速度は人間よりゆっくりです。

 

 仏様の化身ですから何が起きても不思議じゃ無いって事で。

 

 

 最後の石段を登り上げると石門が在ります。

 

 この先平坦ですからご安心を。

 

 

 岸壁が在り岩穴が在ればそこは修行の場、若しくは石仏などの奉納場所となっています。

 

 

 『釈尊寺』ですのでやはり『お釈迦様』がお出迎え。

 

 正式名称『ゴーダマ・シッダールタ』と云いましてナント『インド・シャーキャー族の王子様』です。

 

 『シャーキャー』=『釈迦』 中国伝来時、漢字に変換されそのまま日本に入って来ました。 

 

 因みに『お釈迦様』に『甘茶』をかける『花まつり』は『お釈迦様の誕生日』を祝う行事です。

 

 『4月8日』になったら近場の寺院でも尋ねてみて下さい。

 

 最近トンと見掛けなくなりましたけど。

 

釈尊寺・山門

 

 山号は確か『布引山』 そこに『釈尊寺』と来たもんだ。

 

 『釈尊』=『お釈迦様』=『仏陀』=『大日如来』……

 

 他所で『釈尊寺』を調べると、大阪枚方に存在するのみです。

 

 しかも町の名前にもなってるし。

 

 

 山門が見えて来ました。以前はこの山門を潜り、本堂への参道を行きましたが現在は老朽化と保護の為に通行止めです。

 

 

 通行出来ない様に竹竿が渡されています。

 

 なのに「なんじゃこりゃ⁉」

 

 

 本来なら美しい彫刻を愛でてほんわかした気持ちになるのに、怒りがこみあげてきてしまいます。

 

 情けない。落書きと変わらないじゃん。

 

 私は『千社札、絶対反対派』です。まぁ『御朱印』も貰いませんけど。

 

 江戸時代頃から、神社の目立たない場所に(ここ大事)自分の名前を墨書きした和紙を貼り付け、墨を写す(名前を残す)事が流行りました。

 

 その後『木版印刷』になり紙ごと糊付けするようになります。

 

 更に現在、強力接着剤付き『シールタイプ』が造られています。

 

 仮に墨を写しただけなら、いずれ風化し消えて目立たなくなります。

 

 紙が残れば『日焼け具合』も残りますし、糊や接着剤は確実に木を傷めます。

 

 『千の社』を巡る事を目標にした事から『千社札』と呼ぶようになったそうですが、只自分が此処に来ましたと自慢したいだけでしょうが‼

 

 今まで神社仏閣に千社札を平然と貼り付けてきた人、今度は浄化の為に訪れたら?お賽銭たっぷり用意して。

 

 まぁコロナ騒動が収まってからだけど。

 

 シールタイプの千社札を製造販売している業者もあるみたいです。

 

 法的整備しないとダメなのかな。

 

善光寺穴

 

 落ち葉に埋もれた参道を登り上げます。

 

 雪やらぬかるみに足を取られない様に慎重に。

 

 

 暫し立ち止まってあ~だこ~だと眺めてみましたが『牛?』が解りません。

 

 アルプスの『雪形』などもそうですが、立て札が在るなら輪郭図とか欲しいところです。

 

 こういうのって、一度確認出来ちゃえば確かにそれ以外には見えない。ってのが多いんですけど、ど~もしっくり来ない。

 

 余談ですが、『星座』を考えた人もどうやら非凡の才を持っているみたいですね。

 

 『北斗七星』=『ひしゃく座』でいいじゃん。

 

 どうしたら『大熊』に見えるんだろ?

 

 

 河岸段丘の谷間をジグザクに登って行きますと建築物が見えて来ます。

 

 

 『清水の舞台』とはその規模・高さの比になりませんが、クレーンとかの無い時代に、垂直の崖に建設しようと考える?

 

 斜めに黒い線が見えます。

 

 無粋な事に、参道沿いに電線が引かれており、電柱を建てる為のワイヤーが否応なく目に入ります。

 

 中部電力さん。どうにかならないもんですかね?

 

 

 ぶっちゃけて言っちゃえば、火山性の洞窟です。

 

 溶岩の冷え方次第ではかなり奥まで穴が続いているかもしれませんが、調査した処でどうなる? 昔の人の言い伝えで良いじゃありませんか。

 

布引山観世音

 

 新章スタート。2021/1の中旬です。

 

 初詣はいつもの『多福寺』(御本尊は寅年の守り本尊・虚空蔵菩薩です)と『ぴんころ地蔵』の『成田山薬師寺』でした。

 

 運動不足の解消を目的に『トレッキングもどき』の山歩きを月1・2回行っています。

 

 『登山』ほど本格的な山歩きは体力的(体格的?)に無理なので、30分も歩けば到着するような場所を選びます。

 

 で今回は『小諸・布引観音』

 

 数年に一度は訪れますけど、いつもは車で本堂裏の駐車場まで行っちゃいますので、たまには下から登り上げるか。(それでも歩いて30分)

 

 

 千曲川左岸の『こぶし街道』を布引下まで行くと広い駐車場が在ります。

 

 本堂までの間にトイレや水道など在りませんので済ませてからね。

 

 トイレは確か『冬季閉鎖』(凍結防止の為)だったかな。

 

 

 登り口は石段ですけど、少し登れば雪の残った泥濘に成ります。

 

 汚れても良いスニーカーか、長靴の方が良いかも。

 

 でも長靴は大きさが合わないと疲れるんだよね。

 

 

 流れの脇を登って行きますが冬は『氷瀑』になっています。

 

 九十九折にガード付の歩道を登ります。

 

 

 岩棚の窪みには数々のお地蔵様や石仏が納められています。

 

 新年を迎えるにあたって赤い毛糸の帽子を被せて貰った?

 

 雪の降った次の日。金銀財宝をお地蔵さまが運んでくるかもですよ。

 

川中島合戦

 

 『妻女山』から『海津城』の武田軍の動向を観察していた上杉軍。

 

 ある日、炊事の煙が何時もより多い事に気が付きます。

 

 それだけ余計に『ご飯』を炊くという事は、普段の食事の他に『握り飯』などの『兵糧食』を造っているに違いない。と予想した『上杉軍』その日の夜のうちに闇に紛れて『妻女山』を降り、『川中島・八幡原』へと移動します。

 

 一方武田軍。『武田軍参謀・山本勘助』提唱の『啄木鳥の戦法』で『妻女山』の裏山から別動隊が『奇襲攻撃』をかけ、慌てて『妻女山』を下って来るであろう『上杉軍』を『武田軍』本隊が待ち伏せして叩く。予定でした………。

 

 ところが別動隊が裏山から『奇襲攻撃』を仕掛けてもそこにいる筈の『上杉軍』はモヌケノ殻。まんまと作戦の裏を掛かれてしまいます。

 

 テスト勉強の『ヤマ勘』が当たった! などの『山勘』、『山本勘助』から来ているそうです。

 

 自分の考えた作戦が裏を掛かれ『孤軍奮闘』で『汚名挽回』しようとした『山本勘助』はこの戦いで戦死してしまいます。

 

 

 『川中島』を合戦場に選んだのは、千曲川河川敷で田圃が無かったからともされています。

 

 たとへ他人の田畑だったとしても、お百姓の苦労を分かち合う『足軽』は、作物を踏み荒らす事など出来なかったのかも知れません。

 

 上は『上越市埋蔵文化財センター』に展示されていた写真です。

 

 『毘沙門天』の『毘』を馬印にしている『黒い甲冑』が『上杉軍』です。

 

 『川中島公園』でも写真を撮った筈なんですけど何処に在るのか分からない?

 

 

 同じく展示されていた『三大刀七大刀の跡』の『軍配』です。

 

 陣幕の中、床几に座っていた『上杉謙信』目掛け、幕を蹴散らし馬上から切りつける『武田信玄』 

 

 刀を取る暇も無く、手にしていた『軍配』でこれを受ける『上杉謙信』。

 

 「ちょっと待った!」

 

 陣幕の中には『太刀持ち』も居れば帯刀した家来も居る筈。

 

 『信玄』にしてもこれだけの混戦状態の中を『一騎掛け』で敵本陣まで来る?いや来れる?

 

 結局は周囲が応戦した為、とどめを刺せずに自陣に引き返すんですけど。

 

 多数の戦死者が出たにも関わらず両軍一端引いてしまいます。

 

 そのまま暫くは対峙していましたが、収穫期の訪れと共に両軍とも深追いせずに引き上げます。

 

 『講談』が美化しすぎましたね。

 

 故に、太刀筋の残る『軍配』も………

 

 『軍配』近くにはこんな資料も。

 

 

 一、殺生を禁ずる。

 

 一、山林草木を切るを禁ずる。

 

 一、鉄砲を撃つことを禁ずる。

 

 右の事、『居多神社』で守らぬものは厳重に罰する。

 

  永禄三年五月    日下〇〇 (花押)

 

 本物の『花押・かおう』が残されていました。

 

 初めて見たかも。(偽造されても見抜けないと思うんだけど。)

 

 

謙信の観た景色

 

 『妻女山展望台』から善光寺平が見渡せます。

 

 

 遠く『北アルプス』の白壁や『黒姫山』などの北信五岳も、穏やかな初冬(この章は2020/12の事です)の陽射しの中に望めます。

 

 

 『謙信』になったつもりで『武田軍』の『海津城』を視てみますと。

 

 左側の高い建物は『松代〇イヤルホテル』です。

 

 『海津城』はチョット分かりづらいかな。

 

 『太平洋側』を『北条氏』『徳川氏』に抑えられ、活路を『日本海側』に向けた『武田信玄』、信濃の国を合戦の場に『川中島の戦い』は都合五回も起きました。その中でも有名なのが『第四次合戦』です。

 

 詩吟に謳われた『鞭声 粛々 夜 河を渡る~~』もこの『第四次合戦』を吟じています。

 

 現在、合戦場跡地は『川中島公園』となり、大型観光バスも立ち寄る観光名所になっています。

 

 なんで五回も戦ったのか? 決着がつかなかったからです。

 

 当時の一番下っ端の戦力は『足軽』で、普段百姓をしたりしていますが、『いざ合戦』の声が上がると徴兵されたり、傭兵としてお金で雇われたりします。

 

 そこで『手柄』を立てたりすると『褒美』が貰えたりしますが、一番死亡率の高かったのもこの『半農半兵』の『足軽』です。

 

 古今東西の合戦において一番死亡率の高かったのが『第四次川中島合戦』と云われています。

 

 何故決着が着くまで戦わなかったのか?

