鏑川

 

 『神津牧場』北側付近の山中に端を発する『鏑川』は、『八風山』や『芹の湯』を流れる沢の水と合流し、そこそこの水量となって流れます。

 

 『芹の湯』の集落から暫く走ると、道路右手に『石碑・石像』の類がズラリと並んでいました。

 

 

 『石垣』をモルタルで固めてあるので、道路整備の折なんぞに各所に点在していた『石像・石仏・石碑』の類を一所に集めて『お祀り・参拝』し易くしました。だと思われます。

 

 だって『道教』(中国大陸伝来)の『庚申』や『仏教』の『地蔵菩薩』『馬頭観音』がズラリと立ち並んでいます。

 

 

 その奥にある建物と同じ様な石積ですので関係あるのかな。

 

 風呂上がりの火照った体に心地よい寒さですけど、余り長居すると風邪ひきそう。

 

 なので、両手を合わせるに留めてて置きます。

 

 

 更に南下する事数分。

 

 鳥の形の案内看板が立っています。『夫婦岩』

 

 

 まん丸い大き目な岩が二つ、寄り添い合って大岩の上に乗っています。

 

 大岩は何だろう? 地質学はホントに疎いもんで………『チャート?』『安山岩?』

 

 溶岩が地中深くでゆっくり固まった、滑らかで硬い岩石です。

 

 その上に並ぶ『二つの丸石』とは明らかに『石質』が異なります。

 

 『丸石』は植物が根を張れる隙間・泥が在る事を意味していますよね。

 

 『砂岩』とか『礫岩』の類でしょうか。(地質学は難しい)

 

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芹の湯

 

 『和美峠』から南下してクネクネの山道を下ります。

 

 集落が見えてくると『八千代温泉・芹の湯』と書かれた看板が立っています。

 

 今回のもう一つの目的地が此処です。

 

 以前訪れたのが、かれこれ40年近く前です。

 

 かなり人里離れた山中の『一軒宿』のイメージでしたが、道も舗装路となり建物も綺麗に建て直されていました。

 

 

 石垣が当時のまま残されているみたいですけど、何か雰囲気がガラリと変わった様な?

 

 まさか入り口に『電光看板』が取り付けてあるとは………

 

 ま、此処まで来たんだから入ってみましょう。

 

 

 駐車場から雪解けに『泥濘んだ』泥道を歩いて来ると、柱に鎖が絡まって身動き取れなくなった『犬』が、助けてくれと云わんばかりの鼻声で鳴いています。

 

 首輪を掴んで絡まった鎖を解いてあげると脱兎のごとく泥の中を走り回り、泥足で飛び掛かって来ました。やられたぜ。シャツにもズボンにも犬の足跡………

 

 着替え在るから良いけれどさ。(実はこの犬、知能犯かも)

 

 入ると食堂の奥から女将さんが出てきて『入浴料¥500』です。

 

 建物は10数年前に改築されたそうです。

 

 湯舟は以前と変わっていないそうですが、ナント2019年の台風19号が窓枠ごと壁を破壊。現在は『薄暗い照明』が一つだけ点いています。秘湯感満載なんですけど『壁』がモロ『サイディングボード剥き出し』ってのが戴けない。

 

 窓から差し込む外明かりで見るお湯は薄っすら『緑色』をしていて、当時銭湯では必ず入れていた『バス〇リン』でも入っているの?と思ったんですけど、今の薄暗さは『秘湯・洞窟風呂』みたいなもんです。(サイディングボードを見なければ)

 

 浅めの『湯舟』は真ん中で仕切られており、一つは『源泉かけ流し』のまま。もう一つは加温されています。

 

 源泉のままだとチョットぬるめに感じます。お好みでどうぞ。

 

 特筆すべきは『メチャクチャしょっぱい!』

 

 湯舟のお湯で顔を洗うと、目が滲みます。(目をつぶっているのに)

 

 試しに嘗めてみたら『海水』並みにしょっぱい。

 

 温泉成分表を確認すれば塩分濃度とか書かれている筈ですけど。

 

 こんな山中でこれ程の塩分濃度の温泉が湧き出ているんですから、一体地下何メートルから汲み上げているんでしょうか。

 

 塩分濃度の濃い事で有名な温泉なら佐久市にも在りました(過去形)

 

 ある時を境に塩分濃度が薄くなり、仕方ないから『塩・塩化ナトリウム』を大量にぶち込んじゃった! って事が公になり何時しか客足が離れ倒産。武士の情けで名前は伏せますけど。

 

 上高地にほど近い有名温泉でも似たような事在りましたよね。

 

 塩分濃度の高い温泉でビックリしたのは『能登・輪島温泉・足湯湯楽里館』前に湧き出していた温泉です。

 

 地元の人がポリタンクに汲んでいったのを見て、両手にすくって一口飲んだら『しょっぱい』どころか『痛い』位の塩分濃度でした。

 

 後で聞いたら『水で薄めて』野菜を茹でるのに使うとか。

 

 その後暫く『舌』が馬鹿になり、折角の輪島の海産物が楽しめなかった。(試食ですけど)

 

 もう一つ。『日本一まずい温泉』は私の知る限り『新潟・月岡温泉』に在ります。

 

 『源泉の杜』と銘打たれた公園の一角に滾々と湧きだす温泉が在り、柄杓が供え付けられていました。口元に運ぶとキツイ臭いが鼻を突きます。それでも一口。

 

 『不味い。もう一杯』と強面俳優『八〇信夫』さんが飲み干す『青汁』は美味しいです。『源泉の杜』の温泉は呑み込めない位不味い。

 

 でもペットボトルに詰めて帰りました。(車に在った空のペットボトル500ml×2本)

 

 翌日、家の風呂に入れたらしっかり温泉です。

 

 そうか『芹の湯』のお湯をペットボトルに汲んで来れば良かったのか。

 

 ※泉質によっては飲用不可の場合が在りますので要確認です。

 

達磨

 

 毎年、年頭行事として『少林山・達磨寺』まで『縁起ダルマ』を求めに行きます。

 

 正式名称を『黄檗(おうばく)宗・少林山・達磨寺』と云い、『中国』に伝わる宗派です。まぁ『達磨大師』=『達磨さん』は誰でもが知る処では在りますが。

 

 此方は数年前まで参道にびっしりと『縁起達磨』や『焼きそば』等を売る『露天商』の屋台が建ち並び、狭い通路に人が『犇(ひし)めく』ていて、とてもじゃ無いけどすんなりと参拝できませんでした。

 

 在る年、『取り仕切る立場』で『不正行為』をしていたらしい疑惑が勃発、『お寺』側と『露天商組合』の間で協議が行われましたが決裂。『露天商側』は『高崎駅前』にて大々的に『高崎だるま市』を開催する運びとなりました。

 

 今では物凄い数の人出で賑わう一大イベントに成長しています。

 

 一方、『達磨寺』で頒布された『達磨』には『少林山・達磨寺』と書かれた『札』が貼られており、『達磨・開眼供養』をしてくれます。

 

 『商売繁盛』と書かれた『達磨』は人気が在り、お手頃サイズは売り切れてしまう事も在ります。

 

 でこの日も、『お陰様で商売が何とかなりました』と昨年の達磨に目を入れ、朝早くから『高崎・少林山』までやって来ました。

 

 昨年の達磨より『ひとまわり大きいサイズ』にしなさいという人がいますが、去年並みの商売が出来れば良いと考えてますので毎年同じサイズです。(でも年々お値段が上がっている…)

 

 昨年の達磨を『お納め所』に収めて、本堂で参拝し、新たに達磨を求めて『開眼供養』して戴く。

 

 『イベント』と分かれてくれたお陰で、実にスムーズに事が運びます。

 

 えっ。写真? 毎年の事だからカメラすら持って行かなかったです。(一杯グーグルマップに掲載しています。)

 

 『達磨寺』からの帰路を考えた時、①高速道路はあんまり意味無し。 ②来た道を戻る。あんまり面白くない。 ③国道18号バイパス経由。で選んだのが『国道18号旧道』

 

 ワインディングを楽しむぜぃ。

 

 軽井沢で軽く食事をして更に考えた。『温泉寄って行こっかな』

 

 軽井沢周辺には結構温泉が在ります。でも正月休みの期間で結構混んでいそう。(それにお高いし)

 

 で選んだのが『美和峠』から『下仁田』を目指す『姫街道』です。

 

 交通量の少ないこの道で唯一すれ違ったのが『宅急便』の配送車一台だけ。

 

 

 グーグルマップで『姫街道』を見ると『女傑の滝』

 

 でも水が流れていないんですけど………

 

 確か以前は『案内看板』をが在ったと思ったのですが。

 

 原因は2019年の台風被害でしょうか。

 

 今から50年も前、学生運動に端を発した『連合赤軍』が、真冬の凍てつく夜半、この付近の山中を歩いて軽井沢の別荘地に辿り着きました。

 

 『不法所持』した銃で武装し、人質を取って保養所を占拠、立て籠りました。

 

 『連合赤軍・あさま山荘事件』です。

 

 警察側に死者数名を出す大事件の陰で、仲間を『リンチ殺人』していた事が明るみになりその狂暴・凶悪さが世の中を震撼とさせました。

 

 当時、人々はテレビの前に釘付けになり、夕方入った銭湯は、私以外に他に誰も居なかった事を思い出します。

 

 江戸時代、関所を通過できないであろう人が危険を冒して通った山道『裏街道』が在りますが、昭和になっても『アウトロー』が山中を彷徨っていたんですね。

 

 

 

 暫く走ると『温泉』がの案内が出ていました。

 

 次の目的地ですが次回まで持ち越しです。

 

 

楽山園

 

 『織田信長』の次男が築庭した『楽山園』は美しい『庭園』であると同時に『城塞』としても機能していました。

 

 『大門』を潜ると『石垣』と『土塁』で視界が遮られ、奥に進むと通路の脇には『槍長屋』や『井戸』が在ります。

 

 敵が侵入してきても、先ず『槍長屋』に住む足軽クラスが迎え撃つ仕組みです。

 

 まぁ『楽山園』に至るまでの街並みが『武家屋敷』を通らなければ近づけない様に成ってはいますけど。

 

 

 庭の片隅に『餅搗き』を模した『モニュメント』が置かれており、武具を身に着けたままの足軽が『餅搗き』をしています。『臼』に書かれている『天下一の力餅』はやはり『天下人』を目指していた?

 

 餅を搗く時でも、有事に備えた万全な備えです。(実際は江戸時代になり、安泰期の筈。)

 

 

 『大きな池』や『築山』を備えた庭園は残念ながら冬枯れの芝です。

 

 でも『緋毛氈』を敷かれた縁台が如何にもです。

 

 

 他に誰も居ない庭園を独り占めして日向ぼっこを決め込み、暫くボ~っとしてました。

 

 池の表面は氷で覆われています。幾ら『群馬県』とはいえ新年初冬の『からっ風』は身に沁みます。

 

 風邪ひかないように気を付けなきゃ。

 

 さて。そろそろ『達磨寺』へ向かいますか。

 

甘楽町・小幡

 

 『甘楽町・こんにゃくパーク』で小腹を満たし(しかもタダ!)、そのまま南下して『小幡』を散策する事にしました。

 

 オフロード・バイクで走る『御荷鉾スーパー林道』が人気で、何度か『小幡』を通過してはいるんですけど歩くのは初めて。

 

 風情のある街を今回散策してみました。

 

 

 現在の国道254号線はこの辺りでは『下仁田街道』と呼ばれ、内山峠を越えて『長野県佐久』地方へと繋がる重要な街道でした。

 

 『藤岡市・高山』に在った養蚕技術を学ぶ為の学校『高山社』を始め、『世界遺産・富岡製糸工場』や『世界遺産・荒船風穴』など養蚕業が盛んな地域だったのでしょう。その技術を学びに、遠く『沖縄』などからも留学していたと文献に在りました。(高山社のパンフだったかな)

 

 『こんにゃくパーク』から続く道をそのまま南下すると、『用水』と『桜並木』の在る街並みに出ます。

 

 この用水が実に良い。石畳の県道197号線と漆喰壁。さぞや桜が映えるだろうなぁ。

 

 そして駐車場の案内に従い滑り込んだ『中小路駐車場』は無料!

 

 用も無いですけど併設の『公衆トイレ』の個室を覗いてみます。きちんと掃除が行き届き、『トイレットペーパー』が予備を含めて補充されています。

 

 昔、とある専門学校で『店舗経営』を学んだ時、『トイレを観なさい』と言われました。いかに気持ちよくお客さんに使って頂けるか、店側の対応が一番よく解る場所だそうです。

 

 そしてそれは、知らないエリアに引っ越す時など、地域住民の『モラル』のバロメーターにもなるそうです。

 

 東京都は意外と公園が多く、『公衆トイレ』を備えている場所が大半です。

 

 しかしその『トイレ』が『落書きだらけ』や、『ゴミの放置』が在ったり、『トイレットペーパー』が何時も無い!なんて処は地域住民に『素行の宜しくない輩』が多いかも。

 

 尤も『ボランティア』がどんなに清掃活動しても、たった一人のお陰でメチャクチャにされてしまう場合も在りそうですけど。

 

 この『小幡』は絶対に清らかな住人が住んでいます。

 

 

 『武家屋敷・中小路』の『石垣』は建築された当時の道路幅でしょうから何故にこれ程広い?現在は車が通る部分だけ舗装されています。

 

 正面に見える建物は『旧小中学校?』だったのでしょうか、体育館まで蔵造りの体をしています。

 

 

 『楽山園』と書かれた幟と、『歴代領主名』と『松平家』を示す『九曜』の家紋。

 

 『築庭』は『織田信長』の次男『織田信雄』です。『庭』と云っても河岸段丘沿いに造られ、『石垣』や『土塁』で囲まれた立派な要塞です。

 

 その後平和な時代が訪れると『大名庭園』として『御三家・松平家』が治めました。

 

 

 良い時代ですよね。誰でもこの庭園を散策できるんですから(お金さえ払えば)

 

 正月4日のこの日、受付で料金を払うと、「今年最初のお客様です」と云われました。

 

 さてさて『大門』を潜り散策開始。 次回です。

 

こんにゃくパーク

 

 『群馬県観光大使・中山〇征』さんのTVCM(長野でも放送されました)でもお馴染みの『富岡・こんにゃくパーク』を訪れたのは2022/1/初頭です。

 

 毎年『高崎・少林山・達磨寺』まで『商売繁盛』の縁起ダルマを求めに行きます。

 

 今年も『内山峠』を越えて群馬県道10号線経由でと思ったのですが、時間調整を兼ねて『こんにゃくパーク』へ寄る事にしました。

 

 

 以前立ち寄った時は周辺道路が大渋滞。駐車場に車を停めるまで車列にならんで30分は待たされました。

 

 新型コロナ騒動の中、駐車場はガラガラで(10:30頃?)大型バスが一台も停まっていなかったのには驚き。(正月4日でした)

 

 それでも寒空の中、『ガードマンさん』が分厚いジャンパーを着て誘導していました。

 

 

 此処の施設は、屋外に『自動遊具』『足湯』『神社』など。更に屋内に『工場見学』『売店』『試食コーナー』と盛りだくさんです。しかも売店以外は全~部『タダ!』

 

 そりゃ観光バスが立ち寄る訳だ。

 

 先ずは『運玉神社』に参拝です。 ウチの屋号が『玉屋』ですので『運』が良さそうです。

 

 足湯は流石に『からっ風』の群馬県、冬は誰も居ません。それでもお湯が流れていました。

 

 

 入り口で検温・手指消毒・来場者カードなどの手続きを終え、通常なら30分程の工場見学の後『試食コーナー』へと誘導されるのですが、工場自体が正月休みで休止。お陰で見学コースをショートカット出来ました。

 

 許可を取らない商業施設でのカメラ撮影はマナー違反になりますので問題を起こさない様に電源を切ります。

 

 『バイキング・トレー』を取り、『こんにゃくの炒め物』『刺身こんにゃく』『こんにゃくのみそ田楽』『こんにゃくラーメン』更には『こんにゃくゼリー』などのデザートまで食べ放題! これを『試食』と言わないだろう。

 

 壁面のTVからは『某タレント』がしきりに『美味い!』と連呼していますが、まぁ『こんにゃくの味』です。

 

 家族連れのテーブルでは何枚ものトレーが重ねられていましたけど、ダイエットじゃ無いんだから、こんにゃくでお腹いっぱいにしてもねぇ。

 

 やっぱり『こんにゃくのみそ田楽』が一番好きかな。

 

 売店で『ゆず味噌』と『群馬県産・イチゴ(銘柄忘れた)』をお土産買って、さて達磨寺目指しますか。

 

 あっ。肝心な『こんにゃく』買ってない………。

 

取出・百番観音

 

 『仏様の教え』=『仏教』では、悟りを得て『仏』となった『釈迦』もやがては命尽きます。しかしその死後『56億7000万年』後に生き返えり人々を救うとされています。

 

 その『仏』の居ない長い期間を『仏の化身』や『修行中の弟子』(その修行段階・位に於いて『如来』『菩薩』『観音』『明王』『天』などと呼ばれます。観世音菩薩は……?)が様々な形で人間界に携わり守ってくれるとされています。

 

 某国産カメラメーカーの創始者も『観音様』の崇拝者であり、社名に取り入れたのは有名な話ですね。(家のカメラは〇ujifilm、プリンターは〇PSONでした。)

 

 『長野県境・地蔵峠』には、『新張』~『嬬恋』までの間『百体の石像』が一町(≒108㍍)毎に建っています。

 

 『佐久市取出・百番観音』には御堂の中に『木像百体観音』が鎮座しています。

 

 

 昨夜振った雪の上には、もう誰かの足跡が残されていました。

 

 

 夏には境内で夏祭りが行われ、縁日や子供会などのバザーも行われます。

 

 夏祭りの前には各家々の前に、名前の書かれた『真っ赤な幟旗』が立ち並びます。

 

 そういえば昔、バザーに協力したなぁ。

 

 

 昨今の常で引き戸は施錠されています。

 

 向かいの『牧野肥料店』さんが鍵を管理しているらしく、お店が忙しくなければ拝観できると書かれていました。まぁ覗くだけなら格子の隙間から見えますけど。

 

 夏祭りの期間は確か解放されていました。(今年は夏祭りに来なけりゃ)

 

 

 オートで撮影したら、手前の格子にピントが合っちゃいました。(でもモニターじゃ気が付かなかった。)

 

 ねっ、素敵でしょ。じゃ夏祭りで………。

 

専立寺part2

 

 本堂にて御本尊に参拝していると、背後に人の気配が………殺気!な訳無いですけど。

 

 ご住職が年始回りをするのか『法衣』に着替えて立っていました。

 

 「あけましておめでとうございます。」と新年の挨拶を交わしました。(2022/1/4の出来事です)

 

 実はこの方、大学時代ボクシングでブイブイ云わせていた人です。

 

 仏門に入るには『修行僧」とし『宗派の寺院』で数年修行を積む場合と、『仏教系大学』(又は専門学校)で専修し、資格収得する必要が在ります。

 

 『駒〇大学』卒業の友人は、毎朝のお勤めが辛かったと言っていました。

 

 『辛い事』=『修行』と考える事が出来るからこそ『宗教系大学』は厳しい練習・体力強化に耐え、成績を残せるのかも。(個人的感想です)

 

 

 広い駐車場の一角に大きなプレハブが建っています。

 

 施錠され中は伺えませんでしたけど

 

 

 『四角いジャングル=リング』を備えた本格的な『ボクシングジム』=『BUNGYM』です。

 

 何となく「立て! 立つんだ。ジョ~!」の声が聞こえてきそう。

 

 正月の昼間から流石に練習していませんでしたけど。

 

 

 時代でしょうか『疫病退散如来』が『密教』の『手印』を結んでいました。

 

 永年の歴史の中で『伝染病』と『人類』の闘いでは、必ず『人間』が勝利してきました。『新型コロナウイルス』にも必ず克服する日が来ます。それまでのガマンです。

 

 でももう一つの恐怖『核ミサイル』のボタン………。

 

 『ロシア・〇ーチン』だけでなく『北朝鮮・〇正恩』もおかしな行動を取っているし。

 

 映画『バイオ・ハザード』と『新・猿の惑星』が現実になりません様に。

 

専立寺

 

 取出に住んでいた頃、子供を『東田公園』に連れて行き遊ばせました。

 

 直ぐ近くに在った『専立寺』さん。実は参拝した事無かったです。

 

 だって『ご住職』さん。バリバリの格闘系経験者と伺ってましたから。

 

 

 バス通りから見える『石門』を知ってはいましたけど、何か入りずらい様な………。

 

 門から先は普通に民家の通用路になっています。

 

 寺院の駐車場は此方には在りません。ぐるりと廻り込んで『東田公園』側に大きな駐車場が在ります。

 

 

 正式名称『真言宗・長栄山・専立寺』 『弘法大使・空海』の宗派です。

 

 実は我が家は『ぴんころ地蔵』のある『成田山・薬師寺』の檀家です。

 

 元々のルーツは『上越・高田』出身の『杜氏』ですが、『酒造り』に信州に来て、そのまま居ついてしまいました。『上越』は『親鸞聖人』縁の地であり、『浄土真宗』の信者が圧倒的なのですが、信州に来て『改宗』したみたいです。

 

 『佐久』の地は『踊念仏』をで有名な『一遍上人』の縁の地で『浄土宗』or『時宗』(『浄土宗』を母体に『一遍上人』が造った宗派)も多いみたいです。

 

 自分の家の『宗派』知っています? お葬式の時に『お坊さん』呼ぶのに知らないと困りますよ。

 

 先代の葬儀の時、『成田山・薬師寺』さんに御願いしました。其の時に脇について頂いたのが『専立寺』さんの御住職です。

 

 長い『読経』の時に息継ぎで途切れるのを防ぐ為、同じ宗派のお坊さんに援助を頼むそうです。(予算の関係も在るみたいですけど)

 

 

 山門を潜り、左に曲がると本堂です。

 

 正月の『注連縄飾り』が下がっています。

 

 

 お~っ。本堂の入り口をガードする『仁王像』 腹筋がバッキバキ。

 

 そもそも『仁王門』で通行する者に睨みを利かせる『金剛力士』は『寺』専属の用心棒的役割でしたが、時には統制の取れない『無法者集団』に身をやつした者もいました。

 

 比叡山に住み、京都の町を荒らし廻った『僧兵』と呼ばれた山賊集団。

 

 『源義経』に『京都・五条大橋』の上で敗れた『武蔵坊弁慶』も『僧兵』の一人。

 

 その後、主君の『源義経』を助け『義経の兄・源頼朝』と命を懸けた壮絶な兄弟喧嘩を繰り返します。ついには『奥州平泉・中尊寺』で絶命してしまいますがその最後が凄い。刀折れ、矢尽きてなお闘い立ったまま絶命たという逸話が残されています。

 

 『少林寺拳法』などと『寺院』の名前が付いていますが、元々中國拳法は『自衛』の為に僧侶が修行して身に付けた武術です。(大好き!『少林寺三十六房』)

 

 昔、『ブルースリー・燃えよドラゴン』の『ヌンチャク』に憧れ、真似して頭を強打したのは私だけではあるまい。(ホントに目から火花が出ます!)

