木篇に楽もどきを書いて『櫟・イチイ』です。(どうしても返還できません)

 

 駐車場に戻ると咲いて居た花です。(2021/5)

 

 

 マメ科の花、もしかして『藤』ですか? でも黄色って………

 

 『金鎖・キングサリ』と云う種類らしいです。

 

 何か縁起よさそうですね。

 

 

 『白山神社・一の鳥居』脇に茶色い柱が立っていました。

 

 文化財・保護資産などを表すYの字三段重ね(重要文化財マーク?)が見えましたので近ずくと。

 

 

 樹木の種類はトンと疎いものですから『イチイ』とルビが無ければ読めませんでした。

 

 これが『イチイ』かぁ。

 

 『イチイ』と云えば垣根などに植える低灌木で、赤い実が可食と思っていたのでイメージが違いました。

 

 でもやっぱり葉っぱがツンツン尖ってる。

 

 

 何々、………………ですと。(拡大して読んでね)

 

 でも『疣』という字が読めなくて………

 

 病編の漢字を適当に当てはめて『あざ』とか『こぶ』とかでも何となく意味が通じてしまう。

 

 バッグの底からスマホを取り出し、『漢字検索アプリ』に手書き入力しました。

 

 『イボ』ですと。

 

 『佐久教育委員会』さん。ルビ振ってくんなきゃ。

 

 此の樹の洞に小石を投げ入れ願掛けする。

 

 『医者・医療技術』の発達する前は『加持祈祷』の類や『迷信』しかなかったんですから仕方ないのですけどね。

 

白山神社

 

 『大昌寺』さんの山門から少し離れた道沿いに鳥居が建っています。

 

 『神仏混載』の名残なのか、恐らく昔は一緒の敷地に在ったモノを無理やり分離したかの様な感じです。

 

 

 参道から続く石段を跨ぐように建物が覆いかぶさっています。

 

 同じ地域に在る『山田神社』も同じような造りです。

 

 

 石垣をよく見ると『切り込み接ぎ』 戦国時代に発達した技術です。

 

 ともすれば『砦』としての機能も持っていたのかもしれません。

 

 だってどう見ても建物と柱の位置関係に無理がある。

 

 

 石段を登り詰めて振り返ると。向かって左側が『大昌寺』の境内です。

 

 先ずは『御社』に参拝をします。

 

 

 『白山』名前からも解るように『山岳信仰』の神社です。

 

 『御岳山』や『雄山』も有名ですね。

 

 『富士山』山頂は『富士吉田浅間神社』の境内ってのはご存じ?

 

 『富士山』でありながら『浅間』が上に乗っかってんです。

 

続きを読む

大昌寺・境内

 

 更に散策を広げると、『地蔵堂』が在りました。

 

 

 鍵の掛けられた御堂の中には『木製のお地蔵様』

 

 鈴緒が大分くたびれちゃってるかな。

 

 

 『お地蔵様』=『地蔵菩薩』とは、『仏』=『お釈迦様』=『現存したゴーダマ・シッダーダ』が入滅してから『56億7000万年』の後の世に『弥勒菩薩』が出現するまでの間、人のみならず『六道界』全般を見守り導いてくれる『菩薩』とされています。

 

 『地蔵』も『閻魔大王』も『観世音菩薩』も皆『仏の化身』とされているのですから、どうせなら『仏様』のまま、此の世の中を守ってくれれば良いのにね、

 

 まぁ其処は『大人の事情』いや『仏様の事情』も在るでしょうから。

 

 

 そしてまたもや『仏石灯篭の灯袋の彫刻』

 

 『鹿』は解りますがその右側『満月に波?』

 

 調べてみました。ポチっとな。

 

 お墓の入り口に在る『石灯篭』は、基本『火』を灯さなくても良い様に、周囲を照らす意味を込めて『太陽と月』が彫られているのだそうです。

 

 早い話、『朔(さく)』を除いて24時間365日、明かりをともしている意味があるそうです。

 

 『朔』(月の出ない夜)はどうするの? 魔物が出歩くから家から出ちゃいけない日です。

 

 反対側が藪だったので確認を怠りました。

 

 ひょっとしたら『三日月』が彫られていたかも。

 

 日本三景のひとつに『安芸の宮島』の『厳島神社』が在ります。

 

 海の中に建つ『大鳥居』の『笠木』にも左右に『太陽と月』が飾られています。

 