 

 『半農』故に『田畑』の作物には収穫期が在ります。

 

 年貢としても『米』などを納めなければならず、又『領主』にしても減収に繋がるような事は避けたい筈です。

 

 故に『収穫期』には領土に戻らねばならず、闘い途中でも撤収しました。

 

 『甲陽軍鑑』によりますと、1561年8月中旬『信玄討伐』を決意し『春日城』から出兵した『上杉軍』 武田軍は送り込んでいた諜報者(スパイ)によりいち早く動きを察知、『狼煙台』の情報リレーや『信玄棒道』により8月下旬には『海津城』に入城しています。

 

 現在は高速道路をトラックで移動すれば『甲府』~『松代』二時間半で到達出来ます。

 

 戦国時代の『足軽』は歩きが基本です。

 

 『騎馬隊』だけが早駆けで入城しても決戦にはなりません。

 

 武器・弾薬以外にも食料なども運ばなければなりませんので、行軍距離は一日30km位がせいぜいじゃ無いでしょうか。

 

 しかも雨が降ればぬかるんだ道や氾濫する川を渡るんですから容易なわけ在りません。

 

 『信玄棒道』は『甲府』~『須玉』を抜け、『奥蓼科』までの山中にその跡が覗えます。

 

 『中仙道』から『小諸』、東山道経由『真田領』へと東信地区を北上します。

 

 『妻女山』に陣を張った『上杉軍』を見て『茶臼山』から『海津城』に入城した『武田軍』いよいよ合戦秒読み段階。

 

 と。良い処で時間です。次回に続く。

 

妻女山

 

 『松代城』を後に、国道403号線を南下します。

 

 上信越道・松代SAを大きく迂回するように道がうねったその先に『妻女山展望台』の小さな案内が出ています。

 

 高速道路道路を潜り細い山道に差し掛かる辺りに

 

 

 案内看板を読んでみますと。

  

 

 『水鉢』は在ったんですけど水は流れていません。

 

 コンクリートで固められてるので『止水栓』なんか見つけたら興ざめです。

 

 湧き水は、兎に角一口飲んでみますけど、此処じゃ水が流れてないですから。

 

 細く曲がりくねった山道を登って行くと展望台が在りました。

 

 少し先に駐車場が在るみたいですので其方に停めまして。

 

 おっ、『鳥居』ですか。

 

 

 どんな神様ですかね?と鳥居を潜りまして。

 

 『招魂社』と在ります。

 

 聞きなれないなぁ。

 

 

 石碑の銘板に刻まれた文字

 

 『日清戦争』『日露戦争』『日中戦争』『大東亜戦争』『戊辰の役』や『満州・シベリア抑留』 戦争犠牲者の名前ですね。

 

 時代を超え、解る限りの犠牲者の名前を刻み追悼しています。

 

 亡くなられた方を慰霊する為の神社でした。

 

 境内から展望台へと続く道に『かがり火』が模して在りました。

  

松代城part4

 

 南側に構える『土塁』と、内堀に架かる橋の向こうに『櫓門』

 

 再現されている建築物はこの『櫓門』と北側入り口の『不通門・とおらずもん』だけです。

 

 本丸跡に建築物は無く、代わりに手摺の着いた展望台が造られています。

 

 にしても此の石垣、見事です。

 

 

 ではではお次。対する『上杉軍』が陣を張った『妻女山』へ行ってみますかね。

 

 

 詩吟『川中島』で謡われる『鞭声 粛々 夜 河を渡る~~』

 

 の一節で有名な『妻女山』 詳細は次回です。

 

松代城part3

 

 『廃城令』発令により、お城の堀は埋め立てられたり建物は破壊、若しくは火を着けられてしまいました。

 

 流石に堅牢な石垣をわざわざ取り壊すほどの労力とお金は使わなかったみたいです。

 

 『徳川家康』は滅ぼした『大阪城』を完全に埋め立て、その上に新たに『大阪城』を築城しましたけどね。

 

 現在ある『大阪城』は『徳川家』の建てたモノを復興しています。

 

 

 『天守閣跡』の石垣には『展望台』が設置され、四方を見渡すことが出来ます。

 

 展望台から観た『内堀』です。

 

 

 『方位図』は昔の絵師が書いた物でしょうか。

 

 筆使いの柔らかい絵が使われていました。

 

 

 因みに上の絵図と同じ北の方角の写真です。

 

 『戸隠連山』から『飯綱山』が覗えます。

 

 

 唯一『海津城』の痕跡がこの石碑に残されていました。

 

 武田軍の最北端にあたる『海津城』は、対『上杉軍』の最前線基地として常に北を監視していたそうです。

 

 『川中島の合戦』において『上杉軍』は南側の『妻女山』に陣取るんですけどね。

 

松代城part2

 

 某TV局『真田丸』のお陰もあって一時『真田ブーム』が起き、各地に因んだ名所案内の看板等が建てられ、その会場は綺麗に整理されました。

 

 ねっ。『松代城』とは在っても『海津城』とは記されていません。

 

 

 何時頃の絵図かは記されていませんでしたけど、千曲川の流れがお堀に隣接しています。

 

 因みにこの図、向かって左側が北に成ります。

 

 

 城内の井戸跡と櫓門。

 

 残念ながら『松代城』には主だった建物が残されていません。

 

 『廃城令』のバカ!

 

 

 明治政府の発令した『廃藩置県』と『廃城令』のお陰で、それまで在った『天守閣』を含め、主だった建築物は火を着けられてしまいました。

 

 反政府組織が武力行使の基点として使えない様にする為です。

 

 中にはお城そのものを『県庁舎』などに利用したり、個人所有とした為に破壊から逃れた天守閣なども存在します。

 

 日本に在る『国宝の城』が五つしか無いのはその為です。

 

 知ってます?『国宝五城』

 

 長野県にも在りますよ。

 

 

 数年前に起きた『熊本大地震』では甚大な被害が出ました。

 

 熊本のシンボル『熊本城』も被害に遭い、石垣の崩壊などが起きました。

 

 残念なのは『熊本城天守閣』などは戦後に再建されたもので『国宝指定』では無かったんです。

 

 『国宝』なら『国家予算』で補修できたのに………

 

 『熊本県税』と『寄付』のお陰で復興しつつありますけど。

 

 道路に『国道』や『県道』『市道』が在るのは、管轄管理者の違いと、補修工事などに必要なお金が何処から捻出するかの違いが在るからです。

 

 国道として認められるのは『国道〇号線』と『国道〇号線バイパス』の二本のみです。

 

 仮に今まで国道で在ったとしても新たな道路が出来ると『県』に払い下げられ『県道〇号線』となります。

 

 佐久市でみてみますと。市役所西側の道が最初の国道141号線でした。

 

 市役所東側に新たな道が出来ると「国道141号線バイパス』となりました。

 

 佐久平が中心地となると佐久平駅東を通る道が『国道141号線バイパス』になり、市役所東側が『国道141号線』に。市役所の西側は『県道138号線』になりました。

 

 『松代城』から話が逸れてる………次回ですね。

 

松代城跡

 

 『皆神山』の北側をフラフラ走って『東条』集落に入った時です。

 

 昔は主要道路であったろう交差点に『石仏群』が在りました。

 

 大抵は集落の入り口付近にある『庚申塚』や『馬頭観音』『お地蔵さん』等々ですが、その地区の『氏神様』なども祀られている場合が多いです。

 

 

 新しい注連縄が巻かれ、赤い南天の実が供えられていました。

 

 きっと地域の人から大切にされている証です。

 

 御供え物を放置するのもあまり感心できません。

 

 鳥や動物のエサになったり、朽ちてゴミ同然となっているのをよく見かけます。

 

 お供えしっぱなしにしないで、下げてきたらどうですかね。

 

 昔、婆チャンが生きていた頃、頂き物のお菓子とか初物(桃・もろこしなどのその年初めて採れた(貰った)物)は必ず一度仏壇にお供えしました。

 

 まっその後すぐに下げて食べちゃうんですけど。

 

 

 江戸時代、佐久地方を洪水が襲った『戌の満水』=8/1のお墓詣りの日が来ます。

 

 先日お墓の掃除をしてきましたが、お墓参りの時も『生花』をお供えしても片付けに行けないなら『造花』で良くない?

 

 御供え物も直ぐに下げて食べたり、飲んだり。

 

 カラスの糞害や小動物の害を招くなら対処も必要だと思います。

 

 お線香の火も風の強い日は消えるまで見守るとかね。

 

 東条の石仏群を見ながら何かほっこりした気分で次に向かいます。

 

 

 『信玄VS謙信』の川中島合戦。

 

 前哨戦として『妻女山』に陣を構えた『上杉謙信勢』と睨み合う『武田信玄勢』の陣を張った『海津城』。 

 

 恥ずかしながら一生懸命『海津城』を探してましたが見つかりませんでした。

 

 だって『松代城』と地図に在っても『海津城』の事だとは書いてなかったから。

 

 『松代城』(海津城)を見つけた時、目からウロコの心境でした。

 

のざわ・アンブレラスカイ

 

 『野沢商店街振興組合』の理事会で提案された『アンブレラスカイ』

 

 『成田山参道・のざわ山門市会場』を展示会場として何か『元気の元』みたいなモノを発信できないか?