 

 この『金剛力士像』は『悪しきもの』が本堂に入り込まない様に身構えています。

 

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西方寺

 

 『安土部神社』を後にすぐ近くの『西方寺』さんを訪ねます。

 

 『浄土宗・跡部山・西方寺』 

 

 『踊念仏』と云えば知ってる人は知っている筈(当たり前か)

 

 長野県と『一遍上人』の繋がりは割と深く、『保福寺峠・一遍水』とか『一遍上人開祖寺・金台寺』とか在ります。

 

 正式には『時宗・じしゅう』の開祖であり、その教えは音曲と共に『南無阿弥陀仏』と唱えながら踊る『踊念仏』に在ります。

 

 『浄土宗』との概念の『南無阿弥陀仏』と唱えれば、誰でも『極楽浄土』とに行けるという教え+音曲と共に楽しくて踊りだしてしまう=『トランス状態?』

 

 『一遍上人』は『伊予・道後』の有力者の一族に生まれましたが幼くして出家。『浄土宗』の仏門に学びます。

 

 西暦1221年『北条家』VS『後鳥羽上皇』の『承久(じょうきゅう)の乱』が起き、『後鳥羽上皇』について参戦した一族は敗戦、親族は『信濃国・伴野領』に流刑になります。

『上人』となった『一遍』はその親族を訪ね、『踊念仏』を広めたとされます。

 

 明日をも知れぬ『蟄居』の身の親族に対し『鐘太鼓』で賑やかに踊り、念仏を唱える事で荒んだ心を癒したのが始まりとされています(個人的感想です。参照ウイキペディア)

 

 その『踊念仏』を現在に継承しているのが『西方寺』さんです。

 

 

 時代の変化と共に道がどんどん新しく造られます。昔、人々が歩いて往来していた道は旧道となり、地元の人が生活道路として行き来するのみ。この集落の中を大型路線バスが走っていたんですけどね。

 

 

 『寺紋』は『五七の桐』と『永楽通宝』 『織田信長』が好んで使った紋だそうです。

 

 本堂の『板引き戸』は閉ざされていました。残念。

 

 大屋根から解け落ちた水滴が、庭の樹に素敵な造形を造り出していました。

 

 

 あまり広くない境内は物の数分で散策終了。

 

 駐車場へと戻る道路脇の川の流れの中。

 

 

 『梅花藻・バイカモ』が揺れていました。

 

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安土倍神社

 

 やっとブログ内容が2022年に突入です。でも4ヶ月のタイムブランクかぁ。

 

 毎年の初詣は地区の氏神『諏訪神社』と山門市等でお世話になっている『成田山・薬師寺』さんです。他に商売繁盛を祈願して『群馬県・少林山・達磨寺』なで達磨を買いに行きます。

 

 

 正月の店休日、あまりに天気が良く、浅間山が綺麗だったのでカメラを持ってブラブラと。

 

 

 こちらが『安土倍神社』鳥居です。

 

 地籍は『跡部』ですが、昔は此方の文字を使ったのかな。

 

 小学生の頃、近くに同級生が住んでいましたので良く遊んだ場所です。

 

 

 『御神燈』に刻まれた文字は『安永』 江戸時代には此処に神社が在った事に成ります。

 

 鳥居や拝殿の建物は時間の経過と共に修復されていますけど、石塔や石碑は永久に残りますからね。

 

 

 拝殿は施錠され(昨今は致し方ない)辛うじて賽銭口から覗き込みましたが、光量不足で撮影できませんでした。

 

 この賽銭口もガラスが引き戸式開閉できるように工夫されています。

 

 開けたら閉める。此れ当たり前。じゃないと虫とか鳥とか進入しますからね。

 

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種月院

 

 正式名称『曹洞宗・象田山・種月院』 でも入り口が分かりづらくてひと苦労でした。

 

 『旧中込小学校』から目と鼻の先に思えたので、歩いて直ぐかなと思ったんですけど、東側からは入り口が見つからず………犬が吠えまくるんで不審者に思われたかな。

 

 結局西側の通りまでぐるりと一周してしまいました。

 

 

 先ずは本堂にて参拝。南に向いてガラス窓が大きく造られており明るい印象です。

 

 『道元』を祖とする『曹洞宗』は厳しい戒律と修行で知られています。

 

 お陰で『曹洞宗』のお寺は庭にゴミ一つ落ちていない事が多いです。(ま、たまには例外が在るのも良いんでないかい)

 

 

 施錠されていましたが硝子から御本尊を拝みます。

 

 こざっぱりしていて潔し。畳が日焼けしちゃうのが難点かな。

 

 

 何となく聞こえてきません?

 

 ♬ い~っきゅう~さ~ん。 ハ~イ! 一休みひとやすみ。

 

旧中込小学校part2

 

 テラス下の正面玄関から中に入ります。

 

 普通に昇降口になっていて、『目隙板』があり、左手は教師・来賓客用の下駄箱。右手奥の部屋は生徒用の『下駄箱』(時代が変わっても『靴箱』とは云わないなぁ)が並んでいます。

 

 

 廊下正面にはナント『ステンドグラス』が嵌め込まれており、当時の西洋式建築をふんだんに取り入れようとしています。

 

 廊下を進むと教室跡は展示室になっていました。

 

 

 この木製の二人並びの机、こーちゃんが小学校低学年の時、実際に使っていました。

 

 木の蓋を裏返すと『粘土板』になる仕組みで、そこに彫刻刀で名前なんぞ彫ったりして。(すぐバレるのに)

 

 

 廊下と教室の境に壁や戸は無く、全部筒抜けに聞こえてきそう。

 

 壁の大きさの割には『窓』がが小さく、北側の教室ではかなり暗かったのでは?

 

 当時は『裸電球』の時代でしょうからもっと暗い筈です。

 

 

 在りましたねぇ。「日直当番、授業の始まる前に取りに来なさい」なんて言われて、社会科準備室から運んだ記憶が在ります。結構長くて重かった。

 

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旧中込小学校

 

 『松本・旧開智小学校』が国宝認定を受けて久しいのですが、実は『旧中込小学校』の方が先に出来たって知ってます?

 

 『明治八年』に開校した『洋風建築(風)』の校舎は、ナント官製ではなく、地元農民を中心とした篤志家の寄付によるものです。

 

 時間を知らせる(授業時間)のに『天守』に吊るした『太鼓』を鳴らした事から『太鼓楼』の異名を持っています。

 

 土曜日の半日授業(半日仕事)の事を『半ドン』と呼んだのも、この『太鼓のドン』から来ています。

 

 

 訪れたのは小学校以来(50年振り!) でも昔は只汚れて寂れた(失礼)校舎のイメージでした。

 

 此の前の道は佐久平方面に行く時など頻繁に通る道です。

 

 でも綺麗になってから一度も訪れていませんでした。(東京都民で東京タワーに登った事無い人が多いのに似ているのかも)

 

 ホントは有料になったからなんて言いませんけど。

 

 

 まず受付で料金を支払います。大人¥200。(資料館と旧小学校拝観料込です)

 

 この資料館。『小海線好き』の方にはお勧めです。

 

 国鉄時代のお宝に遭遇出来ます。

 

 

 まっ鉄道に興味無い人に、もそこそこの資料館価値は在りますです。

 

 

 庭に置かれた標高座標は『666㍍』

 

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高濱虚子の散歩コース

 

 『小諸市・与良町』の『旧高濱虚子宅』からフラフラと散策してみます、

 

 今ではすっかり住宅地となり、空き地などは在りませんけど戦時中の疎開していた頃は、きっと『小川の流れる沢』や『ススキの生い茂る草原』などがあったんでしょうね。

 

 道路の脇に鳥居が在りました。『御岳山』と在ります。

 

 

 山岳信仰の『御嶽神社』をお祀りしていますけど、矢鱈と石碑が多くない?

 

 その石碑全てに注連縄が巻かれ、御幣が下げられています。

 

 地域の人の信仰が厚いんでしょうね。

 

 多分町内各所に点在していた石碑や石像を、道路拡幅や区画整理の折に一所にまとめました。って感じですかね。

 

 その先に『馬頭観音』が在りました。

 

 江戸時代になり、庶民に文字が浸透する前は『絵』などが描かれた物が多かったみたいですが『寺子屋』などのお陰でしょうか。

 

 

 かなり大きな石碑に『馬頭観世音』がと彫られていますけど、良いですね。温かみを感じる字体です。

 

 その前には幾つかの石が置かれていました。

 

 形も『球体』や『長方形』などがあり、かなりの重さが在ります。

 

 『力石』などがと呼ばれ『丸石=球体』は『二十七貫=101㎏』、『船石=長方形』は『二十三貫=86㎏』の重さが在り、町内の力自慢が持ち上げて力比べをしたそうです。

 

 柔道で鍛えたこーちゃん。試しに手を掛けてみましたが………腰!

 

 まっ、こんなもんで許してやるぜイ。

 

 昔、悪口で『デ~ブ。デ~ブ。百貫デ~ブ。』なんて囃しましたけど、実際には『百貫=375㎏』なんて実在しないでしょ。

 

 『尺貫禁止法』が発令され大っぴらに使えなくなりましたけど、我が家にはまだ『鯨尺・くじらじゃく』の『モノサシ』(和服用?)と『匁単位の天秤用重り』が在ります。

 

 使った事無いですけど。(いつかお宝鑑定団にでも………)

 

祇園

 

 『京都・八坂神社』の祭りで、日本三大祭りに数えられる『祇園祭』

 

 でもその『主神』は誰を祀るか知ってる人は少ないのでは?

 

 『天照大神・アマテラスオオミカミ』の弟にして乱暴者で有名な『素戔嗚尊之命・スサノオノミコト』 この乱暴者が姉の寝室に『狼?』の毛皮を投げ込んだ事に怒り、天の岩戸に閉じこもったのが所謂『天岩戸伝説』の発端です。

 

 『素戔嗚尊(須佐之男命)』が乱暴を働かない様ご機嫌を取る為、踊りやお囃子で練り歩く=『祇園祭』とされています。

 

 『祇園様』とは『素戔嗚尊』です。それを踏まえて。

 

 

 ………だそうです。

 

 夏祭りが各地で催されますが大抵は名前が付けられています。

 

 『長野びんずる』 『上田わっしょい』 『松本ぼんぼん』など。

 

 でも玉屋商店の地元、野沢の夏祭りは『祇園祭』です。

 

 野沢地域を収めていた領主『大伴氏』の居城跡は現在公園に整備され、敷地内に『大伴神社』と『素戔嗚神社』が祀られています。 

 

 戦国時代、領主は戦勝を祈る為『素戔嗚神社』を祀る事が多かったみたい。

 

 で小諸のお祭りは『小諸どかんしょ』

 

 どうせなら『高濱虚子散策コース』を歩いてみましょうか。

 

 

 とっとと歩けば15分程で廻れるみたい。(大抵ウソだったりしますけど)

 

 

 住宅街の一角にある『大日堂』をです。大日如来が祀られているからですが、内部は集会所のような機能を持っています。

 

 

 素朴な感じの石像が数体。『太鼓』や『鈴』が在る処を見ると、祭りの練習何かが行われるんだろうな。

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銭蔵

 

 『高濱虚子』が第二次大戦中『小諸・与良町』に家族と共に疎開していた家が保存されています。

 

 意外と子沢山で『二男六女』の子供がいたとか。さぞかし大豪邸………

 

 

 土塀の平屋、板ガラスに雨戸(戸袋)。八畳二間! 縁側付き。そして昭和のキッチン(ガスコンロ)・バス(タイル張り)・トイレ(ボットン)。小さいながら庭が在ります。

 

 

 まぁ昭和初期は、一部例外を除いてみんなこんなもんかな。

 

 

 猫が縁側で昼寝なんかしてたりして。

 

 残念ながら施錠されていましたので此処まで。

 

 隣接した『柿の木』なんぞも風流です。

 

 柿食えば 金が鳴るなり チャリーン とな。

 

 

 この『飛び石』を下ると、移築された『小諸城・銭蔵』に出ます。

 

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高濱虚子

 

 『小諸・与良町』には『高濱虚子記念館』が在ります。

 

 何故にこんな所に?と立ち寄ってみました。

 

 

 よりによっての『舗装道路改修工事中』で駐車場に入れませんでした。

 

 「バイクなら隣の与良館に停められる」と伺い休憩所へ。

 

 お茶の接待や、傘の無料プレゼント?

 

 『小諸』 なかなか観光客に優しい街です。

 

 

 江戸時代、五街道に数えられた『中山道』は、『信濃追分』で『北国街道(善光寺道)』と分岐します。

 

 で『北国街道』で『追分宿』の次の宿場町が城下町(正確には城上町)の『小諸宿』です。

 

 なだらかな裾を持つ『浅間山』が『小諸』に入ると一転して表情を変え、『険しい岩場=溶岩石の露呈』が目立ちます。

 

 『島崎藤村』の『千曲川旅情のうた』は

 

 ♬ 小諸なる 古城のほとり 雲白く 遊子 悲しむ   から始まります。

 

 『遊んでいる子供=遊子』ですけど、『融資』と勘違いしたのは私だけ?

 

 でもい何故白い雲を見て子供が悲しむのか? 黒い雲なら雨の前触れで遊べないって事で解るんですけど。

 

 『小諸馬子唄』には ♬ 小諸 出て観よ 浅間の山に 今朝も 煙が三筋立つ

 

 と浅間山の『水蒸気雲=湯気』の事が謳われています。

 

 でも今まで『一筋の煙』(だから湯気だっちゅ~の)は見た事あっても『三筋の煙』は無い。

 

 火山活動が盛んな『天明』の頃の唄ですかね。(その後調べてみたら『昭和の歌謡曲』でした。)

 

 

 この石段を『虚子』や子供らが行き来したんだろうなぁ。

 

 

 『高濱虚子記念館』はコロナ騒動の煽りなのか、たまたま『定休日』なのか『休館中』でした。(『玉屋商店』の定休日が水曜日だから『水曜閉館日』の施設には入れない? 定休日変えよっかな)

 

 入り口に置かれた『甕』は鎌倉の本宅で実際に使われていた『メダカ鉢』です。

 

 う~ん、アオミドロ。

 

 実際住んでいた住宅が保存されていますけど今回此処まで。

 

蛇の目土俵

 

 『小諸市与良町・八幡宮』の境内にはブルーシートで覆われた『土俵』が設えて在るのですが、その高さが何かドえらく高い気がするんですけど………

 

 意味があって『ブルーシート』がが掛けられているんですけど、隠されれば余計に見たくならない? でも我慢するのが オ・ト・ナ です。

 

 

 おっ。『日本に二つしかない!』 このフレーズ大好きです。

 

 だって『佐久』には『日本に二つしかない五稜郭』のひとつが在るんです。

 

 『蛇の目土俵』のもう一つは『奥州・南部』かぁ。行きたい処リストに記入しとこ。

 

 

 社務所の隣には資料が展示され、『優勝旗』やら『化粧まわし』やらが展示されていました。

 

 信州と云えば何と云っても『御嶽海』 出身地の木曽も相撲の盛んな処で、『相撲クラブ』が各町内に在るとか。

 

 更に小諸のお隣『現・東御市』からは稀有の『大・大関』(当時横綱は無かった)の『雷電為衛門』が生誕しています。

 

 『与良町』の町内では『力石』などが今も残されており、『力比べ』などが盛んに行われたそうです。

 

 まぁぶっちゃけ体一つでお金が掛からないですから。(本とは結構大変だとか)

 

 

 『八幡宮境内』に柵で囲われた御社が建っていました。

 

 『摂社』どころの規模じゃない大きさです。

 

 正面に廻り込むと『熊野神社』と在ります。

 

 

 御社が三社と云う事は『熊野本宮』『熊野速玉大社』『熊野那智大社』ですか!

 

 遠くまで出かけなくても参拝出来ます。お得。

 

小諸・与良町・八幡神社

 

 国道18号線・小諸警察署の交差点から坂を下って行くと、緑豊富な神社が在ります。

 

 いつもは通過してしまうのですが、何となく気になって(暇だったから)バイクを停めました。

 

 

 特に駐車場は見当たりませんでしたので、鳥居の前に邪魔にならない様にバイクを停めます。

 

 隣は『小諸市立・野岸小学校』で校庭がすぐ傍らに在ります。

 

 チャイムが鳴り授業がひと段落したのか、低学年の子供が走り出してきました。

 

 そっか『体育』の授業が始まるのかな。

 

 子供にカメラを向けていると不審者扱いされる時代です。小学校は置いといて参拝しますか。

 

 

 参道の手水舎ではチョロチョロと水が出ていましたが柄杓は無し。昨今では仕方ないのかな。

 

 奥にブルーシートで覆われた『土俵』が見えます。でも高くない?