 『神道と仏教』が融合した名残でしょうかね。

 

佐久十蕃札所

 

 佐久市常和の『大昌寺』 山の端に在り、のんびりとした感じのお寺です。

 

 まぁ『山寺』ですので山に近いのは当たり前なんですけどね。

 

 

 因みにこの『大昌寺』さんを訪ねたのは、夏の陽射しの降り注ぐ6月の事です。(半年もズレて来ちゃった)

 

 砂利の駐車場にバイクを停め、(実は砂利とか土の駐車場にバイクを停めるの結構気を使うんです)日陰を選んで散策開始です。

 

 

 お寺独特の『花頭窓(花灯窓)』が一際目立っています。

 

 回向柱に描かれた年号は『平成七年』 25年物です。(いや諸事情在るんだって)

 

 近年珍しく門戸は解放されていました。

 

 

 柱の文字が達筆すぎて読めません。

 

 曹洞宗のお寺は掃除・手入れが行き届いていて清潔感が好きです。

 

 

 山門脇の石塔は『六地蔵幢』でしょうか、お地蔵様らしきが見えます。

 

 でも解らないのが

 

続きを読む

正安寺・仁王門

 

 駐車場に隣接するスロープを上りましたが、正式な参道は杉木立の中を進み、『仁王門』へと繋がっていました。

 

 ん? 『仁王門』が在るのに何故『法堂』前に仁王様が立っているの?

 

 

 『仁王門』を潜り出て振り返ると、ナント『仁王像』が二組。

 

 いや~初めて見る光景です。

 

 

 で『仁王門』に使われている『木材』を見てピンときました。

 

 『本堂』『法堂』『座禅堂』は新しい。さては火災?

 

 

 狛犬の台座や参道の石畳などはそれなりの時間の流れを感じます。

 

 『本堂』はの屋根や漆喰など、つい最近建てられた感じがします。

 

 有名な『神社仏閣』が戦争で壊されたり、火災により焼失してしまった例は沢山在ります。

 

 『お燈明』や『線香』などでどうしても『裸火』を使わなければいけないですから。

 

 中には墓参りに来た人があげた『線香』が風で転がり、枯れ草などに燃え移ってしまい『山火事』になったり、お寺に燃え移ったという話を聞いた事が在ります。

 

 消防団在籍中に出動した『林野火災』も原因は線香の火でした。

 

 『線香』に火が付いているうちは目を放しちゃダメです。

 

 周りに燃えるものが無くても、カラスが加えて飛んでいく事も在るらしいですから。

 

 

 曹洞宗・総本山は『道元』の開いた『福井県・永平寺』です。

 

 その『曹洞宗』を世に知らしめたのが『輪島・総持寺』開祖の『螢山禅師』です。

 

 しかし『輪島・総持寺』はやはり大火に見舞われ焼失てしまいます。

 

 現在の『総持寺』その後元の場所に建て直されたもので、この時国際社会に対応すべく多くの人が訪れやすいようにと『横浜・鶴見』に『総持寺』が建てられました。

 

 こちらは『幼稚園』~『大学』まで教育機関を有すると同時に『石原裕次郎さん』のお墓も在るそうです。

 

 『曹洞宗』を広く一般に広めた『螢山禅師』を祖とする『輪島・総持寺』の『輪番地』と在ります。

 

 『輪番』は何となくわかりますけど『輪番地?』

 

 何か在った際に、『総持寺』を輪番で引き継ぐことが出来た?

 

 調べてみたけど良く解りません。

 

 

 こちらが正式な入り口。

 

 お寺ですので墓石も並びますが、趣のあるお寺です。

 

正安寺

 

 正式名称『曹洞宗・宝寿山・正安寺』

 

 国道から少し入った所に在る静かな名刹です。

 

 

 国道沿いの看板を曲がると古い石段が在りました。

 

 昔の人は此処jから上ったのでしょうか。現在は駐車場まで舗装路が続いています。

 

 

 広い駐車場の片隅にバイクを停め、参拝します。

 

 曹洞宗のお寺は掃除が行き届き、ゴミ一つ落ちていなくて気持ち良いです。(他宗派が掃除していないと云う訳では在りません)

 

 

 駐車場脇のスロープを上ると『禅堂』に通じています。

 

 玉砂利の庭にもゴミ一つどころか雑草すら生えていません。

 

 

 並びで建っているのが『法堂』 でも『仁王像』がこんな処に!