 

 正直、『軽井沢・ハルニレテラス』や『小淵沢アウトレット』などでも行われているからどうだろ?と疑惑も在りましたが。

 

 会場にワイヤーを設置する為、鉄鋼会社『新海鉄工』さんに協力をお願いする所から始まりました。

 

 この会場は『市道』で在る為、宅配業者のトラックやゴミ回収のパッカードが通ります。

 

 その為展示物をぶら下げた状態で地上高4メートルにする必要があり、ワイヤーを張る作業も高所作業台の上。

 

 商店街理事員総出の作業となりました。

 

 

 YouTubeなどで『アンブレラスカイ』の造り方を研究した後、よっしゃー!やるっきゃ無い。と意気込んで作業開始。

 

 各商店主の代表が参加する『野沢商店街振興組合理事会』ですので優先はお店ですけど、ほぼ全員が炎天下の中で汗を流しました。

 

 

 このアングル。作業経験者しか撮れないでしょ。(今はドローンがあるけど)

 

 グラデーションで『虹』をイメージしました。

 

 雨が降っても良し。あがって虹が出ても良し。

 

 

 カンカン照りでも影が涼しげ。

 

 曇り空でも空はカラフル。

 

 でも期間限定です。お早めにご覧ください。

 

笠井の石幢と泉

 

 笠井集落に入ると『石幢』の案内が在りました。

 

 『石幢・せきとう』の詳細はgoogleに譲ります。

 

 長野県各地で色々な形の『石幢』が見られます。

 

 民家の脇を抜け、もしかもしたら個人所有?という様な場所に泉が在りました。

 

 

 たわしが置かれていたり、取水用の塩ビパイプなども見受けられます。

 

 かなり古い時代の『野面積み石垣』に『根』が絡んでいます。

 

 湧き水は取り敢えず飲んでみるんですが、個人所有だとすると許可を貰わないと。

 

 

 歩道を廻り込んだ此の石垣の上に『石幢』は在りました。

 

 

 ふむふむ。四面に『釈迦』『阿弥陀』『薬師如来』『弥勒菩薩』が在るんですか。

 

 一度で四倍拝めちゃう。

 

 でも英訳が『ストーン イメージ オフ ブッダ』でいいの、長野教育委員会さん?

 

 

 『奇妙山』を背景に立つ『石幢』

 

 手に『薬壺』を持っている『薬師如来』でしょうか。

 

続きを読む

竹原笹塚古墳

 

 某TV番組『ぶらり〇中下車の旅』ではありませんが『ふらりバイク一人旅』を気取っています。

 

 道路が細かろうが、行き止まりになろうが、オフロードバイクの機動力が有れば何処へでも入って行けます。

 

 実際は『けもの道』に入り込んでやっとの思いでアクセルターンなんて事もありますけど。

 

 『カーナビ』や『スマホ』に頼って走る訳じゃ無いですから、迷うことも在れば新しい発見に喜ぶことも多いです。

 

 『松代』~『皆神山』北側をバイクでトコトコ走っている時でした。

 

 

 こんなのを道路端で見つけたら即停車。

 

 因みにこの写真を撮った日時は2020/12初頭です。

 

 停まる度に、手袋・ヘルメットを外し、バックからカメラ・スマホを取り出す。

 

 終いにはめんどくさくなって『カメラ』いいや見るだけで。なんてね。

 

 

 入り口の案内を読んで『屋根型天井石室』という言葉に?

 

 実際見ればわかるかな。と歩き出しますけど、通路には通称『ひっつきむし』(正式には『センダン草』とか『ウツギ』とかです)がこれでもかって位にビッシリ! 服にくっついたら取り除くのが大変なアレです。

 

 なもんでグル~っと大きく迂回しまして。

 

 

 細い道が続いていますけど、行く手を阻む雑草の壁。

 

 

 普通の古墳は『石室』が盛り土で覆われ、その天井は平べったい石が乗っていますが、この古墳は周囲に石垣が見られ、更には天井部分は合掌造りになっています。そして盛り土の跡が無い?

 

 石室内も撮影したのですが何故か写真が無くなっています?何故⁇

 

 バイクに戻り、ひとしきり『ひっつきむし』との格闘の後出発です。

 

 

玉依姫神社part2

 

 松代の北側にある『尼厳山・奇妙山』は『山城跡』なども在り人気のハイキングコースです。(但し途中に水・トイレなど在りません)

 

 名前が『奇妙山』とか『皆神山』 なんか独特の雰囲気がありますね。

 

 『皆神山』の西部には、第二次世界大戦中、大本営を移設しようとした『舞鶴山』が在ります。

 

 地下壕を掘りぬく為に、多くの朝鮮人労働者が働きました。

 

 『国会議事堂』建設や『舞鶴山地下壕』で強制労働の挙句、亡くなられた方が大勢いたそうです。ご冥福を祈ります。

 

 今では硬い岩盤に彫られた長~いトンネルを利用して『地震計』でを設置し、地震予知に役立てています。

 

 『舞鶴山大本営地下壕』は一部公開ですがあまりに長いトンネルは照明が無く、入り口から垣間見るだけですけど。正直これを公開と云う?

 

 いかんいかん話がかなり脱線していますね。

 

 

 『玉依姫命』は『初代天皇・神武天皇』の母である事から『女性をお守りしてくれる神様』の代表格です。

 

 他に『花窟(はなのいわや)神社・三重県』は『イザナミノミコト』をお祀りしている日本最古の神社とされています。

 

 炎に包まれて生れ出た『カグツチノ命』を産んだために命を落としてしまった『イザナミノミコト』をお祀りすると共に『カグツチノ命』も祀られています。

 

 出産という大変な仕事を迎える女性をお守りしてくれます。

 

 

 お願いですから『千社札廃止』にしません?

 

 今回もグダグダな内容ですみません。

 

 

 朝。『のざわ山門市会場』にイベントの『アンブレラスカイ』を設置してきました。

 

 急に暑くなってきて、痛たたた~。足がつる~。指が突っ張る!

 

 熱中症になりかけですかね。皆さんも暑さ対策お忘れなく。

 

玉依姫命神社

 

 『たまよりひめのみことじんじゃ』と読みます。

 

 ここら辺説明すると長~~く成る為、ググってください。

 

 簡単に云うなら『初代天皇・神武天皇』のお母さんにあたります。

 

 で『神武天皇』のお祖父さんは『山幸彦』で名高い『火遠理命・ほおりのみこと』

 

 『玉依姫命』のお姉さんに『豊玉姫命』が居ます。

 

 『豊玉姫命』は天孫降臨した『邇邇芸命』の子供『火遠理命(山幸彦)』と結婚し『鵜葺草葺不合命・(うがやふきあえずのみこと)』が生まれます。

 

 成人した『葺草葺不合命』は『おばさん』にあたる『玉依姫命』と結婚しちゃうんです。(なんかグダグダ)

 

 で生まれたのが『初代天皇・神武天皇』。

 

 各地で観られる『紀元2600年の碑』は『神武天皇』が正式に『天皇』を名乗ってから2600年経ちました。おめでとう!と祝う記念碑です。

 

 ついでに『紀元2600年』 時代背景は『日清日露戦争』の勝利を引きずっていた昭和15年。

 

 祝賀ムードを利用した政策に、日本は『第二次世界大戦』へと向かってしまいました。(個人による感想です)

 

 

 『参道・一の鳥居』ですが『轍』があっても見て見ぬ振りするのが大人。

 

 時代劇で電線やガードレールを探して喜んじゃダメ!と一緒です。

 

 

 石段を登り拝殿へ。

 

 

 パソコンのフォントなど無い時代にこれだけ達筆に書けるんですから羨ましいです。

 

 下に行くにつれ若干詰まって見えるのは遠近法を考慮した匠の技です。(な訳無いでしょうけど)

 

 

 ネット検索では色々書かれています。

 

 でも『神武天皇の母(育ての母含む)』でいいじゃん。

 

 まだまだ続きます。

 

黒猫大明神

 

 好きです『松代』 長野県下でも特に好きな街です。

 

 『松代温泉』と云う正式な住所が在ります。でも不思議な事に温泉施設は見かけません。

 

 因みに『国民宿舎・松代壮』の在る辺りは『松代町東条』です。

 

 そんな一角に『黒猫大明神』が在ります。

 

 

 民家や廃業した温泉旅館の一角にこじんまりと佇んでいます。

 

 でも真鍮葺きの屋根や、擬宝珠の着いた欄干もありなかなかお金が掛かっています。

 

 よく見ると屋根の中心『唐破風』に『猫の顔』が見えません?

 

 いや『隠れ〇ッキー』とかじゃ無いです。

 

 

 こんな処にも千社札の被害が見受けられます。

 

 江戸時代なら『粋』とされたかも知れませんけど現代社会においては只の破壊行為です。

 

 しかも不法侵入にあたる筈。

 

 

 『黒猫大明神』詳しくはググるか上の写真をピッチアウトして拡大してください。

 

 『招き猫』の謂れは世田谷『豪徳寺』が有名ですが『黒猫』をお祀りしている神社は多分此処だけ。

 

 『黒猫』を忌み嫌う人もいるみたいですが実は『神様』なんです。

 

 アニメ『魔女の〇急便』でも『黒猫・ジジ』のお陰でパン屋さんは商売繁盛。

 

 うちも『クロネコヤマトの宅〇便』にはお世話になってます。

 

 通販がいっぱい売れますように!とお賽銭奮発です。

 

中條植志那神社

 

 愛宕社からバイクで1分!(歩いたほうが早い位)に鳥居が在りました。

 

 『中條植志那神社』と在ります。

 

 場所・詳細はグーグルマップなどで検索してください。

 

 

 通常『神社』に観られる『鰹木』『千木』なども在りません。

 

 『能舞台』のような造りになっています。

 

 

 その拝殿の天井に何か違和感を感じました。

 

 剥き出しの『梁組み』が見た事も無いような造りです。

 

 

 湾曲した太い梁を組み、かなりの重さにも耐えるように造られています。(って私、構造建築学とかズブの素人です)

 

 一息つきながらググってみますと、すぐ裏山に山城があり、収めていた豪族の『平尾氏』が平常時の屋敷として使っていた建物らしいです。

 

 『山城』や『砦』には普段から生活している訳でなく、『いざ合戦』となった時以外では普通の里に屋敷を持っていました。

 

 だって昇り降りや、生活用水が大変じゃ無いですか。

 

 拝殿で一礼した後『本殿』を見たいと脇を廻り込むのが常ですが、一部崩落してしまいやっとこさたどり着きました。

 

 

 鉄製の門扉は閉ざされたまま。

 

 取り敢えず参拝させていただきます。

 

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愛宕社part2

 

 『上信越道・長野松代IC』から東、松代の街を守るように山筋が迫ります。

 

 そんな西端部に石段が見えました。

 

 石段と観れば上ってみたくなるのが人情?というもの。

 

 登りますですよ!

