みかぼ森林公園

 

 『御荷鉾』と書いて『みかぼ』と読みます。

 

 群馬県の『富岡』から『神流町』へ掛けて全て山の中。

 

 その中央辺りにあるのが『みかぼ森林公園』です。

 

 公園と言っても『遊具・ブランコ・シーソー』などの類は在りません。

 

 何も無い山の中を散策道が続く『トレッキングコース』が在るだけです。

 

 

 舗装路は間もなく終わり、砂利の敷かれた林道を進みます。

 

 『林道』と『スーパー林道』の違いは、営林署などが林野の管理の為、限られた車両のみ走行許可を与えるのが『林道』 走る為には『管轄営林署』等の許可が必要です。

 

 此れが非常にめんどくさい。窓口で必要書類の提出(通行する車の車検がどうの、免許のコピーがどうの) で許可がすぐ下りる訳でなく、後日通知後に『鍵』(大体入り口にゲートやチェーンで施錠されています)を受け取り、走行後『鍵』を返却しなければいけません。(その日窓口に行って走れるかは疑問) しかも目的が無いと許可が降りません。 以前『上野村の滝』を見に行ったところ、入り口にチェーンが張られ『御用のある方は〇〇まで』と書かれていたので、わざわざ営林署を訪れた処、結局許可が下りませんでした。(往復のガス代と掛かった時間を返せ)

 

 対して『スーパー林道』は道路を造るのは行政ですが、その後地方自治体などに移行され、所により財源確保目的で『有料道路』とされたりしていましたが、人件費(料金所徴収係)などが大きな負担となり今は見かけなくなりました。

 

 ならば誰でもが自由に走れる林道として施工されたのが『スーパー林道』です。

 

 『スーパー林道』=何時でも(余りに危険な箇所は時間規制あり)只で走れる。(一部冬期間閉鎖あり)有難い林道です。

 

 現代の車は『カーナビ』のお陰で知らない場所でも案内して貰えます。

 

 しかし、少し古い型だと融通利かないのか頭(CPU)悪いのか、何でもかんでも最短コースを選んでくれるので時にとんでもない山道を示唆する事が在ります。(単に設定?)

 

 ある日の夕方。『長野県・根羽村』から『静岡県・千頭』に行こうとして『カーナビ』が選んだ道は明りひとつないくねくね林道。狐や鹿がそこかしこに出没しました。(絶対に国道を走った方が早い。)

 

 

 出来れば地図は『ノースアップ(北が上)』で表示して貰いたいな。

 

 この案内地図の背後にはこんな感じで展開していますよ。

 

 此れを観てる貴方は『南西』を向いてるんですよ。の意味なんでしようけど。

 

 広い駐車場を備えた『管理棟』には、トイレや水道も在ります。

 

 自販機や食料品は在りませんので近くのコンビニ(近くに在ったか?)でどうぞ。

 

 

 コロナの関係なのか朝早かったからなのか無人でした。

 

 トイレを借りて、情報を仕入れさて散策してみますか。

 

 

 『山の神の丘・展望台』

 

 う~ん。雲のお陰で展望台からの眺望はイマイチ。

 

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大山祇神社

 

 山道をバイクでトコトコ。

 

 交差点でさてどっちだと停まった先に鳥居が見えました。

 

 

 石柱に刻まれた文字は『大山祇神社』 ん?『紙』じゃ無いし『神』でも無い。

 

 何と読むの『おおやまがみ神社?』 正解は後ほど。

 

 初夏。緑の生命力は力強く、雑草で覆われて………いないです。

 

 さぞや地元の方が日参して手入れしている。って周囲に人家どころか集落からも遠く離れた山の中です。通ってるのかな。

 

 

 参道を進みまして。

 

 

 造花でない(であろう)『榊』の葉っぱも青々としています。

 

 注連縄の『紙垂』も真っ白。最近お祀りでも在ったのかな。

 

 『大山祇神社』は『おおやまずみじんじゃ』と読みます。

 

 『尾道』から『しまなみ海道』で『愛媛県』に入った最初の島『大三島』に『大山祇神社』の総本社が建ってます。

 

 『大山祇』は『大山津見』とも書かれ、日本を造った『伊邪那岐命・イザナギノミコト』『伊邪那美命・イザナミノミコト』が産んだ『神様』の一人です。

 

 兄弟には『綿津見神・わたつみのかみ』とか『火之迦具土命・ひのかぐつちのみこと』がいます。

 

『天孫降臨』で『邇邇芸命』が出逢った『岩長比売命・いわながひめのみこと』『木花咲耶比売命・このはなのさくやひめのみこと』姉妹のお父さんが『大山祇命』

 

 因みに『岩長比売命』は健康長寿だけどお顔立ちがイマイチ。『木花咲耶比売命』は病気がちだけど天下の美貌。

 

 で結局は地上に降りた『神様・邇邇芸命』は『木花咲耶比売命』を選ぶんですけど。

 

 だから生まれた『子孫=人間』には『寿命』や『病気』が在るんですと。(この時点では天皇家=神ですけど)

 

 『邇邇芸命』と『木花咲耶比売命』の間に生まれたのが『海彦・山彦』で有名な『

火照命・ほてりのみこと(海彦)』と『火遠理命・ほおりのみこと(やまひこ)』です。

 

 『海彦・山彦』の神話とは、山で狩りばかりしていた弟『山彦・火遠理命』が兄に、「偶には釣りがしたい!」と申し出て、釣りの最中に釣り針を無くしてしまうと云うアレ。(詳しくはご自身で)

 

 で此の『山彦・火遠理命』が『海神・綿津見命・わたつみのみこと』の娘『豊玉毘売・とよたまひめ』と結ばれて『鵜葦草葦不合命・うがやふきあえずのみこと』が生まれその子供が待ってましたの『神武天皇』 つまり『山彦』は『初代天皇』のおじいちゃんになります。

 

 『大山祇命』は『山』や『水』を司る神様とされていて、『水源・水利』の守り神でも在ります。

 

 ず~っとググっていたからこの神社で小一時間も足止めしちゃった。

 

 今思うと『しまなみ海道』を渡った時、時間の関係で参拝する事が出来なかったのが悔やまれます。

 

 

 あの山の先に在ったんですけどね。

 

 よし。絶対行くぞ『しまなみ海道』いや『大山祇神社』

 

 ※『木花咲耶比売命』は『木花佐久夜姫』とも書きます。

 

 だから『佐久』には美人が多いのか!

 

 

アダルト幼稚園

 

 『小幡』で『織田信長』の子孫のお墓に詣でまして、目的地に向かって県道46号線をバイクで走ります。

 

 山間部に入り、民家もまばらになった頃。

 

 

 何とも言えないケバさ。 なんだなんだ?

 

 バイクを停めます。

 

 

 道路を挟んで反対側にも何やらゴテゴテと飾られたり看板に書かれたりしています。

 

 色んなTV局名やらエロスの文字に興味津々。

 

 

 芸能人の名前まで。良いのか著作権。

 

 貼られたポスターは確かにアダルトです。

 

 

 意味不明と云うより、下ネタ全開のエリア。

 

 そして『壇〇の部屋』………

 

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織田木瓜紋

 

 『甘楽郡・小幡』 大好きな町です。 桜の時期ゆっくり歩いてみて下さい。

 

 『名園・楽山園』は以前紹介しましたから今回はパス。 『富岡・神流線』をバイクで南下します。

 

 道路の脇に『織田家』の家紋『織田木瓜紋』がズラリと並んでいます。

 

 案内には『織田家七代の墓』と書かれています。

 

 此れは行くっきゃないでしょう。

 

 

 トイレ・大型バス駐車場も完備し、かなり広い公園になっています。

 

 芝生の奥、一段高い所にずらりと『霊廟』が並んでいます。

 

 

 『初代・織田信雄公』と在りましたので調べてみますと『織田信長』の次男になります。

 

 『織田のぶかつ』とも『のぶお』とも呼ばれる事が在ったそうですが、れっきとした『織田信長』の嫡子です。

 

 『次男』とされていますが、同時期に生まれた正妻『恋姫』の子供を『長男』として報告した為、側室の子供故に次男扱いとの説も在ります。

 

 まぁ、『次男』故に信長と共に自害する事も無く生き延び、『小幡』の地で終焉を迎えるまではのんびりと暮らせたのかも知れません。

 

 

 この広い公園、実は『織田家菩提寺・崇福寺』の境内です。

 

 『崇福寺本堂』には『位牌』も置かれているそうです。

 

 

 墓標は『多宝塔』の造りで、霊廟の裏手には妻子の墓も控えています。

 

 戦国時代から七代続いた(現在も続いている筈)栄華を此処に見る事が出来ます。

 

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大塩貯水池

 

 群馬県・下仁田で『鏑川』をわたったら(内山峠から下って)すぐ右折。

 

 県道193号線をバイクでトコトコ走ります。

 

 現在は国道254号線が片側完全2車線化しており、わざわざ県道を走る事も無くなりました。何年振りだろう走るの。

 

 実はこの道、『群馬サファリパーク』前を走って『小幡』まで抜けられます。

 

 

 『群馬サファリパーク』に隣接して割と大きな『貯水池』が在ります。

 

 『池』と『湖』の違いは単に大きさとか、人造かどうかだったと思いますけど、『ダム湖』も在るから『湖』で良いのでは?

 

 『ダム』の上には車が結構停まっていました。多くの地元民が『ウォーキング』や『ランニング』を楽しんでいるようです。

 

 ゆっくり歩いても一時間と掛からないでしょうけど、今日の目的は又別に在ります。

バイクで湖畔道路をトコトコ走って終了………といかないんですな。

 

 

 『ボート遊び』も出来る大きな池の水面が突然ゆら~り。

 

 湖面が盛り上がって………『UMA』かと思いきや、水を撹拌する為のポンプか何かが作動したみたいデス。シャッター切り捲っちゃったい。(デジカメだから良いけど)

 

 

 『ダム堰堤』の端に鳥居が立っていました。

 

 その横に在るのが『結婚の森』の看板。 この神社さぞや『結婚運』を上げてくれる?

 

 

 『大塩神社』です。

 

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旧中山道・和田峠

 

 江戸時代に整備された『五街道』のひとつ『中仙道』の中でも最大の難所とされた『和田峠』 現在は駐車場から20分も歩くだけで到達出来ます。

 

 国道142号線旧道と県道194号線・通称『ビーナスライン』の交差点にある『和田峠茶屋』の駐車場にバイクを停めます。

 

 トイレなども利用できますけど、大人の見解として多少なりとも売り上げに協力しましょう。

 

 何と云っても『キノコ汁』が絶対お勧め。

 

 でも前回訪れた時は閉まっていた。

 

 其処から『ビーナスライン』をニ度横断するんですけど、見通し悪い割にはバイクなんぞが高速でツッコんでくるから注意が必要です。

 

 

 和田側は林の中の歩き易い道です。五月のこの日、何処からともなく『ウグイス』の鳴き声が聞こえてきます。

 

 

 定期的に『中山道保存会』の方が山に入り、整備清掃をしています。

 

 中仙道の旧峠を幾つか歩きましたが、一番整備されていて歩き易かったです。(※和田峠茶屋~旧和田峠までです。和田峠~諏訪側はかなり旧坂になり注意が必要です)

 

 

 山頂は見通しの良い広場になっていて旅人は汗をぬぐいながら一休みしたのでしょう。

 

 沢山の石が積まれた上には石仏が見守っています。お地蔵さまかな。

 

 でも登ろうとすると石が崩れそう。君子危うきにで止めときます

 

 

 此方は『御嶽信仰』の石碑です。

 

 晴れていれば『御嶽山』が見えるのかな。

 

 側面に『文永癸〇?』の文字が刻まれています。調べてみますと『文永』は西暦1264~1275年。鎌倉時代です! でも文永の『十干十二支』で『癸』は『酉』だけ?

 

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旧和田トンネル

 

 今でこそ『国道152号線・新和田トンネル』は有料道路が無料化されています。

 

 以前、この有料区間を回避する為に旧道の狭い道路を『大型トレーラー』や『大型トラック』が真夜中だろうが走っていました。

 

 だって大型トレーラーは通行料金¥2000です。往復ならば¥4000。

 

 会社が支給してもポケットに入れちゃう人が多かったのかな。

 

 

 此れでも数年前の改良工事でかなり良くなったんです。以前は凸凹の路面だったもん。

 

 片側交通の為信号機が付いています。

 

 平日昼間にこの信号で停まっても、付近に駐車スペースが在りませんから車から降りた事有りません。今回バイクでしたので脇に停めて写真撮影です。

 

 

 電柱の脇に看板が。 当時の日本最高地点のトンネルですか。

 

 『エスペラント語』の標識?

 

 

 トンネル左側の柱上部にひっそりと『プレート』が取り付けられていました。

 

 こんなの誰も気が付かないって。

 

 因みに此のトンネル、怪奇現象とか恐怖体験聞いた事が在りません。

 

 只、真夜中『鹿』によく遭遇します。

 

単車神社

 

 日本書紀には『八百万の神様が護る国』と在ります。いや『古事記』だったか。

 

 その後も沢山の神様が生まれ、今は一体何柱の神様が祀られています事やら。

 

 国鉄(JR)最高地点の前にはSLの動輪を御神体とした『鉄道神社』

 

 東京・立川には失踪猫が返ってくる『立川水天宮』の通称『猫返し神社』

 

 京都・法輪寺境内には『電気・電波』を司るとされる『雷電神社』

 

 昨年でしたかKポップの『BTS』神社が著作権で訴えらたとか。

 

 そして今回の『単車神社』

 

 『ライダーの聖地・ビーナスライン』に在ります。

 

 

 上の写真が2021/10の写真です。

 

 ポツンと小さな社がひとつ。

 

 

 2022/5に前を通り抜けようとして?

 

 取り敢えずその先の大好きなWペアピンコーナーを堪能してから戻ってきました。

 

 社の在った場所は大きな石がゴロゴロ。石段が造られています。

 

 

 石段を登った先に『石室』の中、『単車神社』が鎮座していました。

 

 場所は移ったみたいですが『社』は以前と同じです。

 

 きっと石畳にバイクを乗り入れ、神社をバックに写真でも撮ったのかも知れません。

 

 その辺りは駐車場の出入り口でも在り、道路もカーブしています。

 

 事故でも起きて居なけりゃいいんですけど。

 

 写真撮るにしてもマナーは守らなきゃね。

 

 

 御神体は何だろう? 興味本位で開ける訳にもいきません。

 

 バイク事故が起きません様に。安全で楽しい旅が続けられます様に。

 

 そして30年物のバイクが壊れません様に。

 

地蔵堂

 

 佐久穂町上をバイクでトコトコ走っていたら見事な躑躅が咲いていました。

 

 道路から一段高い所に御堂が見えます。その通路に鮮やかな躑躅です。

 

 

 コンクリート擁壁で保護された高台。昔舗装道路が無かった頃は緩やかな丘の上に在ったのでしょう。

 

 自動車社会になり、舗装道路が必要になると山肌を切り崩し道路開通が優先されました。

 

 それを悪い事だと決めつけられませんけど、この『お堂』が建立された当時はどうだったんだろ?

 

 『地蔵堂』と在ります。石段を登って

 

 

 中を覗こうとすると『スズメバチ来襲』

 

 寄って写真も此処まで。刺される前に逃げましたとさ。

 

 初夏からバイクの季節なのに、好奇心旺盛なこーちゃんは、何か見つけると確認せずにはいられない。で春から『スズメバチ』との遭遇率が高くなるから困ったもんだ。

 

 中の確認は晩秋までお預けですね。

 

御嶽座生権現

 

 『御嶽山』を修験の場とする山岳信仰は割と各地で見られます。

 

 『日本三大霊場』に数えられているのは『恐山・比叡山・高野山』ですが、これ以外にも霊場として厚く信仰されている山が沢山在ります

 

 『富士山』を筆頭に『月山』『立山』『御岳山』『大山』などなど日本各地に山岳信仰の山として周知されています。

 

 『修験道』の修行の一環として山に登り、滝に打たれ厳しい修行を行う『山伏』は戦国時代、その健脚を買われ『隠密=スパイ』的な働きもしていたと文献に在ります。

 

 『忍者の里』と呼ばれる『伊賀』『甲賀』『戸隠』『真田』などには純粋に農林業だけで食べて行けるだけの収入は無く、『職業的忍者』として常日頃から体を鍛え大手大名などに仕えていました。

 

 『徳川家』と濃密な関係に在った有名な忍者『服部半蔵』とは個人名では無く、『伊賀・服部流忍術の長』の事で、その名は代々引き継がれていきました。

 

 末代に『どんぐり眼に への字口 クルクルほっぺに 覆面姿』の『ハットリくん』も『服部半蔵』を名乗っています。ニンニン。

 

 あれ? タイトル『御嶽座生権現』だった………

 

 

 訪れた時は5月中旬。近くで水源工事が行われており、その保護で『虎ロープ』が張られる前の『杭』が打たれていました。

 

 参道らしき場所は重機の入る道が造られていた為、道なき草叢を分け入って登りますと。

 

 

 松林の中に突如現れる石碑。

 

 一礼をして踏み込むと、空気の張り詰めた感が在ります。

 

 

 にしてもこれは誰だろう?