 

 多分『仁王門』以外に安置されているのを初めて見たかも。

 

 残念ながら『禅堂』も『法堂』も施錠されています。

 

 昨今の物騒な世情からは致し方ないのかな。

 

 好奇心だけで開けてくれとも言えないし………

 

続きを読む

De愛猫

 

 国道254号線を群馬県境に向かって走ります。

 

 奇岩景勝地の内山峡を抜け『高谷岩』の辺り、左に大きくカーブする手前に『木製の櫓』が見えて来ます。

 

 『オイスカ子供の森』 何のこっちゃ?

 

 疑問に思ったら首を突っ込まないではいられない。

 

 傍らにバイクを停め、早速『櫓』に登ってみます。

 

 でも眺望が良い訳で無し、何でわざわざ此処に建てた?

 

 まぁ大型トラックがの屋根を見下ろす位なもんです。

 

 傍らの急坂を登ると(多分傾斜角15度以上!)

 

 

 『De愛ネコ』が現れます。

 

 

 この手造り感満載の『招き猫』 木像では日本一だそうです。

 

 でも何処にも『日本一大きい』とか書かれていませんでした。

 

 しかも『De愛ネコ』? 招き猫じゃ無いのかな。

 

 

 招き猫には『右手をあげた猫』と『左手をあげた猫』が存在します。

 

 『右手』は俗に『幸招き』

 

 『左手』は俗に『人招き』 と云われています。

 

 稀に『両手』を上げているのも在りますが、『バンザイ』=『商売破綻』に繋がるとして商売人には向きません。

 

 以前は『黒猫』だった(汚れただけ?)んですけどペンキで白く塗り直されました。

 

 

 で『お賽銭箱』も入れやすい場所に移ったりして。

 

真言宗・浅間山・真楽寺

 

 『神社』を管理・統括しているのは『神社本庁』で在る事は広く知られていますが(『日光東照宮』『靖国神社』『伏見稲荷』など例外も在ります。)、では『寺院・お寺』を管理・統括している処は何処でしょうか? (答えは後程)

 

 『寺院・お寺』には『宗派』というものが存在します。これにも『長野県・善光寺』などの様に『無宗派』(『宗派に関係なく誰でも受け入れますよ』の考え方)の寺院も在ります。

 

 次に『山号』 昔、お寺は人里離れた山の山頂や中腹などに在り、山や滝などで修行しました。その山の名前が付けられたとされているのが『山号』です。

 

 門前に『ぴんころ地蔵』があるお寺は『成田山・薬師寺』 ご存じ『千葉・成田山』の分派です。

 

 インド発祥の仏教は中国に渡り、『大乗仏教』として広く民衆に受け入れられました。数々のお寺が造られましたが、修行の場として霊験あらたかな山が選ばれました。

 

 カンフー映画などで有名な『少林寺拳法』は『嵩山(すうざん)・少林寺』のお坊さんが自己防衛の為に編み出した拳法です。自己鍛錬を修行と捉え小さい頃から励みました。

 

 町中にある寺院でも必ず『山号・さんごう』が着いています。(山も無いのにね)

 

 『真言宗・浅間山(せんげんさん)・真楽寺』 

 

 

 本堂改修工事の真っ最中で、本堂の扉は閉ざされていました。

 

 御本尊は拝めませんでしたので遠くから合掌。

 

 

 本堂から繋がる『庫裏』は開いてはいましたが、わざわざ『御本尊を見せて』と声を掛けるのも憚られたので今回はパス。いずれ再訪します。

 

 

 平安時代の頃、日本最大の兄弟げんかに巻き込まれた『弁慶』は『源義経=牛若丸』に加勢し『源頼朝(実は異母兄)』と戦います。

 

 『京』を船で脱出した『義経&弁慶他多数』は能登を廻り、『奥州・平泉』まで逃げ延びますが、まさか『御代田』に立ち寄っていたとは。

 

 でも『弁慶』は『平泉・中尊寺』の参道で戦死してしまうんですけど。

 

 『弓矢』と『槍』が体中に刺さり、死してなお立っていたと云われています。

 

 でも『弁慶のお墓』知らない人が多いみたい。

 