 

 

 グーグルマップを起動すると、なんだ建物まで距離ないじゃん。

 

 何の気なしに登り始めました。

 

 持ち物。①カメラ②汗ふきタオル③飲みかけの麦茶

 

 石段は、高さと奥行きが足に合えばこれほど歩き易い登坂路は無い。でも少し高さ、長さが合わないだけで疲れるの何の。

 

 過去最高に疲れた石段は『身延山久遠寺・男坂』です。お近くをお通りの際は是非チャレンジを。

 

 

 石段を登り切った所に在るのが『一の鳥居』一礼して更に登ります。

 

 

 落ち葉が積もっていて滑りやすくは在るんですけど、ゴロ場の浮石なんぞの危険は無いのでまだマシです。

 

 

 こんな山中に『石灯篭』(割と新し目です)やら『野面積みの石垣』

 

 どうやら山城の一部だったみたいです。

 

 昔の人の足腰の強靭さには驚かされます。(いや単に私の運動不足)

 

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愛宕社

 

 須坂からの帰り道、別に急ぐ事も無いからと『松代』で道草です。

 

 国道403号線から『国民宿舎・松代荘』のある方へと脇道に入ります。

 

 ふとバックミラーに写った石段が気になり安全を確認してUターン。

 

 『六地蔵』他、色々な石像などが並んでいます。

 

 よくある『一ヶ所に集めちゃいました』感、丸出しですけど、案内書きには『愛宕社』と在ります。

 

 神社なのにお地蔵様?

 

 

 でふと見ると、石段脇に御堂が在りました。

 

 

 中を覗き込むとお地蔵さん在りました。

 

 『地蔵堂』なら寺院ですよね?

 

 

 『延命地蔵』とあり、祈願した人が収めたのか小さなお地蔵様が並んでいます。

 

 

 梁のウサギがかわいらしいですけど、じゃ『愛宕社』はやっぱり石段の上かぁ。

 

 登りますですよ。

 

湯島天満宮・part2

 

 北野美術館。門扉は閉ざされており『展示替えの為休館中』の案内が出てました。

 

 新型コロナ対策のこの時期、修理・修繕や改装などが目立ちます。

 

 休館なら仕方ない。 (内心、美術館は入館料がねェ)

 

 

 拝殿は小振りですが漆喰の白さが目立ちます。

 

 此処まで誰とも逢ってません。

 

 領布所なら『巫女さん』に逢えるっかな。

 

 

 特に何かを頂くとかも無いんですけど、誰も居ません。

 

 営業中?なのに

 

 インターホンを押して呼ぶシステムみたいです。

 

 まぁ特に用は無いからいいや。

 

湯島天満宮・信濃分社

 

 外せない用事が在り北信を訪れた帰り『北野天満宮』に立ち寄りました。

 

 新章スタートですが2020/12の事です。

 

 須坂市で用事を終わらせ佐久に帰るのに①上信越自動車道②国道18号線③松代から地蔵峠超え④菅平経由と四つの選択肢が在ります。

 

 高速道路は高いし急ぎ必要も無いから除外。

 

 カーナビでは④の菅平経由を推奨するが何時も通るのでたまには違う道が走りたい。

 

 国道403号線を選びました。松代から18号線に出るも良し。地蔵峠を越えるも良し。

 

 途中で見かけた白い鳥居にチョット寄り道です。

 

 

 『梅の神紋』は天神様。『天満宮』すなわち『菅原道真公』を祀る神社です。

 

 『右大臣職』まで昇り詰めましたが在らぬ嫌疑を掛けられ失職。九州。大宰府へ流刑と成ります。

 

 『東風吹かば 思い起こせよ 梅の香を 主なくとも 春を忘れず』と呼んだ学問の神様です。

 

 東京『湯島天神』の分社です。でもわざわざ『湯島』と名が付く辺り何かあるかも。 

 

 好奇心が頭をもたげてきますよね。

 

 

 広い駐車場に車が数台停まってましたけど端の方だから関係者の車でしょう。

 

 人が居ない境内にポツンと一人。門こそ開いていましたが神社の人も誰も居ませんでした。

 

 

 水垣の賽銭箱から先は一般者進入禁止。

 

 此処で参拝です。

 

 

 清潔感在り荘厳な中にも清楚な感じが素敵です。

 

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チョウゲンポウ

 

 『チョウゲンポウ』って聞いた事有ります?

 

 詳しくはGoogleに譲るとして(Yahoo!でも可)、ハヤブサ属ハヤブサ科の猛禽類です。

 

 ハヤブサより一回り小型で大き目の『ハト』程の大きさです。

 

 何度か目撃はしているんですけど撮影には望遠レンズが必要です。

 

 

 やって来たのは『千曲川』と『湯川』が落ち合う『枇杷島』です。

 

 『岩尾城跡』から見て『西』に張り出した場所で地籍は『鳴瀬』 地名からも川の流れる音が聞こえてきそうな場所です。

 

 この地には『ねば塾しらかば石鹸工房』なども在りますが知らない人多いかな。

 

 

 いつ見ても惚れ惚れする地層です。堆積層の隆起?

 

 この千曲川の蛇行が創り出した河岸段丘下の淵を『竜宮淵』と云います。

 

 子供の頃はもっと流れが在り、深い水深でしたが今では大分堆積しているみたいです。

 

 『鰻』や『鯉』が釣れる穴場で、ドジョウが爆釣した事がありました。

 

 今は歩いて渡れる?

 

 

 お~い! 佐久教育委員会さん。消えかかっているよ。

 

 佐久の各地で『佐久教育委員会』の名前を目にしますけどちゃんと活動してるのかね?

 

 因みに地区の『育成委員』に携わりましたけど、管轄は『教育委員会』 でもやる事全~部『育成委員会』まかせ。

 

 税金使ってんだからやる事やって貰わないとね。

 

 

 釣りに飽きたらこの崖よじ登って野生の『ウド』を採ったりしていました。

 

 崖の上には『相浜・金龍寺』が在り、『タケノコ』なんかも採ったかな。

 

 流石に今勝手に採取はマズいでしょ。

 

 この日も『チョウゲンポウ』は目撃できず、『ノスリ』を見つけたぐらいです。

 

 因みに『鷲』と『鷹』の違いって『大きさ』って知ってました?

 

 『クジラ』と『イルカ』の分類が3メートル以上を『クジラ』体長3メートル以下を『イルカ』と呼ぶのと同じらしいです。

 

 『スズキ』の『隼・GSX1300』は時々遭遇するのにね。

 

岩尾城跡part2

 

 参道を進み、拝殿へ向かいます。

 

 断崖の上に建てられた境内からは広く千曲川の河川敷が見渡せます。

 

 この河川敷こそ『佐久バルーンフェスティバル・メインか以上』です。

 

 云わば特等席なのですが昨今、樹木が育ちすぎてチョット眺望が無いかな。

 

 

 扉は閉ざされており、残念ながらアクリル板に反射して中の写真は撮れませんでした。

 

 社紋の提燈を掲げる屋根が在ったりして、簡素ながらしっかり造り込まれている感じが伝わってきます。

 

 

 拝殿裏の本丸跡には数社の摂社が並び(神社)、その手前には『西国・秩父・坂本』と在り三十三とか三十四の数字。霊場巡り(寺院)の事でしょうか。

 

 城跡と云う事は当然領主のお墓なども在ります。

 

 

 ふと散策していて気が付きました。

 

 『狛犬のしっぽ』ってこんなだったっけ?

 

岩尾城跡

 

 長野県は戦国時代以降も大大名が統治していた訳では在りません。

 

 国宝『松本城』を始め、国指定文化財の『海津城改め・松代城』 桜の名所『高遠城』 日本で二つしかない西洋式五稜郭の『龍岡城』などなど名だたる名城の他、『廃城令』により石垣ぐらいしか残されていない『砦』クラスのお城まで数えれば相当数が在ります。

 

 それも何でまたこんな急峻な山の中に?と首を傾げたくなるような場所だったりして。山道を歩いていたら突然人工的な石垣が在ったりするんですから。

 

 戦国時代。有無を言わさず略奪や殺人が行われていた時代です。

 

 平和な現在では考えもしませんけど、いきなり盗賊が現れ、強奪の為に人の命を何とも思わない。そんな時代に自分や家族を守る為には山の中に砦を造るしかなかったのでしょう。

 

 平時ならばゴールデンウイークになると開催される『バルーンフェスティバル』 そのメイン会場となる河川敷からみて北側に切り立った崖が在ります。

 

 この崖と千曲川が敵の侵入を防ぐ防御となるこの崖の上にもお城が在りました。

 

 

 野沢小学校の遠足コースで訪れた事があります。

 

 城跡には神社が建てられており『伊豆・箱根・三島 神社』と云います。

 

 

 神社格としては郷社の扱いですが、何故『伊豆・箱根・三島』?

 

 

 文字の書かれた石が在るけど触らない様にと遠足の案内に書かれていたと思います。お弁当を食べ、崖の傍らから誰が一番遠くに石を投げられるかの競争だったと思います。平べったい石を拾い上げたら、表面に墨書きの文字が書いてありました。なんて書いてあったか覚えて(読めなかった?)いませが、先生の処へ持って行った記憶が在ります。戦に勝てるように必勝祈願してあるとか言われたのかな。

 

 

 人っ子一人いない境内ですが、以前子供を連れて来た時、蜂がブンブン飛び交っていたのでそそくさと引き返した覚えが在ります。

 

 さてさて今回は。 以下次回です。

 

『三石勝五郎』

 

 前記『宝生寺砦跡』に『岸野の唄』を読んだ人。『三石勝五郎』先生。

 

 『昭和の良寛』と呼ばれ、托鉢行脚で各地を放浪したり、『筮竹(ぜいちく)占い』の名人と呼ばれていました。

 

 こーちゃん小四の出来事。

 

 小学校から帰って来たら顎鬚の白くて長い和服の爺さんがウチにいました。

 

 『大福もち』を食べながらお茶を飲んでいました。

 

 もじゃもじゃの口髭にくっつかないか心配で、じ~っと見ていた記憶が在ります。

 

 食べ終わると『筮竹占い』をしてくれました。

 

 何十本もの『竹ひご』(筮竹)を捌きながら何やらぶつぶつ呟いて、やおらその束を二つに分けます。その取り分けた数の偶数奇数を傍らに並べた『拍子木?』で表示して行きます。六回(回数不明)ほど同じことを繰り返し、偶数奇数の配列を造ります。その配列で占うのですが判断の仕方は『アンチョコ』が無いと不明です。

 

 占いの結果は『この子は大器晩成。好きな事を好きなようにやらせろ』だったと思います。

 

 その言葉を信じてかどうか、結構好き勝手やって来れた様な気がします。

 

 『成功を収めている』とは言い難いですが、まだまだ人生これからかも?