 

 

 中国伝来の神様?

 

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蚕神さん

 

 佐久穂のゴルフ場へと続く道、その高台にこんな場所が在ったとは。

 

 『明光寺』さんの直ぐ西側、道路を挟んで何やら見えます。

 

 『携帯電話中継アンテナ』が建つ高台には、児童公園の遊具『ブランコ・シーソー』などが並んだ広場と、『社』が見えます。

 

 案内看板を見ると此処には昔、『山城』が在ったみたい。

 

 

 そして不思議な『祠』を発見。色が妙ですし、この彫刻は何だろ?

 

 まさか触れちゃあマズかったか。

 

 

 『社』に奉られているのは『蚕神さん』 名の通り『養蚕』の神様です。

 

 

 気になったのは其の背後のフェンス。図では『福田城・本丸』のはず。

 

 保護の為のフェンスかと思いきや

 

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佐久穂・明光寺

 

 以前、バイクで迷い込んで偶然見つけた『明光寺』さん。

 

 確か『佐久リゾート・〇ルフ』の近くだった事だけを頼りに再訪を試みました。

 

 でもそれらしき寺院に辿り着かない。何度も同じ道を行き来してやっと入り口を見つけました。

 

 草が延びて朱色の大屋根が見えなかっただけか。

 

 

 石段脇に立っているのは『寒念仏供養塔』

 

 二十四節季の『小寒』から『立春』までの寒い時期、早朝に行われる修行の事です。

 

 僧侶の苦行のひとつとされてきましたが、やがて一般大衆も集って念仏を上げるようになりました。

 

 『念仏』=『南無阿弥陀仏』と唱える事で誰でもが極楽浄土へ救済されると云う『浄土宗』などの考え方です。

 

 『ナンマンダブ』は略された言い方ですね。

 

 修行した方に導いて貰える=他力本願の考え方。大好きです。

 

 

 本堂は施錠されており、合掌して終了。

 

 御本尊とか拝みたかったけど、ご時世で仕方ないかな。

 

 

 石製の『卒塔婆』があるそうなので見たかったのですが、まさか他人の墓地をウロツク訳にもいきませんので又の機会ですね。

 

 この『明光寺』さんの西側に何か在る! それ行け~。次回です。

 

北川神社

 

 『佐久市・北川』から切通しを抜けて『切原』へ向かう高台に鳥居が在ります。

 

 神社が建立された昔からこの『高札』が在ったとすれば、この切通しもかなり古い歴史がある筈です。

 

 

 尤も、現在はブロック擁壁で守られているから石段から手前は定かでは無いですけど。

 

 いや、以前は切通しが無かったと考えるのが正しいのかな。

 

 自動車の為に土手を切り崩して道を通したけど、元は切通など無く、左右の高台は繋がっていた。

 

 

 石段を登って鳥居を潜ります。扁額の文字は読み取れません。

 

 

 頂上は草刈された広場になっており、人が頻繁に手入れしているみたいデス。

 

 

 神楽殿の様な舞台も在り、近づいてみて納得。『ゲートボール場』になっていました。

 

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八幡弓神社

 

 国道18号線『平原』交差点から『浅間サンライン』に向かって走り易い『グリーンロード』をバイクで駆け上がります。

 

 途中でコンビニに立ち寄ろうとすると、駐車場の一角に石像が祀られていました。

 

 

 う~ん気になる。辺りを見廻すと白い鳥居が立っています。

 

 

 扁額には『八幡弓神社』

 

 只の『八幡宮』や『八幡神社』じゃ無くて『弓』が付きます。

 

 日本で一番多く祀られている『八幡神社(宮)』

 

 そもそもは『応神天皇』を祀った神社で、『弓の達人』で在った『応神天皇』にあやかろうと『清和源氏』一族が日本各地に広めました。

 

 因みに『天皇家=宮家』であるから『八幡宮』、『八幡様』を祀る神社だから『八幡神社』どちらも同じ神様を祀っています。

 

 読み方は『はちまん』ですが、祀る地名を『やわた』と読む地域が多数存在します。

 

 

 住宅地の路地を進むと石段の上に『神門』が見えます。

 

 でも『随身様』不在の様子。一礼して参道を行くと。

 

 

 雲水形の石鉢は『手水鉢』でしょうか。

 

 文字が刻まれていますけどハッキリ読めません。天明六年?

 

 天明三年は浅間山が大爆発を起こし、土石流が群馬県吾妻郡一帯に被害を及ぼしたのみならず、火山灰は広く日本を覆い『大凶作』の元凶と成りました。

 

 更に追い打ちを掛けるように『疫病』が流行し、当時の江戸幕府は混乱を極めた様子です。

 

 各地で『加持祈祷』の類や『神社仏閣』に救いを求め、新たに『寄進・建設』された物多いそうです。

 

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泉洞寺・鐘楼

 

 色々な『お地蔵さん』で有名な『泉洞寺』さんですが、『鐘楼』がこれまた素敵。

 

 

 梁の欄間も見事ですが、注目すべきは『獅子頭』

 

 

 視線の合う位置まで近づくと、その迫力にタジタジ。

 

 『獅子=ライオン』であるからにして『肉球』が在るのも頷けますけど『指』多くない?

 

 『犬』より『猫派』なこーちゃん。肉球揉み揉みが好き!

 

 流石に『獅子』でやった事無いですけど、赤ちゃんライオンならどうだろ。

 

 ライオンと暮らす映画やドキュメントを見る度、人間の都合で一緒に暮らすより、野生に返した方が良いのではと思うのですが。

 

 かなり昔、『カル〇ス子ども劇場』と銘打たれた『アライグマ・ラスカル』が放送されました。日曜日の夕飯後の家族団欒で見たTVアニメでした。

 

 アメリカの片田舎ウエント・ワースで、生後間もないアライグマと出会った『スターリング』少年が、『ラスカル』や友達と共に様々な困難を乗り越え成長して行きます。最終回では『ラスカル』を自然階に返す決心をしたスターリング、カヌーにラスカルを乗せ、湖の対岸にやって来て別れを告げようとすると………。♀のアライグマがすぐやって来て二匹は楽しそうに森に消えていく。

 

 なんちゅうラストだと突っ込み入れたくなりましたっけ。

 

 

 『牡丹地蔵』は何を云いたいのだろう?

 

 まさか『怪談・牡丹灯篭』とか関係ないよね。

 

 この形のお地蔵様は初めて見たかな。

 

 

 御代田に『大日向』と云う地域が在ります。

 

 昔『佐久穂町(旧佐久町)・大日向』から大勢の人が国家政策の『満州開拓』に出向きました。過酷な『満州開拓』はやがて国家間戦争の憂き目に遭い、帰国しようとしますが、昔住んで居た土地はもう人出に渡っていました。やむを得ず『御代田』の山林を開拓し其処に『大日向』の名前を付けたそうです。

 

 人に歴史あり。名前に由来在り。 ですかね。

 

お地蔵さん

 

 佐久の『ぴんころ地蔵』は知る人ぞ知るですけど、『御代田・泉洞寺』さんも『お地蔵さん』では負けていません。

 

 

 そもそも『お地蔵さん』 正式には『地蔵菩薩』です。

 

 人々が道に迷わない様に導くのが『地蔵』です。

 

 『菩薩』とは『仏』の境地に成るべく厳しい修行を続けている者の事です。

 

 インドの王子『釈迦』が悟りを得て『仏』となりました。入滅(死亡)後、56億7000万年後に『弥勒菩薩』がこの世の中を救済するまでの長~~い間、人間界他で救済の手を差し伸べてくれるのが『地蔵菩薩』 すなわち『お地蔵さん』です。

 

 苦しい時や困った時、願いを叶えてくれるとされています。

 

 『ぴんころ地蔵』さんには何処にも『コロリ』と書かれていません。

 

 『長寿地蔵尊』と在り、長寿祈願のお地蔵様です。

 

 それが何時しか、人の手を煩わせて迄長生きするのはどうなの?となり、年をとっても元気でボケたり寝込んだりせず、逝くときはコロリと大往生を願う人が参拝するようになり、最近では元気なうちに『さらり』と一筆、遺言をしたためる、『ぴんさらころり』が

理想となっています。

 

 

 『泉洞寺』さん境内には沢山の『〇〇地蔵』が並んでいます。

 

 上は『縁結び地蔵』

 

 

 向かって左『お勉強 ハイハイ 一寸待ってね 地蔵』と『お勉強 え~っとわかったかな地蔵』

 

 『さぁさぁ一杯 やっぺぇ地蔵』と『お勉強 ハイハイ これはですね地蔵』

 

 

 『お~い 元気出そうぜ 地蔵』 『さぁさぁ 手を合わせて地蔵』

 

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泉洞寺

 

 新章スタートは『御代田・追分宿』からです。

 

 四月下旬。暖かな風に吹かれてバイクでトコトコ出かけました。(ブログ書いてる今日は9月中旬)

 

 『旧中仙道・追分宿』は、東の『追分公園』から西は『北国街道』との『分か去れ』まで続く、名所旧跡や飲食店などの並ぶ整備された散策道を歩きます。

 

 途中にはサラリーマン必見の『昇進橋』とか、『旧本陣』などが在り、疲れたら自販機や飲食店で一息。

 

 『浅間サンライン入り口交差点』そばの『中仙道資料館』は興味ある方には絶対お勧めです。

 

 で『泉洞寺』さん。

 

 

 

 山号が『浅間山』 曹洞宗のお寺です。

 

 広い駐車場が在り、その一角に

 

 

 当店『玉屋商店』店頭にも『読書ボックス』が置かれていますけど、いつの間にか漫画ばっかしになってます。『悪書追放ボックス』(知ってる人はそこそこのお年。)じゃ無いんだけどなぁ。

 

 

 赴きある参道を進むと山門です。

 

 

 こーちゃん。石像観るの大好き。

 

 石によっては風化していたり、文字判読が出来なかったり。

 

 でもそれも含めて良いんです。

 

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慈雲寺境内

 

 『仁王門』手前で一礼して、ふと梁に目をやると

 

 

 神社仏閣には必ずと言って良い程『龍』の彫刻が在ります。

 

 大きな物から緻密な物まで様々ですが、注目すべきは『龍の髭』です。

 

 遠目ではよく解りませんが、『鉋屑』や『竹ひご』等では無く削り出し⁉

 

 更に木目を生かした腹部や、口から吐く火を表した『杉の枝」

 

 さぞや名のある方の作でしょうかと周囲を見回すと

 

 

 『村田長左衛門矩重』作。下諏訪町指定重要文化財でした。

 

 いや『県宝』でも良くない?

 

 

 実にパワフルな松が出迎えてくれます。

 

 此れが『天桂松』同じく下諏訪町指定文化財。

 

 太い幹とひねられた梢。人の手による物でしょうけど。

 

 一時、『盆栽』でもやってみようかなと思った事が在ります。

 

 某『のみの市』で古本を探していて『盆栽入門』なる本を見つけました。

 

 イメージ的には国民的アニメ『サ〇エさん』の『〇平』さんが、休日に和服姿で枝の剪定をしている。ってのを思い浮かべるのは私だけ?

 

 『明星山』の岩肌に自生する『真柏』と呼ばれる松は一本で¥1000000もするとか(プロのロッククライマーでさえ採取困難な為、更に高値になるそうです。)

 

 本を読んでいて面白そうかなと思いチャレンジ。だって『盆の上の小宇宙』と表されるんですよ。

 

 海外でも人気が出て、その名も『BON-SAI』 高値で取引されているようです。

 

 一攫千金を狙っている訳では在りませんけど、やってみました。

 

 手頃な値段の盆栽を買って来て見事に枯らせました。

 

 小さな『植木鉢=盆』の中で育つから樹齢100年経っても小さいままですけど、大地に植えたら普通に大木になるそうです。

 

 この『天桂松』も元は盆栽だったかも知れません。

 

 

 本堂の前は『箒目』の鮮やかな白砂の枯山水になっています。

 

 『京都・竜安寺』さんにも負けていない庭園の『慈雲寺』さん、拝観無料が有り難い。

 

 まぁ『枯山水』の良さ自体を理解できている訳では在りませんけどね。

 

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慈雲寺の桜

 

 正直、『高島城』から真っすぐ帰ろうと思っていましたので『新和田トンネル』(無料)を目指していました。

 

 『下諏訪大社』の脇から旧国道142号線に乗り入れた処で

 

 

 この桜を観たんですもん。そりゃ止りますって。

 

 『枝垂桜』『ソメイヨシノ』『彼岸桜』『江戸古彼岸』それからえ~っと。

 

 『染井吉野・ソメイヨシノ』ばかりが持て囃されますけど、素朴な『山桜』なんかも好きなんだな。

 

 『桜』って『一本の大木』も『桜並木』も『ごちゃまぜ桜』どれも好き!

 

 

 総門には『歌会』でも在ったのでしょうか様々な『俳句』が寄せられています。

 

 でも達筆すぎて読めないんだな困ったもんだ。

 

 

 石碑に『諏訪八景』が刻まれていました。

 

 その筆頭に挙げられているのが『慈雲寺晩鐘』です。

 

 

 まぁ誰が決めたかにもよりますけど。

 

 

 更に参道を進むと右手に『六地蔵』が並び、その奥から一段高くなります。

 

 『六地蔵』から先は死後の世界に接しているとされています。

 

 一段高い所から現世を見守っているのが

 

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弥栄富神社

 

 まだ山門にも辿り着いて無いですけど。

 

 

 石段の中程の踊り場では、屋根付きのベンチが設えて在ります。

 

 途中で一息入れる人が多いって事でしょう。

 

 私もベンチの座り心地を確かめる為に一息入れます。ヨッコラショ。

 

 上の写真の右端に見えている建物が

 

 

 『弥栄富神社』です。

 

 

 『榊』が緑色ですので供えられたばかりかな。

 

 この社の『脇屏風』の彫刻が素敵!

 

 神社では大抵『昇り龍・下り龍』が彫られていますけど。小さいながら躍動感が在りますね。

 

 この奥には

 

 

 これまた迫力ある『不動明王』

 

 『神社』と『仏閣』が共存しているエリアです。

 

 でもお互いが邪魔じゃないから素晴らしい。

 

 中仙道が整備されて以来、どれほど多くの人がこの石段を登って『慈雲寺』に参拝したのでしょうか。

 

 さて『旧国道142号線』を渡って。(駐車場に戻って来ただけですけど)

 

 以下次回です。

 

坂の途中

 

 『司馬遼太郎』さんの小説表題じゃありません。

 

 『慈雲寺』を、『旧中山道』から参拝した場合の石段の途中です。

 

 

 石段脇の更に小さな石段。其処に書かれているのは『信玄縁の矢除石』

 

 何でもかんでも『有名人の名前』を騙れば良いって訳じゃ無いだろうにと。

 

 

 杉木立の中、石が積まれており幾つかの『社』をが祀られています。

 

 『蚕玉神社』や『道了大菩薩』が在りますけど、此処は寺院境内なの?それとも独立した神社?