 兄ちゃんの『源頼朝』は鎌倉に都を築き『鎌倉幕府初代将軍』となりましたけど結局『嫁一族』に乗っ取られてやんの。

 

 『清和源氏』と『桓武(かんむ)平氏』 今だに反りが合わないみたい。

 

 選挙戦何かみても………

 

 さて『寺院』の統括ですが『宗教法人法』において統括するのは各都道府県知事です。都道府県を越えて広範囲に広がった場合『文科省』の扱いになるそうです。

 

 個人的見解と説明下手の為、ご自身で検索して見てください。

 

謎の石段

 

 お寺の境内にある、水争いを仲裁・話し合いがもたれたであろう『水分神社』への石段の隣、何やら後付けした石段の踊り場が突き出しています。

 

 何やら祠が見えるのですが何の案内看板も出ていません。

 

 ハイ。勿論行ってみます。

 

 

 この『野面接』の石垣、『真楽寺』の『本堂』『観音堂』『三重塔』などの建つ平らな敷地を造る為に山の斜面を切り崩し、土止めした石垣です。

 

 でも角の部分をよく見ると『切込接』で積んでいます。

 

 何らかで『野面接』の石垣が崩れた時、技術的には『切込接』出来る様になっていました。『崩れた石』も積み直しに使っていますので、『丸い石』や『切り込んだ石』が混じり合っています。

 

 更には石段部分には『モルタル補修』の跡も。

 

 ってこんな事に興味持つのって変?

 

 

 石垣が歪んでいるのか、カメラが水平じゃなかったのか。

 

 でも背景の『杉の樹』を見てみると『樹木』は普通垂直に伸びる筈だから。

 

 結局の処、全~部歪んじゃってるのかも。

 

 

 注連縄や紙垂が新しい感じ。春祭りの直後でしょうか。

 

 参拝してからよく見ると『金』の文字が彫られています。

 

 『金比羅宮』でしょうか。

 

 『水神』として『池の中の浮き島』などに祀られることも多いですが、本家本元、讃岐の『金比羅さん』も長~い石段を登った山の中ですから。

 

 以前『金比羅さん』へ行った時は『太平洋無寄港横断』に成功した小型ヨットが収められていました。

 

 いや~どうやって山の上まで運んだのか知りたい。

 

水分神社

 

 『御代田・真楽寺』の『三重塔』脇に『石段』が在ります。

 

 石段横には看板が立っています。『水分神社』

 

 

 石段を中心線に考えると、左右の広さが異なります。1:2位の割合でしょうか。

 

 その一番奥には『お社』が建っていてます。

 

 

 水を分ける。農業が中心産業の時代、簡易な水路しか無く、日照りの時などは水争いが暫し起きました。田畑に必要な水を話し合いで解決する為に、神様の前で話し合いが行われた場所の様です。

 

 その分配量に応じ、話し合いの出席者数にも差が在るからでしょう。

 

 時代劇大好き(TVが我が家に一台の頃、チャンネル権は爺ちゃん婆ちゃんが握っていた影響)で、昔見た『水戸黄門?』だったでしょうか………

 とある寒村の日照りが続いた夏。枯れてしまいそうになる農作物を目の前にして、真夜中に人目を忍んで水路の流れを変え、『我田引水』してしまう。 当時『盗水』は重罪とされ、『村八分』の扱いを受けてしまい、家族は離散。田畑は没収の憂き目に遭う。しかし全ては土地の略奪を企てた者と代官が仕組んだ罠だった。諜報活動をしていた『弥七』が黄門様に………(長くなりそうなので割愛します)

 

 現在でこそ『水争い』はあまり聞きませんがその昔各地に悲劇を招きました。

 

 

 上の石は『水路』に置かれた『分水石』です。望月歴史資料館の庭に保存されています。

 

 この石で水路を堰き止め、『9:1』に水を分けたそうです。

 

 

 上の写真は『佐久穂町・鷽の口』にある『円形分水場』

 

続きを読む

三重塔

 

 参道から石段を登ると『観音堂』が在ります。

 

 そこから反時計回りに『御神木の杉』 『三重塔』が在ります。

 

 

 『三重塔』は本来『仏様の骨=仏舎利』を収める為の物。

 

 『多重石塔』や『仏舎利塔』が建てられるようになり、経典を収めたり、様々な『仏教神』を祀る事も在ります。

 

 中央には塔の床からてっぺんまで届く『心柱』が貫いてるのが特徴です。

 