 

 

 拝殿は施錠されています。お賽銭の窓から覗き込んだのですが至って普通。

 

 でも普通じゃないのが境内には沢山在ります。

 

 

 何の石碑か読み取れませんでしたけど『見ざる聞かざる言わざる』の『三猿』が彫られています。

 

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ゆるぎ石

 

 野辺山駅周辺から飯盛山方向にズラリと並んでいた幾つもの『宇宙観測用電波パラボラアンテナ』 現在その観測所はどうなっているのか定かではありません。

 

 以前は年に一度、内部が公開され見学に行ったことが在ります。

 

 でも『宇宙』からの微弱電波を観測しても素人には何が何だかの世界。

 

 唯一覚えている事は、遠い処から発射される平行な光は『パラボラ面』に反射すると一点に収束する。『BSアンテナ』などを地面に上向きに置き、『スーパーボール等』を落とすと必ず『受信部』に当たるそうです。

 

 で『佐久』と云えば『日本最大直径64㍍パラボラアンテナ』(臼田宇宙区間観測所)と『宇宙の最深部探査用直径54㍍パラボラアンテナ』(美笹新宇宙探査局)の二つが存在しています。

 

 二つともかなり山の中に在り、自動販売機すら置かれていません。(観光地になったらそれはそれで観測に障害が出るかも)

 

 

 対象物が無いので大きさが分かりづらいかも知れませんが、左前脚?の近くに在るドアが『人間+α』の大きさと計算すれば………大きいです。これがゆっくり方向と角度を変える様は感動です。(実際はゆっくり過ぎて気が付かないかも)

 

 

 上の写真は2018/9の『美笹深宇宙観測用54㍍アンテナ』の建設途中の写真です。

 

 山間部に突如『赤と白』に塗り分けられたクレーンがニョキニョキ。

 

 何が出来るんだろう?と不思議に思っていました。

 

 

 翌年完成したアンテナが此方。

 

 まだアンテナだけで関連施設は建設途中ですけど。

 

 

 所有者は『JAXA』 って事は遠隔操作で方向を変え、どっかにデータを送ってんのかな。

 

 で駐車場付近で見かけた『ゆるぎ石」の案内に、林道をバイクで駆け下りました。

 

 でも行けども行けども見当たらない。

 

 『臼田宇宙区間観測64㍍アンテナ』へ続く舗装路まで出てしまいました。あれ?見落としたとばかりにUターン。来た道を駆け上がります。

 

 駐車場まであとわずかの処に倒れた看板発見。なんだ駐車場から歩けるじゃん。

 

 

 『ゆるぎ石』 押しても引いてもビクともしません。

 

 日本各地で『微妙なバランス』を保ち、落ちそうで落ちない岩(高千穂)とか在りますけど、何時しか落ちる。何時しか揺らがなくなる。

 

 『ゆるがない石』=ただの石じゃん。とか言いませんけど。

 

岩窟古墳

 

 洞窟に『祠・仏像』などを安置し、信仰の対象としている処は結構沢山あります。

 

 東信地区で知る限り『鼻顔稲荷神社』『望月・弁天窟』『長和町・大門稲荷神社』などなど。

 

 岸壁の窪みなどに収められている『お地蔵様』『観音様』『不動明王』などを数えたらきりが無い程です。

 

 『龍洞山・宝蔵寺』さんも拝殿裏の洞窟内に『観世音菩薩様』が祀られています。

 

 拝観を終え、境内を下ってくると『岩窟』の文字が目に留まりました。

 

 『洞窟』と『岩窟』………好奇心がムクムク。

 

 案内に沿って山道を登り始めると。

 

 

 落石防止のフェンスにバリケード代わりの『古タイヤ』が縛り付けて在ります。

 

 頻繁に落石・転石が在るのかもしれません。

 

 足場の悪い所では『単管足場』が組まれていたりして、一抹の不安がよぎります。

 

 

 『岩谷堂岩窟古墳』所在地は『御嶽堂字岩谷堂』で所有者は『宝蔵寺』さん。

 

 読んでみますと五体以上の人骨が出土したと在ります。

 

 この『依田川』上流には『旧武石村・鳥羽山古墳』が在り、やはり『洞窟』が埋葬の場所として使われています。

 

 更に上流には『黒曜石』の産出地が在り、石器時代から縄文時代に掛けて日本各地から人が集まったそうです。各地で出土した『矢じり』などの『黒曜石』を調べるとその産地が『長野県・長和産』と分かるそうです。

 

 道路も橋も一切ない時代に、北は『青森』南は『関西』辺りから遥々歩いて来て黒曜石を掘り出し、更に歩いて持ち帰る。中には病気の人もいたでしょう。時には争いに巻き込まれたり、熊・狼と戦ったり。川を渡る時だって場合によっては命の危険も在った筈です。

 

 

 『葬所』として使われていたそうですので踏み入る事は遠慮しておきます。

 

 結局の処『古墳』では無いそうですけど『洞窟』と『岩窟』の決定的な違いって?

 

 

 『鳥羽山洞窟』も載せておきます。

 

 でもこの洞窟は川を渡らなければいけません。対岸からズームです。

 

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洞窟観音

 

 石段を登り上げると、朱塗りの鮮やかな拝殿が建っています。

 

 先ずは参拝。

 

 

 最近塗り直されたのかな。なんか『稲荷神社』みたいな雰囲気です。

 

 この向かって左には石段が在り『展望台』へ続きます。

 

 

 対岸に『中丸子』の市街地を展望出来ます。

 

 

 カメラの焦点が金網に在ってしまう為、御本尊が写りません。

 

 は~っ『一眼デジカメ』欲しいなぁ。

 

 欄干沿いにぐるりと御堂を廻り込むと、裏には洞窟があります。

 

 

 更に奥に『観世音菩薩様』が鎮守されています。

 

 神聖な場所ですカメラは此処まで。

 

 『観世音菩薩様』とは、様々な姿形に変化し人々の困りごとや悩みを聞き届け、その対策を『あの手この手』に持った道具で解決してくれたり(千手観音)、病気や苦しみから解放してくれたり(聖観音)と非常にありがたい『仏神』です。そもそも『仏様』の変化ともされています。

 

 『疫病退散』を願って合掌しました。

 

宝蔵寺

 

 新聞の片隅に『宝蔵寺の曼殊沙華』が記載されていました。

 

 あっ新章ですが2022/9の事です。(半年も前か…)

 

 

 御朱印集めに興味はありませんけど、満開の曼殊沙華を観たくてノコノコやって来ました。

 

 特に『信濃鎌倉=塩田平~別所』が好きで、バイク免許を取ってから幾度となく『丸子』経由で別所方面に向かっていますけど、若い頃はお寺にそれ程興味持ってませんでした。それでも此の『宝蔵寺』さんには来たことが在ります。

 

 洞窟の中に『観音様』が祀られている他に、『木曽義仲』が『源義仲』だった頃、このお寺に必勝祈願したと聞いていました。

 

 『某大河ドラマ』では渦中の人らしいのですがスミマセン観てないです。

 

 

 道路向かいの駐車場に車を停め、カメラを持ってイザ登るか。

 

 

 枯れた『紫陽花』に『寂』を感じながら石段を登ります。(足腰丈夫なうちじゃないと登れない?)

 

 肝心な『曼殊沙華』もピークを過ぎ、若干色褪せてきていました。

 

 

 呼吸がハーハーしだした頃、桜の大木が見えて来ます。

 

 『木曽義仲』が植えたとされる桜の古木です。

 

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虫倉山

 

 『星糞館』から裏山へと遊歩道が続いています。

 

 迎えの車が来るまで後40分程は在るから、片道20分在れば『虫倉山』迄行けるかな?

 

 ダメなら20分歩いた時点で引き返そう。スマホ・タイマーを20分にセットしまして出発。

 

 

 結構急峻な斜面を登って行きます。そこでも発掘跡が残されていました。

 

 でも『虫倉山』山頂はまだ先。

 

 

 この一見可憐に見える花………。実は猛毒を持つ事で知られる『トリカブト』です。

 

 

 遊歩道のすぐ傍に群生しています。

 

 根っこに『毒』が在ると思われていますが、実は『葉っぱ』にも『毒』が在り、手で触った後、飲食物などに触るとかなり『危険』です。(根っこに比べれば含有毒素は少ないそうです) 『神経毒』なので経口摂取しなければ何て事無いんですけど。

 

 

 第二ピークまで来た時『タイマー』が鳴りだしました。

 

 向かいの山が『鷹山』 スキー場が開発され、鷹の生息はもう確認できないかも。

 

 そしてこの『立科』は高圧電線を送る『鉄塔』が多い所です。

 

 東日本の60ヘルツの交流電力と、西日本の50ヘルツの交流電流を変換する変電所が『松本市(旧山形村)』に在ります。

 

 西日本で電力が足りない時、東日本の電力を変換して西日本に送ります。逆もまたしかり。その高圧電線が西から東から山形村を目指す為、かなりの密度で山肌に鉄塔が建っています。

 

 鉄塔がズラリと山肌に並んでいるのですが、『航空法」により衝突回避の『赤色灯』の点灯が義務付けられています。霧が発生しても確認できるようかなりの輝度で光ります。

 

 この光、障害の高さにより『ストロボ発行』など違いが在ります。『スカイツリー』の白色のグルグルや、瀬戸大橋橋脚のストロボなども注意喚起の為です。(建築法?)

 

 だから夜にこの辺りの山を見ると赤い点滅があっちこっちで見られる。何だか残念ですけど仕方ない。

 

 急ぎ足で戻ると、車が次のお客さんを載せて『星糞峠』に到着した処でした。

 

 もっと周囲を散策したかったけど仕方ない。車中の人となりこの章を閉じます。

 

星糞

 

 ♬ 星屑のステ~ジ~ なら格好いいのに 残念!

 

 でもふざけているんじゃ無くてホントに『星糞』なんです。

 

 正式名称『黒曜石鉱山展示館・星糞館』 場所は『星糞峠・鷹山遺跡群』に在ります。

 

 スキー場の『ブランシュたかやま』は『鷹山』の事で、その昔『野生の鷹』が生息できる環境だった事に成ります。

 

 猛禽類には『鷹』や『隼』、『チョウゲンポウ』や『ミサゴ』などが在ります。

 

 『隼』より大型の種類が『鷹』です。肉食で小型動物などの『ネズミ』や『蛇』、時に『狸』なども捕食します。大型猛禽類が一日どの位の食料を摂取するのか知りませんけど、生態系を維持する『つがい』とその『雛』が、十分に捕食出来るだけの野生動物がいたと云う事に成ります。早い話が『奥深い山の中』

 

 其処に後から人間が『道』を造り『別荘地』や『スキー場』を解発しましたとさ。

 

 

 この『星糞峠』の『黒曜石』はかなり品質が良かったらしく、日本各地で出土した『矢じり』や『石刃』を調べてみると、旧石器時代にはかなりの広範囲に広がりました。

 

 北は『青森』南は『大阪』辺りから黒曜石を求めて旅して来た事に成ります。遠路はるばる歩いて………。

 

 

 『星くずの里・たかやま黒曜石体験ミュージアム』から『星糞峠』までは無料で送迎してくれます。ホントは遊歩道を30分程歩いて登るんですけど現在遊歩道は崩落の為通行止めです。遊歩道が整備されたら無料送迎はどうなる?

 

 送迎車両を降りて暫く遊歩道を歩くとこんな感じ。

 

 『枯葉』や『笹の葉』の間に『黒曜石』が在るのが解ります?

 

 黒曜石は光を反射します。

 

 月夜にキラキラ光って『満天の星空』と一面に広がる『黒曜石のキラキラ』 

 

 う~ん体験してみたいけど現在地表の黒曜石はかなり減ってしまっています。

 

 黒曜石採取は禁止なのに。法律違反に成ります。

 

 

 突如林の中に現れる『鉄錆び』に覆われた建物。(錆びは演出です)

 

 階段を昇り、開いている入り口から恐る恐る中に入ると。

 

 

 センサーに感知していきなりドアが開きます。

 

 だって受付とか無いし。消毒しろと在るだけで他は何も書かれていないし。

 

 薄暗い照明の中、ガラスで仕切られた通路が見えます。

 

 某ランドの『ホーンテッド〇ンション』みたい………。

 

 と、やはりセンサーが感知していきなり『プロジェクションマッピング』が映し出されます。

 

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日本一星空の美しい場所

 

 環境庁の認定した『日本一星空の美しい場所』は『長野県阿智村のスキー場』となっています。(恐らくお役所仕事でしょう。)

 

 『全国津々浦々』『四季折々の夜空』を見比べて断言するなら解りますけど、人里遥か離れた冬山に登り、雲一つない満天の星を観た事無いんだろうな。

 

 早い話、開けた天空に人工的な光が一切なく、晴天率が高ければ『星』は綺麗に見える筈です。

 

 毎年『ミシュランガイド』が取りざたされて、『星』(此処でも星か)を貰ったとか大騒ぎ。 完全に平等な状態で、全国の飲食店逐一漏らさず評価するなら兎も角、限られた覆面捜査員が一日に何件も飲食を重ね、空腹度も違えば食べる時間や、調理人の体調や食材などの旬も異なるのに………。で又その本をを高い金出して買って来て、嬉々として予約する。 元々はフランスの『タイヤ会社』が、早くタイヤをヘタらせようと遠くの飲食店を紹介した『無料ガイド』だったのにね。

 

 最初は捜査員が見知らぬ街でガソリンでも入れた時「何処かに美味しいお店在りますか?」とでも聞いたのでしょう。その辺りで評判の店を紹介されてそれをガイドブックに載せた。もしかもしたら聞かれた人の知人にレストラン関係者がいたから其方を紹介しただけかも知れません。紹介されなかった飲食店でも美味しい店は沢山ある筈です。

 

 検索しているとSNSの『お店評価』が見つかります。本当に行って、食べて評価している人はお店の許可を貰って写真などをUPしている筈です。

 

 『SEO』って知っていますか?

 

 各ブロバイダーでの検索時、検索ページの上位に掲載させる為の『検索エンジン最適化(情報操作)』の事です。ブロバイダーでは、検索件数が多ければ多い程上位のページに掲載されます。『〇oogle』でも『〇ahoo!』でも試しに何か言葉を入力し検索ボタンを押すと、幾つもの結果が表示されます。この時どれだけ多くの検索がなされたかで順番が決まってきます。

 

 大量のスマホ・パソコンから検索をすれば上位に食い込ませるのは簡単です。これを意図的に操作し、パソコンシステムで大量検索させたり、圧倒的人口数を動員して(〇国とか)検索させたり。

 

 特に『動画投稿サイト』の『〇ouTube』などが問題なのは、投稿を増やして貰う為に報酬を払っている事と、報酬に繋がる閲覧数を稼ぐ為に『違法動画』(著作権侵害)や、手っ取り早く『炎上』狙いの迷惑なヤツもいます。

 

 だって『〇ouTube』の一部なんてCMが多すぎて視聴に堪えないなんて幾らでもありますもんね。でそんなヤツに限って『〇ーチューバー』を気取ってんですから。

 

 中には苦労して、著作権期間の切れた放送番組から音楽のみ(著作権期間が異なる)を消去してUPしてくれる奇特な方もいますので大いに助かります。

 

 あれ?何の話になってんだ?

 

 私にとって『日本一美しい星空』は『星糞峠』だったんです!

 

 

 『星糞(ほしくそ)峠』 何て名前だと思いました、初めて聞いた時。

 

 でも此処『星糞』は『日本一の黒曜石の産出地』だったんです。

 

 『ブランシュたかやま〇キー場』が完成する前、夕方から砂利道をバイクで登って『星糞峠』に着きました。

 

 何にもない山の中、バイクのヘッドライトを消すと完全に『闇』に包まれ、『星』を観に行ったのですが数分もしないで帰って来た事を思い出します。(だって熊の生息域ですよ)

 

 『ボッチキャンプ』がモテハヤサレテいる昨今ですが、安全が確保されているからこそ楽しめるのであって、灯の無い暗闇では恐怖を感じます。

 

 更に云うなら『キャンプ場以外』でのキャンプは『反対派』です。

 

 トイレは?(場合によっては持ち帰り) 地面で焚火とかしてないよネ?

 

 山の中のキャンプ場やハイキング途中で行方不明になって一夜を闇の中で過ごす。なんてニュースを時たま耳にしますけど怖いだろうなぁ。

 

 

 現在この林道は一般車両通行禁止です。

 

 送迎バス発着所が在り、待合室・簡易トイレが在ります。

 

 水道や自販機は在りません。

 

 何故送迎バスが発着するか……知りたい? でも次回です。

 

バイクの神様

 

 日本には古来より『八百万(やおよろず)の神様』が存在すると云われていますが、昨今耳にした処では『スマホの神様』や『BTS神社』なんぞも。

 

 『〇〇の神様』と云う言葉に真っ先に思い浮かんだのは『志賀直哉著・小僧の神様』です。

 

 『秤』を商う商店に丁稚として働いていた小僧が、配達帰りに念願の寿司を食べたいと屋台の寿司に手を伸ばすのですが、お金の足りなかった事に赤面し飛び出して行ってしまいます。居合わせた人が友人にその話をした時、「奢ってあげればよかったのに」と諭されてしまう。ある時この友人(=議員)が秤を買いに行った店で偶然この丁稚に遭遇する。一計を図って秤の配達をその丁稚に頼み同行して貰い、お礼に寿司を御馳走しようとする。配達途中寿司屋に二人で入るのだが、議員はお金だけを先払いし小僧に好きなだけ食べなさいと告げ秤を持って店から出て行ってしまう。小僧は念願の寿司を鱈腹食べたのだが、寿司屋の主人から「お金を沢山戴いているので又食べたい時に来なさい」と言われて初めて我に返る。何故大金を奢ってくれたのか?小僧はこの議員の事を不思議に思い配達先の住所を訪ねてみるとこは神社だった。

 

 大体の粗筋だと思うのですが、なんせ小中学校以来だから間違っていたらすみません。

 

 この『小僧の神様』の小説が大ヒットし、小説家としての地位を確実な物にした為、『志賀直哉=小説の神様』と言わしめる様に成りました。

 

 某寿司チェーン『小〇寿し』の由来になった事でも有名な逸話ですね。

 

 でもこの小説の本質は……

 

 『親切と偽善』又は『親切と大きなお世話』という、捉え方によっては相反する事の問題提起じゃないかと国語の時間で勉強したようなしないような?

 

 結論がどうだったかも覚えていませんけど。

 

 

 ピカピカの『銅葺き屋根』も眩い小さな『御社』が『ビーナスライン車山・リフト乗り場駐車場入り口』に建立されました。

 

 正式名称『信濃国 車山高原 単車神社』と云います。

 

 『二輪であっても単車とはこれ如何に?』と大喜利のお題じゃ無いですけどネ。

 

 

 何にせよ『大好きなバイク』に纏わる神社が『大好きなビーナスライン』に出来たんです! ライダーさん。行くっきゃない‼

 

 

 此処のリフトは『車山山頂』までの展望リフトで通年営業しています。

 

 晴れた日『車山』からの眺望は素晴らしく、これからの季節『ニッコウキスゲ』の群生の中を歩くのも最高の気分です。(リフトは片道で充分です)

 

 この『ビーナスライン』 景色も然る事ながら、コーナーリングの楽しさも折り紙付きです。

 

 ゆっくりドライブを楽しんでいる人もいますので、無謀な運転・騒音はお控え下さい。

 

 (カッ飛びバイクが多く成り、事故でも起きると二輪通行規制になるぞ)

 

望月町の秋祭り

 

 各地、各町に色々な風習のお祭りが伝わっています。

 

 望月町の秋祭りに偶然遭遇しました。

 

 この『旧中山道・望月宿』は古くからの街並みが残されていて、映画のロケにも使われています。

 

 良く知られている処では『映画・金田一耕助シリーズ(作品名忘れました)』や『中村梅雀主演・山中静雄の尊厳死』なども撮影されています。

 

 

 バイクが無けりゃなぁ~。でも勝手にどかす訳にもいかないし。

 

 

 『語源絶句』でしたっけ? 中国の故事でしょうか。

 

 漢詩なんて中学校以来です。

 

 この時期だけ、各家の前に家紋付きの提燈掛けが設えられます。

 

 

 タイヤにコンクリート製の重しは流石に現代です。

 

 昔は『十文字』の脚組みに石でも置いたのでしょうか。

 

 

 この道は『茂田井間の宿』へと続く『旧中山道』です。

 

 普通の民家の前にも『提燈』がズラ~リ。

 

 文字だけの物や、色々な絵が描き込まれている物も沢山あります。

 

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佐久市考古遺物展示室

 

 『香坂山遺跡発掘現場』を訪れた時、出土した『石刃』等は『佐久市考古遺物展示室』に保管されているとの事でしたので、山を下って向かったのですが、『コロナ過』の為に休館中でした。

 

 後日改めて訪れた時の写真です。

 

 

 『石刃』と云えど、刃渡り15㎝以上は『銃刀法の対象』に成ると云っていました。

 

 館内では受付の後、自由に見学・撮影が無料で出来ます。

 

 展示室はそれ程大きくないので一通り見ても30分も掛からないのですが、『香坂山遺跡』の発掘状況のビデオが放映されていました。(全編見ても15分位?)