 

 『占い料』の名目で封筒を渡していましたけど幾ら入っていたなんてヤボは云いません。

 

 この方。大正二年に『早稲田大学英文科』を卒業し、『筮竹占い』を生業に托鉢しながら行脚。(僧侶ではありません)各地で『詩』を読み、戦後佐久に帰郷してなお『詩人』として名を残しています。

 

 後日、『三石勝五郎』と落款の押された色紙が送られてきました。

 

 

 ロケット展望台がランドマークになっている『臼田・稲荷山公園』の傍らにも『三石勝五郎』先生の石碑が建っています。

 

 

 佐久に『お宝〇定団』来ねぇかなあ。

 

法生寺砦跡

 

 佐久南I.Cを降りてすぐに『道の駅・ヘルシーテラス佐久南』が在ります。

 

 高速道路上に『S.A』『P.A』が造られない時、インターチェンジから降りて直ぐの一般道に建設されている休憩施設などの『道の駅』を『テラス』と呼んでいます。

 

 『東阪奈道』から降りて直ぐの『針テラス』などはライダー憧れの聖地。いつか行きたいですね。

 

 『上信越道・佐久小諸J.C』~『八千穂高原I.C』までの間にも『S.A/PA』が無い為に、法令上『道の駅ヘルシーテラス佐久南』が造られました。

 

 レストラン部門は『佐久パラダ』に於いて実績のある『樫山工業』と、販売部門においては地元産野菜を取り扱う『佐久浅間JA』が運営しています。

 

 玉屋商店も『道の駅・ヘルシーテラス佐久南』や『新幹線駅・佐久平』にお土産として商品の委託販売をお願いしています。(一応CMです)

 

 大型トラックの休憩施設としても利用されるほか、高速道路を降りて『白樺湖方面』に向かう車や、『八千穂高原』~『奥蓼科』を目指す車にとって格好の休憩・食事エリアになっています。

 

 此処だけの話。『八千穂高原I.C』を降りて『白駒の池』~『奥蓼科』方面に向かう車は此処でトイレなど済ませておかないと途中に『GSスタンド・コンビニ』などは無いですから………残念。

 

 車を道の駅に停めたまま、軽く体を動かしてみてはいかがですか?

 

 道の駅の北側に『宝生寺砦跡』の小高い丘が在ります。

 

 ほんの5・6分も在れば山頂ですけど、なんせ草刈などが間に合わないのか秋口は草ぼうぼうで進入困難です。

 

 佐久を代表する文化人『三石勝五郎』さんの詠んだ『岸野の唄』が立っています。

 

 

 その先から石段が在るのですが、秋にはご覧の有様。

 

 もし草むらに入るなら『ひっつきむし』(雑草の種子です)を服から取るのが大変!

 

 

 春先に登る事をお勧めします。

 

 花咲く頃の『法生寺砦跡』はそよ風吹き抜けて気持ち良い場所です。

 

 まぁ山頂には『砦跡』ですのでお墓などもありますけど。

 

2019・台風19号

 

 覚えていますか? 

 

 2019年10月6日深夜、関東に上陸した台風19号。

 

 「命を守る行動を取って下さい」とニュースで連呼していました。

 

 周囲を山で囲まれた長野県は、とりわけ西方向からの暴風雨を高い山並みが遮ってくれます。

 

 更に佐久地方は『蓼科連山』が盾になって大きな被害は過去一度しか出た事がありません。俗に云う寛保二年(1742年)『戌の満水』です。

 

 北半球では『コリオリのちから』によって左巻きの渦を造ります。 この時暴風雨が東から西に掛けて襲いました。

 

 伊豆半島に上陸した台風19号は関東平野を抜け、『甲武信ヶ岳』付近から長野県と群馬県境を北上するようなルートを辿りました。

 

 佐久地域の東端に降り注いだ想定量を遥かに超えた雨によって山肌は崩落し、斜面を掛け下り、倒木や下草・落ち葉を巻き込みながら谷間の河川に流れ込みました。

 

 普段、小川程度の流れでしかなかった幾筋もの河川が倒木などにより堰き止められやがて決壊、鉄砲水になって集落に架かる橋を破壊しました。

 

 のみならず堤防を乗り越えた大量の石によって広大な面積の田畑も跡形もなく流されました。

 

 更には車道に溢れた水によって数名の方が亡くなっています。

 

 長野市千曲川左岸では堤防が決壊し新幹線が水没する被害が出ています。

 

 この新幹線車両基地の手前に一本の標識が立っています。

 

 

 『北陸新幹線』の高架の脇に立つこの標識に高さは記されていませんけどこの柱、優に5メートルは在ります。

 

 明治以降何度も水没していたこの地は『赤沼』と呼ばれ水捌けの良くない地域だったそうです。

 

 だから宅地開発が進まず広大な敷地を必要とする『新幹線車両基地』が造れたのかも知れませんけど。

 

 現在、甚大な被害を被った『千曲川護岸』は急ピッチで復旧擁護工事が進んでいます。

 

 人間の命が脅かされる以上は対策を講じなければなりませんが、両岸をコンクリートで覆われた河川は見ていて痛々しい気がします。

 

 

 上の写真は『岩手県・平泉』の駅前に在った水位標識です。

 

 昭和22年。終戦直後の食糧難この時期、山間部の『平泉』を台風が遅い傍を流れる『北上川』が氾濫し甚大な被害が出ました。

 

 自然災害の怖さは身に染みている筈ですけど、時が経てば気が緩んでしまうのも事実です。

 

 貴方は災害に備えて対策をしていますか?

 

もみじ

 

 上越市で近頃人気の『紅葉スポット』が『国府もみじ園』です。

 

 国道8号線は上越の町並みの西の端に掛かると急に山間に入り込みます。

 

 その海側には広大な『五智公園』が広がり、キャンプ場なども備えています。

 

 反対側に在るのが『国府もみじ園』です。

 

 カーナビに『国府もみじ園』と入力するとすんなりヒット。

 

 『越後一之宮居多神社』からものの5分少々で住宅地に入り込みます。

 

 急な坂道の住宅地を登り詰めると誘導員が立っていました。

 

 車を停める様に指示された駐車場は明らかに人様の個人住宅の駐車場。

 

 点滅灯を振っていた方に『国府もみじ園』に来た事を告げると、駐車場が足りないから出勤した後の個人宅の駐車場を借り上げているとの事でした。

 

 さては有料か?と勘繰りましたが勿論無料!

 

 さらに話を伺いますと。

 

 『国府もみじ園』は、個人で所有している山が宅地開発されそこそこのお金が入ったので、住宅地になりそうもない山肌に『もみじ』(正確には『もみじ』と云う品種は在りません)を植樹し、人々の眼を楽しませたい。と思ったそうです。

 

 入場料・駐車場など全て無料。借り上げている駐車場や警備員代トイレの設置まで私費で賄っているそうです。

 

 

 11月下旬。日本海のすぐそばにこんなにも綺麗な紅葉が在ったとは驚きました。

 

 

 個人でこの広い山の手入れをするのは大変な尽力だと思われます。

 

 費用も馬鹿にならないだろうなぁ。

 

 

 新興住宅地として山の中腹まで民家が並んでいます。

 

 にしても『紅葉』って実に沢山の色合いが在るんですね。

 

 

 日本海ひすいラインの線路が見えます。

 

 山頂には展望台があつらえて在りました。

 

 観覧コースの最後に、この『もみじ園』のオーナーさん宅の庭を通ります。

 

 所有者の品の良い御祖母ちゃんがニコニコして挨拶してくれました。

 

 長生きしてくださいね。そしてより多くの人を楽しませてください。

 

五智国分寺

 

 越後国分寺は上越市の西のはずれに在ります。

 

 この辺り『上杉謙信』収める処の『春日山城』なども近く、『関川』の造り出した肥沃の地と相まって、お米=年貢の取れ高も相当なものだったのでしょう。

 

 『国府』が置かれ、人が集まったのも頷けます。

 

 江戸時代以前、最大人工都市は『新潟』=『越後』って知ってました?

 

 川より流れてくる『砂鉄』を利用して鍛冶産業が発達し、農工具からやがては戦国時代の刀剣へと造る物は変わりました。

 

 現在でもナイフ・包丁・食器などにその文化は伝承されています。そう『燕三条』は刃物造りの街です。

 

 

 『五智国分寺の三重塔』です。

 

 『三重塔』『五重塔』は『お経』を治める『納経塔』の事です。

 

 建築に莫大なお金が掛かる為、公的な支援を受けられなかったお寺などは『お経』収めるのに『納経堂』や『納経蔵』、若しくは『納経箱』に収めています。

 

 

 あらら。所在地は確定じゃ無かったのですね。

 

 しかも大切な文化遺産のいかに多くを火災で失っているのか。

 

 

 国分寺の割には小振りに感じますけど、安定感があり威風堂々としています。

 

 

 御堂の中はうす暗く、御本尊はハッキリ拝めませんでした。

 

 して、鰐口でも無いのに何故紐がぶら下がっている?