 地震大国・日本において、倒壊した例はひとつもないそうです。

 

 

 下から見上げる『塔』も美しいですが、やや上から見下ろすこの『三重塔』の美しさ。

 

 『ドローン』が流行りの昨今なら許可さえ取れればこのような角度はお手の物なのでしょうが、生憎ドローン持ってないし。

 

 裏山迫る山寺だからこその写真です。

 

 

 中には『大日如来』が納められているそうです。見たかったな。

 

 長野県下に国宝指定は10を数えます。

 

 その内二つが『三重塔』 で

 

 上田市・安楽寺『八角の塔』と青木村・大法寺『見返りの塔』

 

 でも塩田・前山寺の『未完の塔』も素敵。

 

 更に云うなら『佐久市・新海三社神社(!)の三重塔』 神社にですよ。

 

 まぁ『神仏混載』により寺院境内に神社が建てられ、その後の『廃仏毀釈令』によりお寺が取り壊されてしまいましたが、『三重塔』だけは残されました。

 

 厳密に言うと寺院の『狛犬』も残っています。

 

 だから『新海三社神社』には『狛犬』が二組(って数えるのかな)存在します。

 

 日本国内には『三重塔』を持つ『神社』が七ヶ所あるそうです。

 

 『出雲大社』にも『三重塔』が在り壊されるのがしのびなく移築されたのが『名草神社・三重塔』とか『岐阜県神戸・日吉神社の三重塔』などは有名です。

 

 

 『尾道・天寧寺の三重塔』よくポスターなどで見かける角度です。

 

 やっぱり屋根を見下ろすこの角度大好き!(露出補正失敗ですけど)

 

観音堂と御神木

 

 山門から続く参道は『大沼』を右手に見ながら大木の杉並木を歩きます。

 

 正面には石段。これを登ると正面に大きな提燈が見えて来ます。

 

 

 日頃の運動不足が………この程度の石段を上るだけで息が切れます。

 

 『石段の継ぎ目』を見ると、『電動の石切りのこぎり』登場以降の物でしょうか。『石垣の切込接ぎ』を見る分にはおそらく『石鑿』だけではつられた物。時代も古そうです。

 

 

 『五色幕』を張り巡らされた建物は『観音堂』

 

 参拝を済ませ『観音様』とご対面………したいのですが『黒格子』が遮ってしまい写真撮影は難しいみたいです。

 

 建物は手の込んだ造りですが如何せん『千社札』が目立ちます。

 

 江戸時代に流行った『千社札』は墨を写すものですが、最近のは糊で張り付けてあります。中にはシールタイプも。この合成糊やシールの化学薬品が木肌を傷めるの知ってる?

 

 最近の神社仏閣では建築物保護の為、『千社札禁止』が当たり前になってます。

 

 今まで、これ見よがしに千社札を張ってきた人は考え直したら?

 

 

 右手にはフェンスに囲まれて御神木の『杉』が立っています。

 

 この注連縄の捲かれた『杉』、完全に中心部が洞となり、尚且つ『落雷』の影響を受けてか大きな亀裂が上から下まで入っています。

 

 しかし枯れている訳では無く、枝分かれしたその先には瑞々しい青葉が繁っています。

 

 

 裂け目の中を覗き込むと石像が鎮座しています。

 

 詳しくは解りませんが『大日如来』?『弥勒菩薩』かな?

 

続きを読む

大沼

 

 山門を潜り、参道を進むと右手に『池』が見えて来ます。

 

 池と沼、更には湖の明確な違いは無いらしいです。

 

 しいて云うならば。

 

 『湖』 大量の澄んだ水を蓄えており、水深が深く、湖底に藻などが繁殖していないもの。

 

 『池』 湖より小型で水深も浅い。庭などに置く合成樹脂製の容器に水を貯めても池と呼ぶ。

 

 『沼』 水深が割と浅めで湖底に藻が繁殖していたり、柔らかい堆積物が溜まっている。周囲を樹に囲まれたイメージ。

 

 流入・流出する河川の有無や、底から水が湧き出しているかの定義も在るらしいのですが、正直よく解りません。

 

 山道を歩いた先に、周囲の紅葉を写すようなモノは大きければ『湖』小さければ『池』と呼びたいですね。

 

 

 毎年8月に行われる『竜神まつり』のスタート地点がこの『大沼』です。

 