 

 

 旧国道の擁壁のすぐ下に見えて来たのが『矢除け石』

 

 石柱には『避箭石』と書かれています。(箭は矢の旧漢字)

 

 

 そんなバカな!と突っ込みたくなりますけど。

 

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慈雲寺

 

 『高島城』からの帰り道を『下諏訪大社・秋宮』から旧中山道で抜けようとしてバイクで走っていました。

 

 今では『湖北トンネル』経由が多い為、暫くぶりにこの道を走りました。

 

 『慈雲寺』に見事な『桜』が。

 

 早速駐車場に停めて、総門を目指します。

 

 今でこそ旧国道142号線が駐車場の前を通っていますけど、ホントの入り口は国道から石段を下った『旧中山道』に在ります。

 

 

 数十段の石段を下ると『石門』と『手水鉢』が在ります。でも『龍吐』から水が出ていませんでした。

 

 此処は『下諏訪大社・春宮』にも程近く、『万治の石仏』も然り。

 

 でも此処を知っている人は地元民位?(私ゃ単に物好きですから)

 

 

 でこの場所から『秋宮』方向に100㍍も歩くと『御作田神社』が在り、ナント此処には温泉が垂れ流し! 此方で手と顔を洗い清めてから。(別に穢れていませんけど)

 

 寺院参拝に神社の手水を使わせて頂き案した。

 

 まっ、こんな場所も在りますよって事をお伝えしまして。

 

 

 下って来た石段をもう一度登り返します。

 

 この途中が又面白いんだって。

 

 

 石段の脇には『狐の置物』がズラリ奉納された『稲荷社』が在ります。

 

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高島城part2

 

 お城の一角に神社を祀る事はよくある話です。

 

 戦国時代、『戦勝祈願』の為『素戔嗚尊命』を祀ったり、先祖代々の『家神様』を祀っている処も在ります。

 

 明治になり『廃城令』が発動され、『天守閣』や『防衛戦力』の為の設備(水堀・火薬庫)などは埋めたり壊したりしなければなりませんでした。

 

 現存する『国宝天守閣』は破壊を逃れた『五城』(松本城・犬山城・姫路城・彦根城・松江城)しか在りませんが、良くぞ残してくれた。てかどうやって『廃城令』から逃れた?

 

 平和な時代になり、城跡が公園としての要素を持つようになると、やっぱり『天守閣』が無いと寂しいよね? と『再建』されますが、『建築基準法』などから『鉄筋モルタルコンクリート』や『防火・断熱材』の使用、更には『エレベーター』設置の城まで存在します。

 

 どんなに『豪華絢爛』でも再建された『天守閣』は国宝指定になりません。

 

 『熊本大震災』で被災した『熊本城』も国宝では無い為に修理費の多くは県民税です。

 

 話戻して『高島城』

 

 

 『諏訪護国神社』と在ります。

 

 国家間戦争の『殉職者』を慰霊する為の神社ですが、以前は『招魂社』として扱われていました。 第二次大戦後、宗教法人として認証された『神社庁』管轄の神社です。

 

 戦国時代とはあまり関係ないみたいです。

 

 

 三の丸門を移築した場所ですが、門の位置から外に向かって急坂になっているのが石積みを見ても解かります。

 

 この今立っている辺りは『諏訪湖』が広がり、敵の進入を防いだとされています。

 

 更には桟橋なども在り、物流に役立ったのでしょう。

 

 

 平日の昼下がり。予想以上に人が多くてビックリ。(私もその一人………)

 

 ゆっくり天守閣に登城も出来そうも無いので桜を眺めて出発です。

 

高島城

 

 関ケ原以降、諏訪の地を治めていた『諏訪一族』居城の『高島城』

 

 現在は住宅に囲まれていますが、戦国時代、此の城の西は『諏訪湖』に接し、更に『中門川』『衣之渡川』に囲まれていたそうです。

 

 ついた別名が『浮城』です。(なんか『のぼうの城』みたい)

 

 北側の『堀』と『石垣』『鏑木門』が当時を偲んでいます。

 

 

 現在は公園として整備され、誰でもが無料で利用できます。(天守閣¥300)

 

 平日午後に訪れましたが、桜満開のこの日、人がわんさか。(私もその一人ですが)

 

 

 私が訪れる多くは『神社仏閣』『城跡』『公園』『景勝地』『パワースポット』『大木』『滝』などなどですが、まぁ目についた面白そうな所は立ち止ってみます。

 

 なんせ『好奇心旺盛』なもんで。

 

 

 此方を向いているのかな。目玉に見えなくもないです。

 

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福与

 

 『高遠』からの帰り道、ガソリンが心配だったので近道して『箕輪』へショートカットの道を選びました。

 

 『県道207号線』は交通量も少なく、走り易い道です(でもガソリンスタンド何処だ~)

 

 ロードバイク(自転車)のお兄ちゃんが凄いスピードで走ってますけど、「ごめんお先に」と追い抜きます。

 

 その後撮影ポイントで写真を撮っていると抜かれ、又追い抜き、撮影で抜かれ、そんなことを四五回繰り返しまして。

 

 『福与』 福を与える。良い地名ですね。

 

 

 伊那谷越しに『木曽山脈』を望める絶景スポットです。

 

 『木曽山脈』より『中央アルプス』と呼ぶ方が好き。

 

 『千畳敷カール』までロープウェイで一気に上れるから大好きな『木曽駒ケ岳』や『宝剣岳』など山好きには堪えられない『南アルプス』ですが、還暦加えて体重95㎏の体では下りで膝が着いて来ません。万が一で人に迷惑かけない様にアルプスは卒業ですね。

 

 

 良いところで雲が掛かっちゃった。

 

 

 有名な言葉で

 

 「何故エベレストに登る?」と問われた『マロニー』は「其処にエベレストが在るからさ」と答えたとか。

 

 巷では「其処に山が在るからさ」とされていますが。

 

 「何故バイクに乗る?」 「其処に道が在るからさ」

 

 この道を行けば どうなる物か 危ぶむなかれ 1・2・3 ダ~っ‼

 

蓮華寺

 

 『高遠城址の桜』を外から見たらどんなに素敵な『桜の山」のなのだろう?

 

 と思い、『桜高遠城址』を見下ろせる場所を探してあっちこっち走り回りました。

 

 川を渡った対岸の高台に『妙法山・蓮華寺』が建っていました。

 

 

 『高遠ループ橋』と位置合わせをすると、谷間に集まるピンク。

 

 イマイチ伝わらないか。(かと言って無許可ドローンはダメだろう)

 

 日本の『ループ橋』は時計回りに昇るって知ってました?(一部例外在り)

 

 これは車の右ハンドル=左側通行と関係あるらしいですけど、実際の処どうなんだろ?

 

 『パーキングタワー』なんかは反時計廻りも在りますよね。

 

 

 本堂の窓には『花窓』の他に『日蓮橘』が見られました。

 

 どうやら『日蓮宗』のお寺みたい。

 

 境内をブラブラしていて見つけたのが

 

 

 土蔵の紋。『北斗七星紋』にも見えるんですけど何か違う。

 

 画像検索してもヒットせず。

 

 単なる鏝職人さんの間違いなのか。

 

 『紋』だけに悶々としちゃいました。

 

高遠城址の桜

 

 今回、バイクの目的地は『高遠城址公園』です。

 

 『高遠城址公園』自体には何度か訪れていますけど、桜のシーズンは道路渋滞と公園内人だかりで避けていました。

 

 平日のこの日、朝所用を済ませてから飛び出したのですが、アッチこち道草していたのでお昼過ぎの到着で、駐車場は満杯。(まぁバイクですからどこでも停められますけどマナーは守らなきゃ)

 

 『高遠城址脇』まで登れば停滞して時間かかりそう。

 

 いつもの『ループ橋』脇の無料駐車場にバイクを停め、歩いて15分程の坂道を上ります。

 

 

 城跡の空堀沿いを登るのですから結構しんどい。

 

 息がゼィゼィし始めるころ『高遠城址』へ到着です。

 

 

 園内は有料。多くの露天商も有料エリアに出店しています。

 

 

 検温して、住所氏名を来園者カードに記入して………の記入台に辿り着くまでに行列です。

 

 入場料¥500/大人 を払ってこの人混みに行く? 此処から見るだけでいいや。

 

 結局駐車料金¥1000、入園料¥500を払わないで済みました。

 

 この時、無許可ドローンが飛んでおり、放送でドローン禁止のアナウンスが流れていましたけどマナー守れない奴にモラル無し。何時までも頭上を飛んでいました。

 

 人混みに落ちたらどうなるんでしょうね!

 

中央構造線

 

 

 中学時代、日本を東西に分ける断層『糸静構造線』を学びました。

 

 特に生活に役立つ知識でも在りませんが、『映画・日本沈没(小松左京)』や『漫画・サバイバル(小池一夫)』などでその後目にした位です。

 

 『中央構造線』も習いましたが、九州から関東に抜ける『長大な断層』位にしか覚えていません。

 

 国道152号線、通称『高遠スケッチ街道』を走っていたら『中央構造線露頭』の案内が出ていました。

 

 

 板山地区にその露頭が見えるらしいのですが。

 

 『美和湖』の中央部(橋が在る辺り)にも『溝口露頭』が在り、此方ははっきりと色の違いで二つの地層が左右で違う事が見て取れますが、果たして『板山露頭』は如何に。

 

 

 害獣除けフェンスの向こうに在るらしい。(開けたら必ず閉める事)

 

 

 え~。『露頭』ですが、何処?

 

 雑草や落ち葉が覆ってしまいクッキリと見える様ではないみたい。

 

 

 折角なので行ける所まで登ってみますか。

 

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鳴石

 

 県道40号線は『立科』から『白樺湖』へ向かう大好きな道です。

 

 『蓼科第二牧場』は『朝日の丘公園』に隣接した広い高原牧場です。

 

 その名の通り『朝もや』の向こうに登る朝日と浅間山の『モルゲンロート!』

 

 この道路の最高地点に在るのが『雨境峠』で、不思議とこの場所を境に北と南、又は東と西で天気が異なる事が多いです、

 

 更に。『立科町』は市町村境の最狭部が50㍍しかない『日本一のくびれの町』でも有名です。(トンネル付近の為、駐停車禁止です)

 

 

 『牛乳販売スタンド』の裏手に遊歩道が在り、『鳴石』へと続いています。

 

 この手の『鳴石』とか『鼓石』と呼ばれるもの、大抵『鳴らない』とか、保護目的の為『叩くの禁止』です。

 

 

 たまたま私の前に来ていた『バカップル』が柵を乗り越えて侵入し、石でガンガン叩いてましたが、鳴響く音は聞こえません………って入っちゃダメだろ!叩いちゃイカン‼

 

 『白樺湖畔』で国道152号線通称『大門街道』に乗り換え茅野方面へ下ります。

 

 気持ちいい『3連続ヘアピンカーブ』からスピードの乗る広い道を走って(スピード注意)『諏訪茅野線』へ。

 

 『茅野市営・米沢温泉 塩壺の湯』の傍を通り、道路沿いの鳥居を見つけて停車。

 

 扁額の文字が読めないんですけど………グーグルマップで現在地検索して『十五社神社』と解りました。

 

 拝殿の『唐破風』屋根の下、『松に鶴』でしょうか。

 

 

 拝殿並びにもう一つ社が祀られています。

 

 此方も扁額が………

 

 

 えっ、『扇型』 しかも『石製』

 

 こんなの初めて見るなぁ。

 

 『諏訪梶の木紋』が見えますので『高島藩』又は『諏訪神社』の系統でしょうか。

 

最明院

 

 佐久市・清川地区をバイクで走っていると、石碑・石塔・石垣の類が在りました。

 

 以前(と云っても20年も前)も訪れた事ありますが、石段は草叢で覆われ、庭は草ボウボウ。お寺本堂の大屋根は崩れかけ、とてもじゃないけど足を踏み入れる事を躊躇いました。

 

 この日、石段からして人の手が入っている感じ。参拝してみようっと。

 

 

 この石垣が築かれているのですから、かなりお金が掛けられている筈。

 

 

 石段を登り詰めるとお地蔵さまが出迎えてくれます。

 

 この石は? 多分参拝する人がそのたびに運び上げたのでしょう。

 

 

 背後の額には『子安両地蔵尊』と在ります。

 

 安政3年。 元号に『最明』って無いですから。

 

 あと丸い光は『オーブ』じゃありません。レンズの汚れです。

 

 

 小さな本堂が再建されていました。花まで咲いて以前とは大違い。

 

 参拝。残念ながら施錠されています。

 

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さくら

 

 客引きの『おとり』じゃないし、『寅さん』の妹でもないです。

 

 8月も終わろうとしている今日なのに、ブログはやっと四月、『桜』が咲き始めました。

 

 バイクで走るのに丁度良い季節ですね。(一年中走っていますけど)

 

 

 『岸野地区・五本木』の『咲き分の桜』 同じ『江戸彼岸桜』なのに左右の樹で色が違います。

 

 

 『浅科地区・甲』の『関所破りの桜』 何でも『五郎兵衛用水』の貢献者『市川五郎兵衛』を称える為『真親さねちか神社』(五郎兵衛を神格化)境内に、故郷上州の桜を植えようとします。浅科の若い衆が上州まで苗を貰いに行きますが、帰路『碓氷の関所』を越える時、通行手形が無い事に気が付きます。当時、手形を持たないで旅する事はそれだけで罪になります。ところが役人は持っていた『桜の苗木』を見て問いただし、『市川五郎兵衛』の為にわざわざ故郷の桜の苗を取りに来た若者に感銘し、通り抜けを許します。(関所破りじゃないじゃん)

 

 

 その時の苗木の一本が『真親神社』と地続きの『五郎兵衛記念館』に育っています。

 

 この桜を見上げている場所は『巖鉄山・妙香院』 『五郎兵衛』さんが、先だった奥さんの為に建てた天台宗のお寺です。(旦那=神様、奥さん=菩薩)

 

 

 『望月地区・協和』の『福王寺』石垣の上に立つ桜の古木です。

 

 火事で焼失した寺院の建て替えの際、江戸時代に植えられました。

 

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諏訪大社・下社・秋宮

 

 通常県外からの観光バスが『諏訪大社』参拝に訪れるのが『下社・秋宮』です。

 

 『旧甲州街道』と『旧中山道』の交差点に建ち、参拝者が後を絶たない程の人気です。

 

 この日も『四社参り』を計画していましたので一番最後に訪れたのが此処『秋宮』です。

 

 

 何度かお祓いに来ているんですけどやっぱり何度来ても良い。

 

 この日は生憎の雨模様でしたが、雨に濡れる参道や杮葺き屋根も素敵。

 

 

 青銅製の狛犬では日本一の大きさを誇るそうです。

 

 赤い袴の『巫女さん』に見とれていません?

 

 袴をチョットつまんで足元を気にしながら階段を降りる。

 

 (スンマセン。動画撮りたいからもう一度お願い出来ません?)

 

 

 雨が降ると『三鈷の松』が落ちているんですけど、来るのが遅かったから拾われた後かな。

 

 

 『秋宮』も『幣拝殿』様式になっています。

 

 ひょっとしてこの板敷の下は『賽銭箱』だった?

 

 聞いた話によりますと、『四社』は死者とも読めるから、もう一社お詣りしたほうが良いとか。

 

 大丈夫。そんな人の為に付近にはいくらでも神社が在るんです。

 

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春宮・幣拝殿

 

 参道突き当りにはガラス張りの『神楽殿』が在ります。

 

 大注連縄が下がっており、お祓いなどは此方で行われます。

 

 

 ぐるりと廻り込んで『拝殿』にて参拝します。

 

 

 二階建ての『瑞垣門』で、『左右片拝殿』と云う造りらしいのですがよく解りません。

 

 この門の一階部分は全部賽銭箱になっていて、中央に板を渡して神官さんの通路としています。(一般人は入れません)

 

 『御幣』が置かれている『御幣殿』と『拝殿』が一つになっている処から『幣拝殿』と呼ぶそうです。

 

 

 そしてド迫力の彫刻の数々。

 

 

 暫し見とれていました。

 

 境内には『結びの杉』も在りますけど、二つに分かれるから『別れの杉』では?

 

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諏訪大社・下社

 

 神社名の下に着く『神宮』『大社』などは格式の事で、更に『郷社』『末社』『摂社』なども在ります。

 

 『天は人の上に 人を造らず 人の下に 人を造らず(=万民平等)』を謳っている割には序列が在るんですから………

 

 『諏訪大社』は『諏訪様』を奉る『大社格』の神社です。

 

 更に『諏訪様』とは『建御名方神・たけみなかたのかみ』とその妃『八坂刀売神・やさかとめのかみ』の二人の神様の事です。

 

 更に更に『建御名方神』のお父さんは『出雲・大国主命』、お母さんは『糸魚川・奴奈川姫』です。

 

 夫婦なのに『上社』に『建御名方神』を、『下社』に『八坂刀売神』を奉っています。(別居って事?)