 

 

 『旧石器時代~縄文時代』にかけて『立科町』で採石された『黒曜石』は大変質が良く、当時日本各地から此の『立科町』の『星糞峠』を目指したそうです。

 

 『ナントか遺跡ミュージアム』みたいな処で、『黒曜石』(現在蓼科では発掘禁止です。確か北海道産)を『鹿茸『旧石器時代~縄文時代』にかけて『立科町』で採石された『黒曜石』は大変質が良く、当時日本各地から此の『立科町』の『星糞峠』を目指したそうです。

 

 

 

 『ナントか遺跡ミュージアム』みたいな処で、『黒曜石』(現在蓼科では発掘禁止です。確か北海道産)を『鹿茸・ろくじょう』を押し当てて割り、『鋭利な刃物』もどきを造った事があります。其の時はけが防止に『分厚い皮手袋』を手にはめての作業でしたけど、昔の人はどうやって造ったんだろう?

 

 動物の『皮』や『肉』が切れたのなら『人間の手』なんて簡単に切れてしまうのでは?

 

 

 一口に『石器』と云っても、打ち砕いて鋭利な部分を使う『打石器』と、石と石を擦り合わせて造る『研磨石器』とに分かれます。

 

 上の『石包丁』には穴に紐を通し、中指に固定して物を切ったそうです。

 

 『登呂遺跡』では『弓式火起こし』を体験しました。

 

 木と木を擦り合わせれば熱が発生する事は誰でもが知っていますが、では『火』を起こせる人っています?

 

 必要な物=乾いた檜の回転棒・長さ30㎝×直径5センチ(出来れば六角形などの抵抗力を増す為の角を削りだしておく) 皮紐などを縛り付け回転棒を廻す為の『弓』 回転棒を手で押さえる為の窪みを付けた板 回転棒と擦り合わせる為の窪みを付けた板(切り口を付けておくと加熱された火の粉を取り出しやすくなる) 火の粉から『火』にする為の繊維(経木や棕櫚の繊維・麻紐の繊維など)

 

 切り込みと窪みの付いた『板』を方足で押さえ、回転棒をセットし『皮紐』をの長さを調整、左手の『押さえ板』で強く押しつけながら右手で持った『弓』を前後に素早く強く動かす。受け皿から焦げた匂いが立ち始め、『黒い木の粉』が溜まったら素早く『繊維の塊り』に移し替え、強く息を送り込む。

 

 乾いた『檜』さえ手に入れば意外と簡単。(建築中の大工さんに声を掛けて入手しました。今は工務店が組み立てるだけの家だから『檜』は使わないか?)

 

 両手で木の棒を板に押し当てて勢いよく廻し、火を着けるシーンを想像しますけど、現代人では絶対に無理!手の皮が破れます。(これを考えたら使い捨てライターの有難い事) 

 

 『キャンプ』流行りの昨今。子供の前でこれやったら絶対カッコいい!

 

 で河原で『打石器』を造って(何個か石を割れば『石刃』に使えそうな破片が見つかる)魚に刺す『串』なんぞを造ろうものなら羨望のまなざしですぞ。割った石の残りは危険が無いように粉砕するか大きな石の下など手の触れない所に。

 

 (流石に魚が釣れない事を想定して、魚屋で事前に『ニジマス』なんぞを仕入れてから行きましたけど。)

 

 

 まぁ『旧石器人』や『縄文人』には当たり前の事出すけど。

 

 万が一に遭遇した際、出来ると出来ないでは生存率に影響します。一度お試しあれ。

 

山の神・コナラ群

 

 今からもう40年も前ですけど『春日温泉』から『蓼科仙境都市』~『大河原峠』へ向かう『鹿曲川林道有料道路』が通ってました。

 

 一車線の曲がりくねった舗装路を進むと、『こんな所に有料ゲートが!』って驚く位の山の中に『遮断機』が下りていて、横に建っていた小屋からおじさんが顔を出して『ハイ。¥〇〇』と徴収していました。

 

 確か原付バイク¥50とかだったかな。

 

 その後『佐久市・洞源湖』脇から『佐久蓼科スカイライン』が開通するとめっきり交通量も減って『有料道路』の役目を終えました。

 

 その後も暫くは地方道扱いで走れたのですが、『蓼科仙境都市』と『トンネル』の間で道路が完全に崩落してしまい通行止め。今では立ち入る事も出来ません。

 

 

 このままカメラを右上に向けると

 

 崩落個所の上部には、『滝』が出来ている始末です。

 

 

 20歳の頃には料金所はもうなくなっており、春先にこの道を走ったら『氷瀑』が倒壊して道路に散乱という珍しい光景を目の当たりにしたのですが、もうニ度と観れないでしょうね。

 

 『春日温泉』にも『通行止め』の告知がされているので『山の神』の『コナラ群生』を訪れる人も少ないのかな。

 

 

 倒れてなお陽射しを求めて枝葉を伸ばす。生命力を感じません?

 

 この奥に『石の祠』が祀られているのですが、ロープが張られていました。

 

 『立ち入り禁止』とは書かれていませんが、人が根を踏むだけで傷めてしまう事もあるそうです。踏み荒らしちゃいけないみたいな雰囲気です。

 

 

 夜に成ると『こだま』が走り廻っていそう。まぁ某アニメの影響ですけど。

 

 この辺りに別荘を持っている人も居ます。

 

 周囲に駐車場・トイレ等は在りません。

 

 訪れる方は環境保護でお願いします。

 

金城山・康國寺

 

 国道142号線から『春日温泉』を目指すと『協東橋東』交差点からトンネルを抜ける道が案内されます。県道151号線を走り、ガソリンスタンド手前の道案内に従ってバイパスを走ります。

 

 バイパスでは無く、旧道を直進すると『春日小学校入り口』交差点に出ますが、現在付近に小学校は存在しません。

 

 この付近、『春日集落』の中心であり、JA施設や飲食店、酒屋なんぞも点在しています。実はすぐ近くの河川は、夏になると『ホタル』の飛び交う隠れた名所なんですけど訪れる人、荒らさないでね。

 

 

 正式名称『曹洞宗・金城山・康國寺』

 

 何となくお寺の名前が人名じゃない?と思って調べるてみると案の定でした。

 

 『松平氏』が小諸城主だった頃の領主『松平康國』とあります。

 

 『小諸城』自体が非常に面白い履歴を持っていて、竣工は戦国時代の初期、佐久地方を収めていた『大井氏』によりますが、完成した頃は『武田軍』の勢力が強く、配下の『下曽根氏』が城代となります。後に『織田・徳川連合軍』が台頭し、『織田家家臣・滝川氏』が城代となりますが『本能寺の変』により『織田家』の勢力が衰退、『滝川氏』は身の安全を考慮し、生まれ故郷の『伊勢』に戻ってしまいます。其の時地元の豪族『依田信蕃』が功を認められ城を譲り受け『徳川』より『松平姓』を授かります。『小田原城攻め』で武功を認められた『仙石秀正』が5万石の禄を得て大名となり正式に『初代小諸城城主』と認められます。(大名じゃ無いと『城主』と言えず『城代』の扱いです)

 ところが『大名』とい言えども宮仕え。天下を収めた『徳川征夷大将軍』の命令一下で『真田氏』退去後の『上田城』へ移転命令が下されます。

 

 戦国時代、『真田攻め』の為に『甲斐武田氏』が進軍した時『真田氏』が『小諸城』で『武田騎馬隊』を打ち負かした事もあったりと、ホント歴史に翻弄されたお城です。更に日本で唯一『城下町』ならぬ『城上町』(町よりお城の方が低い位置に在る)だったりします。

 

 『佐久市・田口』に在る『龍岡城』も実に面白いお城で、日本に二つしかない五角形の城『五稜郭』であり、日本で一番最後に造られようとしたお城です。(『大政奉還』により明治政府が『廃城令』を発令したた為未完成のまま) 此のお城を建てようとした人が『大給恒・おぎゅうゆずる』で旧名を『松平のりたか』(八代目三河藩主) 後に『日本赤十字社』前身の『博愛社』の創立に尽力しました。

 

 当時の佐久地方の『田んぼ』は『幕府管轄』の『管領地』や『領主所有地』など複雑に入り組んでいたそうです。

 

 蛇足~多すぎて付いて来れるかな?

 

 早い話。平穏な『江戸時代』に『小諸城主』を務めていたのが『松平康國』であり、亡き後に『菩提寺』が此処『春日』に建てられました。

 

 

 御本尊の『御鹿埜聖観音・おしかの?しょうかんのん』(何と読むのだろう)

 

 

 チョット大陸的な雰囲気の『三解脱門』

 

 

 本堂は施錠されていました。

 

 手入れの行き届いた庭は流石『曹洞宗』 塵ひとつ落ちていません。

 

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根神社

 

 水~。熱射病になりそうー。と『自販機』or『水道』を探しながら走っていると、神社を発見しました。

 

 境内に『手水』が在れば『水道』がある筈。

 

 

 『太鼓橋』『石灯篭』『鳥居』『幟立て』の他に『神楽殿』も在り、『根神社・式三番叟』と書かれた標柱まで立っています。残念ながら水道は?

 

 『奉納神楽』との時はさぞや賑わいそう。

 

 

 先ずは拝殿にて参拝から。

 

 子の『石垣』とをみて二つの時代に別々に築かれたのが解ります。

 

 拝殿へ続く高い方の石段は『切り込み接ぎ』表面は平らに加工され、石同士の接触面も直線で切り込まれています。

 

 低い方は『野面積み』 天然石をバランスを取りながら積み上げています。表面は石本来の『面』又は『打ち欠いただけ』の石を、『小石』等を咬ませながら積み上げていきます。

 

 尤も最新式は『コンクリートブロック』を積み上げた『擁壁』ですけど、これも表面を平らにするのが難しいの何の。(バイトでさんざんやりました。)

 

 

 『御神木』のいこの樹は、中心部が洞になっていて樹皮だけに見えます。それでもまだ枯れていません。 恐るべき生命力です。

 

 

 『式三番叟』の舞台は? と近づいた時、『注意書き』に気が付きました。

 

 やべっ! あいつらが蠢いている。

 

 でもこうして『注意看板』が無ければ、あるいは気が付かないでテリトリーを犯していたかも。クワバラクワバラ。とっとと帰ろ。

 

入新町 百番観音石仏群

 

 本道では無く、山際の道を走れば見つかるだろうと見当をつけ更に南下します。

 

 集落を過ぎるとポツンと看板が立っていました。『百番観音石仏群』

 

 道路から隔てるように『害獣除けのフェンス』がズラリと並んでいます。

 

 『閂式』のロックを外して中に入ります。

 

 

 まっチョットしたハイキング気分で登れるんですけど9月のこの日、めっちゃ暑かった。持って行ったたペットボトルのお茶も残り僅か。

 

 自販機を見つけたら買わなきゃと思いながら『山道』に入って来ちゃった。

 

 

 参道(山道)に沿って石像が並んでいます。

 

 『地蔵菩薩』だったり『観世音菩薩』だったり

 

 

 この場所其のものが『霊場』として崇められていた模様です。

 

 

 中腹には『岩棚』と『洞窟』が在り、小屋が掛けられていました。

 

 洞窟の中には『祠』が祀られています。

 

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宮ノ入 山の神

 

 望月の町中から南へ南へと地方道を走ります。

 

 この辺り、山裾の谷間に沿って幾筋もの川が流れており、その川に沿って田園地帯が細長く続いています。

 

 『長者原』なんて素敵な地名も存在する位、豊富な農作物に恵まれた土地だったのでしょう。古くからの石像石仏が各地に見られます。

 

 『春日百番観音石仏群』を探していると、『新町」の辺りで『石仏群』を発見。

 

 バイクを降りて撮影……でも何か違うみたい。

 

 

 そのすぐ裏山に石段が在り、『石灯篭』が立っているのですが参道が?

 

 崩落していて道は在りません。

 

 『念仏供養』がの石仏が並んでいたので『お寺』かと思ったんですけど、『幟立て』が在ります。『神社』?

 

 

 行って確かめてきますか。

 

 

 崩落個所を大きく迂回し、参道と思わしき山道に出ました。

 

 こんな山の中にも『石仏』とが点在しています。

 

 ますます疑問符『お寺?神社?』

 

 

 山頂付近は広場になっており、小さな『お社』が祀られていました。

 

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望月歴史民俗資料館

 

 料金を払い(大人¥500)靴を脱いで展示室へ。

 

 一階と二階それぞれのテーマに分かれて色々なものが展示されています。

 

 進路に沿って観て行きます。 

 

 

 玄関ホールの此れ、普通の昭和ですから。家に8㎜映写機は無く、どっかから借りて来たのを覚えています。

 

 

 竪穴式住居が再現され、近くで出土した『石器』や『土器』やが展示されています。

 

 コーナーによっては撮影禁止の個所もあるので注意です。

 

 

 ♬ 縦の糸は貴方 横の糸は私

 

 ってよくよく見ると『縦糸』沢山あり過ぎ。

 

 其処を『右から左、左から右』と動き回る。って男を手玉に取っているって事か?

 

 

 入り口に置かれた『蓄音機』を掛けて頂きました。

 

 ゼンマイの『リリーススイッチ』が噛んじゃっていて一苦労しましたが、何とか聴く事が出来ました。

 

 ゆっくり見ても30分も在れば一周できます。近くに御寄りの際はどうぞ。

 

 この建物の裏手高台は昔『望月城』が在った場所、今では『役場』が人々の暮らしを見下ろしているんですけどね。

 

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天来自然公園

 

 『天来』 本来とか元来みたいな言葉かとGoogle検索しました。

 

 「比田井天来』とおっしゃる高名な書道家だったんですね。

 

 勉強不足ですみません。知りませんでした。

 

 望月街には『比田井天来の書』を集めた展示館も在るのですが、書道にはホント興味なかったです。

 

 で『天来自然公園』

 

 『望月中学』から『鹿曲川』を渡った先の交差点に道案内が出ていました。

 

 その先が『比田井天来生誕の地』 現住ですので許可を得てからね。

 

 

 そして道案内に従って細い山道をバイクで駆け上がります。(車はハスラーか四駆軽トラじゃ無きゃ無理。)

 

 

 草ぼうぼうの山道を登りきると開けた場所に沢山の『書』を刻んだ『石碑』が並んでいました。

 

 素人眼でみても素晴らしいのは感じます。でも興味無い人には『宝の持ち腐れ』

 

 スズメバチが来る前にさっさと移動します。

 

 この道を更に登ると舗装路に出ます。『布施の湯』から来る分には普通車でも来れるのね。

 

 

 『旧中山道・望月宿』の『望月歴史民族資料館』です。

 

 コロナ過の中、やっと開館していました。(今まで二回来て、二回とも休館)

 

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佐久市・香坂山遺跡

 

 信濃毎日新聞の記事に『香坂山遺跡』から『3万年前の石刃と竈跡が見つかる』と書かれていました。

 

 グーグルマップで検索するも地図に載っていません。行けば解るか。

 

 香坂地区に入るも第一村人との遭遇が在りません(イカンTVの観過ぎ)。

 

 新聞記事から推測するに1000㍍級の山の中らしいです。

 

 でも『香坂』自体が山の中なんですけどね。

 

 

 細い山道を登って行くと、『何じゃこりゃ』の建物が在りました。

 

 フェンスの中は立ち入り禁止。でも『円筒形』と云う事は多分アレだな。

 

 スマホで位置情報を確認すると案の定『高速道路のトンネルの真上』です。

 

 『長いトンネル』の場合は排気ガスを自然排気する事が難しく、天井部に『送風機』を取り付けトンネルの両端から排出したり、高速道路の様な『一方通行のトンネル』では出口側に流れる様に傾斜が付けられていたり(温められた空気は上昇しようとします)、更には長いトンネルの途中に『排気塔』を建て、排気ガスを排出しています。故に何も無い山中に突然人造物が出現し『何じゃこりゃ』

 

 写真を撮っていたら一台の車が登って来てすぐ傍らに停まりました。

 

 「やべ。トラブルかな」 取り敢えずにこやかに「コンニチワ」と挨拶をすると偶然にもこの方、『香坂山遺跡発掘調査員』の方で、心地よく発掘中の現場に案内してくれました。(だって発掘現場はこの建物のすぐ反対側でした。)

 

 

 掘り下げられた床の部分。現代から見たら『掘り下げ』ですけど、3万7千年前は此の面が地表デス。

 

 『3万8千年前』と云えば『旧石器時代』、『猿人・原人』が『石』を道具に獲物を獲っていた時代から進化し『火』を扱い、『石』を打ち砕いて『石刃』を造り始めた時代。

 

 一説によれば『日本人の先祖』と成る『人』が船に乗り、南方から渡って来たとされていますが、『船』以外は徒歩による移動しか無く、とある海岸に辿り着いた『人』が現代の『香坂山』に来るまでは更に多大な時間を要したと思います。

 

 

 案内されるままに『3万7千年前』の地表を踏みしめてみます。

 

 

 この地表からは『煤の付いた石』が並んでいた『竈』や、樹を燃やした後に出来る『木炭』が出土しています。

 

 そして『石』(安山岩?)と『石』を打ち合わせて造った『石刃』幾つも見つかっていました。

 

 『縄文時代』(1万6千年前以降)には『黒曜石』を加工して『包丁』や『矢じり』などが造られるようになり、日本各地から『黒曜石』を求めて『星糞峠』周辺に人が集まったそうです。その更に2万年も前の事です。

 

 この辺りにはかなり大きな湖が在った事が『大閼伽流山小倉観音堂』の奉納画に残されています。

 

 氷河期末期には水を湛えた湖が存在し、水辺で人々は猟をして獲物を取り、石刃で調理し、煮炊きして食事を造った。と仮定されます。

 

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戦争の傷跡

 

 ロシアの某のお陰で世の中おかしくなってきている。

 

 『戦争』と云っているけど一方的な『軍事侵攻』である事は明白です。

 

 『トルストイ』の書いた『戦争と平和』は、『フランス・ナポレオン軍』の『モスクワ侵略』と対抗するモスクワ市民の話じゃな無かったっけ?

 

 『プー〇ン』は読んでいないな! 愚か者め。

 

 

 『真田神社』と『山家神社』の間辺りにひっそりと立っていた案内看板。

 

 戦争の為とはいえ、『御神木』に傷をつけたんですから大バカ者です。

 

 背景の建物をヒントに境内を探し回ると。

 

 

 草叢が覆い隠していたのを何とか見つけました。

 

 戦闘機の燃料にする為、松の根っこから『松根油』を採取したり、『松脂』を採取する為、樹の表皮を剥ぎ、溝を彫り樹液を集めたそうです。

 

 

 この場所は『空堀り』の崖っぷちに立っており、撮影するのも大変。って事は採取はもっと大変!

 

 樹木の表皮は再生しつつあります。いづれは消えてしまうかも。

 

 歴史の証拠としてせめて写真に残します。

 

 因みに『サバイバル』として一番簡単な着火剤は『良く乾いた松ぼっくり』です。

 

 松脂を木の枝に塗り付けて着火すると蝋燭の代わりになります。

 

 

 万が一の時に思い出してください。

 

真田神社

 

 『真田の郷』でありながら、『真田神社』が表立って無い事が不思議でした。

 

 『真田神社』は『上田城』の中に在ります。それは『真田一族』の居城を『上田城』に移転した時、同時に様々な『神社仏閣』を上田の町に移築しました。

 

 今でこそ車で30分も掛からないですけど、戦国時代の移動手段『徒歩or馬』ではおいそれと参拝も出来ない。

 

 『山家神社』の敷地の中に、摂社・末社の扱いじゃない『真田神社』ってのも不思議ではありますけど。

 

 

 朱色も鮮やかな鳥居を潜ると、「なんじゃこりゃ~」のオブジェが並んでいました。

 

 

 先ず目につくのは参道のど真ん中に置かれた『石の碁盤』

 

 碁石の代わりに『小銭』が置かれた跡が残っています。神様と対局中ですか?