 寺院には、宗派によりますが『放生会』を行う為の『池』が在ります。

 

 生きている『魚』や『鳥獣』を放す事によって、生き物の命を救うという考えが元となっています。

 

 しかし現在、外来種の繁殖阻止の観念から何でも放して良いよ。とはいきません。

 

 『吉祥寺・井の頭公園』では『ワニガメ』を放した人までいるんですから困ったもんだ。

 

 この池も水を守る為に、放流禁止です。

 

 

 石の祠が祀られています。『青龍大権現』と在ります。

 

 

 洞の前にはこんこんと水が湧き出し、清流に青龍。

 

 本物だったら大騒ぎですけどね。

 

続きを読む

御代田・真楽寺

 

 子供が小さかった頃、誰でも簡単に釣る事が出来る釣り堀が在ると聞き、訪れたのが『真楽寺』です。

 

 大池から滾々と湧き出る清水を釣り堀池に引き込み、安全に手軽に誰でも釣れる『ニジマス釣り堀』を経営していました。

 

 お客さんが来ると、2~3日『餌止め』して置いた『ニジマス』や『ヤマメ』時にはサービスで『イワナ』なんぞを放流してくれます。

 

 お腹を空かせた魚が餌に飛びつくのは当たり前。保育園児でも簡単に釣れます。

 

 釣った魚は、『ニジマス一匹¥200』『ヤマメ一匹¥400』『イワナ一匹¥500』などと価格が決められているので、調子に乗って釣っていると大変な散財でしたけど。

 

 20年振りで訪れたら、コンクリート製の釣り池などは在りましたが閉鎖されていました。

 

 仏教に携わるのに『殺生』は如何なものか?とクレームが付いたそうです。

 

 さて記憶を頼りに真楽寺方面に向かうと道案内の看板があちらこちらに立っています。

 

 

 参道入り口の角には『六地蔵幢』が建っていました。

 

 『笠』『六地蔵』『台座』と全て異なる石材を使っているのか色や質感も異なります。

 

 参道を進んで行くと。

 

 

 桜の下に『不動明王』が祀られています。

 

 立っているのは『浅間焼石=溶岩』でしょうか。

 

 桜の花満開の頃に訪れたい。

 

 さらに進むと二股に道が分かれます。

 

 『シャクナゲ公園側の駐車場』へ行くには左ですが敢えて右の道を進みます。

 

 砂利の広場に車を停めて。

 

 

 太鼓橋の面影の残る参道から入ります。   続く。

 

瀬戸の菜の花

 

 島の丘に咲く黄色い菜の花。蒼い海と青い空。暖かい風に 雲がゆっくり流れて………

 

 なんて『演歌』じゃありません。

 

 『佐久市・瀬戸』は市役所の東南に広がるエリアです。

 

 コンビニを曲がると、まぁ、なんと云う事でしょう。

 

 

 『山村暮鳥・やまむらぼちょう』さんの『風景・純銀もざいく』を彷彿させます。

 

 いちめんのなのはな 

 いちめんのなのはな 

 いちめんのなのはな 

 いちめんのなのはな 

 いちめんのなのはな 

 いちめんのなのはな 

 かすかなむぎぶえ 

 いちめんのなのはな  (正確に覚えてませんので検索どうぞ)

 

 てっきり『菜の花』と云う題名かと思っていました。

 

 確か小学校の国語教科書で知ったのかな。

 

 

 北海道富良野のラベンダー畑などとは比べ物にならない規模でしょうけど、付近の農家が協力して一面菜の花を植えています。(ほんの一部違うのがアクセント)

 

 菜の花と云えば『飯山菜の花公園』も素敵。

 

 ♬ 菜の花畑に 入日薄れ 見渡す 山の端 ………

 

 『おぼろ月夜』の舞台になった場所です。

 

 

 おそらく『一面の〇〇』に憧れが在るんですね。

 

 

 『一面のネモフィラ』

 

 でもやっぱり『いちめんのなのはな』が落ち着くみたい。

 

 「おうい 雲よ ゆうゆうと ばかにゆっくり のんきそう」

 

 やはり『山村暮鳥』さんだったと思うんですけど。

 

 だだっ広い場所で ゆっくり流れる 雲を眺める。

 

 お茶とおにぎりが在れば何時間でもいられそう。

 