 

 冬、諏訪湖が全面凍結し、盛り上がった氷の割れ目が出来ると『上社・建御名方神』が『下社・八坂刀売神』の元へ逢いに行った=『御神渡り』とされます。

 

 この『御神渡り』を判別するのが『八釼神社』の神職さん。 

 

 なんで? 『岡目八目』って事かな。

 

 昨今の暖冬化の影響でもう逢えない?

 

 

 春宮大門通りにある『下馬橋』です。

 

 アスファルト道路のど真ん中に凛とした姿で建っています。

 

 諏訪大社関係で現存する最古の木造建造物とされています。

 

 何人もこの先『馬』や『駕籠』で入るを禁ズ!

 

 神社に在る『太鼓橋』も同じような意味を持っています。

 

 『神様のみが渡れる』とされている処も在れば、『真ん中は神様の通路です。端っこ歩きなさい』の処も在るとか。(一休さ~ん)

 

 

 広い無料駐車場に車を停め、大門通突き当り左の手水舎で禊ます。

 

 でもこの道路、付近の生活道路でも在る為結構交通量が在ります。

 

 道路真ん中で写真撮ったのですが、車には細心の注意が必要です。

 

 

 鳥居を潜り参道を登ります。(写真撮影の為真ん中に立っていますけど、歩くときは端っこ)

 

 参道脇に小さな建物『筒粥殿』が在ります。

 

 

 毎年、ニュース報道されるので知ってはいましたがこんなに小さかったとは。

 

 この中で数名の神職さんが囲炉裏を囲んで粥を焚くのですが、狭いし煙いだろうなぁ。

 

 『筒粥神事』については各々ググってね。

 

諏訪大社・上社・前宮

 

 『諏訪大社』は、『上社』に『本宮』と『前宮』、『下社』に『春宮』と『秋宮』の四つの『大社』が在ります。

 

 その中で『上社・前宮』だけ『茅野市』に建っています。(他は諏訪市)

 

 

 駐車場から鳥居を潜ると石段です。

 

 

 石段の先は普通の舗装路。この道を300㍍ほど進んだ先に御社が見えて来ます。

 

 途中、『前宮水眼公園』を右に見て(一昨年は無かった?)

 

 

 社の前には小川が流れていて、これが『水眼(すいが)の清流』

 

 

 ではでは参拝させて頂きます。

 

 瑞垣の格子から中を覗います

 

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上社と周囲

 

 東参道近くに建つ『神馬舎』の傍ら、『旧御神木』が立っています。

 

 樹齢1000年の欅の大木ですが枝葉は在りません。

 

 流石に倒木や枝の落下が起きてはシャレにならないので、枝葉を刈り払い、旧御神木として祀っています。

 

 

 境内から出て山手に廻り込むと

 

 

 『忠臣蔵』で知らぬ人のいない『吉良上野介』の名前が書かれています。

 

 孫の『吉良左衛門義周公』のお墓が在るそうです。

 

 『忠臣蔵』ではヒールの『吉良上野介』ですが、『愛知県・吉良町』では今だに領民思いの領主とされています。 でも何処にお墓が在るの?

 

 

 朱塗りの山門は『法華寺』 臨済宗・妙心寺派の禅宗です。

 

 

 どうやら此方にお墓が在るみたい。

 

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諏訪大社・上社 拝殿

 

 様々な様式の在る『神社』ですが、『諏訪大社・上社』は表参道から鳥居を潜り、石段を登ると境内との境の門が在ります。

 

 表門を潜れるのは限られた人だけ。一般人は『受与所』側の門を潜ります。

 

 『御札』や『御神籤』は此方の『授与所』でどうぞ。此処90度で左に折れます。

 

 『東参道』から入ったので曲がって、曲がって又曲がって。

 

 

 『諏訪梶の木紋』は諏訪を治めた『高島藩』の家紋であると同時に『諏訪大社』の『神紋』でもあります。

 

 白く見えるのは雪。訪れたのは3月下旬の事です。

 

 

 賽銭箱は瑞牆門の手前に置かれて今す。

 

 一般は此処から参拝します。お祓いなどの特別な場合は更に奥の拝殿迄入れるみたいです。

 

 

 丁度『神官さん』が歩いていました。

 

 左の白い山が先程の門から見えた雪の山です。

 

 でもこの場所で一番パワーを感じるのはこの一般人立ち入り禁止の石畳です。

 

 

 限られた人だけが此の場所に入れます。

 

 苔むしたこけら葺きの屋根と濡れた石畳。

 

 建物は火災で焼失仕手いますが、石畳は日本最古の神社のまま今に残されています。

 

 そうか。雪かきに行けば入れるかも。

 

諏訪大社・上社 本宮

 

 七年に一度の『善光寺御開帳』がコロナの関係で一年延期になりましたので、今年は六年に一度の『諏訪御柱』と同年開催になりました。

 

 十二支の『寅・申』の年に行う『式年遷宮』の際、神社の四隅に結界を敷く為の柱を建てます。

 

 小さな社などでは杭を四隅に打ち込んだり、笹竹を刺したりの処も見られます。

 

 『式年遷宮』とは周期的に神社を建て替えたり、大規模な修復工事を施して、後世に脈々と受け継ぐ為の物です。

 

 良く知られる処では『神宮』(本来『神宮』とは『伊勢神宮』の事ですのでわざわざ『伊勢』を付けません)の『式年遷宮』は20年に一度、敷地ごと移転し、社殿をすっかり新調します。

 

 これによって若い職人が技術を引き継ぐと共に、永代に渡って神社が保たれる事に成ります。

 

 お寺などでは『建て替え』という概念は在りませんが、それでも大規模な修復工事や、大屋根の葺き替えなどが不定期で行われます。

 

 以前、『比叡山延暦寺・根本中堂』を参拝した際も大屋根の葺き替え作業の真っ只中でしたが、逆に考えれば足場を昇って屋根を見下ろせたり、普段絶対観れない場所が見れるんですから貴重な体験でした。銅葺き屋根の銅板に名前を墨書きで残せるサービスも在りましたが、料金2万円につい尻込み。次の葺き替え迄待ちますか。

 

 

 『諏訪大社・上社本宮』 ナビで目指すと『岡谷茅野線』沿いの駐車場を指示しますが、此処は敢えて『東参道駐車場』を目指します。

 

 鳥居を潜ると直ぐに『神馬舎』が建っています。

 

 

 そもそもは神に仕える『白馬』を奉納しましたが、そんなお金無いよ~の人が絵に描いた『馬』=『絵馬』を奉納しました。

 

 その後、願掛けの為に様々な額などが奉納されつ様になりました。

 

 『絵馬』に描かれる絵も様々。その神社の特色を生かしたり、コミカルな絵馬も見られるようになりました。

 

 中には自分専用の『絵馬』を造って神社の『絵馬掛け』をに奉納している方も見られます。見汚くなる千社札よりず~っと素敵じゃありません?

 

 

 神楽殿に鎮座する和太鼓は『日本一の大きさ』でした。(過去形)

 

 でも『日本一の〇〇』って必ず抜かれる運命にあります。(後発の方が絶対有利)

 

 『和太鼓』に限って云えば張られている皮は『牛皮』です。どんなに大きな牛でも一頭の大きさには限りが在ります。太鼓の胴は木の幹をくり抜いていますから、やはり太さに限界があります。

 

 現在『日本一大きい和太鼓』はギネス認定の『綴子(つづれこ)太鼓の直径3.8㍍』

 

 でもそんなに大きい牛皮が在るのかな?

 

 

 境内には『最強力士・雷電為衛門』の像と手形が在りました。

 

 神社などで盛んに『奉納相撲』が行われたのは『入場料』を徴収して建て替え費用などに充当する為です。

 

 時には『力自慢』の『町力士』と対戦してわざと負ける『八百長』なども仕組まれたとか。(現在の大相撲は如何に?)

 

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救世尊堂

 

 せめて扁額の文字が読み取れれば・石碑には『救世尊』と彫られています。

 

 『救世尊』 ググってみても結果が出ません。

 

 『佐久市・横根地区』にも扁額に『救世尊』と書かれた御堂が在ります。

 

 その時も『救世尊』を調べたのですが的を得た答えに結び付きませんでした。

 

 字面で捉えると『世を救う尊い方』 『アッラー・キリスト・釈尊』でしょうか?

 

 

 それしても、シンメトリーの美しさ。

 

 茅葺屋根に被せたトタンの反り具合や色。

 

 ん?トタン屋根に棟瓦。 板金加工だとしたら凄い技術です。

 

 横に廻り込むと

 

 

 いや~美しい。濡れ縁の部分と、御堂、屋根のアンバランスさが又絶妙。

 

 前後で違う屋根の微妙なカーブ。 正面から見た左右対称を完全否定しています。

 

 あ~。この建物がプラモデルにでもなったら絶対に買うな。

 

 因みにプラモの『金閣寺』とか『法隆寺五重塔』とか造りました。

 

 

 参拝を済ませ、格子から覗くと御本尊は厨子に収まっているみたいです。

 

 須弥壇に埃が溜まっている処を見ると、『円満寺』さんとは関係ないのかな。

 

 

 

 読めない………でも石像になる位だからよほどの権力者?

 

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信濃成田山・円満寺

 

 山号が『成田山』のお寺が『岩村田』にも在ります。

 

 もう一つは『ぴんころ地蔵』で有名な『真言宗智山派』の『成田山・薬師寺』

 

 『薬師』と名が付く位ですから御本尊は『薬師如来』と思いきや『大日如来』でした。

 

 ではでは『旧中山道・岩村田宿』に栄えた『信濃成田山・円満寺』さんは如何に。

 

 

 訪れたのは桜が蕾だった頃です。

 

 

 以前は水場だったのかも知れません。赤い背炎を纏った『お不動様』が見守っています。

 

 

 本堂は新しく建て直されています。ガラス張りの為、反射して中が良く見えません。

 

 

 『宝剣』の土台に『成田山新勝寺・出張所』と刻まれた文字が読み取れます。

 

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伊勢林大神宮

 

 佐久市岩村田の『鼻顔稲荷神社』は『湯川』の河岸段丘沿いに建っています。

 

 その鳥居脇から急坂を登ると『市民球場』や団地が広がります。

 

 県道44号線を『伊勢林』方面に登ると交差点の崖の上に、何やら像が見えます。

 

 何だろう?と思ったら即行動。(単なる暇人じゃ無いですってば)

 

 

 『伊勢林大神宮』 

 

 湯川の東岸、河岸段丘上に広がる『新子田』は、『香坂川』や『霞川』の水源に恵まれた稲作の盛んな地でした。古くから良質の米が採れ裕福で在った為に、『伊勢神宮』を勧進し『伊勢信仰』が盛んになります。湯川沿いに広がる林を『伊勢神宮御用地』に献上したので地名が『伊勢林』 だそうです。

 

 

 『伊勢神宮』ですので祭神は『天照大神』奥の『御社』に奉られています。

 

 

 お目当ての立像は『観世音菩薩』 でも社殿に背を向けて『湯川』の方角を見つめています。大概は来訪者を迎える様に立っているのに何故?

 

 

 台座に刻まれた文字に真相が書かれていました。

 

 『昭和23年8月23日』この坂の下で路線バスの事故が起きました。

 

 当時の交通手段のメインはバスです。死傷者五十余名を出す大事故でした。

 

 遺族とバス会社はニ度とこのような事故が起きぬよう『慰霊』と『誓願』を込めて『観音像』を建立、『鼻顔観音』と呼ぶようになりました。

 

 一度に大勢の死傷者を出す『バス事故』 『犀川スキーバス転落事故』『藤岡ジャンクション激突事故』『軽井沢バス転落事故』 いずれも人為的ミスです。

 

 誰でもが免許を持ち、運転が当たり前な為、中にはデタラな運転手を見掛ける事もあります。

 

 ハンドルに漫画本を置いて読みながら運転していたり、ゲームしながらとか、スマホでメールしながらとか。

 

 高速道路の料金所を過ぎたら『缶ビール』を飲みだした大型トラックの運転手を見た時は流石に警察に通報しました。

 

 事故は無くそうとしても起きるものだからと納得している人が居ます。

 

 最大限の努力をしていますか?

 

 『運行前点検義務』が在るのに貴方は点検していますか?

 

 夕方、トンネル内で『無灯火』で運転していませんか?

 

 『さだまさし』さんの『償い』は実話から生まれた歌です。

 

東御市・観音坂

 

 免許取りたての頃、原付バイクで走り回っていましたが、まだ『千曲ビューライン』も『御八城大橋』も無かった頃です。

 

 『鹿曲川』の左岸に建つ『東御小・中学校』へ右岸から通学の為の橋が架かっています。(橋の名前は失念しました)

 

 現在は『御八城大橋』が交通の基幹になっていますので、徒歩・自転車通学の学生さんしか利用しないのかな。

 

 端を渡りきった学校の下は急坂『観音坂』が在ります。

 

 

 『観音様』が沢山並んでいるから『観音坂』 まんまです。

 

 

 時代も解らない風化した古いものから新しい物まで、石像・石塔・石碑と様々。材質も御影石やら天然石やら色々なものが並んでいます。

 

 でもコンクリート擁壁が在るから、工事後に並べられたのかも知れません。

 

 

 ひとつずつに手を合わせるのは大変そうなので、真ん中あたりの『観音様』に合掌。

 

 よくよく地図を眺めてみると(グーグルマップですけど)『旧中山道・芦田宿』と『北国街道』を結ぶ重要な拠点でも在ったと思われます。

 

 そして交通の難所と云えば『川』 

 

 一度大水が出れば流失してしまうかも知れません。

 

 今では『橋が流される』なんて想像もしませんけどね。

 

薬師堂瑠璃光如来

 

 『袈裟掛け地蔵』の並びに『薬師堂瑠璃光如来』が祀られています。

 

 『如来』とは『悟りの境地』に到達した者を云い、『仏様』と同意議です。

 

 『如来』を目指して修行中の者を『菩薩』と云います。

 

 『如来』になると『天上界の煌びやかな世界』に住みますがその色が『瑠璃色』とされています。

 

 『瑠璃』とは『サファイア』の事で『サファイアブルー』の様な透明感ある青白い光を指すそうです(だって見た事無いもん)

 

 『青の洞窟』とかに心惹かれるのは此の色の為でしょうか。

 

 

 ガラス戸かぁ。写真にならないんだよね。なんて思いながらも先ずは参拝します。

 

 賽銭箱も閉ざされた戸の内側、サッシの敷居にお賽銭を置いて。

 

 

 中央に『薬師如来』様の鎮座する『厨子』が在り、其の背面に確かに『瑠璃色』を見る事が出来ます。

 

 詳細は解りませんが、『緑青』ですかね。

 

 でも驚くは周囲を取り巻く『木像』の数々。

 

 黒く煤けている様にも見えますけど、『大乗仏教』に由来する『毘沙門天』やら『広目天』らしきが見えます。

 

 『薬師如来』は『薬壺』を手にしている処から『病気治癒』のご利益を求めて人々は参拝しました。

 

 グーグル検索では 『瑠璃光如来』を特に『女性』と関連付けしています。

 

 人間誰しも『女性』から産まれる訳ですから。

 

 いわば『マドンナ』ですね。

 

 ♬ さぁ 眠りなさい 疲れ切った 体を 横たえて

 

 誰か 『ララバイ』 歌ってくれないかな。

 

鎮守の森

 

 ♬ 村の 鎮守の 神様の 今日は めでたい お祭り日

   ドンドンヒャララ ドンヒャララ ドンドンヒャララ ドンヒャララ

   朝から聞こえる 笛太鼓

 

 童謡 『村祭り』でしたっけ?