 

 でもどう見ても最初の『石』はそこに打たない。

 

 

 左右に分かれて6体の『鳥?』 (後で解ったのですけど真田町の市町村章が鳥の図案化だそうです) 目つきがチョットね。

 

 

 幕に描かれた紋は当然『六文銭』 左右に『四段梯子』が置かれています。

 

 家紋で『三段梯子』は見た事有りますけど、『注連縄』が巻かれた『四段梯子』の意味は?(ご存じの方一報お願いします)

 

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山家神社part3

 

 参拝を済ませ境内を観て廻ります。

 

 此れがなかなかどうして、沢山の発見が在ります。

 

 

 本殿を取り巻くように沢山の『祠』や『社』が建ち並んでいます。

 

 そしてその一つ一つの神様に『御朱印』が在り、授与日が決められています。

 

 つまり『御朱印コンプリート派』の人は最低12回は参拝しないと。

 

 えっ、私は『御朱印無縁派』です。

 

 更にそれらを取り巻く林の中にも驚きが。

 

 

 ご縁が在りますように。

 

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山家神社part2

 

 苔むした手水舎の先に『土器・かわらけ』が沢山散らばった丸石が在りました。

 

 

 横に立っている立て札には

 

 

 『災難除け投げ土器』と在ります。

 

 『土器』を頂き本堂にて参拝後、『厄』の字を書き入れてこの『丸石』に投げつけ『厄を散らす』と在ります。

 

 実際には『本堂』前に『土器』が置かれており、お金は賽銭箱の中へ。

 

 無人販売スタイルが取られています。横に机とマジックが在るから簡単。

 

 昨今は『御朱印』の売り上げが、かなりの収益(と読んでいいのかな)を上げているらしいです。

 

 社務所の一角にはズラリと並んだ『お札』や『お守り』『御神籤』 まるで売店の様な『領布所』が多いですけど此方は如何に。慈善事業じゃ無いのでやむを得ないんですけどね。

 

 

 明るい拝殿です。賽銭箱前の『一般参拝』と格子戸手前の『お祓い』 更に奥には『特別参拝』と分かれているみたいです。

 

 格子に下げられた『大瓢箪』が素敵!

 

 『鉾』にぶら下がる『錦旗』の御紋はなんだろ?

 

 何となく居心地の良い空間です。

 

 でもこれだけじゃ無いんです。(イカン仕事しなきゃ。)

 

山家神社

 

 『真田』大好きです。

 

 『真田一族』と其れにまつわる逸話も好きですが、上田市に吸収合併された『旧真田町』 大好きです。

 

 『善光寺街道』を北へ向かえば『謙信』の収める『越後』、南に向かえば『佐久甲州街道』を経て『信玄』収める『甲斐』、『上州街道』で東に向かえば『北条家』 武力と交通の要所です。

 

 『真田十勇士』に登場する忍者『猿飛佐助』が修行したとされる『角間渓谷』の『猿飛岩』(架空の人物なのにねェ)だとか、素敵な『千古の滝』や 明治時代に開発された水力発電の『送水管跡』 そして多種多様の『温泉』の数々。

 

 『真田一族』に関連した名所・旧跡を訪ねるのも面白いです。戦国時代をテーマにした『古城緑地公園』や『砥石山城』や『米山城』などの山の山頂に築かれた砦。 そして『真田一族』が『上田城』を居城とする前の『真田氏館跡』や『本城跡』、信仰していた『神社』や菩提寺とした『寺院』などなど。

 

 今回は『山家神社』です。

 

 

 駐車場の一角に案内図が立っていました。

 

 写真に収めておくと後で何かと役立つことが在ります。

 

 観光案内パンフレットには書かれていない(面倒だから省いちゃう?)情報が隠れたりしています。

 

 例えば右上の地名『十林寺』は『十輪寺』のお寺の跡地の事でしたし、地名の『字』がその土地の根拠を示しています。

 

 只、ややこしいのは、戦国時代の道は車社会の発達と共にドンドン変化していきます。

 

 昔渡れなかった川に橋を架け、急登坂を迂回した直線的な舗装路が『道』となります。

 

 更に集落に騒音や危険をもたらさない様に『バイパス』が完成します。

 

 『バイパス』を走っていれば『コンビニ』をは利用できるしスピードも出せるので、目的地への移動は『バイパス』がメインになります。(カーナビがそうですもんね)

 

 上の地図を見たって『国道』や『旧有料道路』が在れば其方を走ってしまうのが人情。

 

 故に『山家神社』は今まで訪れた事無かったです。(と云う言い訳はさておいて)

 

 

 『縣社・けんしゃ』とあります。

 

 日本国内、全ての『神社』は『神社庁』が管轄し、認定を受ける為の基準が事細かく決められています。勝手に『〇〇神社』を造る事は出来ません。

 

 神社には『格』ってのが在りまして、順位が設けられている。『旧制度』の名残なんですけど、古い神社程『旧表記』のまま残されていたりします。

 

 国が携わって造られたのが『国社』 次が県が携わった『県社』 更にあって『郷社』などなど。

 

 『神社仏閣』関わらず『摂社・末社』を勧進したりもしています。

 

 『神道』で『神』をを祀る為の建物『神社』と、伝来宗教の『仏教』で『仏』を祀る為の建物『寺』とはまるで違う物なのに『神仏習合』で何が何やら訳わからん状態になり、これじゃイカンと明治政府が発令した『神仏分離令』で、外来宗教の『お地蔵さん』を壊したり。首から上の無いお地蔵様が多いのは此の為です。中には『首なし地蔵』と呼んで心霊スポット扱いのお地蔵さんも在るみたいですけど、所詮は人間の仕業。(げに恐ろしきは人間也)

 

 昨今流行りの『御朱印帖』ですけど『神社』と『仏閣』ちゃんと分けてますよね?(家はそもそも御朱印集めしていないです)

 

 ついこの前TVで騒がれた『BT〇神社』なんてのも在りますが、お賽銭を集めるのが目的なら違法の筈。(個人的感想で悪意は無いです) 映えるスポットとして兎角動画投稿されがちですけど。

 

 

 昔の看板屋さんは格も絵が上手だったのかと感心してしまいますけど、聞く所によれば『プリントされた大きなシール』だそうです。パソコンで取り込んだ『図画』をシールにプリントアウトするだけ。でもそれを皺無く水平に貼るのは相当な技術です。(スマホの保護シールすら上手く貼れない)

 

 

 参道沿いに長々と説明が書かれた長い看板が立っています。興味ある方ご自身で確認して下さい。

 

 神社で在るから『太鼓橋』をを渡ると『神域』です。

 

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菅平薬草栽培試験地

 

 何故こんな山の奥地に? が第一印象です。

 

 立派な案内看板が入り口にド~ン。

 

 

 しかも広い駐車場が在り、ビジターセンターもあるみたい。

 

 んじゃ早速ヘルメットを取りまして。

 

 ふと見た『薬剤師会 薬草の森 りんどう』

 

 『りんどう』と云う固有名詞の付いた『薬草の森』なんでしょうけど『薬草』ってんですから『森』はどうよ? なんて突っ込みいれまして。

 

 かなり昔のTVドラマで、『長渕剛』扮する役どころが『グレタ医者』=『ヤクザ医師』と云うのが在りまして、『薬剤師』と聞くと『ヤクザ医師』を想像してしまうのは私だけ?

 

 本来は受付をしてから園内を廻るんでしょうけど、コロナ過の最中もあり、ノートに名前と住所を記入するだけ。

 

 園内には手入れをしている職員らしき数人が作業していました。

 

 

 良く見かける『ドクダミ』は昔から『煎じ薬』として呑まれてきました。

 

 日陰のジメジメした処で育つ、繁殖力が強い草です。

 

 

 『ヒメヒオウギスイセン』は最近よく見かける植物で、雑草地に朱色鮮やかな花です。

 

 でも繁殖力が強い処を見ると『特定危険外来種』はかも。(たまには自分で調べなきゃ)

 

 

 へ~。『吾亦紅』も薬草成分が在るんだ。しかもお浸しで食べられる。覚えとこ。

 

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平塚らいてう

 

 菅平ダムの東側を走る『県道182号線』はあまり走った事無い人が多いと思います。

 

 菅平ダムが完成し国道をバス路線が走る前は、此方が『菅平』と『鳥居峠』経由『群馬県・嬬恋』を結ぶ道として利用されていました。

 

 『吾妻山』へのアプローチとしても使われますが途中で見つけたのが『平塚らいてうの家』です。

 

 別荘地内にあったので、てっきり『神奈川県・平塚市』の保養所or林間学校であり、その名前が『らいてう』=『雷鳥』とばかり思っていました。

 

 まてよ『平塚らいてう』 どっかで聞いたな?ググってみようね。

 

 『元始 女性は太陽であった』の言葉を残し、女性の参政権獲得などに尽力した人。

 

 よりも『若いツバメ』の語源となった人の方が知名度あるのかな。

 

 大正末期から昭和にかけて、雑誌を通じて女性の地位向上を呼びかけました。

 

 裕福な家庭に生まれ自由奔放に生きた女性の様に思われていますが、写真などを見る限りでは小さくて華奢な感じのお嬢さん。晩年の写真など人のよさそうなご婦人です。

 

 それが不倫騒動の挙句心中事件を起こしちゃうんですから………。

 

 

 訪れたのは9月初旬。あら『閉館中』

 

 コロナ対策なのね。

 

 

 ならば仕方ない。菅平に抜けて。

 

 

 この道は『菅平牧場』に抜けられるのですが、現在関係者以外進入禁止になっていました。以前はこの道から『吾妻山』麓の『西花童子(山家神社中宮)』へ行けたのですが。

 

 入るなと云われたらルールを守るのがオ・ト・ナ。 引き返しますか。

 

渋峠

 

 外国人観光客にもダントツの人気を誇る『スノーモンキー』

 

 温泉に入る『野猿』を観光目的で餌付けしたので『野生』と云って良いか………。

 

 冬、餌に困っている『野生の猿』の為に餌をあげていると考えればね。

 

 その猿がついでに温泉に入ってそれを見に観光客が大勢集まった。

 

 『野猿公苑(何故公園じゃ無い?)』を管理する一軒宿もそりゃあ大繁盛します。

 

 だって入場料だって馬鹿にならない。(その代わり何時間でも観ていられます。)

 

 野生のサルは群れで行動しているので何時現れるかは運しだいです。

 

 エサの豊富な時期より冬場のエサの少ない時の方がよく集まってくるみたい。(個人的感想です)

 

 雪の残る山々に囲まれて温泉に入る猿を観る。但し寒いですから。

 

 この『野猿公苑』が在るのが『渋温泉』です。

 

 『湯田中温泉』と隣接していますが『源泉』が違うらしいです。

 

 で、そこから20kmも離れた『志賀高原』にある群馬県との境の峠が『渋峠』です。

 

 更に『志賀高原』と名前が付いた由来を御存じですか?

 

 『長野電鉄』創業者の『神津藤平』さんは『長野市権堂』(現在は長野駅)から『湯田中温泉』まで鉄道路線を引きました。そこから更に高地に続く自然豊かな高原地帯の観光開発に努めます。

 

 『温泉』と『滝』『湿原』『高原植物』や『美しい紅葉』冬は『スキー』と一年を通じて楽しめる観光地開発に成功した『神津』さんの出身地が『佐久市・志賀村』でした。

 

 この方、長野県の地方銀行『八十二銀行』合併前の『十三銀行』(もう一つは『六十九銀行』)の創業にも携わっています。佐久の『渋沢栄一』ですかね。

 

 音楽家の『神津善行』さん(息子で画家の『神津善之助』も有名)や、日本で一番早く『西洋式酪農』を取り入れたとされる『神津牧場』創始者も全部一族です。

 

 更に更に云うなら長野県出身総理大臣『羽田孜』の義理のおじいちゃんにあたります。(凄い家系)

 

 この『志賀高原』、別荘地やホテルも在り、静かに『高原ライフ』を楽しみたい人が大勢いますので『改造マフラーのバイク』や『暴走行為』はご遠慮ください。

 

 

 この『渋峠ホテル』は県境の上に建築されています。納税とかややこしそう。

 

 

 公衆トイレの向かいに真新しい石碑が建っていました。

 

 平成30年夏。群馬県防災ヘリコプターが危険個所調査中に墜落してしまいました。

 

 9人の尊い犠牲を慰霊する為の碑です。日頃のたゆまぬ訓練あってこその人命救助です。

 

 

 現場方向に向かって合掌。

 

 高校の頃、草津から『志賀草津有料道路』(今は無料の国道292号線)を走り『蓮池』から林道を抜けて『秋川郷』へ行ったことが在ります。11月初頭の連休(シルバーウィーク)を利用して、『テント・寝袋』を積み込んでの一泊ツーリングを計画したのですが、『志賀高原』から林道を走った頃は日も暮れて真っ暗。薄暗いバイクのヘッドランプのみで山道を走り抜けました。当初の予定では自分で温泉を掘り、入って温まる計画でしたが、疲れ切って尚且つ冷え切った体では断念。広場と思わしき片隅(実は分校の校庭でした)にテントを張り、寝袋の中で丸まって寒さに耐えました。翌朝ナント『雪景色』積雪15㎝は在りました。凍える手で寝袋・テントを丸めてバイクの荷台に括り付け、滑るタイヤを両足で支えながらナントか国道117号に出て食事にありつけました。観光どころか命からがらの痛い経験です。

 

 災害現場で救助隊が『止む無く捜索を中止します』という場面をニュースなどで見聞きする事があります。人情として『もう少しで探せるかも』とか『明日迄生存しているかどうか』などの状況も加味しなければならないので一概には言えませんけど、二次災害による捜索隊の命も大事にしなければいけません。経験豊富な隊長の判断に委ねます。日頃弛まぬ努力と経験を積み重ねてくれる救助隊の皆さんに只々感謝です。

 

 一切の光が無い山道(本当に真っ暗闇)では、人間は一歩も歩けません。遭難したら陽のあるうち以外、現場から動かない事が肝心です。万が一の時に参考にどうぞ。

 

国道最高地点

 

 『群馬県・草津温泉』と『長野県・湯田中温泉』を結ぶ国道292号線、通称『志賀草津有料道路』は無料化と共に『浅間・白根・志賀さわやか道路』と名前を変えました。

 

 でもやはり『標高2172㍍』の『国道最高地点』はこの国道に在ります。

 

 あくまで『国道限定』の最高地点でして、バイク・車で走れる一般道の最高地点は『富士山スカイライン2380㍍』が在ります。

 

 タクシー・専用バスの運転手なら『立山有料道路・室堂2450㍍』が現在車で到達できる最高地点ですが一般車両通行禁止です。

 

 更に云うなら富士山には『モローカー』や『ブルドーザー』が走れる『資材運搬道路』通称『ブル道』が山頂まで続いてますけど。

 

 

 交通量の少ない(でもゼロでは無いので対向車注意です)ワインディングロードを気持ちよく走って『万座温泉』に出ます。

 

 『日本一(標高の)高い温泉旅館』の露天風呂が在るのも『万座温泉』

 

 でも今回は素通りです。国道292号で左折。

 

 

 途中の『山田峠』には駐車場が在りません。

 

 登山者の為の『避難小屋』と『霧鐘塔』が在ります。

 

 

 春。『冬季道路閉鎖解除』直後は『雪の大回廊』が観られるのも此処。

 

 『黒部アルペンルート』程の高さは在りませんけど。

 

 

 稜線を走るこの道はツーリングに持って来いの道でお勧めです。

 

 但し、『コンビニ・ガソリンスタンド』など一切ありませんので、『草津温泉』か『湯田中温泉』の付近で済ませて置いて下さい。(スキー場やホテル売店などが唯一利用できます)

 

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小串雨量観測所

 

 『小串鉱山』まであと少しなんだけど『水』が足りない。

 

 万が一を考え引き返すことにします。

 

 

 で此処まで『下り』だったって事は戻りは『上り』

 

 『日本300名山』を一筆書きに人力踏破しちゃった『田中陽希』さんに言わせれば『散歩』でしかないでしょうけど。

 

 

 この硫黄鉱山の山は大きく崩れ、小串の町を一部飲み込んだそうです。

 

 世の中は平和になり、戦争需要の『硫黄』も不必要になりつつあった事もあり、鉱山は閉鎖、ある者は『炭鉱』へ仕事を求めて北海道や九州へと流れ、ある者は他に仕事を求め鉱山を後にしました。町が閉鎖される時、無断居住者が住み着いたり、悪用されないように居住地の主な建物は火を着けて焼却処分したそうです。

 

 お墓や神社も在ったそうですけどもう跡形も無い………。

 

 何となく手を合わせ、引き返します。

 

 

 『竜胆』に癒されたり

 

 

 『溶岩石』の面白い模様に元気付けられたり。

 

 

 林道脇に人工物が在り、気になったので近付いてみますと。

 

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小串鉱山

 

 『毛無峠』でバイクを降り、関係者以外立ち入り禁止のチェーンから先は歩きです。

 

 ってあくまで登山道を歩く訳ですけど。

 

 グーグルアースで確認した時はチェーンに気づかず、てっきり林道を走れると思っていましたから、大きな誤算です。

 

 それでも無視してバイクで走った輩が多いらしく、グーグルマップ『小串鉱山』に揚げられた写真の中にはバイクが映っていたり、『轍』が確認できます。

 

 

 駐停車禁止の標識。実は写り込まない角度には車が沢山。

 

 中にはテーブル広げてまんま『キャンプ』です。

 

 で『遭難多発区域』って何?

 

 

 『高山村・七味温泉』~『毛無峠』~『小串鉱山』を繋ぐ登山道が在ります。

 

 (詳しくは『山レコ』なんぞのアプリを参照)

 

 この『関係者以外立ち入り禁止』って、物凄く便利な言葉だけど実はあやふや。

 

 当事者側にしてみればこれを書くだけで万が一の事件事故が在っても『責任逃れ』が出来るし、立ち入る側にしても『関係あるから立ち入るんです』って事に成る。

 

 結局は『お役所仕事』

 

 

 笹薮の中の登山道をひたすら歩く。

 

 時には『藪漕ぎ』が必要なほど笹が繁っている場所も在り、足元が見えないから危ないの何の。

 

 『ツーリング用ウエストバッグ』には、いつも『熊除け用』に『おもちゃの鉄砲』(火薬をバンと鳴らすヤツ)が入れてあるので、先ずは一発鳴らしてから。

 

 これ『百均』のオモチャコーナーで売ってます。

 

 

 強い風が吹き抜ける山道は、暑い日差しもなんのその。心地よく歩けます。

 

 空を流れる雲が早いの何の。

 

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毛無峠

 

 『小布施』や『須坂』に隣接しているのに『コア』な観光客以外中々足が向かないのが『高山村』です。

 

 春の『根曲がり竹採り』や『秋の紅葉』 野趣あふれる『温泉の数々』 何と云っても最高に面白い『ツーリングコース』です。

 

 『高山村』を東西に走る二本の『県道66号線・112号線』は『古安』の分岐を分かれた後、国道292号線の『志賀草津道路』に合流します。

 

 途中『国道日本最高地点』を通る一周2時間(見所多すぎてかっ飛ばすのは勿体ない)のコース絶対お勧めです!

 

 『温泉』も在るから関東圏から日帰りツーリングに持ってこいです。(ホントは内緒にしたいけど)

 

 県道112号線で高度を稼ぐと

 

 

 『善光寺平』の向こうに『北アルプス・白馬岳』や『北信五岳・飯綱山』が見えます。

 

 コンビニからバイクで1時間でこの景色ですもん。

 

 県道122号線『大前須坂線』の『大前』は『群馬県嬬恋村』に在ります。

 

 群馬県境を越えると群馬県道466号線になる(管轄行政が変わるんだから当たり前)この道は途中一ヶ所だけ分岐が在ります。

 

 その分岐を行くと『毛無峠』

 

 Hな事想像してない?