 

 『善光寺』の『御開帳』などは『前立本尊』と『回向柱』が紐で繋がれ、『回向柱』に触れる事で『前立本尊』に触れたのと同じ事になるとされています。

 

 『善光寺御本尊』は『秘仏』で公開されていません。

 

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国分寺

 

 聖武天皇の命を受け、全国各地に建てられたのが『国分寺』です。

 

 当時、行政機関の在った『国府』近在に建てられた場合が多かったようです。

 

 何故『聖武天皇』は『国分寺建設の詔』を発したか?

 

 『聖武天皇』の即位した後の西暦730年頃、日本各地では『大地震』『疫病流行』『大飢饉』と続けざまに大災害が発生し、人々の生活は脅かされていました。

 

 その頃の日本の首都は『奈良』に在り、朝廷は『苦しい時の神頼み』ではありませんが『仏教』に救いを求めました。(だって自分が『神』だから)

 

 『遣唐使』を中国に渡らせ仏教を学んだり、各地に荘厳な『寺院』を建設したり。

 

 でもお陰で一般庶民の暮らしは益々大変になっちゃうんですけどね。

 

 行政の考えは何時の時代も『一般庶民中心』には考えてくれないみたい………。

 

 映画『天平の甍・いらか』辺りに詳しく描かれています。『空海』も好きな映画でお勧めです。

 

 

 上越市市立水族館『うみがたり水族館』から僅か車で5分の場所にこんなに見所沢山!

 

 車は『越後一宮居多神社』の駐車場に停めたまま『五智国分寺』に移動します。

 

 

 駐車場から坂道を上って行くと『鳥居』が在りました。

 

 これは『居多神社』の『一の鳥居』の筈ですが違和感が。

 

 注連縄の位置、低すぎません? 歩くと人の胸位です。

 

 たまに見かけますがこの注連縄を潜る時、自然と頭を下げる様にする為だとか。

 

 こーちゃん、『鳥居』に限らず『随身門』から『総門』、仏閣でも『山門』『仁王門』を出入りする時必ずお辞儀します。

 

 『神社』では『太鼓橋』にも意味が有り、俗世間と聖域を隔てています。

 

 勿論橋の手前でも一礼します。

 

 

 『仁王門』で一礼して参拝させていただきます。

 

 『阿吽』を意味する仁王像。

 

 

 必ず向かって右が口を開いた『阿』 左が口を閉じて『吽』

 

 『阿吽の呼吸』の由来だそうです。

 

 巷では『水の呼吸』などが流行っている昨今ですけど。

 

越後国一之宮・居多神社

 

 『承元の法難』により京都を所払いになった『親鸞聖人』は『新潟・居多の浜』に漂着します。

 

 『居多』の地で七人の子供!を造りながらも布教に努めます。

 

 で『神社』?

 

 ホント良く解らないゾ。『神道』と『仏教』

 

 

 『越後国府』に流刑となった『親鸞聖人』は『居多浜』に上陸し、神社に参詣します。(まぁ宗教家と云えど人の子ですから)

 

 で取り敢えず『親鸞聖人』も参詣した『居多神社』の駐車場に車を滑り込ませます。

 

 

 神社名の彫られた石柱の脇には『片葉の葦』が確認出来ました。

 

 葦って普通互い違いに葉っぱが出るものだけど、此処に在った葦は片側だけ。

 

 『四つ葉のクローバー』的な後天性に起因するものなのかどうか?

 

 平日の午前中ですが、他にも参拝者がチラホラと見受けられます。

 

 石段を上り石畳の参道を進みます。

 

 

 反りの無い『神明鳥居』や『大社造り』の拝殿。

 

 『出雲大社』のの神楽殿にそっくりです。

 

 で不思議なのが

 

 

 片隅に立つ『親鸞聖人の銅像』 神社なのに?

 

 本殿では神道の参拝をしました。

 

 で銅像の前では合掌。 不思議な空間ですね。

 

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浄土真宗

 

 『玉屋商店』のルーツは『上越・高田』の杜氏にあり、以前『高田』まで先祖探しに出掛けた事があります。現在、戸籍法に残されていた地番は存在せず、お寺の過去帳を調べようとしました。 が、お寺の数多すぎ! 『寺町』なんてもんじゃ無く『お寺』の隣が『お寺』、又隣も『お寺』 恐るべし『上越・高田』

 

 

 でやって来たのが『親鸞聖人上陸の地』

 

 浄土真宗の開祖『親鸞聖人』ですが、別に海外からやって来たって訳じゃありませんから。

 

 まぁその辺はググって貰うとして。

 

 ♬ 京都から船に乗って 上越に着いた~ (長崎から船に乗ってパクってます)

 

 

 夏、海水浴客でにぎわうだろう砂浜から一段高台に石碑と展望台が在ります。

 

 そのすぐ近くに『親鸞聖人』を祀っている御堂『真見堂』が建っています。

 

 さすが『浄土真宗』を信仰する人が多いのか、地元の人が毎日掃除・献花・参拝に訪れています。

 

 たまたま参拝した時にも掃除中の方がいました。

 

 

 ご先祖が佐久に来てから改宗してますので今は宗派が違いますけど、合掌して『南無阿弥陀仏』と唱えます。

 

 『南無阿弥陀仏』=浄土真宗・浄土宗・真宗

 

 『南無大師遍照金剛』=真言宗

 

 『南無釈迦牟尼仏』=曹洞宗・臨済宗・天台宗

 

 『南無妙法蓮華経』=日蓮宗

 

 各宗派のお題目、チョットだけ知ったかぶりです。

 

人魚伝説

 

 昔から世界中の海に伝わる『人魚伝説』

 

 『コペンハーゲン・人魚姫像』(世界三大ガッカリのひとつだそうで………。)

 

 ディズニー『リトルマーメイド』も『人魚姫』ですしね。

 

 人魚のモデルとされ、沖縄・辺野古埋め立て地区に生息していた『ジュゴン』が何処かへ行ってしまったとの報道も在りました。

 

 日本海にも数々の『人魚伝説』が残されています。

 

 新章は新型コロナウイルスに翻弄される中、『Go To トラベル』を利用して『赤いロウソクと人魚』の民話の伝わる上越にやって来ました。

 

 

 2020/11 人の集まらなかった海水浴場は打ち上げられたゴミも残されたままです。

 

 カップルが夕陽を見ながら………。なんてのが似合う場所の筈ですが鉛色の空からポツポツと降り出してきています。

 

 

 青銅製の人魚像は何処か異国の顔立ちですかね。

 

 屋外彫刻や銅像で残念なのが鳥の糞害が目立つことですね。

 

 『アンデルセンの人魚姫』 『人魚の世界』に生まれ海の底で暮らしていた人魚が在る日海面へ出てみると、荒れる海で遭難しそうな人間の男性を目撃し助ける事に。男性に一目惚れした人魚は『魔女』に相談し、『声』と引き換えに『人間の脚』を手に入れる。人間として地上に現れた後がどうしても思い出さないのでググりました。結婚してハッピーエンドじゃ無かった。(気になる人はご自身で)

 

 『赤いロウソクと人魚』 生まれてくる人魚の子供を人間界で育てて貰いたいと思った人魚が、海岸に生まれたばかりの人魚を置いてくる(犯罪です) 蝋燭屋の老夫婦が見つけ自分の子供として育てる(犯罪です) 成長した人魚の描いた『赤い絵蝋燭』は飛ぶように売れ、大金を得た老夫婦は強欲になり『見世物』として売り飛ばしてしまう。人魚を乗せた船が沖に出る頃、一人の女性が赤い絵蝋燭を買いに店を訪れる。やがて高台に赤い絵蝋燭が灯されると海が荒れだし、人魚を乗せた船のみならず、多くの船は遭難してしまう。やがて蝋燭を買いに来る人も途絶え蝋燭屋も潰れてしまう。こちらもハッピーエンドじゃ無かった。

 

 

 『高橋留美子さん』の漫画の題材にも確か人魚の話が在ったような。

 

 人魚の肉を食べると『不老不死』になると云った内容だったとおもいますが。

 

 『ハリウッド映画』にも『スプラッシュ』とか在りましたよね。

 

 これだけ世界中に逸話が残されているんです。

 

 案外ホントにいたりして。でハッピーに暮らしていると良いですね。

 

妙義神社 まとめ。

 

 『鳥居』を潜って行くと『山門』が在り、『仁王門』を過ぎたら『随身門』が在る。

 

 罪な事です『神仏習合』 そして『神仏分離』を命じた『明治政府』

 

 『お寺』で『おみくじ』をひいても何も思わない人が多いし、『御朱印帖』も『神社仏閣』がゴッチャごちゃ。

 

 良いんです。出かけて行って非日常の中に、少しでも心身に良い『気』が触れれば。

 

 でも『妙義神社』は一度訪れてみて下さい。足腰元気なうちに。

 

 拝観料無料! って事は24時間営業で何時でも入場OKです。

 

 チョット有名所の神社仏閣などは、『拝観料徴収』と『時間制限』が在り、夜討ち朝駆けスタイルの旅行者には煩わしい場合が多々あります。特に『〇〇府』

 

 だって長野県下で拝観料取る『神社仏閣』って聞いた事無い!

 

 宗教法人は収益に対して無税の筈。(〇〇丸儲けで良いのかね?)

 

 『商売上手』って事で、逆に見習うべきかも知れませんけど。

 

 因みにお寺では『善光寺』『日蓮宗・久遠寺』『曹洞宗・永平寺』などの他、『諏訪大社』『出雲大社』『伏見稲荷』など神社も拝観料が在りません。

 

 保護保全の為の収入源としてなら仕方無いですけど、『最〇』を開祖とする『〇〇山・〇〇寺』は行くまでの有料道路代だけで幾らかかるの。

 

 他宗派のグチを云っても始まらないので此処までにしときますけど。

 

 

 案内図を見ても危険マークに近づか無い限り、春=桜、秋=紅葉。

 

 更には『ふれあいプラザ』で温泉も楽しめます。

 

 妙義・松井田インターから車で15分。お勧めです。

 

 

 新型コロナウイルスが落ち着いてきたら『疲弊仕切っている』観光地に出掛け、『土産物屋』や『観光産業』にお金を使うからね。

 

 それまでお互い頑張りましょう!