 

 映画『男はつらいよ』で寅さんが、寂れたた街の祭り会場などで『テキヤ商売』を始める。

 

 「一つ。物の始まりが一ならば 島の始まりが『淡路島』 泥棒の始まりが『石川五右衛門』 スケベの始まりが………」

 

 ポンポンと飛び出す『啖呵売・タンカバイ』の口上に引き付けられ、人が集まり笑顔が生まれる。

 

 「角は 一流デパート 赤木屋 白木屋さんで 紅白粉付けたお姉ちゃんから 下さい頂戴と云えば一万円は下らない代物………」

 

 大した事ないバッタ品を『口八丁』で売りつける。

 

 そんなシーンに登場してもいいのではと感じました。

 

 

 参道の行きつく先に奉られているのは『荒神様』と呼ばれる『火産霊神社・ほむすび』

祭神は『軻愚突知命・カグツチノミコト』(軻の字、変換にどえらい苦労しました)

 

 全身炎に包まれていて、生まれる時に『イザナミノミコト』を火傷させ(何処と詮索しない!)、結果『イザナミノミコト』を死に至らしめてしまう『火の神様』です。

 

 生活に火は欠かせない物ですが、扱いを間違えると大火になり大災害を巻き起こします。古来より火を神と崇め捧げて来ました。

 

 

 『素戔嗚尊』は乱暴者で知られる『天照大御神』の弟で、『天岩戸』の原因を造った張本人です。武に長けて居た事から『戦神』と崇められ『勝負事』の前に必勝祈願される事も多いです。

 

 

 拝殿奥に社が二つ。どっちが『荒神様?』

 

 その他境内には摂社が多く、『三峰神社』『天満宮』『愛宕神社』『山の神』『弁財天』と並んでいます。

 

 何時も神社仏閣巡りをするとき、お賽銭の小銭が尽きない様にしていますが、この日ばかりは種切れ。(お札をお賽銭にする勇気は出なかった)

 

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袈裟掛け地蔵

 

 俗に云う処の『お地蔵さん』 正式には『地蔵菩薩』で『仏様』が入滅後(死後)56億7000万年後に『弥勒菩薩様』が『仏』となって出現し(仏様の生まれ変わり)この世を統治するまでの長い期間、人(輪廻転生の観念では、死後必ずしも人間界に生まれ変わるのではなく、生前の行いによっては天上界、地獄界などに振り分けられます)が道に迷わない様に導いてくれる、修行を積んで功徳を得た(菩薩になった)導く人。

 

 人々が悩み、求める救いによって姿・形や手にする仏具(道具)を変える為、実に様々な『地蔵菩薩』が在ります。

 

 例えば 長生きがしたい=『長寿地蔵』 厄年が怖い=『厄除け地蔵』 『刺さった棘を取りたい=『とげぬき地蔵』 腐れ縁を断ち切りたい=『縁切り地蔵』 歯痛を直して欲しい=『歯痛地蔵』 最近ではSNS映えを狙ったのか『カーリング地蔵』 何てのも見かけます。

 

 まぁ地元には『ぴんころ地蔵』が在りますから、死ぬまで元気に働けそうですけど。

 

 最近の『ぴんころ地蔵』は、ひとつ追加されて『ぴんさらころり』になっています。

 

 ぴんぴん元気に長生きのうちに、さらりと一筆遺言を書き、寝込まずボケずコロリと逝けば残された者も一安心。 『さらり』は残された者の為に絶対必要です(経験談)。

 

 『袈裟掛け地蔵』は、国道152号線『石井』交差点から『芦田大屋線』を『坂井』に向かった途中に在ります。(坂井交差点近くの『肉うどん』お勧めです)

 

 

 『お地蔵様』を守る様に建物(建物が先かお地蔵様が先か?)が在り、チョット不思議。

 

 

 8月24日の『りんご市』ですか。興味あるな~。

 

 でも夏盛りの8月にりんご………きっと旧暦でしょうね。

 

 ご利益が有り願いが叶うなら

 

 『疫病退散』『戦争反対』 ほんのちょっぴり『商売繁盛』

 

尾野山史跡めぐり・愛宕神社

 

 丸子北部の『信州国際音楽村』付近から、下之郷にかけての丘陵地帯の中に戦国時代『尾野山城』が在りました。

 

 それに纏わる史跡の数々を保存しようと尽力しているのが『尾野山史跡めぐり協議会』の方々。(決して教育委員会とかじゃ無いと思います)

 

 こんな山の中まで?とか、年間何人が訪れるの?みたいな場所にまで案内看板を設置しています。有難い。

 

 

 細い民家の間の道路を抜けると結構な急坂になり、こんな道誰が通るの?(物好きな私くらいか……)みたいな先に看板が在りました。

 

 石積と手すり付きの階段、更に先にはフェンスも見えます。

 

 フェンスの正体は給水タンク。下の集落へ供給する為高台に設置されているのでしょう。

 

 

 子供会か何かが造ったのかな。みたいな鳥居を潜って更に上を目指します。

 

 

 コンクリートの基礎で固められた鳥居。文字がカタカナです。

 

 あとどれくらい登の………と不安になりかけた時、建物が見えて来ました。

 

 

 内部に石の『祠』が祀られています。

 

 でもどう見ても『悪ガキ』の溜り場的な落書きが多数。

 

 更には『薪の山』は『かがり火』にでも使うのかな。

 

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小牧城跡と御嶽神社

 

 『神川合戦場跡地』から千曲川対岸を見ると、絶壁の途中に何やら屋根が見えます。

 

 良くある『崖造り』の神社仏閣かな。

 

 『大屋橋』から廻り込み、崖下をウロウロするも登り口らしいものは見当たりません。

 

 ならば崖の上からか。とグーグルマップの現在地を頼りにアッチをウロウロ。こっちをウロウロ。

 

 

 車の上方、電線の辺りに屋根だけ見えます。

 

 周囲に民家は無く、人に聞こうにも誰もいません。

 

 グーグルマップにも記載がない。

 

 後日、某TV番組で此処を訪問していました。『不動堂』が建って居りそれなりに人が参拝していた場所らしいのですが、道路が崩落してしまい道は在りません。TVスタッフは登山装備で山の上からロープで下ったそうです。素人では無理!

 

 バイクで走り回っているうちに『小牧城跡』の道案内が出ていました。

 

 案内に従い山道に入り込みましたが、何処だ?

 

 

 こんな山の中(失礼)に『18-8ステンレス』の道案内。

 

 出来ればあと何メートルの表記が欲しかったです。

 

 

 この先は急な下り。更には崖です。これを行く?

 

 帰りの登る事を考えて今回、此処までにしときます。

 

 後日、グーグルマップの投稿を見ると、崖をロープで下ると書かれていました。

 

 行かなくて正解としときます。

 

 

 『尾野山史跡めぐり協議会』の方が立てた案内看板。本当に助かります。

 

 郷土愛がなせる技でしょう。行政じゃ此処までしない。

 

 だって色々な場所にかなりの数の看板を、多分自費で立てているんですから。

 

 で辿り着いたのは『御嶽神社』 

 

 別荘地の一角の一番の高台に立っているこの看板だけが頼りです。

 

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神川合戦

 

 『菅平・大松山』の西方に端を発し、『千古の滝』を下り落ちる『神川』

 

 早い話が『菅平』~『東御』一帯の河川が流れ込みます。

 

 今は治水が完治し、コンクリート護岸のお陰で氾濫する事は在りませんけど、昔はかなりの『暴れ川』だったそうです。

 

 戦国時代の土木技術では、一度大水が出ると『橋』の流失は当たり前。

 

 どころか戦略的にも橋を落として敵の進入路を断つ仕組みでした。

 

 国道18号線を走っていると『神川橋』はあっという間に渡ってしまいます。

 

 

 実はこの辺りは『真田軍』VS『徳川軍』の『神川合戦』の舞台です。

 

 戦国時代末期『徳川家康』がほぼ勢力を手中にし、江戸幕府を開く少し前、交通の要所に建つ『上州・沼田城』の明け渡しを『真田昌幸』に要求します。しかし『昌幸』は断固拒否。徳川軍は7000の騎馬で『真田討伐』に挑みますが『真田軍』は僅か200の騎馬と1500の雑兵で『上田城』にて待ち構えます。町全体が要塞化し、待ち伏せ等の攻撃を受けた徳川軍は一時『小諸城』への退却を試みますが『神川』の増水により退路を断たれ、『武田軍』は大混乱。2000人からの戦死者を出し敗走します。これが『第一次上田決戦』

 

 『第二次上田決戦(神川決戦)』と云われるのは、『中山道』経由で『関ケ原の戦い』に赴くついでに『真田討伐』を目論み『上田城』に攻め入ろうとした『徳川秀忠(二代将軍)』の軍勢38000を、『神川右岸』に陣を張り待ち伏せ、持久戦に持ち込んだ挙句三ヶ月近くも足止め。『関ケ原の戦い』に遅参させました。『秀忠』は『家康』から大目玉を食ったと云う逸話が残されています。

 

 

 現在の感覚では、車で整備された舗装路を移動すれば『小諸・八重原』~『上田城』迄一時間弱です。

 

 当時の足軽は重い装備を身に着け、草鞋で泥道を歩きます。空腹でも許可なく食事も出来ず、疲れたからといって勝手に休む事も出来ません。

 

 へとへとに疲れた体で戦です。そりゃ休みながらじゃ無きゃ無理だって。

 

 

 土手には遊歩道が整備され、桜の下をジョギングしている人を見掛けます。

 

 3月のこの日、遠くに雪の残る『菅平・峰の原』と芽吹く前の桜の下を歩いてみました。

 

 戦で散った多くの犠牲者のご冥福を祈りながら。

 

寺務所

 

 『神社』は『社務所』 『寺院』は『寺務所』 共に業務・事務を行う場所です。

 

 『国分寺・薬師堂』内の『御札領布所』は残念ながら『コロナ対策』の為に閉鎖されていました。『御用の方は寺務所迄お越しください』と書かれていましたのでもう一度御本尊に合掌して本堂を後にします。

 

 もう一度本堂の入り口に在る素敵な彫刻を拝見しまして。

 

 

 迫力のある二頭の『龍』と『鳳凰』 でもよくよく見ると『眼』?

 

 『画龍点睛を欠く』ってこの事かな。

 

 ※ 後で拡大して観ると、木の木目が瞳を表していました。凄すぎる!

 

 

 『寺務所』は道路を挟んで仁王門側に戻った別棟になります。

 

 やはり入り口に『疫病除け御札・元三大師』が貼られています。

 

 『御用の無い方の立ち入りはご遠慮ください』と立て札が在りました。

 

 庫裏に住む人からすれば、見ず知らずの他人がズカズカ敷地に入り込んでくるんですから。考えてみたら怖い事ですもんね。

 

 

 敷地内にはズラリと並んだ『鬼瓦』の数々。大広間の『書院』も此方です。

 

 『飛び石』を渡ってレトロなガラス戸を開けます。

 

 

 中に入ると『アルコールスプレー』と『非接触式体温計』は時代です。

 

 御内職に相手をして頂き、『元三大師御札』と『蘇民将来符』『風邪除け』を頂きました。

 

 かなり昔、子供の頃親に連れられて『八日堂縁日』に来た事。物凄く混んでいて、参道から参拝迄2時間ぐらい掛かった事。雪解けで足元がグショグショに濡れて冷たかった事。滅多に露天の食べ物を買ってくれなかったけどこの時だけは『イカ焼き』や『焼きそば』などを買ってくれた事等々。思い出しながら話をしました。

 

 若い頃、『上田』で菓子の修行をした父にしてみれば『八日堂縁日』は特別な場所だったのかもしれません。

 

 少しセンチになりながら『信濃国分寺』終了です。

 

宝蔵・大黒堂

 

 『蓮田』から戻ってくると、真っ白な漆喰壁の『宝蔵』が建っています。

 

 一辺・二間(3.6㍍)四方程の小振りな藏ですが潔い白壁。

 

 正面に廻り込むと、あれっ 何か汚れてる?

 

 

 誰か悪戯して泥の塊りでも投げつけたか! と思いきや、よく見ると。

 

 

 左官職人の『鏝絵』でしょうか。

 

 茅野市には『鏝絵』の第一人者『小川天香』さんの作品を集めた『鏝絵天香館』が駅近くに在ります。

 

 粘土を『鏝』一つで形造り、彩色を施した『鏝絵』は非常に芸術性が高く、彫刻の『左甚五郎』に引けを取らない美しさです。

 

 この『宝蔵』が何時の時代のものか解りませんが、『鏝絵』は必見です。

 

 泥汚れなんてとんでもない! 失礼しました。

 

 

 『大黒天』を奉る『大黒堂」が在りました。

 

 七福神に数えられる『大黒様』ですが元々はインドの仏神です。

 

 日本に伝わり『神仏習合』により『神道』の『大国主命』と同一化されました。

 

 自油は『宝船の七福人』の神様のうち、『恵比寿様』以外は海外由来の神様です。

 

 国造りをした『イザナギノミコト・イザナミノミコト』の第一子が『蛭子』=『恵比寿』です。水子であった為、海に流されますが『海の神』として生還します。釣り竿を持ち縁起物の『鯛』を抱えています。

 

 『大黒様』の持つ『打ち出の小づち』は宝物を取り出せる某アニメの『異次元ポケット』の体をしていますが実は武器。アレで敵の頭をポカリ。奪った財宝を袋に入れて担いでいる。しかも『米俵』を踏んずけている。まぁ『神様』を悪く云うのも何ですけど。

 

 

 どれどれお顔を拝見と思いきや、『熊とマントヒヒ』風の木鼻の上にヤツの巣を発見。

 

 幸いまだ活動時期じゃないですから刺される心配は無いですけど。

 

 扉は施錠されており中は伺えませんでした。

 

 万が一が在ったら嫌だから即撤収。

 

蓮田

 

 国道18号線は、国分西交差点を右折『国分トンネル』を通り、更に大きくカーブして『上田バイパス・サンライン』へと繋がっています。

 

 今の技術なら真っ直ぐ『しなの国分寺駅』辺りに繋げた方が便利な筈。

 

 現にコンビニ脇の抜け道を行く車も多いです。

 

 

 本堂に写真が飾られていましたので行ってみますか。

 

 

 かなり大きめな『蓮田』で、木道が整備されています。

 

 只、花の時期は7月頃なので、3月中旬のこの日は水も無く只の荒れ地にしか見えません。花の頃に来なきゃね。(因みに7月の今頃が最盛期でしょう)

 

 

 此方の『蓮池』の方も冬枯れのまま。それでも『蓮の実』が残っていました。

 

 

 本堂裏手に並んでいるのは歴代の『ご住職』のお墓の様です。

 

 あ~あ。天気も良いし、バイク日和出し。店開けててもお客さん来ないし。

 

 『蓮の花』観に行ってこようかな~。

 

国分寺・本堂

 

 寺院を訪れる時は最初に本堂で参拝するのが望ましいのですが、『信濃国分寺』は観処が沢山あり過ぎて、ようやく本堂到着です。

 

 

 『五三の桐』の幕を潜ると

 

 

 『鰐口』が下がり、開き戸の奥に大きな提燈が見えます。

 

 ん?白い………。

 

 

 白い像は象でした。台車が付いていますので、稚児行列か何かで引くのかな。

 

 

 賽銭箱周りに柵が付けられていますので、格子の隙間から伺う事も出来ず。

 

 自然光では御本尊が解りません。提燈に『薬師尊』と在りますので『薬師如来』だと思うのですが。

 

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地蔵堂・三重塔

 

 本堂に向かって左手の『観音堂』に対し、右手には『地蔵堂』や『三重塔』が在ります。

 

 奉られているのは『地蔵菩薩』

 

 

 地蔵堂の欄間に彫られた『天女』が素敵。

 

 羽衣を纏い、『琴・笛』を奏でています。

 

 

 中央の立像が『地蔵菩薩』右手に錫杖、左手に薬壺を持っているのが特徴です。

 

 『脇地蔵』には『水子地蔵』が観られます。

 

 須弥壇の下にも『閻魔象』やら何やら。う~ん近くで見てみたい。

 

 ガラス戸で仕切られていますが、御位牌や千社札は許可を得てるんでしょうか?