 

 森林限界を超えた高所には樹木が生えません。強風が吹き抜ける場所では低灌木すら生え難く、更に『火山性ガス』や『鉱山性毒物』が発生すれば植物すら育ちません。

 

 何にも生えない『禿山』でしたが昨今は『熊笹』が一面を覆っています。

 

 道路はやがてチェーンが張られ終点になります。この先一般車両立ち入り禁止ってヤツ。

 

 

 『土鍋山』の中腹に連なって建つ『鉄塔』 其れは『小串鉱山』で採掘された『硫黄』を運び出す為の『策動=ロープウェイ』の跡です。

 

 第二次大戦中、『硫黄』は火薬材料として使われました。つまり『小串』は軍需産業としての鉱山開発が勧められた場所です。この広場で策動からトラックに積み替えられ細い山道を下りました。

 

 

 今では『毛無峠』をベースに『破風岳』をや『土鍋山』へのハイキングも人気コースになっています。

 

 でも一番驚いたのは『ラジコングライダーの聖地』になって居た事です。

 

 平日の昼頃、やけに駐車している車が多いなと感じました。

 

 『破風岳』の参道には登山者の影もチラホラしかし車が多すぎる。

 

 バイクのエンジンを切りヘルメットを取ると上空で微かな風切り音が聞こえました。

 

 『?』

 

 

 複数の『ラジコングライダー』が滑空しています。

 

 駐車場から登山道へ入ると

 

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『福島正則』荼毘の地

 

 新章。2021/9 休日を利用して北信の在る処へ。

 

 バイク日和のこの日、『菅平』を抜け『須坂』から『高山村』へ。

 

 此処まで家からブラブラしながら2時間程。コンビニでコーヒータイムがてらおにぎりとお茶を購入します。って事は此処から山へ入って行く訳ですけど。

 

 『戦国時代の武将』で人気が在る武将と云えば『真田幸村』や『武田信玄』『上杉謙信』 漫画やパチンコの影響からか『前田慶次』や『直江兼続』 天下を取った『羽柴秀吉』 第六魔王の『織田信長』はイマイチ『ダークヒーロー』から抜け出せないですね。

 

 『福島正則』 戦乱の世に生まれ、波乱万丈の一生を送った人。

 

 超が付く程有名では無いけど、戦国ゲームなどでは必ず登場します。

 

 何を成したかは知られていなくともそこそこの知名度。

 

 以前『小布施・岩松院』を訪れた際『福島正則』の『霊廟』が在りました。

 

 気になって調べて(グーグルでポチっとな)みると………へー、そうなんだ。

 

 (気になる方はご自身でポチっとな)

 

 

 幹線道路の案内を頼りに、やって来たのは田圃のど真ん中です。

 

 頭を垂れ始めた稲穂に囲まれて石碑が建っている一角は、近寄りがたい様な独特の雰囲気が在ります。(それでも行くんだから物好きって………)

 

 『荼毘』とは遺体を火葬する事。『福島正則』の荼毘を此処で行ったとされています。

 

 

 『秀吉』の血縁関係に生まれ、『賤ケ岳』『長久手』などの戦で武功を上げ、『石田三成』らと共に朝鮮出兵するも何故かその後険悪の仲となり、関ケ原では『東軍』に着く。

 

 『徳川』より『安芸』を拝し、周辺併せて五十万石の領土を収める。

 

 しかし『秀吉』の病気見舞いに『大阪城』を訪れるなど不可解な行動も在り、『徳川』から目を付けられてしまいます。

 

 『家康』の死後、『広島城改修』が『武家諸法度』に違反していると咎められ『秀忠』から『信州・高山村』蟄居を云いつけられてしまいます。

 

 晩年、此の地で余生を過ごし享年64歳荼毘に付される。

 

 でも蟄居の身であってもこの人は凄い。『小林一茶』に資金援助(いわゆるパトロン?)し、世の中の動向を知ろうとしていたそうです。

 

 『小林一茶』は諜報活動もしていたって事に成るんですけど。

 

 

 生涯を終え、荼毘に付されるなら幸せなのかもしれない。

 

 昨夜のニュースが忘れられない。

 

 『プーチン』の引き起こした『ウクライナ侵攻』により、ウクライナ東部に住む一般市民が多数死亡。遺体収容袋に入れられたまま、大きな穴に放り込まれていく。この人たちが何をした?

 

 映画ではよくあるシーンかも知れないけどこれは現実。目を背けてはいけない。

 

 『プーチン』貴方はもう終わっている。

 

 

守芳院part2

 

 さっさと進めないとブログの時差が半年を越えて居まして………。

 

 境内をザックリと紹介しますと。

 

 

 釣鐘の下には窪みが在ります。音を反響・増幅する為でしょう。

 

 土で固められているからこその『技』ですね。

 

 木の床の鐘楼では四角く穴を開けている物もあります。

 

 

 境内の一角の『薬師堂』 厄除け観音と書かれた門が建っていました。

 

 

 ガラス越しだとどうしてもピントが甘くなっちゃう。

 

 『日光・月光菩薩』を脇観音に従えています。

 

 

 良い具合に緑青の吹いた『聖観世音菩薩』でしょうか。迫力あります。

 

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守芳院

 

 正式名称『平尾山・守芳院』 曹洞宗のお寺です。

 

 曹洞宗は『禅』を通じて精神修行するだけでなく、冬の(クソっ)寒い『永平寺』で早朝から全力で掃除。

 

 食事からトイレまで全て作法があり、毎日の生活が修行そのもの。

 

 雪の中を素足で『托鉢』に出掛ける。

 

 俗人には到底務まりません。

 

 

 入り口の杉の大木『弾生の杉』からして迫力が在ります。

 

 左の木肌には樹木修復の跡が見えます。

 

  此の『弾生の杉』は『佐久市景観樹木指定第一号』に認定されています。

 

 調べてみますと。第二号は個人所有の『赤松』が指定されています。

 

 『景観重要建築物』と云う物も在りまして、これには『山田神社社殿』が第一号指定を受けています。

 

 でもそれ以外は?

 

 

 『山号』の扁額が掲げられた総門(山門?)を潜り、参道を進みます。

 

 

 中庭に建っていたのが『下田歌子顕彰碑』

 

 

 フムフム。そうなんですか。実践女子大の………。

 

 実は『東京・多摩市』に住んでいた事がありまして、お隣『日野市』には『新選組発祥の地』や『土方歳三のお墓』などを訪ねた事があります。

 

 その時『下田歌子』歌碑を観ました。余りに歌が上手いから歌子の名を賜ったと在り、変な名前(失礼)と感じた記憶があります。

 

 渋谷の『青山大学』のお隣に在り、お嬢さんのイメージですが(私だけ?)、実は女性の自立を促し、『知性と教養』を身に着ける為の学校です。

 

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平尾社境内

 

 惚れ惚れしちゃいます。この建物。

 

 

 拝殿まで登って参拝後に振り返ると。

 

 結構な斜度です。

 

 

 更には『摂社』『末社』の類も沢山祀られています。

 

 左の青色の社は『伊勢社』と在りましたが、その他は何の神様か解りません。

 

 

 参拝した後、社殿の彫刻を見るのを常としていますが、此の石垣登る?

 

 石段が在るから登れなくは無いんですけど、草叢歩けば引っ付きムシが服に着きそう。

 

 

 此処を訪れたのは2021/9の事です。

 

 悲しいかな『日露戦争』を記念とした石碑も在りました。

 

 『戦争』を肯定していた頃の負の遺産です。

 

 現在(2022/3)『ウクライナ』へ武力侵攻し、多くの犠牲者を生み出している『プー〇ン』 ましてや『核施設』にまで攻撃を加える暴挙に出ている大バカ者です。

 

 日々のニュースを見る度に心苦しくなります。

 

 先日、映画『戦争と平和』がTV放送されました。

 

 『ナポレオン』率いるフランス軍に対峙し『ロシア国民』が自由を勝ち取る話です。

 

 『〇ーチン』は『ナポレオン』になるつもり? いや『ヒッ〇ラー』か?

 

 『ヒットラー』は『自殺』するんですけどね。(ナポレオンも自殺を図ったが死にきれなかった)

 

 『ロシア皇帝』の時代、皇后に取り入り『ロシア国内』の民を苦しめた『僧侶・ラスプーチン(Rasputin)』が有名(『Boney・M』の歌で聴いていた位)ですが、世界中が望んでいるのは

 

 『Lose  Putin』

 

 

平尾社

 

 新章スタートします。と云っても2021/9の事ですけど。

 

 『佐久市・平尾地区』の平尾山周辺には『佐久パラダ・スキー場』や『温泉』『フィールドアスレチック』『キャンプ施設』そして最近は『ごみ焼却施設』まで建設されました。

 

 『御代田大橋』の完成により、佐久から御代田へ向かう県道156号線は格段に交通量が増えました。

 

 そんな幹線道路から脇道に逸れると驚く程の静けさが広がっています。

 

 山の端に神社のポールを見つけたので行ってみます。

 

 

 で二の鳥居

 

 

 三の鳥居

 

 

 更に石段上に四の鳥居

 

 

 ………。まぁ千本鳥居の神社も在りますから。

 

 でも全部『扁額』の『文字』つまりは『祀る神様』が違うって在り?

 

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土村公園

 

 『小海大橋』ができてから、旧道を通って小海駅前を抜ける事が無くなりました。

 

 フト気になって『南相木』からの帰り道、脇道へウインカーを出します。

 

 短いトンネル(此処をトンネルにする必要在ったの?)を抜けると『老人介護施設』が在りました。

 

 隣接の『土村公園』と共有なのか駐車場にバイクを停めまして。

 

 

 先ずは道を渡って『男岩』

 

 残念ながら葉っぱが繁り過ぎていて、知らないと見落としてしまうかも。

 

 解ります?『子孫繁栄』のシンボルですと。

 

 因みに『女岩』も在るとか。見た事無いですけど。 

 

 

 普通に歩いても、頂上まで10分と掛からないでしょう。

 

 でもこの日、一日バイクに跨って、あっちウロウロ、こっちチョコマカと動き回って『脚』が攣りそう。

 

 日頃の運動不足がたたって、夜中に『こむら返り』ならぬ『太股痙攣』を起こしたら痛いの何の! 『芍薬甘草湯』を飲まなきゃ。

 

 で看板に在った『成田山』と『八幡神社』だけお詣りしますかね。

 

 『成田山』とあったけど『寺院名』は?

 

 

 寺院独特の『花頭窓(火灯窓とも書くみたい)』が描かれています。(窓じゃ無い)

 

 本尊を撮影しようとしましたが失敗。興味ある方行かれてみては?

 

 そしてすぐ隣に

 

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立岩

 

 『川上村』から『馬越峠』を越え『南相木村』へ入りました。

 

 『南相木村』は割と良く訪れる場所です。

 

 今から30年近く前、『アウトドア雑誌・Be-Pale』が主催する『ビーパル・ランド』と云うアウトドアイベントが在りました。

 

 まぁ簡単に言えば『キャンプ入門』を指導してくれて、キャンプしながら何を楽しむ?をアドバイスしてくれるようなイベントでした。

 

 早い話、アウトドアに興味持ってね。(スポンサーの)道具も買ってね。雑誌も買ってね。のキャンプ&イベント大会。

 

 『アウトドアクッキング』の講習会も在って、そこで『ダッジ・オーブン』の魅力を知って、思わず買っちゃったい。

 

 今だに当時買った『コールマン・ピークワン』は現役稼働。ツーリングの頼もしいお供です。『ダッジオーブン』は重いし嵩張るから車の時だけ持って行きます。

 

 『立原高原キャンプ場』も夏は大賑わいの場所です。

 

 近くに『温泉』も在れば、『渓流釣り』や『登山・トレッキング』も出来る。

 

 日本一高所に在るダムとして『南相木ダム』なんぞも周遊出来ます。

 

 但し。『コンビニ』『スーパー』は国道沿いにしか在りません。

 

 キャンプされる方。現地調達は難しいですから予めご準備を。

 

 

 『立岩湖』の下流200㍍の河川沿いに『屹立』した岩が見えます。

 

 これが『立岩』(だから『立岩湖』なんですけど)

 

 実はこの岩のてっぺんには『祠』が祀られているんです。

 

 『ドローン』が在れば写真が撮れるんですけどね。

 

 でもどうやって此の岩の上に、重い『祠』を持ち上げた?

 

 裏山から廻り込んでもやっぱり垂直の壁です。

 

 岩石の色具合からして『チャート』の類では無く、溶岩由来かな。(個人的感想です)

 

 道路沿いに駐車場は在りません。『立岩湖』湖畔の駐車場から歩きです。

 

 この『立岩湖』では日本で此処だけ。『シナノユキマス』が釣れるそうです。(期間限定。要確認)

 

天狗山

 

 よく見かけるけど名前を知らない山。『天狗山』もそんな山かも知れません。

 

 国道141号線を『佐久海ノ口』から『野辺山』方面へ向かって『市場坂』のクネクネを登ります。東南側に見えてくる尖がった山が『天狗山』です。

 

 『佐久広瀬』と『信濃川上』を結ぶ『穂坂峠』から稜線に出る登山路も在るみたいですが行った事無いです。

 

 よく知られるのが『川上村役場』から『南相木村』に抜ける『県道2号線』の『馬越峠』から稜線を歩くコースです。

 

 『馬越峠』には数台の車を停められるスペースがあります。

 

 『峠』=『稜線』ですから、若干のアップダウンは在るものの子供でも片道1時間弱のハイキングコースです。

 

 『川上』から『野辺山』に広がる広大な『レタス畑』の向こうに迫るような『八ヶ岳』を堪能出来るコースでお勧めです。

 

 只行かれる方『熊除け鈴』と夏は『虫よけ』必需です。(お茶とおにぎり忘れずに)

 

 

 因みに『南相木村』から『川上村方向』を向いて建てられていますので地図は下が『北』です。(紛らわしい)

 

 

 実はこの日『朝日岳』に登ろうか『国師岳』に登ろうかとワクワクしながら『大弛峠』へ向かったのですが、余りの駐車台数の多さに断念。色々と道草してました。

 

 峠に着いた段階で『水』も無いから今回『天狗山』はパス。又の機会にします。

 

 

 『廃仏毀釈令』によって壊された『お地蔵様』と不思議な『石像』が峠を行く人の安全を見守っています。

 

 でもこの石像の顔、何かいい味出してますよね。

 

大深山遺跡

 

 訪れたのは小学校の遠足以来です。

 

 中込駅から『ディーゼル機関車』(JR小海線は今だに電化されていません)に乗り、『川上駅』から往復歩き。此処でお弁当食べ、また歩いて『川上駅』~『中込駅』

 

 正直。お弁当食べた記憶以外何も残ってません。

 

 

 後で知った事ですが、引率者の先生は必ず事前に『下見』をするそうです。

 

 登山なども万が一に備え『下見』 (太った先生いたけど大変だったろうな)

 

 

 小学生には『竪穴式住居』なんて面白くも無いけど、その後、千曲川河川敷に子供だけで石を積み(竪穴の代わり)、木を組み合わせてそこに『萱』(ススキ)を載せて『竪穴式住居再現!』 『秘密基地』として使ってましたけど大雨で跡形もなく消え去りました。空き缶にいれて隠しておいた『銀玉鉄砲』も流れてショック。

 

 

 『縄文時代』と云えば今から三万年もの昔。人間が衣服を纏い、火を使って暖を取ったり、粘土で『土器』を造り煮炊きに利用していた時代。

 

 『家族』が一つ屋根の下で暮らし、沢山の家族が集まり『集落』を造りました。

 

 まだ『農耕』を覚える前の時代ですから『野山』に自生する限られた食料や、『野生動物』、川に泳ぐ『魚』などが食料の全てです。

 

 『大集落』を形成するには、そこに住む人を賄えるだけの豊かな食料が在ったと云う事です。

 

 でもいかに皮膚が丈夫だからといって、冬の極寒気に此処で暮らせる?

 

 『焚火』だけじゃ凍死しますよ。

 

 

 昨今、『キャンプブーム』とやらでキャンプ場以外でテントを張る人が増えています。

 

 『極寒対策テント』に『冬山用シェラフ』『ガスストーブ』などを車に積み込み、冬でもキャンプを楽しむ。

 

 でも許可は取りました?日本の土地は必ず土地所有者が居て税金を払っています。もしくは国有地です。

 

 そんな『キャンパー』を見ると『トイレ』はどうしてる?と突っ込みたくなります。

 

 『アメリカ・ヨセミテ公園』をトレッキングする人は『携帯トイレ』所持が義務付けられています。直火で焚火する事も出来ません。

 

 早朝の某登山口駐車場にテントを張っていた人がいました。

 

 バイクの音で目覚めたのか、起きてきてすぐその場で『立ち〇ョン』

 

 私が下山して来るとテントの在った場所には『ゴミ袋』が置きっぱなし。

 

 『ブーム』だからと安易な気持ちで環境を汚していませんか?

 

 仮にゴミを全て持ち帰っても、帰りの『サービスエリア』に捨ててくる。

 

 そんな『キャンパー』が減りますように。イヤ来るな。

 

大弛峠

 

 『大弛峠』と書いて『おおたるみとうげ』と読みます。

 

 同じ発音の『大垂水峠』とは異なりますのでご注意。

 

 長野県は県歌『信濃の国』

 

 ♬ 信濃の国は 十州に 境 連ぬる……… 

 

 と歌われているように、十州(越中・越後・上野・武蔵・甲州・駿河…)との県境が在ります。

 

 山に囲まれているから県境は全て『峠』です。

 

 その中で『山梨県』との県境にある『峠』が『平沢峠(国道141号線)』『信州峠(県道106号線)』そして『大弛峠(県道ですら無い?)』の三つです。

 

 この『大弛峠』実は凄いんです。

 

 『日本最高標高=2360㍍を車で走れる一般道』です。

 

 ぶっちゃけ言えば『富士スカイライン=2380㍍』ですが有料道路。

 

 更に高い位置を走る『黒部アルペンライン・室堂=2450』は一般車通行禁止。

 

 『国道』限定で云えば、最高地点は『渋峠=2172㍍』(しかも県境じゃ無い)

 

 まぁ世界で見れば『インド・マーシミク=5582㍍』が在りますから半分に満たない高さなんですけどね。(アプローチが大変そう)

 

 

 昔、(と云っても30年以上前)は『ホンダ・〇ビック』で普通に登れた砂利道ですけど、現在はかなり荒れています。

 

 どうしても『大雨』とかで土が流されちゃう。

 

 道路を横切るように『ゴム』(タイヤを切り広げたモノ)が埋設されていますけど、所々に『溝』が出来ていて嵌ったら四輪駆動じゃ無いと脱出が大変そう。

 

 

 上のYouTube動画は15分かかります。編集の仕方が良く解らない。

 

 

 そして『峠』が近くなると砂利道に停められた車が30台以上!

 

 『山梨』側には30台は停められるトイレ付駐車場が完備しています。それじゃぁ足りないのか。中には強引な停め方の車も。(運転手の気が知れない)

 

 トラブルが続けば規制が入りますよ。

 

 

 トイレを利用する為『越境』しちゃいました。

 

 

 雲が無ければ日本第二位の高峰『北岳』が見える筈なんですけど。

 

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秩父多摩甲斐国立公園

 

 長野県・川上村を東走し『金峰山川』を渡って右折。川に沿って南下します。

 

 道路案内は『金峰山・廻り目平』を目指せば分かり易いです。

 

 

 道路脇に立つ『秩父多摩甲斐国立公園』の案内に『信濃』が抜けてるだろ!と突っ込みたくなるのをガマン。

 

 

 で『観光案内図』でこれから行く分岐点を確認します。

 

 車(一部バイクでも)では『カーナビ』が当たり前。

 

 それも『フロント・アップ表示』がごく当たり前に表示されます。

 

 昔から『全日本道路地図』を頼りに全国を走り廻っていましたから『ノース・アップ』の地図じゃ無いと、自分がどっちを向いているのか解らなくなり不安になります。

 

 知らない場所をゆっくり走るのと、知っている道をかっ飛ばすのじゃ移動距離感が全然違います。

 

 「ナビ通り走れば着く」と云えばそれまでですけど。

 

 

 更に走ると鳥居を見つけました。

 

 地図にも載って無ければカーナビにも案内されていないでしょう。

 

 脇道・寄り道が大好きですので『神社は何~処じゃ』と探し回ったんですけど?

 

 農繁期の平日昼間。辺りを出歩いている暇そうな人は見当たりません。

 

 『高天原乃千木高知端御門』とあります

 

 

 遠い山の稜線に見える『社』の様な岩の事かな。

 

 因みにgooglemapで確認しましたけどこの辺りに『神社』無いし。

 

 更に進んで

 

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天然水晶洞part3

 

 映画『黒部の太陽』に出て来た様な掘削機だけではありません。

 

 ナント! 現在進行形で掘ってる⁈

 

 

 通路の照明は点いているんですけど、何が何だか解らない。

 

 フラッシュON。

 

 

 梯子を引き上げて在りますけど、この縦穴の中を降りて行くのでしょう。

 

 底に水の溜まった『バケツ』が見えます。

 

 イマイチ深さと狭さが伝わりません。

 

 『大脱走』じゃあるまいし、此の穴に入れと云われても………絶対無理!