 

妙義神社? part8

 

 此の題にだけ?が付いています。タッチmissじゃ無いんです。

 

 前回『神社』なのに何故『山門』があるの?と書きました。

 

 『妙義神社』に到着後『鳥居』~『山門』~『随身門』~『拝殿』と長~い石段を登りました。

 

 『神社』は『鳥居』を潜り、『手水舎』で略式の『禊』をし、『随身門』を潜って『神域』に入り、『端垣』手前の賽銭箱に『賽銭』を納め『梁』からぶら下がる『鈴緒』を鳴らして『拝殿』にて『二礼・二拍手・一礼』の参拝をします。社務所などが在れば『御札・お守り・御朱印』を戴く事も出来ます。

 

 『寺院』は『山門』を潜り『太鼓橋』を渡り聖域に入ります。『手水舎』で『手・口』を清めた後『御本尊』の鎮座する『本堂』で『鰐口』を鳴らし、『賽銭箱』に『財浄』を納め、『合掌・礼』をします。『領布所』が在れば『御札・お守り・御朱印』を受けます。

 

 似て非なる物なんですけどね。本当は。

 

 

 実は『銅鳥居』を潜ってすぐの右手に『神殿造り』の『波己曽神社』が在りました。

 

 参道の前を歩く人達、皆さんこちらに向かった為、後回しにした神社です。

 

 

 黒い板壁が重厚感を醸します。

 

 後で調べると(ググっただけですけど)そもそも『妙義神社』と云う神社が建立される前から『波己曽神』を信仰する地盤であり、『山岳信仰』の『妙義』(これまた妙義山と呼ばれる山は在りません)と深く結びついたみたいです。

 

 ※詳しくは『ニッポン旅マガジン・妙義神社』をご覧ください。

 

 詳しく説明していたら、何時まで経っても2021/11の記事から進みませんので悪しからず。

 

 

 そしてこの『神社』には天井画が描かれていました。まるで寺院みたい。

 

 

 でもこの『波己曽神社』の境内で一番感心したのが

 

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妙義神社 part7

 

 折角上って来たんだからすぐ下るのも勿体ない。

 

 あれやこれやを散策してみます。

 

 

 『拝殿』の鎧戸の上には鮮やかな彩色が施されています。

 

 『龍』は金箔でしょうか。

 

 

 火災対策に『非常ベル』『避雷針』『スプリンクラー』は必須です。

 

 でもイザとなっても、中々直ぐには此処まで駆け付けられないです。

 

 やっぱり防火対策はしっかりね。タバコなんぞ以ての外です。

 

 

 下りは『女坂』を選びます。(だって膝が………。)

 

 色々な景色を発見したいからなるべく別の道を通ります。

 

 

 こんな所に『優しさ』を感じます。

 

 参道わきの『切り株』ですけど、滑り止めの為の切り込みが施されています。

 

 表面が濡れた『切り株』ってよく滑るんです。

  

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妙義神社 part6

 

 石段を最上段まで上り詰めると『楼門』です。

 

 天井画に描かれているのが『八方睨みの龍』

 

 

 そして『妙義神社・拝殿』到着です。

 

 

 残念ながら扉は閉ざされており、その中を伺うことは出来ません。

 

 参拝を済ませ建物に施されている『彫金・彫刻』を拝見です。

 

 『東照宮』程の煌びやかさは在りません。丁度良い具合かな。

 

 

 鳳凰の羽の細部や鎧戸の緻密な細工。

 

 「チョットmissっちゃったけど黙ってような。」みたいな事有りますよねきっと。

 

 

 水垣の格子から覗いた本殿の様子です。

 

 背面に小さな屋根が見えます。

 

 『天狗社』だそうで、天狗のお面が祀られていました。

 

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妙義神社 part5

 

 石段を一気に上ったら息切れしまして、ごまかす為にも眺望を楽しんでるふり。

 

 沢山の風鈴がぶら下げてあったでしょ。南部鉄製のが。

 

 一個だけでも涼やかな音を響かせますが、沢山ぶら下がっていると風の強弱にもよりますが『虫の音』そのもの。

 

 

 涼風に身体の火照りを冷まし、虫の音(風鈴ですが)に心を澄ます。

 

 さて本殿までもうひと踏ん張り。(いやもうひと登り)

 

 

 以前問われたことが在ります。「どうして人が写って無いの?」

 

 基本的には混雑する時間帯を外しますけど、大抵は人の途切れるタイミングを待ちます。

 

 或いは造り出します。(要は他人と一緒の行動を避けるだけですけど。)

 

 この『門』と云い、先ほどの『随身門』と云い、『透明のアクリル板』で覆われています。

 

 神社仏閣の貴重な財産に、油を掛けたり落書きしたりの悪戯する事件が後を絶えません。

 

 いや悪戯じゃ済まされません。破壊行為です。

 

 防護策の為には致し方ないのかな。

 

 

 小さな山村の名も無いような『神社仏閣』に施された彫刻にも、目を見張る様な素晴らしい物が在ります。

 

 土地の権力者の寄進による物なのか、行政の見栄なのか解りませんけど。

 

 『貧しき者は心から少額の寄付をするが、裕福なる者は見栄や満足から多額の寄付をする』 だったかの『諺』(聖書?)がよぎります。

 

 佐久市には『旧中込小学校』=『通称・太鼓楼』と呼ばれる学校が保存されています。

 

 明治9年開校の『松本・旧開智小学校』は長野県下10番目の国宝に指定されました。

 

 『旧中込小学校』は官制では無く、地元のお百姓さんらが寄付金を募り、私立として建てられた学校です。

 

 残念ながら『旧開智小学校』より一年早く開校していますが『重要文化財』止まりです。 

 

 セメント代わりの漆喰や西洋建築を模してはいますがどことなく日本建築が感じられます。

 

 地元に建てられた『神社仏閣』の為に心のこもった寄進をし、やがては積もり積もって立派な彫刻の施された内外装になる。 

 

 先の『貧しき者………』じゃありませんけど『貧者の一灯』こそが『宝』と呼ぶべき物なんじゃない?

 

 いや、『ユネ〇コ』とか『IOC』とかに当て擦りしている訳じゃ無いんですけどね。

 

 (あ~ぁ。今日も文脈メチャクチャだ)

 

妙義神社 part4

 

 何故山に登る?と聞かれて「そこに山が在るから」と答えた人がいます。

 

 何故石段を上る?と聞かれたら「何か有るんじゃない?」とでも答えます。

 

 だって長~い石段とか、理由付けが無きゃ登らないじゃん。

 

 

 『太鼓橋』から先は聖域です。通常は俗世間との境となります。

 

 その先に延びる石段。(おおぜいの人が写り込みそうなのでフレミング)

 

 流石建立『宣化二年=西暦537年』って『蘇我馬子』の時代ですよ。

 

 

 良いね良いね。この石段。

 

 1500年物ですもの、歪みも出ますって。

 

 そして神社ですもの『随身門』が見えた来ました。

 

 

 『随身』とは警護に赴く大臣職の事で、『左大臣(階級は上)』と『右大臣』

 

 ♬ 少しお酒を召されたか 赤いお顔の右大臣 と『うれしいひな祭り』に歌われていますけど、職務中に飲酒なんて絶対に有り得ない筈。

 

 国会中にスマホを見ていたり、本を読んでいる位の大問題ですよ。

 

 北〇鮮なら公開処刑も有り得るかもの話です。

 

 邪悪なモノがはいり込まない様に睨みを利かせています。

 

 

 景色を眺めるふりして息を整えないと。ゼ~ハ~ゼ~ハ~。

 

 『湯ば~ば』でしたっけ。「邪悪なモノが入り込んだね」

 

 『顔無し』が入り込んだのを敏感に察知してました。

 

 『気』を感じるのでしょうか。

 

 ハッキリとは解りませんけど、何となく心地よくなる場所=パワースポットは確実に存在します。

 

 『妙義神社』のこの景色、パワーを感じません?

 

妙義神社 part3

 

 良くある案内図ですがナント石に刻まれています。

 

 

 この図で見ると、一番下の石段を登ったばかり。

 

 いやその先に続く細く長い石段は何?

 

 

 神社なのに『金剛力士像』の『仁王門』を潜りまして。

 

 

 かなり厳めしい『銅灯篭』が待ち構えています。

 

 この『灯篭』よく見ると

 

 

 通貨単位が『両』です。

 

 先程の石板に『銅鳥居=寛文八年』と在ります。

 

 寛文は西暦1661~1673年。 『家綱』が四代将軍となり、『浜離宮』が造園されました。そしてなんと数年後には『松坂屋』が開業します。

 

 金三両を寄贈した『南蛇井村 相川愛之助さん』貴方の名前は後世まで残っていますよ。

 

 以前訪れた『延暦寺・根本中堂』でも『銅葺き屋根』の葺き替えを募っていました。

 

 一枚¥30000で後世まで名前が残せると在りましたが、屋根の上じゃ確認できないじゃん。

 

 考えたけどパスしました。(正直持ち合わせが苦しかったのは否定しません)

 

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妙義神社 part2

 

 なだらかな坂道の上に山門が見えて来ます。

 

 

 参道は舗装されていますが左右の『野面積みの石垣』は建立当時のままでしょう。 

 

 仁王門に扁額があります。

 

 ん? 私が訪れようとしているのは『神社』ですよね?