 

 自己満足で千社札を貼っているのかも知れませんが、第三者にしてみれば不快です。

 

 

 『三重塔』 元々は『お釈迦様の骨=仏舎利』などを治める為の建物らしいです。

 

 しかし世界中に分骨出来る程、骨がある訳では無いのであくまで形式上です。

 

 『仏舎利塔』として丸い形状の建物も存在します。

 

 

 釘を一本も使わない建築技術の粋です。

 

 素人にはプラモデルでも無理だって。

 

国分寺・元三大師

 

 名前は知らなくても見た事ある筈。

 

 『角大師』とか呼ばれることも在るみたいです。

 

 

 参道の遥か手前からも見える黄色い看板。

 

 

 比叡山で厳しい数々の修行『千日回峰』や『四種三昧』を行った第十八代天台宗座主『良源大師』 中でもあまりに過酷な修行『堂入り』を終えた際、余りに手足はやせ細り、額は窪んでまるで角が生えたかのように見えたそうです。

 

 日本中に伝染病が流行ったこの年、『良源大師』は自身のやせ細った姿を版画に刷らせ、『疫病除けの御札』として各戸に配らせ、玄関等に貼る様に命じました。

 

 『空海=弘法大使』『最澄=伝教大師』などの様に『〇〇大師』と云う『諡号・しごう』は朝廷から贈られるもので在り、『良源=慈恵大師』と呼ばれました。

 

 しかし旧暦の正月三日(元旦三日)に亡くなられたので『元三大師』と人々から呼ばれるようになりました。

 

 (※比叡山の厳しぃ修行や慈恵大師については各々で調べる様に)

 

 『慈恵大師』のお堂や楼廟は『比叡山・横川 盧山寺』に在りますが、『元三大師』をお祀りする寺院は各地に見られます。有名な処では『調布・深大寺』『佐野・惣宗寺(佐野厄除け大師)』『川越・喜多院』など。

 

 『織田信長』から『比叡山焼き討ち』を命じられた『明智光秀』の元に、天皇家から『盧山寺は戒律を守る寺だから手出し無用』との書状が届きます。此の為『盧山寺』は護られました。是も『元三慈恵大師』のお陰かも知れません。

 

 

 本堂に向かって左手『百体の観音様』が祀られている『観音堂』が在ります。

 

 その中の一角

 

 

 『元三大師』をお祀りする『元三堂』が在ります。

 

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信濃国分寺・仁王門

 

 『しなの鉄道・国分寺駅』を過ぎコンビニの先。

 

 

 某コンビニより控えめに『仁王門』が建っています。

 

 普段、見向きもしないで通り過ぎちゃうんですけど、道路を渡る時から屋根瓦が気になっていました。

 

 

 峰瓦の中央部には『釈迦如来像』でしょうか。そして『龍』 知ってました?

 

 『焼き縮み』が起きるでしょうから『龍の角』なんて難しそうです。

 

 

 『阿形』

 

 

 口を閉じているのが『吽形』 どちらもユーモラス。

 

 でも顔と胴体のバランスがイマイチだし、色が異なります。

 

 さては廃仏毀釈で壊された後、顔だけ挿げ替えられたか?

 

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国分僧寺・国分尼寺 跡地

 

 国道18号線『国分寺駅』から上田寄り。

 

 右手に『国分寺・仁王門』が見える辺り、左手には結構広い『国分僧寺・国分尼寺』の跡地が広がります。

 

 

 若い男女の修行僧が沢山いて、隣り合わせた建物で厳しい戒律の修行をする。

 

 私にゃ到底無理でしょうけど。

 

 

 遠くに見える『ハープ橋』は北陸新幹線です。

 

 

 国分寺・史跡を分断する線路は『国鉄時代』のもの。

 

 『741年・天平』の史蹟跡地に国鉄が線路を通したのが『昭和初期』。そして『平成』に新幹線が開通。

 

 此の史蹟とハープ橋の間には『江戸時代・北国街道』が善光寺迄続いています。

 

 今では『国道18号線』と『広域農道・浅間サンライン』更には『高速道路』も開通しています。

 

 車で通り過ぎればあっという間に通り過ぎる所ですけど、たまには足を止めて廻りを見廻すのも宜しいのでは?

 

 

 試しに『北国街道』まで歩いてみました。

 

 江戸時代の面影は………ある訳無いですよね。

 

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信濃国分寺・万葉公園

 

 『聖武天皇』の令により、741年に日本の主要都市に建設された寺院です。

 

 『神道』の『天皇家』が、『疫病退散』を『仏教』に求め国費で建設されました。

 

 長野県下(信濃の国)においては『上田』が選ばれました。

 

 『善光寺』の在る『長野』でも『松本城』の在る『松本』でも無く、『上田』

 

 当時の地図で考えると、東に『上州街道』経由『群馬(上州)』、南に『中山道』経由『江戸、甲州』北に『北国街道』経由『善光寺、上越』西に『保福寺峠』経由『松本(筑摩)』と主要街道の交差する重要拠点です。

 

 戦国時代も此の拠点を巡って熾烈な争いが起きています。

 

 

 物心ついた時から国道18号線が『仁王門』脇を通っていましたし、『国分寺僧寺・国分尼寺』跡地のど真ん中を線路が突っ切っていました。車窓から見る風景に何の疑問も持たなかったですけど、よく考えればかなりの暴挙ですよね………国鉄。

 

 

 ホワイトバランス悪くて見づらいですけど『国指定史跡』を保護する事無く線路通しちゃった!

 

 

 訪れたこの日、コロナの為か定休なのか休館日でした。

 

 3月の中旬、隣接の『国分寺万葉植物園』にも緑は芽吹く前、やっぱり花の頃に訪れないと。

 

 

 『カバン』って何だ?

 

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中曽根親王塚古墳

 

 日本各地に古墳や塚が点在しています。

 

 国道18号線で『大屋』付近を走行中、線路側に小高く盛られた古墳らしきものを発見しました。

 

 何処が入り口かな、と探し回るも………? 

 

 隣接した『ガーデニングプラザ。WATABE』さんで伺えば入り口が解るかなとバイクを停め、作業中の方に声を掛けると。

 

 「うちのだから自由に見て行って」 個人所有の古墳ですか!

 

 駐車場の片隅の、邪魔にならない場所にバイクを移動し探索開始。

 

 

 『円墳』の様に見えましたが『方墳』でしたか。

 

 方位磁石の無い時代に、正確な『東西』をどうやって理解していたんでしょう。

 

 『メキシコ』の『太陽のピラミッド』は、冬至の日に『蛇』が浮かび上がるとか、日本各地の神社でも当時の日にのみ観られる現象が在ります。

 

 『生島樽島神社』でも確か『鳥居から太陽の差し込む日』とかが云われていますよね。

 

 

 『古墳』も早い話が『お墓』もですので登る前に合掌し一礼を捧げます。

 

 

 『石室』等は公開されていませんでしたけど『祠(神社)』が祀られていました。

 

 小さくても人為的に盛られた急斜面に足を滑らせない様に下ります。

 

 

 古墳を降り、わざわざ仕事の手を止め案内してくれたお店の方にお礼を。

 

 バイクでは『花』や『苗』を運べないので次回是非とも買物させて頂きますとお店の方に挨拶しまして。(でもその後も買い物できていません)

 

 さて次に向かいますか。

 

縣諏訪神社

 

 国道18号線を小諸から上田へ向かいます。交差点名『加沢西』の信号待ちで、いつもは通り過ぎる神社が妙に気になりました。

 

 国道側に入り口は無く、駐車場を探しながら廻り込むと。

 

 

 『伊豆宮公園』の脇にトイレと駐車場、そして神社の参道が在りました。

 

 

 『縣諏訪神社』 此処、『縣地区』の氏神様の様です。

 

 

 拝殿は掃除が行き届いています。大祓いも新調されたばかりみたいです。

 

 

 屋根の上に『魔除け』ででしょうか。神社では珍しいかも。

 

 『丸瓦』の波模様は『火除け』での意味でしょうか。

 

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霧窪神社

 

 『霧窪』とは、谷間や窪地に霧が溜まりやすい気象条件から名付けられています。

 

 多分湿地帯などが在り、気温変化などで霧が出来易いとか。

 

 『霧窪』は『切久保』などと字体を変え、各地で見られます。

 

 『小諸』~『布引観音』~『島川原』まで、『布引電鉄(通称・布電)』が走っていました。

 

 千曲川右岸『押出』辺りから続く『桜並木』が好きで、毎年開花の頃訪れたくなります。

 

 

 『押出駅跡地』付近に『霧窪城跡地』と『霧窪神社』の案内が出ていました。

 

 『霧窪城跡地』の広い敷地には工場が建っていましたが、現在はその工場も閉鎖、建物は解体され今は広い空き地が残されているだけです。

 

 『布電』を通す為に造られた『切通し』によって、分隔てられた場所に『霧窪神社』が在ります。

 

 でも案内看板の先はどう見ても造園屋さんの私有地?

 

 取り敢えず轍跡に沿って歩いてみますと高台に『鳥居』が見えました。

 

 

 祀られているのは『大黒天』 大きな袋を担いで手に『打ち出の小槌』を持っています。でも戴けないのが『米俵』の上に立っている事。柔和な顔をした『七福神』の一人ですけど、『ヒンドゥー教』の最高神『シバ神』をモデルにしているともされています。

 

 『打ち出の小槌』で『金・銀・財宝』が思いのままの様に思われていますが、実は『小槌』には『武器』の意味合いも持っています。

 

 『霧窪城』の時代に『守り神』として崇められたか、個人的に『商売繁盛』の願掛けに建てられたのか? と見ると看板には大正時代に『氏神様』として創設されたと書かれていました。

 

 

 天然石の屋根と、支える木製の柱、『大入り』と書かれた賽銭箱(貯金箱?)にお賽銭を入れて参拝します。

 

 ン⁈ 柏手の音に驚いたのか草叢の中をガサゴソ音がして、何かが動いて行きました。

 

 

 『熊?』『狐?』まさか『落ち武者のお化け………』は無いでしょうけど、此処は退散したほうが良さそうです。

 

白髭神社

 

 昨年でしたか『琵琶湖畔』の『白髭神社』の湖に立つ鳥居を『水上バイク』で潜ったり、接触して傷つけたニュース報道が在ったのは。

 

 東京・隅田川に架かる『白髭橋』や『白髭団地』の名前の由来も、確か『白髭神社』から来ている筈です。

 

 『白髭神社』の祭神は『猿田彦之命』 

 

 天の神様が地上に降りたとされる『天孫降臨』の際、先に立って道を案内したとされる事から『導きの神』とか『道案内の神』とされています。

 

 

 昔の人はこの鳥居扁額の文字を読めたのだろうか?

 

 グーグルマップと照らし合わせて『白髭神社』と推察していますが、決して判読出来た訳じゃありません。(恥ずかしながら)

 

 

 拝殿から本殿。『十六弁の菊の御紋』が覗えます。

 

 『天皇家の家紋』ですが、ステッカー張ってる車も時たま見かけます。(自分を神と勘違いしている可哀そうな人だから、そっとして置くのがオトナ)

 

 

 実は鳥居の脇に在る『石灯籠』と『不動明王』に目を奪われました。

 

 『龍』が彫られた胴の他、傘には『菊の紋章』

 

 『石尊大権現』は山岳信仰かな。

 

 

 寛政元年をググると1789年。

 

 県下は『浅間山・天明の大噴火』の影響で多くの人が苦しんでいた時代です。

 

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高柳・福寿密院

 

 『佐久市・原地区』から『佐久市・臼田地区』へと抜ける主要道路沿いに『福寿密院』は建っています。

 

 『真言宗・智山派・福寿密院』 あれ山号は?

 

 

 入り口が解らずウロウロ。東側から砂利道が続いていました。

 

 御堂だけの小さなお寺です。庫裏がくっついていて御堂の前が駐車場?

 

 御堂の縁側で猫が日向ぼっこしていました。

 

 

 地方の寺院にしては斬新的な色使いです。

 

 靴を脱いで階段を昇り御本尊拝観………閉ざされていました。

 

 隙間から覗こうにも何も見えません。お賽銭を置いて合掌。

 

 

 境内の片隅に『社』が建っています。

 

 小さいながらも立派です。でも扁額も案内の類も見当たりません。

 

 『稲荷神社』なら『狐』なんかが置かれているんですけど。

 

 

 『寺院』の境内に『神社』が祀られているのは、奈良時代に始まった『神仏習合』によります。

 

 古来より『神道』主流の日本に於いて『仏教』が伝来します。

 

 仏教に帰依していた『推古天皇』が即位した事から、西暦596年には『飛鳥寺』が建設され宗教として『仏教』が確立します。

 

 『唐招提寺』は中国の高僧『鑑真和上』が態々来日し創立しました。

 

 一方『仏教』の名を借りた『僧兵』(武蔵坊弁慶も最初はこの類)などによる暴挙が人々を苦しめます。

 

 『平家物語』の中に『白河天皇』にして『加茂川の水 双六の賽と 山法師』と嘆いている『山法師』がこの『僧兵』にあたります。

 

 その後正しい仏教を学ぶべく『遣唐使』によって『最澄』『空海』らが様々な『経典』を持ち帰り『天台宗』『真言宗』を開山し仏教を学びたい人=僧侶に広め、日本各地に広がって行きます。

 

 その後日本に疫病が大流行した事を受け『聖武天皇』が日本各地に『国分寺』『国分尼寺』を建設させます。

 

 『天皇家』=『神道』が『仏教』を認め、救いを求めた事に成ります。

 

 『神道の神』と『仏神』を重ね合わせる事が良しとされ、次第に境目が無くなって行ったのが『神仏習合』です。

 

 神道の『宇迦之御魂神・ウケノミタマノカミ』と仏教の『茶枳尼天・ダキニテン』が習合し『稲荷神』となりました。

 

 『京都・伏見稲荷』は『神社』ですが『愛知・豊川稲荷』は『寺院』です。

 

 良く解りませんネ 『神仏習合』

 

山の神

 

 ♬ 男は 祭りを そうさ 担いで生きて来た

   山の神 海の神 今年も 本当に ありがとう 

 

 大好きな『北島三郎・祭り』です。

 

 『山の神』とは時に奥さんの事を称しますが、『山の神様』は女性が多く、天候不順などで空模様が怪しい時、山に向かって立ち〇ョンすると、山の神=女神が喜んで赤くなる(夕焼け)から翌日は晴れる。と、メチャクチャな論理をワンゲルの顧問はの賜りました。(現在は携帯トイレ無くして山に入るべからずです)

 

 今でも山岳信仰の強い山では『女人禁制』などとホザイテいますけど、そんなことだから『ジェンダー・ギャップ』が116/146位に成るんです。

 

 以前、大相撲巡業で、発作で倒れた審判員を助けようと女性看護師が土俵に登った処クレームが殺到した事が在りました。

 

 相撲協会も擁護せずその後は有耶無耶。その女性がいなかったら死んでいたかもしれないのにね。

 

 で『佐久市・北川』の傾斜地の最上部。冬に雪が積もったら車は無理だろう!的な登りきった付近に鳥居が在りました。

 

 

 旧碓氷峠に在る『碓氷権現熊野皇太神社』は不思議な処で、県境を挟んで『群馬県側の拝殿・社務所』と『長野県側の拝殿・社務所』が存在します。

 

 参道を登り、『随身門』の中央には県境線が引かれています。

 

 その長野県側神社の御神木が『科の木・(しなの木)』です。

 

 『信濃』の語源となった『科の木』の大木には『ハート形』の穴が開いています。

 

 その苗木を頂き此処に植樹しているそうです。

 

 石碑の後ろの木がそうかな。大きくなってね。

 

 でも何でこんな山の上にまで住宅地が広がるの?

 

 

 この景色が在るからですね。夜景もさぞや綺麗なんだろうなぁ。

 

北川観音堂

 

 『臼田地区・北川』は、東から北に向かって斜面が広がり、住宅地在り、工業団地在りの場所です。その西の端は尾根が佐久平野の南端まで続いています。

 

 『北川神社』の『切通し』を越えると『切原地区』の『龍泉寺』に出ます。

 

 切通しを抜ける時、鳥居が在るのは知っていましたが、今回訪れたのは切通しの北側です。

 

 

 道が在れば行ける処まで行ってみる。を信条にしていますので道路の終点にバイクを停め歩いて斜面を登ります。(でも車の轍が在りますよね)

 

 どう見ても車で入っちゃいけない場所なんですけど、管理その他の事情が在るんでしょう。

 

 

 『御堂』と『鐘楼』、『祠』が在りました。

 

 佐久平に向かって突き出た尾根は此処まで。きっと戦国時代には『砦』か『狼煙台』があったのかな。

 

 

 『千手観音菩薩』様の絵が掲げられています。

 

 小さいながら『千手観音像』や『阿弥陀如来像』『薬師如来像』などが並んでいます。

 

 『燭台』や『香炉』『御鈴』は解りますけど『鏡』って?