 

 こーちゃん、『閉所・高所・暗所・先端の恐怖症』とはトンと無縁です。

 

  でも此の穴、もしも崩れたら? だってこれだけ水を含んだ地底に降りるんですよ。

 

 

 おっ。いよいよ核心に到着。

 

 きっと洞窟一面にキラキラ光る『水晶』がニョキニョキ。

 

 でも明かりが点かない。

 

 

 で此処で行き止まり。これが水晶?想像してたのと違うんですけど。

 

 しかもよく見ると岩の先端部が欠けている。やりやがったな。

 

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天然水晶洞part2

 

 一人洞窟の中を歩きながら考えました。

 

 これだけ貴重な天然石の数々と云い、鉱泉旅館と云い、今は寂れてしまっているけど昔は相当人が来たんだろうなぁ。

 

 ひょっとして『金鉱脈』でも探し当てたかなんて下世話な考えまで持っちゃいます。

 

 

 資料館を造れば入場料だけでも相当な収益を上げられるとおもうんですけど。

 

 

 因みにまだ通路の明かりは点いたり点かなかったり。

 

 基本フラッシュ撮影は展示物等を傷める事があるそうなので使っていません。

 

 段々と闇にも目が慣れて来たのかLEDライトだけでも何とかなっています。

 

 カメラを両手で構えてますので、LEDライトを口に咥えて。

 

 でフト思ったんですけど『自由空間』って何だ? 

 

 まさか『ネットカフェ』な訳無いし、無重力って事?

 

 

 『武石・ぶせき』が採れたから『武石・たけし村』の名前が付いたそうですけど現在は採取禁止。初めて見たな。

 

 

 暗闇の中で、わずかな光に反応して光っていました。紫外線に反応するそうです。

 

 一体どの位続いているんだろうと不安になってきた頃、

 

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天然水晶洞

 

 川上村の『スーパー・〇ナーズ』でおにぎりとペットボトルのお茶を購入し、イザ目的地目指して走っていると県道の傍らに『湯沼鉱泉・天然水晶洞』の看板を発見。

 

 一度は素通りしたのですが………uターン! やっぱ気になる。(好奇心旺盛な自分が恨めしい事も在るけど案外好きかも。)

 

 8月下旬。広大なレタス畑では大勢の人が農作業の真っ最中。そんな中『馬鹿がバイクで遊んでやがる』という様な視線を感じつつも『水晶洞』の魅力には勝てません。

 

 

 途中の山道で廃屋らしき場所を過ぎ『歩道橋』の下を潜り………何でこんな交通量の無い山道に『歩道橋が在るんだ?』と疑問に思いUターン。スミマセン。廃屋では無く『湯沼鉱泉・水晶洞』は此方でした。(だって人の気配感じなかった)

 

 草ぼうぼうの広場にバイクを停めると在ったのが上の写真の石。

 

 

 ガラス戸の中は薄暗く、人の気配が在りません。

 

 恐る恐る声を掛けるとおばあちゃんが座っていました。

 

 薄暗い室内に入ると昔は店舗だったのか『ショーケース』などが並んでいます。今は埃を被り雑多に並んだ『天然石』や『飲み物』などを販売していたみたい。多分『食堂』を兼ねていたであろう店内は『猫』だらけ。『猫アレルギー』どころか臭いに敏感な方はキツイかな。

 

 水晶洞の入場料は¥700。正直どうなの?と思ったんですが来客も少ないであろうこの施設に『人助け』のつもりでお金を払いました。(実際には『猫助け』)

 

 簡略の『地図』と『懐中電灯』を渡され「洞窟の中、明かり無い所あるから。慌てないでこれ使って」 渡された昔ながらの『懐中電灯』は電池が無いのか弱弱しく光るばかり。ウエストバッグに入れてあった『100均のLEDライト』を取り出し、「これが在るから大丈夫」と丁重に断りました。

 

 夏でもバイク乗りはジャンバーを着ます。それらを脱いで椅子に置こうとしたら『下に置くと猫がじゃれるから』とハンガーを渡されました。

 

 「裏口から出て園内を一周すると、又この裏口に来るから。迷うことは無い」と云われ

余計に不安になったのは気のせい?

 

 出費¥700。入手アイテム デフォルトの地図。 他持ち物 自前のLEDライト・帽子代わりのタオル・カメラ・スマホ。

 

 イザ『冒険の旅に出発!』

 

 

 この古びた『歩道橋』が冒険の第一歩。

 

 一応、『舗装道路(公道)』と『私有地』を分隔てる為『岩』や『生垣』が続いています。『建物』(私有地)から『水晶洞』(私有地)へ渡る為の歩道橋だったんです。その気になれば全然乗り越えられる『区分帯』ですけど、ガキじゃあるまいし。

 

 『ドラ〇エ』なんぞだと主人公が元気いっぱいに家を出発。広大な草原を歩き、障害を越えた先に魔物が棲む洞窟の入り口発見。

 

 

 いや道は一本道で間違うはず無い。やっぱり此れが洞窟の入り口?

 

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川上・住吉神社

 

 『川上村』を『駅』から『役場」方向へ向かう途中、『住吉神社』が右手に見えます。

 

 普段何気なく通り過ぎてしまうんです。

 

 この日(2021/8下旬)は『スーパー・ナ〇ーズ』で『おにぎり』や『お茶』を買おうとしましたが開店まで30分待たなければ………(因みに村内にコンビニは在りません)

 

 時間調整を兼ねて『住吉神社』散策です。

 

 

 鳥居前にバイクを停めまして。 

 

 夏場、雑草の繁殖力はハンパじゃ無いです。この位なら可愛いもんだ。

 

 

 杉木立の参道を進むにつれ大分歩き易くなりました。

 

 境内のそこかしこに『摂社』や『石碑』が建っています。

 

 取り敢えず参拝してから。

 

 

 『二の鳥居』に続いて『随神門』を潜ります。

 

 『額』の青色が目に鮮やかです。

 

 

 拝殿にて参拝。ぐるりと廻り込んで『本殿』を拝みます。

 

 此れが中々素晴らしい。

 

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五稜郭展望台

 

 『五稜郭』とは、お堀や石垣が古来からの四角形では無く、五角形の星形をした西洋式建築様式を取り入れた『お城』の事で、日本には『二つ』しか在りません。

 

 一つは『龍岡城五稜郭』で『佐久市(旧臼田町)』に在り、もう一つは『函館五稜郭』

 

 断然『函館五稜郭』の方が有名ですが此処『龍岡城五稜郭』も色々な逸話が在ります。

 

 その一つが『日本一新しい城』です。

 

  江戸時代末期、『駿河・松平氏』が戦火に巻き込まれるのを回避しようと新天地を探します。『白羽の矢』の刺さった場所が『信州・龍岡藩』 

 

 其処に最新技術の『五稜郭』を築城しようとしますが、人夫に食事を提供する『お台所』を建設し、『石垣』を積みながら『お堀』を掘っている最中、皮肉なことに『明治』になってしまいます。

 

 明治政府発令の『廃藩置県』や『廃城令』により、反政府軍の拠点となるのを防ぐ為に、お城は壊さなければならなかったのですが、『龍岡城』などはまだ未完成。

 

 他のお城でも『行政機関』を置くなどして多くのお城が存続を許可されました。

 

 松本城は県庁を置きましたので天守閣が残されています。

 

 現在残されている多くのお城に『天守閣』や『本丸』『二の丸』などの無いのは『廃城令』の為です。止む無く『天守閣』を壊したんでしょうね。

 

 後世、様々な城で『天守閣』などが再現されましたが、建築当時のままの天守閣を持つお城は日本国内に『五城』しか無』く、何れも『国宝』に認定されています。

 

 熊本地震で損壊した『熊本城』も建築当時のまま残されていれば国宝に指定され、国税で修理修繕出来たのにね。

 

 『名古屋城』や『大阪城』もその後にコンクリートなどを使って再現された物です。『ゴジラ』が壊したら何処がお金出すんだろ?

 

 最古とされているのが『国宝・松本城』 最新とされているのが『未完の龍岡城』です。やる~長野県。(まっ諸説ありますので個人の感想としときます)

 

 『函館五稜郭』は完全に観光地化されており、『五稜郭タワー』にエレベーターで昇れば、ものの30秒で全貌が見渡せます。(有料ですけど)

 

 何と『龍岡城』は、敷地内に『小学校』を建築する事で存続してきました。そのお陰でお城の敷地内には観光開発の手が及んでいません。(隣接して案内センターが在りますけど)

 

 来年度、小学校の統合が決定し、廃校になりますので一気に観光開発されると思います。(それはそれで寂しいな)

 

 現在、『龍岡城五稜郭』を見下ろす展望台が、北側の山の中腹にあります。

 

 名古刹『蕃松院』さんの駐車場からお墓の中を抜け、展望台へと道が続いています。

 

 車を『蕃松院』さんに停める時はお賽銭お願いしますね。

 

 軽四区やオフロードバイクなら、案内センターで配布している地図を頼りに山頂付近までたどり着けますが、普通車にはお勧めできません。

 

 

 以前『蕃松陰』さんから登り上げた時は樹木が生い茂り、眺望はイマイチでした。

 

 今回はバイクで上の駐車場まで登り、歩いて5分程で『展望台』です。

 

 

 枝打ちされて視界が広がっていました。

 

 

 『五稜郭』のお堀に沿って植えられた『桜』で辛うじて『星型』が確認できます。

 

 校庭と体育館、校舎が解ります? その右端の大きな『合掌屋根』が築城当時の『御台所』です。

 

 桜の季節、ピンクに染まったら又来ますか。

 

 でも『お城の中に学校』 ロマン感じません?

 

 

観清寺part2

 

 参道は此処まで。恐らく『社跡』が在ったであろう断崖の洞窟までは道が整備されています。

 

 実は上の写真右手には階段やフェンスなども在り、安全に登って来れます。

 

 

 個人名が刻まれています。

 

 

 その先には、岩棚に開けられた『隧道』が。

 

 でもかなり狭くて低い。屈めば行けるかなと思ったその時、一匹の蜂が飛び出してきました。

 

 『スズメ蜂!』 蜂は通常雨水の当たらない場所に巣を造ります。

 

 ひょっとしたら巣が在るかも。『君子危うきに近寄らず』で引き返します。(これを『きみこ』と読んだ人を知っています)

 

 

 『隧道』の反対側から観た処。大木の根っこまで切り出し、『胎内くぐり』の『隧道』まで掘り抜いたのに『蜂』のお陰で近づけない。

 

 まっ今回は此処までとしますか。

 

観清寺

 

 暫く続いた『藪漕ぎ』は、杉木立で陽射しが遮られる場所まで来てやっと終わります。

 

 ズボンに着いた『引っ付きムシ(植物の種子)』はどうせ帰りもくっ着くんだからとそのまま。

 

 

 『しこおらむ?』 狙ったな。漢字で書いたら『し越お村』

 

 昭和に建てられたなら態々右書きする事無いじゃん。

 

 やはり観光地を造ろうとして石仏群を整備したんだけど、如何せん入り口が分かりずらい。何時しか訪れる人も少なくなり、やがては草刈する人も居なくなった………

 

 お地蔵さんの『涎(よだれ)掛け』の色が褪せてきています。

 

 『頭巾』や『涎掛け』の『赤色』は魔除けを意味します。

 

 そして『赤ちゃん』でも無いのに『涎掛け』を奉納する風習は、我が子が健やかに育って欲しいとする気持ちと、『水子地蔵』に亡き子供を導いて欲しいとする意味とが在るようです。

 

 現代医療が確立する前、特に医療行為も無く『加持祈禱』のみしかなかった時代には、死産や幼児期の死亡率が今とは桁違いに多かったそうです。

 

 その為、3歳まで生きてくれた。5、7歳まで生きてくれたと盛大にお祝いしました。

 

 今なら治療すれば痛いけど簡単に治せる『虫歯』も、下手すれば命取りに成りかねない時代。歯が痛くなると『在り(梨)の実』断ちをして、川に『梨の実』を流し治癒祈願したそうです。

 

 

 中腹まで登って行くと『東屋』が在り、簡易トイレも設置されていました。

 

 依田川を見下ろし一休み出来る様になっています。座って………イヤまだ疲れてないって事で更に登ります。

 

 たまに山の中の見晴台とかで、『こんな所にまで水道が引かれている!』と驚く場所も在りますけど此方に『水道』等は在りません。(登る前に水分を用意して下さい。)

 

 でも『お寺』が在ったのなら『井戸』や『川』の類が在った筈。

 

 じゃ無きゃ生活出来ませんし、掃除なんぞでも『水』が必用です。

 

 『山形・立石寺』でも『奥之院』に人が住んでいて『水道』(井戸?)が在って驚きましたけど、此処も元『観清寺』が在ったのなら『水』が無いと………不思議?

 

 

 登れ。登れ。登れ~。と息を切らせながら『崖』迄辿り着くと

 

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望月昭和百番観音

 

 東御市下河原と佐久市望月を結ぶ『県道166号線・東部望月線』を走っていると立派な石柱に『望月昭和百番観音』と在りました。

 

 

 その先の道を左折。行けども行けども何も無いんですけど。

 

 で諦めて帰ったのが2020年。リベンジとばかりに『望月町』のサイトなどを調べ目星を付けて再度チャレンジしたのが2021年8月(半年以上前の事)です。

 

 この道路付近、左側(望月に向かって)は空き地がそこそこありますけど右側は段差が在り田圃が広がっています。正解は『右折』でした。

 

 グーグルマップにも載らないような農道を走り、『鹿曲川』を渡って更に左折。そのまま暫く田んぼ中を進みます。

 

 

 用水脇の雑草の中にやっと見つけたのが上の案内図。『こもれびの小径』の案内の中に『昭和百番観音』と書かれていました。

 

 でも現在地脇の散歩道らしきは完全に草叢と化していて、とても足を踏み入れられません。先の分岐まで行ってみますか。

 

 

 『お地蔵さん』や『彫刻』などが立っていました。

 

 道は行き止まりですが広場になっています。車なら数台は停められそう。

 

 

 大きな石碑の脇、山に向かって石灯篭が並んでいます。此処が参道?

 

 ぶら下がっている『注連縄?』は『神域』を表しているのでしょうか。

 

 『神様』に対しての神門に飾るのが『注連縄』、でも『観音様』は仏教ですから。

 

 参道に立ち、チョット躊躇しちゃいました。

 

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熊倉地蔵

 

 『ぴんころ地蔵』のお膝元で商売をするようになってから『〇〇地蔵』とか『△△稲荷』なんぞを見掛けるとなるべく参拝するようにしています。

 

 国道沿いに立っている『内村ダム入り口』の標識から側道へ。

 

 小さな集落を抜け、途中の分岐を右に曲がると『ダム下公園』

 

 市のまま細い道を直進すると『内村ダム管理棟』へ続いています。

 

 直進して直ぐの小高い場所にお地蔵さんが立っていました。

 

 

 路肩からほんの数㍍なんですけど、朝から『鉢伏山』登ったり、『牛伏寺』を参拝したり。そして今しがた『笠岩神社』への急坂をよじ登って………

 

 体重100㎏。齢ウン歳の足腰は悲鳴を上げ始めてまして。

 

 

 ヘルメットを取り、道路から手を合わせます。

 

 「家に帰るまで痙攣しません様に」

 

 急に運動量を増やすと太ももが痙攣するんです。

 

 家に着いたら『芍薬甘草湯』飲まなきゃ。

 

 知ってる?夜中に太ももが攣る痛さ!

 

 それでもバイクは止められない。

 

内村ダム

 

 『鹿教湯』から『三才山』寄りに在る『湖』が『鹿鳴湖』です。

 

 『内村ダム』によって堰き止められた多目的利用の『ダム湖』です。

 

 『ダム湖』を管理しているのは『国交省?』 『電力会社所有』じゃ無いですので、湖面に降りていける=水遊び・釣りが出来る事ます。(禁止のダムも在ります)

 

 要は「何か在っても自己責任ですからね~」ってのが『国・自治体』の考え方で、何か在って捻じ込まれたら嫌だから,いっその事『立ち入り禁止』にしちゃえってのが『企業』の考え方です。

 

 まぁ習得した土地にしても『税金』を払っている訳ですから(かなりお安いんじゃないかと推察)文句は言えませんし、企業所有の『ダム湖』でも、観光地化して地元貢献している処も在りますので一概に言えません。

 

 でも一言だけ。

 

 

 お高そうな『御影石?』に当時の県知事の名前が彫られている。

 

 如何にも『俺様の功績』だと云いたいのかな?

 

 『天地一剣一易』については『中国・管子』を検索。

 

 

 上流のダム湖流入部には『河川公園』があるし、

 

 

 ダムの麓にはチョットした緑地公園も在ります。

 

 で『ダムの上と下』では進入路が別なのが通常です。

 

 ダムに取り付けられた階段を延々歩いて行き来できる場合も在ります。

 

 『黒部ダム』何てバス終点から登って登って、展望台に着いたら今度は下って下って更に下って。 日頃の運動不足を嘆いた所で誰も助けてくれませんから。

 

 

 ダムの一端に小屋が設えて在り、レールが湖面へと伸びています。

 

 でもかなりの急斜面。人間はこの斜面じゃ立てないですよ。

 

 よくこの角度でコンクリートを固めたもんだと変な処に感心してしまいます。きっと少しずつ流し込んで固めてを繰り返したんでしょうね。

 

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笠岩神社

 

 松本方面から『三才山トンネル』(嬉しい事に無料になりました!)を『鹿教湯温泉』へと下ってきます。

 

 橋を渡る時、左手に『内村ダム』が見えてくると直ぐ『短いトンネル』を潜ります。

 

 『あれ?山の上に何かある?』 と思っても停まって確認できる道路幅じゃぁありません。

 

 広い所でUターンして。反対側からも確かに『?』を確認できます。

 

 『岩』の様な 『人造物』の様な………行くっきゃない。

 

 『トンネル』東側出口付近には遊歩道らしきモノも確認できます。

 

 でも付近にはバイクすら停められない。皆さん何処に停めてるの?

 

 

 で辿り着いたのが『内村ダム』です。

 

 此処には『無人の管理事務所』と『駐車場・トイレ・水道』が在ります。

 

 

 ダムの案内図を見てみると『笠岩』と在ります。

 

 何だ直ぐじゃん。

 

 

 確かに『道案内』も出ていました。しかし『夏の雑草は強い』

 

 草叢の中、踏み跡らしきを頼りに登りますが、この中に正解の道を探し出せます?