 

 『神社』は神様をお祀りする『御社』です。

 

 『鳥居』により俗世間と聖域を区切り、『随身門』で邪気の侵入を防ぎます。

 

 普通『水垣』で囲まれた『神域』には一般人は入れませんので、その手前の『参拝殿』若しくは『参拝所』にて礼拝します。

 

 で『仁王門』 神仏混載の名残で『寺院』が在った事を示しています。

 

 故に『山号』が記されているのが普通です。

 

 

 『高野院』と書かれているのでしょうか。

 

 仁王門の間から鳥居が見えています。

 

 『お寺』なの『神社』なの⁈ でも国道沿いの『一の鳥居』に『妙義神社』と在りました。

 

 後で解ったのですが、『神仏混載』の盛んな時期にこの場所には、神社を管理する寺院として(別当と云うそうです)『上野寛永寺』の流れを汲む『白雲山・石塔寺』が在りました。詳しくは『妙義神社・総門』で検索してください。

 

 明治政府により『神仏分離』や『廃仏毀釈』令が発せられると『石塔寺』は廃寺となります。

 

 しかし折角の『総門』や『三重塔』を壊すまでは忍びない。

 

 であやふやな線引きのまま現在に至ります。

 

 『神社』なのに『仁王門』が在ったり(妙技神社)、『三重塔』が在ったり(新海三社神社)

 

 逆に『寺院』なのに鳥居が在り神様を祀っていたり(『豊川稲荷』は『曹洞宗・妙厳寺』です)

 

 あやふや故に『手水舎』や『狛犬』なんぞは共通していますし、『おみくじ・(御神籤と書きます)』が寺院に在ったり、『御朱印』なんぞもブームですよね。

 

 まさかとは思いますが『御朱印帖』は『神社』と『仏閣』を分けていますよね?

 

 ウチは勿論一緒です。

 

 そもそも『御朱印』とは、『納経』の証に寺院から頂くもの。

 

 いつしか商売上手な経営者に乗せられて当たり前に貰っていませんか?

 

 私はコンプリートする気は更々無く、気の向いたときだけ頂きます。

 

 『妙義神社』も貰ってなかったなぁ。

 

 

 『天必興正義』

 

 

 『神必感至誠』

 

 正しい行いをしていれば、必ず神様に届きますよ。(個人的解釈です)

 

 表面の風化してゴツゴツした岩肌を靴底に感じながら石段を登ります。

 

THE 『妙義神社』

 

 大げさに 『THE』なんて定冠詞を付けていますけど、大げさじゃ無いんです。

 

 健脚なうちに訪れて下さい。

 

 『一の鳥居』から坂道を歩き、何段の石段を登る事やら。(その後の調べで156段ですと)

 

 下段程横幅が広くつくられており遠近法も相まってかなりの高度差を感じます。

 

 こればっかりは自分の目で確かめて下さい。

 

 

 道の駅の駐車場、若しくは道向かいの広場に駐車出来ます。

 

 トイレ・自販機などが在るから道の駅が便利かな。

 

 境内にトイレ・水道は在りますけど、禁煙・飲食不可が多いですから済ませておいてください。

 

 

 県道脇に『一の鳥居』が建っています。

 

 その内側には土産物屋や軽食店などが並びます。

 

 この石畳の参道、実は車で走れます。

 

 車止めの下に私設有料駐車場があってそちらの利用も可能です。

 

 でも混雑時、歩いてる人から白い目で見られそう。

 

 

 いよいよ石段の始まりです。

 

 帯を締めなおして(実際はウエストバックのベルトを締めなおして)いざスタート。

 

 

 参道入り口脇の『枝垂桜』の古木が圧巻です。

 

 春の桜の頃、再訪希望です。

 

ふるさと美術館とふるさとプラザ

 

 『中之嶽神社』は『下仁田』に在ります。

 

 群馬県道196号線を走っていて、ガードレールなどの道路設備がなんか良くなったと思ったら『富岡市』に入っていました。

 

 行政の力の入れ具合(お金とは言ってませんので)が解ります。

 

 

 妙義山は何処から観ても絵になる。

 

 とやって来たのは『ふるさと美術館』

 

 特に立ち寄る予定も無かったけど駐車場にバイクを停め、写真を数枚撮る。

 

 

 えっ!知らなんだ。『妙義山』と云う山は無いのね。

 

 ホント『山』って不思議ですね。

 

 『山』を『やま』と読んだり『さん』と読んだり。

 

 他にも『岳』『嶽』『峰』『塔』色んな呼び方をします。

 

 誰が命名したやら? 古より呼ばれていたから?

 

 更に北海道では『アイヌ語』(アイヌ文字は無いらしいです)が地名になっていたり、沖縄では『琉球文化』が残っていたり。

 

 地方ではその土地の方言が関与していたりと不思議がいっぱい。

 

 某国営放送局の『日本人のお〇前』などでは感心する事しきりです。

 

 小海町・稲子から登る『にゅう』(山の名前です)はてっきり『乳』から来ていると思ってましたが違いました。

 

 収穫後の稲束を円錐状に積み上げて乾燥させますが、その稲束の積み上げた物を『にゅう』と呼ぶそうです。

 

 落語の『にゅう』でも無かった。

 

 話が脱線しまくってますけど何時もの事です。ついて来てね。

 

 

 

 隣接する『ふるさとプラザ』は展望の利く立ち寄り入浴施設です。

 

 紅葉を見ながら露天風呂なんて最高ですね。

 

 この後歩いて汗かきそうなので今は入らないですけど。

 

パラグライダー

 

 膝がカックンカックンしながらも階段を下りまして。

 

 先ずは一安心。

 

 自販機でスポーツドリンクを買いまして水分補給です。

 

 

 『妙義山・裏妙義山』はてっきり『深田久弥・日本百名山』に入っていると思ってたんですが実は『日本二百名山』でした。

 

 まっ興味無い人にはどうでも良い事なんですけどね。

 

 『グレート・〇ラバース』の『田〇陽希』さんにして「怖~ぇ」の声がでてましたから。

 

 『裏妙義』登る前に『戸隠山・剣の戸渡り』登っとけと云われましたけど『戸隠』すら難しいです。0.1tのわが身では。

 

 

 無事駐車場まで戻りまして、次に目指すは『妙義神社』

 

 ワインディングを楽しんでいると

 

 

 圧倒的なその山容を見せつけてきます。

 

 でも登らないよ。(ホントは登れないんですけどね)

 

 

 えっ?パラグライダー出来るの?

 

 実は若かりし頃、『伊豆大島』で『体験グライダー』に挑戦しました。

 

 インストラクターの前にぶら下がってるだけでしたけど『空中散歩』を味わえました。

 

 

 普通『パラグライダー場』と云えば、近くに上昇気流の起こりやすい高低差のある山肌と、ランディングポイントは広くて障害物の無い所、かつ車などで回収し易いなどと色々な制限が在ります。

 

 更には届け出なども必要で、限られた場所でしかできない筈。

 

 こんな場所でも飛べるんですね。

 

 話を聞こうと思いましたが定休日なのか風の関係なのか、誰も居ませんでした。

 

 興味ある人は電話してみて下さい。

 

 

石門

 

 ついつい勢いで『轟岩』まで登っちゃいましたけど、参拝だけのつもりだったからカメラだけしか持たず、『飲食物』はおろか『リュック』(昭和生まれはこう云います)も無し。

 

 バイクで紅葉を見に来ている11月初頭の事ですので、『ジャンパー』『オーバーパンツ』他『トレーナー』やら『フリース』まで着込んでる始末です。

 

 バイクを降りる時、『ジャンパー』と『オーバーパンツ』だけは脱ぎましたけど、登る途中で汗びっしょり。

 

 又この道を戻るだろうと踏んで『フリース』を脱いで木に掛けました。

 

 頂上で涼風に吹かれて汗が引きました。 さて下るか。

 

 実は体重≒100㌔のこーちゃん。下りが大変なんです。

 

 只でさえ柔道で膝を壊しているのに、急な下りは膝がカックンガックンします。

 

 でも登ったからには下らなきゃ。フリースも回収しないとね。

 

 

 『裏妙義』のこの岩場稜線をよじ登って縦走するんですから信じらんない!

 

 以前誘われた事有りますけど丁重にお断りいたしました。

 

 なんやかんやで『中之嶽神社』まで戻ってきました。

 

 折角此処まで来てるんだから『石門』までは行きたいじゃん。

 

 

 『石門』目指して歩き易い遊歩道を歩いていると。

 

 

 ナニナニ。石門付近、落石・崩落の為『通行禁止』

 

 やったね! いやいや『残念』 通行禁止なら仕方ない、引き返しますです。

 

 

 あとチョットですが大人の英断で引き返します。

 

轟岩

 

 世田谷区の住人だった事があります。

 

 最寄り駅が『等々力』でした。

 

 車×3でも『轟・とどろき』です。

 

 

 『中之嶽神社』で参拝を済ませ、境内の案内に

 

 『轟岩 200m』と在ります。

 

 200mなら歩いて数分も掛からない筈。まっ行ってみますか。

 

 

 断崖の絶壁に窪みが在り、『石の祠』や、鳥居・水垣で囲われた社まで

造られています。

 

 案内の方角に向かって踏み跡は続いているんですが、行けども行けども次の案内が無い。

 

 もうかなり歩いているぞ。

 

 

 倒木の先に岩肌が見えています。

 

 でも案内書きも何もない………。

 

 う~ん、直線距離なら200㍍位かも………。

 

 取り敢えず踏み跡をたどって山を登って行くと。

 

 『轟岩』頂上(3D)まで1時間以上かかって到着。

 

 

 

 ロープが張られていたり、赤丸が在ったりの登山道を登る事30分。

 

 『轟岩』と思しき岩の頂上に出ました。

 

 眼下に駐車場が見え、人がいるのが確認できます。

 

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中之嶽神社

 

 『甲子大國神社』鳥居の前で気が付いていたんです。本当は。

 

 でもあまりの急峻さに、取り敢えず見なかった事にして『甲子大國神社』の参拝を済ませまして。

 

 

 天上の『八方睨みの龍』を見ていたらやる気と元気が湧いてきました。

 

 よし。登るか!

 

 

 朱塗りの鳥居の『中之嶽神社』はこの石段の先。

 

 途中で立ち止まっている人が小さく見えます。

 

 

 登り口にある『お不動様』の見守る『力水』いやいや『手水所』でお清めしまして、イザ。 (何て書いてますけど実際はゼ~ハ~ゼ~ハ~休みながらです)

 

 

 石段の踊り場には中々ユニークな狛犬が向き合っています。

 

 この石段を担ぎ上げた人(達)がいるんですから凄いですね。

 

 でも不思議に思ったのは『水道管?』が何故こんな場所に?

 

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甲子大國神社

 

 賽銭箱の脇提燈には『甲子大國神社』と書かれています。

 

 『中之嶽神社』『大國神社』『甲子大國神社』果たして正解はどれでしょう?