 

 

 『鐘楼』に下がる『鐘』は如何にも手造り。鎖で釣った『撞木』も普通に丸太です。

 

 きっと『お堂』も『鐘楼』も個人の尽力でしょう。

 

 振り返ってお堂の側面を見た時

 

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縣神社

 

 佐久市の岸野地区には『伴野』と『根岸』と云う二つの大字が在ります。

 

 『下県』とか『相浜』と云う住所は小字?知らなんだ。

 

 昔『下県』の町中は賑やかな商店街が在りました。夏には歩行者天国にして『祇園祭』なども行われ夏の風物詩でした。

 

 昨今の車社会では、便利な郊外型スーパーが出来れば商店街が無くなるの謂れの通り、すっかり静かな商店街になってしまいました。

 

 そんな千曲川に程近い場所に『縣神社』のが在ります。

 

 

 駐車場は在りません。道路から脇道に入った場所に車を停めました。

 

 

 鳥居を潜り拝殿にて参拝。

 

 昨今の防犯上お賽銭箱は拝殿の鍵のかかった扉の内側に設置されています。

 

 

 『鈴緒』のぶら下がる『梁』には見事な龍が彫られています。

 

 緻密さで見るなら『無骨』な部類に入りますけど『力強さ』なに好感が持てます。

 

 

 『摂社』が建っていましたけど何だろ?特に説明は在りませんでした。

 

 狭いながらも境内には『雲梯』『鉄棒』『滑り台』などが置かれ、子供たちの格好の遊び場みたい。

 

 コロナの為か、子供の姿は在りませんでしたけど。

 

 千曲川の段丘上に建つ境内からは、『バルーンフェスティバル会場』が目と鼻の先です。

 

 駐車場、トイレは在りませんけど、バルーンフェスティバルの花形『キャンドルファイヤー』の格好の撮影ポイントになりそうです。

 

寶藏寺

 

 旧国道で『岸野地区・相浜』から『下県』へ向かうと左手に大屋根が見えます。

 

 正式名称『真言宗・大王山・寳藏寺』 空海を祖とする『真言密教』のお寺です。

 

 

 田圃中の石畳。白い漆喰が引き立ちます。

 

 石柱には大きく割れた跡。どんな経緯で割れて、どうやって直したのか気になります。

 

 

 総門の先には『六地蔵』が並んでいます。

 

 輪廻の際、道案内をしてくれるとされていて、この先は『来世』との境を意味します。

 

 まぁ人間いつかは死ぬんだから、そん時は墓の下。

 

 仮に『輪廻転生』したとして、何処の世界に生まれ変わるやら。

 

 『六地蔵』から先には墓地が在り、亡くなった方が『この世』に迷い出ない様に見張っている番人と考える事も出来ます。

 

 

 銘板が在りますが、何が何やら。六道それぞれの受け持ちが決まっています。

 

 まぁ『六地蔵』に関してはgoogleに譲ります。

 

 

 御本尊は『大日如来』? 何か脇に沢山控えていますけど………。

 

 『曼荼羅』も掲げられています。

 

 昔観た映画『空海』(北大路欣也さん主演)では、目をつぶって『曼荼羅』の上に葉の付いた小枝を落とします。この時守り本尊が決まるのですが、空海はニ度行ってニ度とも『大日如来』=『仏様』だった様な。

 

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咲き分けの桜

 

 『岸野地区・五本木』集落の集会場に、二本の桜の古木が在ります。

 

 訪れたのは2月。まだ桜の花は蕾にもンばっていませんでした。

 

 駐車場など在りませんので道路の拡幅部に停めました。

 

 

 入り口辺りには『十九夜講』『二十三夜講』などの集まりが在った事を今に伝える石碑や、『夫婦道祖神』などが並んでいます。

 

 

 柔らかい『佐久石』にでも彫り込んだのでしょうか、柔和な顔立ちで手をしっかり繋いでいます。担いでいるのは紙垂の付いた『鍬』でしょうか。

 

 刻まれた文字は『天保』でしょうか。

 

 

 路地の奥まった処に桜の大木が二本見えます。

 

 集会場より断然大きいこの桜

 

 

 『咲き分の桜』と呼ばれています。

 

 後日桜の開花の頃に訪れました。

 

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くるみの木

 

 すっくと立つ一本の大木。良いですね。

 

 某CMの ♬ 此の木 何の木 気になる木 に映し出される『日〇の樹』は『ハワイ・オアフ島』に在るそうです。

 

 タバコのCMに登場したのが、『北海道・美瑛』に在る『マイルド・〇ブンの樹』(今は『メビウス』と云いますが)

 

 『東御市・御牧ケ原』には『一本くるみ』と呼ばれる木が在ります。

 

 

 『くるみの樹』 幹はそれ程太くならないみたいですが、それでも広く枝を広げています。

 

 

 通り沿いの拡幅部分に車を停め、個人住宅の間の道を丘まで登りました。

 

 小高い丘からの眺望もなかなか素敵。遠くに見えるのは『八ヶ岳』です。

 

 

 浅間連山を背景に。

 

 

 ゴツゴツとした木肌は荒々しくも在りますが、葉が茂り実が成ると鳥やリスなんぞが格好の遊び場とするんでしょうね。

 

 樹齢とか謂れとか何も必要在りません。

 

 ただ丘の只中に立っている大木。良いなぁ。

 

 

お姫様神社

 

 『鹿曲川』を渡る橋の袂に、『常設された丸木橋で諏訪方面に向かう重要な端であった』と案内が出ていた『玉の井橋』

 

 でもこの道は何処に抜けるの?とgoogleマップを開くと、『お姫様神社』が出てきました。

 

 行くっきゃないでしょ。

 

 

 舗装路に雪は無いものの、神社へと続く道は冬季閉鎖なのか雪が積もったまま。誰も歩いた足跡も在りませんでした。

 

 意を決して雪の中へ足を進めると、くるぶしが完全に埋まります。

 

 

 民家から離れた場所の岩棚には幾つかの横穴が見えます。

 

 こういう処には、動物が潜んでいそう。近づかない方が賢明かも。

 

 

 雪の上には動物のフンが残されていました。でも周囲に足跡が無い。

 

 その後に雪が積もったのかな。

 

 失敗したのは車に長靴積み忘れてきた事。冬はいつも積みっぱなしなのになんで降ろしたのかな。

 

 

 笹薮で地固めした崖の上に『お姫様神社』が見えました。

 

 でも雪………。

 

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おこじょう穴

 

 県道153号線、『川西保健衛生施設』の近くの崖に立て看板が在りました。

 

 駐車場など無く、ブラインドコーナーに近い為、車を停めるのは安全な場所へ。

 

 果たしてこの岩穴に人が住めるだろうか?

 

 一時しのぎに雨風を凌ぐだけなら岩穴は有効ですけど、生活の場とするなら火を焚けるだけの高さと広さが必等です。

 

 焚火で出る煙は時に目を開けられない程。(そのお陰で防虫作用も在りますけど)

 

 落ち葉で埋もれているのかとも思いましたけど、重さの在る石仏が安置されていると云う事は床面。

 

 水(鹿曲川)が近いから、飲み水と食料(魚)の入手は出来たかもしれないですけど、夏の蚊の多い時期や冬の雪の時期、此処に住めるだろうか?

 

 

 こーちゃん。一番の苦手が『キイロスズメバチ』

 

 『スズメ』なんて可愛らしい名前ついてるのに狂暴な奴ら。

 

 幸い訪れた時は冬で、その心配は在りませんでしたけど夏は絶対ヤバイって。

 

 

 更に鹿曲川を下って

 

 

 googlemapでも観て頂ければ解かると思うんですけど、此処が交通の主要ポイントとは信じがたい場所です。

 

 『旧道』には、現代と事情の異なる何かしらの理由が隠されているから面白いんですけどね。

 

古峯神社

 

 『旧中山道茂田井間の宿』のメインストリートは軽自動車がすれ違えるかどうかの道幅しか在りません。その為、『県道148号線。通称・牛鹿望月線』が集落の南側を走っていて、バス停や商店なぞが並んでいます。

 

 その後国道142号線バイパスの開通と共に交通量もかなり減ってしまいました。

 

 こーちゃん、『判官びいき』じゃありませんけど立場の弱い人をみると協力したくなります。でお店を探したのですが、見つけたのはジュース自販機一台だけ。

 

 

 一息入れて帰路に着こうと走っていたら鳥居を発見。

 

 

 陽の当たる部分は雪が解けていましたけど、日陰では靴が埋まるほどに雪が残っています。石段を登りきると今度はぬかるみ。何とか草を踏みながら慎重に。

 

 

 明治20年に茂田井を大火が襲ったそうです。

 

 村全体を見下ろせるこの場所に『火伏の神』を祀ったのでしょう。

 

 

 昨今、鉄製の扉は致し方ないのでしょうか。

 

 江戸時代、街道を旅する人が宿場町に間に合わず、雨風をしのぐ為に山寺や神社に仮の宿を求める。

 

 時代劇『子連れ狼』で、『萬屋金之助』扮する『ちゃん』が「大五郎、此処で待って居れ」なんて云って仕事に出掛ける。

 

 ♬ち~ゃんの仕事は刺客ぞな~。の刺客を資格と勘違いしていたのは私だけ? 丁度その頃、007シリーズの、『殺しのライセンスを持つ男』と勘違いしたのかな。

 

 

 

 明治20年の建立以来、大事に守り継がれてきたのでしょう。

 

 でも『天狗の面』って?

 

茂田井・諏訪神社

 

 何処の集落に於いても祀られているのが『諏訪神社』 それも其の筈で、日本全国に25000社も在るそうです。

 

 開いててよかったの某コンビニでも21000軒ほどですのでナントそれ以上の数です。

 

 『諏訪の神=諏訪様』とは『夫婦二人の神様』です。

 

 美人で聡明な『新潟・糸魚川』の『奴奈川姫』噂を聞き、『出雲の国』から『大国主命』が訪ねて来て結ばれました。

 

 生まれた子供が『建御名方神 ・たけみなかたのかみ』で『上諏訪大社・主神』です。

 

 奥さんが『八坂刀売神やさかとめのかみ』で『下諏訪大社・主神』です。

 

 て事は二人は別居中? で旦那が凍った諏訪湖を渡った証とされるのが『御神渡り』です。

 

 暖冬の影響で、昨今御神渡りは見られませんので、暫く逢ってない事に成ります。

 

 って余計な心配しなくてもそこは神様ですから大丈夫。

 

 『下諏訪大社・春宮』には『摂社』として『上諏訪大社』が祀られています。逢いたくなったら何時でもワ~プ!

 

 

 諏訪神社の境内に隣接して『茂田井農村公園』と『旧茂田井小学校』の広い庭が在ります。車は『旧茂田井小学校・駐車場』を利用できます。

 

 

 参道を進み、二の鳥居。

 

 

 『拝殿の木鼻』におっ!と声が出ました。

 

 

 『木鼻』は柱の上に乗る『梁』はの両端の装飾」の事ですが、普通は『象』などが左右を向いています。此の『獅子』正面のこちらを睨んでる。

 

 他の彫刻も素晴らしいです。この辺りの『宮大工さん』さぞや腕が良い?

 

 境内をぶらついていると

 

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無量寺

 

 正式名称『天台宗・来迎山・無量寺』『比叡山・延暦寺』の末寺です。

 

 『無量』とググると、『感無量』とか『観無量寿経』が出てきます。

 

 『摩訶般若波羅密多心経』にも『無』と云う言葉が繰り返し出てきますが『無量』は無かったと思うんですけど。

 

 

 この手の『説明』は必ず写真に収めます。

 

 時間に余裕が在れば、予備知識としてじっくり読んでから散策します。

 

 後で読み返してみて「あ~。アレみなかった」何て事もありますけどね。

 

 

 まだ雪の残る境内をゆっくり見て廻ります。拝観料無料!

 

 

 古刹には『桜の古木』が似あいます。

 

 花開いた桜に響く鐘楼の音。良いなぁ。

 

 

 本堂は施錠されていました。唐破風造りが印象的です。

 

 参道から『薬師堂』へ、誰も足跡を着けていない雪の上を歩きます。

 

 う~んやっぱり施錠されています。昨今の防犯対策じゃ仕方ないですけど。

 

 隙間から何とか拝めました。

 

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茂田井間の宿・アレコレ

 

 『黒澤酒造』さんの屋根裏に本物の『高札』が多数保管されていましたが、それも其の筈。

 

 本陣の無い『間の宿』では『黒澤酒造』さんの壁が『高札所』に指定されていました。

 

 更に『天狗党』を追った『幕府軍』の『作戦会議所=本陣』としての役割も果たしたそうです。

 

 

 『消火栓ボックス』の代わりに『天水桶』でも置いてあれば『江戸時代』です。

 

 一日の野良仕事を終えたお百姓さんや、左官職人さんなんかが立ち止まってひそひそ話。文盲率の高かった時代の事ですので、誰か読める人が通りかかるのを待っていた。なんて想像できますよね。

 

 

 坂の途中には『一里塚』も在りますが、雪の下。

 

 

 『一里塚』は『信長』提唱でしたか。

 

 

 坂の名前は『石割坂』 なんでも通行の邪魔になる『大石』を割ってまでして道を開通させたとか。ならばと割った石の残骸は無いかとあちこち探したのですが、それらしい形跡は在りませんでした。(まっ、云われなんてそんなものかな)

 

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しなの山林美術館

 

 こーちゃん。美術館とは縁遠い方ですけど、それでも機会が在れば。

 

 『しなの山林美術館』何のこっちゃ?

 

 さぞや『風光明媚な山河』の描かれた絵画が並んでいるのか、はたまた『山林』さん(そんな名前在るのかな)所有の美術館?

 

 まっ、入れば分かるだろうと。

 

 『しなの山林美術館』の方へ歩き出すと、「美術館もご覧になります?」と言いながら先程の方が近づいて来て入り口を開け、照明のスイッチを入れてくれました。

 

 「見終わったら事務所に声を掛けてください。」きっと節電の為に照明を消すんでしょうね。

 

 

 答えは前者でした。『山河』や『自然』をテーマにした絵画数十点が展示されています。

 

 でも何故酒蔵に美術館が?

 

 さてはタンマリ稼いだお金で美術品を収集したか。

 

 

 この肖像画の方、『大澤邦雄』さんは佐久市を代表する画家であり、『大澤酒造』の御曹司。絵画の勉強の為に若くしてヨーロッパに渡り、帰国後はやはり佐久市出身の『神津港人(こうじん)』(佐久市志賀出身の名家。親族には故羽田孜さんのおじいちゃんや、音楽家神津善行さんもいます)さんらと共に『日本山林美術協会』に加盟。その縁あって『山林美術協会員』の絵を多数展示しています。

 

 

 『書の展示室』も拝見しましたが、こーちゃんにはチンプンカンプン。(佐久市出身『比田井天来』さんの美術館も………。だって達筆すぎて文字が読めないんだもん。)

 

 庭の其処かしこに『酒造りの道具や機械』が置かれています。

 

 

 店内では試飲・販売もしていて、無料で試飲出来るんですがなんせ車で来ちゃった。

 

 色々と手を煩わせてしまいましたので、買って帰ってゆっくりと楽しみましょうかね。

 

大澤酒造

 

 『茂田井間の宿』には『武重本家酒造』の他にもう一つ『大澤酒造』が在ります。

 

 狭い(失礼)宿の中にかなり大きい『造り酒屋』が二軒、さてはかなりの飲兵衛が多かった?

 

 

 大きな門構えの酒蔵で、『民俗資料館』や『しなの山林美術館』『書の展示館』等が見学できます。しかも無料で。

 

 主力銘柄は『明鏡止水』『勢起・せき』 

 

 バイパス『茂田井』交差点から『茂田井間の宿』に入ると、『大澤酒造所有』の大型バスも数台駐車できる広い駐車場が在ります。(1・2台なら門内敷地に駐車出来ますけど後になって知った)

 

 門を潜ると良い香りがプ~ンと漂って来て………

 

 受付で見学希望を告げると、それまで節電の為に消灯していた電灯を点けてくれました。(態々仕事の手を止めて)

 

 先ずは販売所二階に在る『民俗資料館』へ。

 

 え~驚きました。

 

 

 階段を昇ると、昔、使用人が寝泊まりしていたであろう大部屋と下駄箱が在ります。

 

 その下駄箱の上に在った『絵』

 

 

 『八葉嶽』とは仏教で云う処の『八葉蓮華』の意味で、『富士山』の事です。

 

 似たような絵図を何処かで見た覚えがあるのですが何処だったのか思い出せない。

 

 確か何処かの『寺院』の宝物殿だった様な?