 

 自分の勘を頼りに草叢を登る事10分。息がゼイゼイし始めるころやっと歩道にでます。

 

 

 辿り着いた岩が『笠岩』 人造物に見えたのは此の支えにしている『丸太(風のコンクリート)』が人為的に組まれていたからですね。

 

 各地に存在する『子宝祈願』や『安産祈願』にご利益在るとされている『シンボル』其の物です。

 

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牛伏寺LAST

 

 『新型コロナの影響』で誰も居ない境内をゆっくり散策出来ました。(後日、正月三ヶ日に『厄除け祈願』に訪れましたが大勢の人出が在りました。そりゃそうだろうな。)

 

 

 本堂の右手には『奥殿』が石垣の上に建って居り、『宝物殿』の役割ですがこの日は施錠されていました。後日再訪した際は解放されていて、木造阿弥陀如来・日光月光観音(だったかな)の文化財価値の高い仏像が祀られていましたが『撮影禁止』良~く目に焼き付けたつもりがもう忘れてやんの。

 

 ※訪れる方は是非拝観する事をお勧めします。

 

 

 他にも境内には見所沢山。

 

 

 池の中に建てられた『弁天堂』(七福神にも数えられる神様です)

 

 『絵馬奉納所』にもなっています。

 

 

 御堂に祀られていたのは『弁財天』と『?』 中央の彫刻は『水」を表しています。

 

 顔が見切れちゃいましたが『蓮の花』に座っていますので『お釈迦様』かな。

 

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牛伏寺part5

 

 長野県には有名な寺院が二つあります。

 

 一つが『無宗派・定額山・善光寺』(山号の定額山は此処だけ)日本最古の仏像『一光三尊阿弥陀菩薩』を御本尊としていますが『絶対秘仏』(誰も見た事が無い)。『御戒壇巡』厨子へ通じる通路の鍵にのみ触れる事が出来ます。『大勧進貫主』と『大本願上人』の二人の大僧正が努めます。(派閥が二つって………)開廟1400年を数える日本屈指の寺院です。『飯田市・元善光寺』と『甲斐・善光寺』の三つを廻ると『満願成就』七年に一度『御開帳』が行われ、『前立て本尊』(御本尊の身代わり)『中指』と『回向柱』が『善の綱』で結ばれ、回向柱に触れる事で『御本尊』に触れたのと同じご利益が頂けます2021年の昨年『御開帳』予定でしたが延期となり、今年『御開帳』を迎えます。

 

 もうひとつが『真言宗智山派・金峯山・牛伏寺』 御本尊は『十一面観音』ですが『秘仏』とされ公開は33年に一度。代わりに『如意輪観音』が常時参拝者を迎え入れてくれます。『鉢伏山』を山岳信仰の修行の場としている為、山岳中腹部に位置します。『唐』の時代、六百巻の経典を牛車で『善光寺』に運ぶ途中、此の地で牛が倒れ、供養しました。

 

 

 先ずは香炉で『御線香』を焚きます。

 

 『御線香』の煙は『仏様』への『御供物』とか『食事』の意味があります。

 

 『御仏壇』や『お墓詣り』の時だけじゃ無く、寺院参拝の折にも『香炉』が在れば利用させて頂きます。(車には常時御線香とマッチが入ってます)

 

 

 真夏の昼下がり、他に参拝者は無く、この空間を独り占めです。

 

 

 奉納された『額』は極彩色が色褪せる事無く、年号も『元禄』『天保』など400年を超える物も目立ちます。

 

 残念ながら御本尊を安置する『厨子』は暗すぎて撮影できませんでした。(撮影禁止の表示が在れば撮らないし、フラッシュ撮影なんて以ての外)

 

 回廊には『尾賓頭盧(おびんずる)尊者』 『善光寺』境内にも祀られていますが『仏様』の『十六人の弟子』の一人で、『神通力』に長けていて、特に『病気治癒』にご利益在りとされています。自分の体の悪い所と同じ処を撫でる事でご利益が有るとされています。が現在は『接触禁止』 早く『新型コロナ』が収束すると良いですね。

 

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牛伏寺part4

 

 『2頭の牛』は『大願成就』と

 

 

 『無病息災』(だったかな)の願を掛けるのですが、現在感染予防の為、触れません。

 

 お賽銭を入れ、手を合わせます。

 

 俗に、体の悪いところと同じ部位を撫でるとご利益在ると云われていますけど、『鼻』の悪い人が多い。って訳では無さそうです。

 

 『牛』でも『馬』でも鼻筋撫でると喜ぶもんね。

 

 その奥の石段を上ると仁王門です。

 

 

 神社に在るのは『随神門』 『左大臣』と『右大臣』が神様をお守りする門です。

 

 寺院に在るのは『仁王門』  対の『金剛力士』(阿形・吽形)が仏様をお守りします。

 

 で寺院の『山門』 こちらは閉ざすことが出来、閂(かんぬき)でロックする事が出来ます。

 

 『随神門』も『仁王門』も閉ざすことは出来ません。(一部例外在るとか)

 

 もひとつ。『寺院』等の門の中には『敷居(閾)』が剥き出し(高い)の処が在ります。

 

 この〚敷居』 踏みつけてはいけないそうです。跨いでください。

 

 俗に云う〚敷居が高い』とは、わざと高くして邪悪なモノが入れない様にしているそうです。

 

 でも最近は『バリアフリー』の観点からか、あまり見かけなくなりました。

 

 

 2017年に訪れた『身延山久遠寺』の山門です。

 

 門の真下に跨ぐのも苦労する高さの『閾』が在ります。踏み台が置かれているの解ります?(スマホの方、ピッチアウト))

 

 さてさて『牛伏寺』本堂へと石段を上り〚仁王門』を潜ると。

 

 

 お~っ。思わず声が洩れました。

 

 背筋がピント延び、空気感が変わった事に気づきます。

 

 

牛伏寺part3

 

 『蛙股』なんて物に出会えるから『未知との遭遇』は止められない。

 

 山門から参道を行くと、最初に『庫裏』と思わしき建物が在り、『講堂』も多分此方かな。続いて『御札・お守り領布所』 ズラリと『お守り』の類が並んでいます。『おみくじ』も此方でどうぞ。

 

 

 並び建つ『重厚な萱葺き屋根』の建物。『如意輪堂』です。

 

 たった数メートル歩いただけなのにガラリと雰囲気が変わります。

 

 『牛伏寺』が、県下随一の『厄除け観音』と云われている由来の観音様が、このお堂に祀られている『如意輪観音様』です。

 

 先ずは参拝。今年厄年を迎えるこーちゃん。お賽銭も奮発です。

 

 

 片膝を立てた『輪王座』で座る仏像と云えば『如意輪観音』、『如意輪観音』と云えば『輪王座』 

 

 『輪王座』とは両方の足の裏を合わせている座り方ですが、真似してやろうとしても無理。太ももの付け根が痙攣しそうで後ろにひっくり返りそう。

 

 とても『すまし顔』で頬杖なんて出来ません。

 

 以前、とある寺院で『御本尊』を写真に収めていた処、「バチ当たりな事するな!」と売店のオバサンに言われた事が在ります。その時は「そうですね。」と云ってトラブルは避けましたけど。『有名な写真家とかが来たら態度が違うんだろうな』位にしか感じませんでしたから、その後も『御本尊』の撮影は続けています。その後『バチ』が当たった試しが無いですので念の為。

 

 上の写真もフラッシュなどは使用しないで撮影しています。(写真撮影禁止ならマナーは守っています)

 

 

 そして『如意輪堂』の前には『二頭の牛の像』が並んでいます。

 

 『唐』から『善光寺』まで遥々『六百巻の経典』を運ぶ途中、此の地で倒れた『牛車の牛』を『牛堂』で祀っていますがその銅像が造られています。

 

 『鼻』を撫でるとご利益在りとされていますが、なんせ『疫病流行り』の昨今、染予防に努めないと。お触り禁止です。

 

 

 参拝したのは7月の暑い最中。でもこの分厚い茅葺屋根の下ではそれ程『暑さ』を感じませんでした。

 

 緑に囲まれた山の中と、茅葺の下、心地よく風が抜ける造りのお堂。

 

 昔の人の知恵は凄い。(冬は寒いのかな)

 

牛伏寺PART2

 

 参拝者は駐車場からなだらかな砂利道を上ります。

 

 このお地蔵様の見守る砂利道、轍が見えます?

 

 寺院関係者は車で庫裏まで行けます。ご住職家族が住んでたりするんですから当たり前。

 

 

 『総門』にあたるんでしょうか。参拝者は石段を上ります。

 

 『障害者車両』は右の道を通って山門へ行けるみたいです。(確認して下さい)

 

 七月上旬。『アジサイ』が紫色に色変わりしていました。

 

 

 重厚な『山門』が見えて来ます。

 

 『宗派』やお寺により『呼び方』や各建物の配置などに違いが在ります。

 

 又、建立した人(大工さんじゃ無くて)が、僧侶なのか、政治的な立場の人(土地の権力者含む)か、豪商・豪農などの頗るお金持ちなのか、一般庶民が力とお金を出し合ってなのかでも規模や造りが違ってきます。

 

 時の権力者が鶴の一声で造らせたお寺(税金です)は広い境内に、目を見張る様に聳える本堂。多重の塔や講堂、修行僧の宿泊施設まで備えた立派な物から、村に葬式の出来る場所が欲しいと、村人がやっとの思いで建てたお寺。などなど。

 

 管轄で云うなら『神社』は『神社庁』が管理しています。

 

 『寺院』を管理する省庁は無く、各都道府県知事にゆだねられています。

 

 共通する事は『収入』に対して『非課税』で在る事。

 

 だから経営上手な『神社仏閣』は『結婚式場』や『保育園』『高齢者施設』などを経営する所が多いんですね。

 

 収益を『維持管理』に充てたり、困った人を助ける為に使う所も在れば、高級外車を乗り回し、ゴルフ三昧なんて方も居るみたいですけど。

 

 基本、拝観料を徴収するお寺は………(関係者駐車場を見れば解ると思います)

 

 (以上、全て個人的感想です。)

 

 

 又『門』が見えて来ます。

 

 

 『山門』やら『総門』やら『仁王門」やら段々頭がこんがらがって来ちゃったい。

 

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牛伏寺

 

 『鉢伏山』まで来たのだから『牛伏寺』へ。

 

 長野県下最大級の『厄除け観音』として知られている『牛伏寺』は、『唐の皇帝』が『善光寺』に『経典六百巻』を贈った際、牛車がこの山の麓で倒れてしまい、やむなく『経典』をこの寺に納め、名前を『牛伏寺』とした。

 

 

 チョット無理が在りますけど、なんせ昔の事ですから。

 

 『牛』が倒れたら、『他の牛』を探すでしょうが。なんて野暮な事は云いません。

 

 『善光寺』に収める『経典』が他のお寺に奉納される………かも知れないじゃないですか。

 

 

 確か40年程前はこの前の河原が駐車場で、此処から石段を延々歩いたような気がするんです。ヘロヘロになって登り1時間だったかな。

 

 現在、山門の入り口には蕎麦屋さんが建ち、参道は崩落&倒木の為通行禁止です。

 

 舗装路を600㍍直進すれば、駐車場から歩いて10分!

 

 

 倒れた牛を祀る為のお堂です。以前は無かった?

 

 

 う~ん。牛に見えなくもない事も無いかな。

 

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鉢伏山・眺望

 

 人は何故山に登る? 其処に山が在るからだ。

 

 有名な言葉ですが、『宮下あきら氏』の漫画『魁!〇塾』の『直進行軍』じゃあるまいし(解かる人だけ付いて来てね) ハッキリ言ったら『物好き』

 

 『好き者』と『物好き』 この似て非なる言葉。

 

 私ゃ単なる『物好き』ですから。

 

 

 山頂には展望台も在りますが、現在立ち入り禁止になっています。

 

 老朽化でしょうか。

 

 万が一、手摺にもたれかかって落下でもしたら………責任問題になるから『立ち入り禁止』 で何時までこの状態を知らんふりして放って置くの?

 

 展望台に登らなくても、見える景色は変わらない。ならば手付かずのままにしておいて欲しかったな。

 

 人工物は何時か朽ちる。その時誰が片付ける?

 

 もうじき封切られる『大怪獣のあとしまつ』じゃ無いけどさ。

 

 

 上って来た車道と『松本平』『スカイ・ドーム』が解ります?

 

 松本空港の発着時間を調べてみましたが当分飛行機は拝めそうもないみたいです。

 

 

 一瞬雲間から姿を見せた『槍ヶ岳』 神々しいです。

 

 

 『諏訪湖』越に『南アルプス』

 

 粘ったんですけど『富士山』は拝めませんでした。

 

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鉢伏山

 

 山の名前はその姿形から『言い得て妙なり』の山が多数存在します。

 

 『野辺山』南の『飯盛山』 茶碗にご飯を盛った形。

 

 『北アルプス』の『槍ヶ岳』 槍の先みたいに見えます。

 

 この『鉢伏山』も 『すり鉢』を伏せたかの様な形です。

 

 登山道は建築資材を箱に挙げたキャタピラーが造ったのか、かなり幅広でなだらかな道が山頂まで続いています。

 

 所々雨が流れた跡が在りますが、保育園児でも安全に登れる山です。

 

 

 『松本市東部市民』の飲料水『水源取水口』が在りますのでこの先は行き止まりです。

 

 登山道から草叢の中を行く『迂回コース』が在ります。

 

 『人の行く 裏に道あり 花の山』 ではありませんが、脇道大好き!なこーちゃん。迷わず遠回り。(決して裏街道を歩いている訳じゃありません。)

 

 

 『若山牧水夫妻』が此処を訪れ、二人で詩を詠んだのかと思いましたがよく見ると詠んだ年月日も、読んだ場所も異なります。

 

 字体は本人の書なのかも知れませんが。読めない………せめて注釈つけて欲しいな。

 

 で草叢の中に点在する『杭』を頼りに急坂を登ります。

 

 

 草叢の道を振り返ると、駐車場&管理小屋の向こうに『前鉢伏山』が見えます。

 

 時間が在れば『前鉢伏山』も登りますかね。訂正=体力と膝が元気ならば。

 

 急坂を登り詰めれば山頂に出ます。

 

 急坂じゃ無くて、普通になだらかな登山道登って来ても時間は変わらないかも。

 

 

 広い山頂部には『鳥居』が立ち、その奥に『鉢伏神社』の『祠』が在ります。

 

 日本の各山の山頂部には『祠』が祀られています。

 

 『山』そのものを『御神体』とした『山岳信仰』の礎ですね。

 

 その『御神体』を踏んずけて登る………修行です!

 

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茅野駅

 

 佐久市民にとって『茅野駅』を利用した事在る人ってどの位いますかね?

 

 国道からも引っ込んでいる為、何処に駅舎が在るから知らない人も多いのでは?

 

 2021/7の出来事。外出自粛が叫ばれる中、ツーリングと云ってもバイクでのんびり近場廻りです。

 

 

 バイクでツーリングしていると『駅』(『道の駅』含む)をよく利用します。

 

 観光案内の絵地図が在ったり、パンフレットが置かれていたり。トイレも水道も使えるし、飲料水自販機位ならおいて在る処結構あります。

 

 若い時は『駅舎』(北海道のバス停含む)でよく泊まったりもしました。(最低でも雨風凌げる)

 

 私の旅は、ほとんど『バイクツーリング』がメインでしたけど、家族が増えてからは『ワンボックス+テント』に変わり、最近では『ビジネスホテル(ラブホ含む)』が宿泊のメインです。

 

 『ホテルプラン食事付き』だと時間の制限が在るので、『夜討ち朝駆け』の旅行スタイルにはそぐわないんです。

 

 地方の寂れた『ラブホ』なんかだと食事付きで一泊¥2800とか在ります。

 

 で一人で泊っても食事が二人分貰えたりして。(当たり前だけど料金は一人でも二人でも変わりません)

 

 風呂入って、コンビニ調達の酒飲んで寝るだけならどこも一緒ですよ。

 

 で前払いしてあるから、目が覚めたら即出発。

 

 ライダーさん。お勧めです。

 

 誰か、『一人泊にお勧めのラブホ』とか本出しません?売れると思うけど。

 

 ※宿泊料金適用は、夜10:00~とかの場合が在りますので注意が必要です。

 

 

 この『茅野駅』周辺では『茅野尖り石遺跡縄文考古館』『茅野御柱木落坂』『鏝絵の博物館』とかがお勧めです。

 

 今回は特に目的無く走ってましたので何となくそのまま国道20号を北上し『塩嶺峠』を目指します。

 

 真夏のこの日、太陽はギラギラと照り付けています。

 

 

 『高ボッチ高原』は数年前、『長野県広域救助ヘリ』墜落現場として知られるようになりましたが、どうせ行くなら『鉢伏山』がお勧めです。

 

 駐車場から30分も歩けば、ちょっとした登山気分。

 

 お勧めの『トレッキング』が堪能できます。

 

 

 途中の『高ボッチ高原』では『売店』や『『自動販売機』、『無料トイレ』が利用できます。

 

 『トイレ』が無料なのは此処まで。

 

 基本『山』では『駐車場』や『トイレ』は有料です。

 

 バイクで走るのに気持ち良い『ワインディングロード』ですが、ブラインドコーナーが多いですのでスピードは控えめに。安全運転でお願いします。

 

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入沢・大宮諏訪神社

 

 今回は『佐久市(旧臼田町)入沢』の『大宮諏訪神社』です。

 

 入沢地区を流れる小川が、2019年の台風により大被害をもたらし、生活必需の『橋』を根こそぎ倒壊させてしまいました。

 

 知り合いも居る為、食料・救援物資などを持って駆け付けましたが、川の南側への交通手段がコンクリート橋一ヶ所になってしまい車が集中、挙句細い生活道路には車が溢れ身動きできない状態でした。

 

 かなり離れた場所から段ボール箱を抱えて歩いた事を思い出します。

 

 被災地では車は使えない事を痛感しました。

 

 

 その時時目にしたのが『佐久市文化財』の認定を受けた『大宮諏訪神社』

 

 流石にその時は、救援で駆けつけたのにのんびり参拝など不謹慎と感じ、鳥居前で一礼に留めました。

 

 久方ぶりに河川工事の確認を兼ねて神社へ参拝しました。

 

 

 石段を昇り詰め、左に折れると『拝殿』が在ります。

 

 境内には『筆塚』や石像なども点在し、石灯篭の障子も張り替えられたばかり。

 

 夏祭りでもあったのかな。

 

 

 『随身様』が拝殿の中に睨みを利かせています。

 

 にしても男前! 彩色も鮮やかだし、足元の『?(普通は鬼)』も何だかユーモラスですね。

 

 『麦』や『稲』『檜』などのお供えの他、『玉串』が奉納されていました。

 

 この『随身様』が文化財指定じゃ無いのが不思議な位。

 

 あれ 『鰐口』は? 普通『神社』では『鈴』が下がっている筈なんですけど。

 

 たまに神社でも『鰐口』の処を見掛けます。神仏習合の影響ですかね。

 

 更に『石棒』を探すと拝殿横にひっそりと立って(勃起?)いました。

 

 『子孫繁栄』を願って建立されたのかな。

 

 

 『タイ・パブ』で飲んだ時の事。店内には神棚が祀られており『神様』や『大統領』やの写真と一緒『男性自身』の彫刻が置かれていました。

 

 『男性』はお金を使う人=『お客さん』を意味し、金運のお守りとして財布の中に入れている女性も多いとの事です。

 

 『金運』にあやかれます様に。 

 

 

 『苔の森』と云えば『吉永小百合』さんのCMで有名な『八ヶ岳高原・白駒の池』が佐久エリアに在ります。

 

 『苔寺』と云えば有名な仏閣がそこかしこに在りますが『貞祥寺』さんも映画ロケに使われたほど美しい『苔の庭』が広がります。

 

 

 普通に石畳の脇に苔むした『緑の絨毯』が広がり、無粋な『立ち入り禁止』の立て札等も在りません。(だからって踏み入れちゃダメ!)

 

 『暗黙の了解』が通用するからこその『立て札無し』なんですから。

 

 『立ち入り禁止』じゃない事を良い事に、ズカズカと踏み込んで動画撮影なんて以ての外です。

 

 

 京都などの『仏閣巡り』をしていて気が付いた事。『営業時間』があるんですね。

 

 正確には『公開時間』 門の開門に時間制限が在ります。

 

 早い話『有料』って事ですね。

 

 長野県で『神社仏閣巡り』をしていて『有料』だった処は『国宝・見返りの塔』と『八角多重の塔』位なものでした。

 

 『善光寺』も『諏訪大社下社』も『仁科神明宮』も全~部タダ。

 

 って事は早朝だろうが遅い時間だろうが『拝観自由』が当たり前です。

 

 車で『京都・三千院』に早朝到着して、さて『拝観』と思ったら朝7:00~開門ですと。

 

 通いのお坊さんに併せ、料金所のオバサンらが拝観料を徴収しないと拝観できない仕組みです。更には『宝物殿』などは別料金とかね。

 

 何だか一挙に興ざめした覚えがあります。

 

 (京都で朝一から動くなら『伏見稲荷』がお勧めです)

 

 

 参道石畳沿いに建てられている一軒の庵。

 

 

 『島崎藤村』が『小諸義塾』に赴任した当時、実際に住んでいた家を解体移築した物です。

 

 小諸には『藤村居住跡の碑』や『奥さんが井戸端会議』したであろう『藤村の井戸』などが残されています。他にも『小諸市』は俳句の『高濱虚子』が疎開したり、洋画家『小山敬三』、美人画『白鳥映雪』や漫画家『小山田いく』さんらを輩出しています。

 

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貞祥寺

 

 新章スタートです。と云っても2021/7の事ですけど。半年ズレてるのはご愛嬌。

 

 『新型コロナ』の影響で遠出も出来ない。人混みも行けない。

 

 ならば近場でお茶を濁し………いや近場の魅力的な場所を再発見してみようかなと。

 

 『ぴんころ地蔵』から真西に1.5km。田圃が終わり山際へと道は続いています。

 

 そこに在るのが『貞祥寺』 曹洞宗の禅寺です。

 

 昔あった『洞源湖』は『ビオトープ』と周囲の『マレット・ゴルフ』へと変貌してしまい、さざ波の立つ湖の面影は微塵も在りません。

 

 そう云えば『池の水・全部抜いちゃう』とかのTV番組が取材に来たそうです。(観てませんけど。誰か録画していたら連絡お願いします)

 

 『洞源湖』の駐車場にバイクを停め、イザ参道へ。

 

 石塔の在る総門から石段と石畳が続いていますが通行止め。

 

 『樹木の倒壊・落下の危険が在ります』ですと。

 

 庫裏へと続く舗装路を上っちゃいます。