 

 

 江戸時代からの生活道具がズラリと並んでいます。

 

 『有料資料館』なら事細かく説明書きが付けられているんでしょうけどネ。

 

 雑然と『機織り機』『竈』『行燈』などから『木桶』『籾摺り』が並んでいる一方

 

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茂田井間の宿

 

 旧中山道に在る『茂田井間の宿』は南北に約1.7㌔程。

 

 その内民家の密集は1㌔程でしょうか。

 

 そんな狭い(短い)集落に大きな『造り酒屋』が二軒あります。

 

 どちらも有名で美味しいお酒で知られている蔵です。

 

 

 重厚な門構えで出迎えてくれるのが

 

 

 『御園竹・みそのたけ』や『牧水』で知られる『武重本家酒造』

 

 漆喰と石垣の美しい建物は時々映画ロケなどに使われます。

 

 この付近の用水に使われている石垣は、恐らく江戸時代のモノですので、当時の街道の道幅が解るというもの。軽自動車がギリすれ違える位の道幅しか在りません。

 

 車社会に併せて道路幅が決められている現代と違い、『中山道』と云えど幅一間(1.8㍍)足らずの個所も多々在ったそうです。

 

 しかも『泥道』 雨でも降ったら荷物運搬用の『大八車』などはさぞや苦労した事でしょう。

 

 江戸の町では坂道が多く、今でも地名に『〇〇坂』と付く所が多いです。(赤坂、神楽坂)、そんな坂の下には『人足小屋』が在って、坂の昇り降りに苦労する『大八車』に有償で手助けをする商売が成立したとか。

 

 

 『若山牧水』の歌碑が建っていました。(だから日本酒の銘柄が『牧水』か)

 

 石碑の奥の蔵は時代劇に登場する『居酒屋』風になっていて、縄のれんが風に揺れていたなんて想像しちゃいません?

 

 よっしゃ、今日は日本酒にしよ。

 

茂田井間の宿・神明社

 

 『旧中山道・茂田井間の宿』は知らない人も多いかも知れません。

 

 『望月宿』から『芦田宿』の間にありますが、『本陣』が置かれていなかったので正式な宿場町に数えられていません。

 

 しかも国道142号線バイパスが完備してからというもの、わざわざ好き好んで旧道を走る者はよっぽどの物好き。(私ゃかなり好奇心旺盛ですな)

 

 

 中仙道ですので『参勤交代』の際に諸大名も通過した筈です。

 

 舗装路の無い江戸時代、坂道も土の道ですから、雨などで泥濘るんだら歩くのも大変。

 

 旅装束では『脚絆・草鞋履き』が当たり前ですけど、女の人は裾の汚れとかどうしたんだろう?

 

 時代劇『水戸黄門』なぞを見ていても、雨の中を歩いて旅しているのに、全然服装(特に足袋)が汚れていないのが気になったりして。

 

 

 バス通りから分岐して『旧中山道』を散策です。(BUSはバス停です。ブスと読まない事!居るのは美人ばかりです)

 

 最初に目についたのが『神明社』です。

 

 

 駐車場は無いらしく、雪の残る脇道に停めました。

 

 此処は『雨乞い』に霊験あらたからしく、『雨乞い神事』が行われた記録が残されています。

 

 取り敢えず『雨』を希望していませんので、参拝だけさせて頂きます。

 

 

 『神明造り』は鳥居を見れば簡単明瞭。真っ直ぐな丸太を組み合わせただけの様なシンプルさです。(伊勢神宮など)

 

 『鳥居』とは『鳥』がとまる場所の事でその鳥は『鳳凰』とされています。

 

 

 社務所に奉納された絵です。

 

 『天照大神』が『天岩戸』に籠った時、神々が集まり、『天岩戸』の前で楽し気な宴を催しました。賑やかな音曲に何事かと少しだけ岩戸を開けて外を覗おうとしたした瞬間、力自慢の神様『タジカラオのミコト』が岩戸をこじ開け、世の中に光が戻ったとされています。(実は天照大神は岩戸を開け閉めできる力持ち?)

 

 その時に音曲に併せて踊ったのが『天宇受売命・あまのうずめのみこと』で、日本における最初の『ストリップダンス』とされています。(個人的感想です。決して神様を愚弄する気は在りません)

 

 集団で熱狂的に踊ったり、神輿を担いだり………一種のトランス状態ですかね。

 

 某宗教の大規模集会も実は此の心理的興奮を利用したモノ。

 

 最近聞かなくなった『催眠商法』も似たようなもんです。安い商品でお得感を感じさせ、最終的には高額な羽毛布団セットを買わされていた………なんて事無いでしょうね。

 

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小宮山・諏訪神社

 

 佐久市の西山裾に小宮山集落が在ります。

 

 川伝いの道は何度か通った事有ったのですが、一本北側の道は初めて通りました。

 

 其処で見つけたのが『諏訪神社』です。

 

 正直、『諏訪神社』や『稲荷神社』はどんな山の中の集落でも観られます。

 

 住民から大切に扱われて、花や線香が手向けられたり、草刈りや祭事に人の手が加わっているのが解ります。かと云えば誰も管理する人がいなかったりして朽ちるばかりだったり。

 

 

 参拝を済ませ、お賽銭入れの小窓から中を覗き込むと。

 

 

 『御神灯』と真新しい『大祓』と『紙垂』、お正月に祭事が行われたのでしょう。

 

 アレ?って想ったのは『面』です。

 

 『三番叟』です。でも奉納されたのでしょうか『カラス天狗』と『?』

 

 チョット考えちゃったのが『髪の毛』 まさか『人毛?』

 

 触らぬ神に祟りなし。深追いせずに次。

 

 

 本殿の背面に在った彫刻です。なんか優しい感じ。

 

 ふと思い出したのが 『奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞くときぞ………』 

 

 新春ですけどね。

 

 狭い境内ながら『ジャングルジム』や『ブランコ』が置かれ、児童公園に成っていましたが遊ぶ子供の姿は見えず。(平日の昼過ぎに学校や保育園に行ってるって。)

 

 コロナが収まったら、元気に遊ぶ子供が集まるといいね。

 

仙翁寺

 

 通常、『神社仏閣』参拝の際は、『一の鳥居』若しくは『山門』から入るのを常としていますが、この雪。暫く誰も歩いて無いな。

 

 で庫裏へと続く通用路から入ります。

 

 

 佐久市・小宮山のお寺です。

 

 『真言宗・遠光山・仙翁寺』 遠きより届きたる光の元に、翁の仙人のいる寺。って考えるとワクワクしません?

 

 2月初頭の平日に訪れました。

 

 

 引き戸はするすると開きました。

 

 御本尊は『不動明王』脇に従うのは………何だろ?

 

 しかも写真ブレブレ。自然光のみのフルオートで撮影していますので、シャッタースピード1/30秒位?三脚持ってきてないし。

 

 

 本堂と通路を挟んだ向かい側に、今にも朽ちそうな建物が在りました。

 

 どう見ても周囲の板戸が無くなってから相当な年月が経っていそうです。

 

 ところが。

 

 

 梁の龍はくすむどころか存在感抜群。凛とした体で鋭い眼光を放っています。

 

 彫った人。只物でないな!

 

 扁額に書かれた文字は『高岳堂』

 

 その両脇に岩絵の具で彩色したのか、『獅子』の目も死んでいません。

 

 画いた人。只物でないな‼

 

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烏枢沙摩明王

 

 参道を進むと本堂前に『輪蔵・りんぞう』が在ります。

 

 これは『チベット仏教』の『マニ車』と同じ意味を持っていて、手で経文の書かれた石版を廻す事で『お経』を読んだのと同じ功徳が得られるとされています。但し廻す方向に注意。経文は縦書きで書かれていますので読んだつもりになって手前から向こうへ送り出します。(あれ?逆だったかな。でも大丈夫矢印が書かれていますから)

 

 大きな寺院では経堂の中に大きな『輪蔵』を備えていて、中には実際に『経典』が治められています。人力で簡単に廻る様に出来ています。

 

 歩いて押しながら廻す人もいますが、正式には立ち止ったまま廻すそうです。

 

 

 此方が『烏枢沙摩明王』です。

 

 真言宗の御本尊は『明王』です。『如来様』の化身とされています。

 

 『不動明王』『愛染明王』『孔雀明王』そして『烏枢沙摩明王』

 

 『不動明王』は憤怒の顔で宝剣を手にしています。優しく言っても聞かない奴に『コノヤロー』的に威圧します。

 

 『愛染明王』は愛欲を悟りに変える法力が在るとされています。手には『五鈷杵』を持ち、『護摩祈祷』の御本尊でも在ります。

 

 『孔雀明王』人間の持つあらゆる毒を取り除くとされています。こーちゃんが『仏教』って面白いかもと興味を持ったきっかけが『孔雀王』という今から35年も前の漫画です。まぁ『孔雀王』については各々YouTubeでも観て貰うとしまして。

 

 『烏枢沙摩明王』(『枢』の字には様々な漢字が充てられていますが、この字しか変換しません) 穢れを浄化する神様とされていて、『トイレの神様』で良く知られています。

 

 

 そして『下半身』の病を防ぐ神様とも言われています。

 

 『下』の病から、『下肢静脈瘤』なんかにも効くのかな。

 

 この頃、夜中にトイレに起きる様になったからお詣りしとこ。

 

 太ももの静脈が『ぼこぼこ』してきてるから下肢静脈瘤の疑いも在りです。

 

 気を付けなければ………お賽銭奮発しますんで宜しくです。

 

 

 新設された『地蔵堂』の中の『延命地蔵』です。

 

 人間、誰しもが長生きしたい筈です。それには健康でいないと。

 

 健康維持の為に少し痩せなきゃ………どっかに『痩せるお地蔵様』いないですかね。

 

 

 ウロウロしていて偶然見つけた裏庭の石。

 

 う~ん感じる。感じる。パワー!

 

桃源院

 

 『バルーン会場』となる『佐久橋』付近から『高瀬』へ。

 

 大抵は佐久平駅方面へ向かう為、信号一個得しようと裏道に入ってしまうので、今までこの寺院を訪れた事は有りませんでした。

 

 『高瀬小学校』下から急に下り坂となるこの辺り、これ程大きな寺院が立っていたとは。

 

 正式名称『曹洞宗・武陵山・桃源院』

 

 

 この石門から奥に入ると

 

 

 この扁額に書かれている『武〇山』の 〇が読めなくてアプリやグーグルで調べたんですけど分かりませんでした。 『陵』の旧字体ですかね。

 

 『寺院』と云いますけど、正式には『〇〇宗・△△山・◇◇院・✕✕寺』と続きます。

 

 まるで『生物分類』の『網・目・科』みたい。(生物の授業で必死に覚えたけど、社会に出てから只の一度も役立ったことは在りません。ンな物テストに出すな!)

 

 例えば『雷門』でご存じのお寺、正式には『聖観音宗・金龍山・伝法院・浅草寺』と云います。『聖観音宗』とは聞きなれないかも知れませんけど元々は『天台宗』です。

 

 『浅草の観音様』と呼ばれ、人々に親しまれていた為『聖観音宗総本山』として独立しました。何やらお金の匂いが………(あっ、個人的感想です。)

 

 同じ宗派の中でも『真言宗智山派』と『真言宗豊山派』に代表するように『派閥』があったり、『善光寺』の様に一つのお寺の中に違う宗派が同居していたり。

 

 遣唐使として仏教を持ち帰った『最澄』が比叡山に『根本中道』を建て『天台宗』を開きます。後にそこで仏教を学んだ僧侶達が、各々の解釈から『浄土真宗=親鸞』『曹洞宗=道元』『臨済宗=栄西』『日蓮宗=日蓮』と枝分かれしていきました。

 

 ホント宗教って不思議~。

 

 

 山門から入ると色々興味をそそられるものが在ります。

 

 『六地蔵幢(とう)』とか『?』 大分風化しています。

 

 

 『大黒様』の乗っかっているのが『米俵』というのが好きになれないですけど。

 

 『水戸の黄門様』でも、米俵に腰を下ろして休んでいた処、農家のお婆ちゃんに箒で叩かれた(TVです)そうですから。

 

 まだまだ在るんですけど続きは次回です。

 

今岡・諏訪神社

 

 『片貝川』と『千曲川』が合流する辺りが『今岡地区』です。

 

 今でも『御柱』を建てる風習が残されている佐久地方唯一(私の知る限り)の『諏訪神社』です。

 

 

 七年に一度、『御柱曳行』と『建て御柱』が行われるのですが、新型コロナのお陰で『諏訪大社』と同じく今年に延期となりました。

 

 通常この手の行事は『日曜祝祭日』に行われますので、商売の関係で観に行く事が出来ないのが残念です。

 

 

 入り口の『松』 つっかえ棒で支えられていますけど青葉繁れる。

 

 背後の『浅間山』が似合います。

 

 

 説明によりますと、昔は『蓼科山』から『切り出し』『山出し』『木落し』していたそうです。凄い労力。

 

 現在では『里引き』と『建御柱』だけになってしまいましたが、それでも大イベントには大勢の人が集まるそうです。(仕事サボっちゃおうかな)

 

旧桜井小学校跡地

 

 『佐久市・桜井』は野沢地区から岸野地区に向かう街道沿いの集落です。

 

 上・中・下の三地区から成り、ほぼ中央には昔、桜井小学校が在りました。

 

 現在も集会場や、児童公園・球技場などが在ります。

 

 『桜井神社』『神宮寺』の並びです。

 

 

 校庭の跡地には『ジャングルジム』なども在りましたが、多分小学校の名残でしょう。

 

 休み時間に、低学年自動なんぞが遊具で遊んでいたんでしょう。

 

 

 『如何にも』なモニュメントが残されていました。

 

 この他にも『桜井地区道標原点』なぞが保存されています。

 

 『少子化』や『学校合併』などの為に淘汰されるのは致し方ないのですが、何とか利用する道は無かったですかね。

 

神宮寺

 

 『桜井神社』の隣には『神宮寺』が建っています。

 

 昔の『神仏混合』の名残でしょうか、一応『生垣』で区切られてはいますけど、隣接しています。

 

 しかも入り口は神宮寺参道から分岐しています。

 

 

 正式名称『真言宗・智山派、文殊院・神宮寺』(山号は?)

 

 真言宗ですから御本尊の前に『護摩』の為の炉が在ります。

 

 

 象に乗った『阿弥陀如来坐像』が御本尊でしょうか。

 

 真言密教ですから何処かに『明王』がある筈ですけど。

 

 両脇の『高僧』らしき像は『弘法大使・空海』と『?』

 

 あっ、私の文章には『?』が多いです。

 

 あくまで『個人的感想』の範疇ですので『ノークレーム』でお願いします。

 

 

 『神宮寺』から見た『桜井神社』の本殿側面です。

 

 生垣で区切られたのは、恐らく明治政府発令の『神仏分離令』の為でしょう。

 

 同じ時期に発令された『廃仏毀釈令』によって『お地蔵様』が壊されたりもしました。

 

 各地にみられる『首なし地蔵』も実は此の為?

 

桜井神社

 

 『人住む処に 神社・仏閣在り』

 

 『三塚』に続いて『桜井』を散策です。

 

 鳥居が在りましたので。

 

 

 扁額の上に屋根がついています。珍しいです。

 

 

 考えてみても、『扁額』の上に屋根って見た事有りません。

 

 何造りって云うのかな?

 

 桟木の汚れ具合などから考察するに、後付けでは無く、おそらく鳥居を建立した時から屋根が在ったのでしょう。

 

 『掛魚』まで施された立派な物です。

 

 其処に『塗り』の扁額と金文字。

 

 

 鳥居を潜り、本殿に向かうと『随身門』代わりの『長屋門』or社務所?。

 

 手造りの『注連縄』 氏子の方の苦労が覗えます。

 

 

 『拝殿』の格子戸から覗き込むと、『随身様』が貼られていました。

 

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清久寺

 

 『三塚神社』から西南方向へ100㍍程。

 

 墓地の奥に山門らしきものが見えました。

 

 

 山門だけの潔さ。一礼して参道を進むと本堂ですが案の定、施錠されていました。

 

 

 扁額の文字や、両脇の文字が読み取れません。

 

 本当に昔の人は読めたの? 漢文なら『レ点』が無いと………って高校以来だから覚えていないですけどね。