 早く春にならないかな。(ってまだ秋だぜィ)

 

荒船山大明神

 

 『荒船』付近を堪能し、コスモス街道を西に向かって走っていると『幟ポール』が見えました。

 

 神社の入り口に在ってお祭りなどの時に『幟』を立てる柱ですが、昔は長~い木製の柱を何人もの人(大体は消防団だったり青年団)が手作業で立てました。

 

 消防団時代、朝が早くて………昨今は金属製の常設になっています。

 

 お陰で『神社』を探す目印になっています。

 

 

 へ~っ。こんな所にも神社が在ったのか。と近づくと

 

 『荒船山大明神』と在ります。

 

 今日、幾つ目の『荒船神社』と思いきや、『荒船山』を御神体にしている神社では無いみたいです。

 

 

 鳥居の注連縄が延びちゃって………これにはチャンと意味が有るんです。

 

 鳥居を潜っても頭を下げない人が居るから、自然お辞儀しないと通れない。

 

 嫌なら鳥居の外を廻ってください。という事らしいのですが。

 

 ひねくれ者は『リンボーダンス』でもしてみる?

 

 

 境内の一角に『注連縄』で囲われた『石』が在りました。

 

 『八風山・〇秋』と彫られているんでしょうか?

 

 詳しくご存じの方、御一報頂ければ幸いです。

 

 

 拝殿で参拝を済ませると、奥に見えるのがこの石です。

 

 注連縄が巻かれていますので『御神体』の『御霊石』でしょうか。

 

 それとも『さざれ石』かな。

 

続きを読む

荒船神社

 

 前出の『荒船出世不動尊』の他にも『荒船山』を神格化した『神社』が在ります。

 

 山岳信仰の多くは『山』を『御本尊』としていますのでその登山口には『里宮』が置かれています。

 

 内山の旧街道沿いにも『荒船・里宮』が在ります。

 

 お隣『群馬県・下仁田』にも『荒船神社・里宮』が在りますけど、どうやら系列は異なる神社みたいです。

 

 今度ゆっくり調べてみますか。

 

 

 で内山の国道沿いの『荒船神社』と書かれた鳥居。白色です。

 

 普段目にする鳥居は『朱塗り』が多いですが、とりわけ神聖なる場所を示す時、『白』が多いみたいです。(伊勢神宮は『白木』、三峰神社は『白塗り』)

 

 その他『石造り』であったり『青銅製』であったり。

 

 中には『金色』も観たような。

 

 『鳥居』から先は『神域』からとされ、祭りで担ぐ『お神輿』にも四方に『鳥居』が建って居り、その内側には神様が鎮座します。

 

 鳥居を潜ると藪の中にかなり崩れかけた石段が在りました。

 

 

 基礎など無い所で、只土を掘って石を並べているだけですので、時間の経過と共に歪むのは致し方ないところです。

 

 逆に『重機』も無い時代に、人力や牛馬の力だけでこの急斜面に石段を造り上げたんですから大変な労力です。

 

 昔の人に感謝しながら石段を登りまして。

 

 

 『荒船山』に向かって『社』が祀られています。

 

 板の間はかなり荒んでいましたので靴のまま失礼。上がりこみました。

 

 

 真っ白い『紙垂』が下がっていましたので『春祭り』でもあったのかな。

 

 この『社』正確には『荒船神社遙拝殿(ようはいでん)』と云います。

 

 『荒船山の御神体』まで中々行くのは大変なので、遠くから拝むための『拝殿』です。

 

 足腰丈夫なうちに行ける所は行っとかないと。

 

 

 『祀り』とは『神仏』や『先祖』を敬い、感謝や祈りを捧げる事で、『祭り』と語源は同じですが、『祭り』は大勢の人々が集まり、楽しく陽気に祝う意味が含まれます。子供の頃、親から小遣い貰ってそりゃあ待ちどおしかったですけど。

 

 ♬ 村の 鎮守の 神様の 今日は めでたい お祭り日

 

  ドンドン ヒャララ ドン ヒャララ  朝から聞こえる 笛太鼓

 

 娯楽の少なかった時代には、音曲が聞こえ ハレの日の御馳走が食べられる『一大イベント・デー』です。

 

 今じゃ『露天商』目当てに散財する人が多いのでは?

 

 必ず『神事』が行われる筈ですので覗いてみては如何。

 

兜岩と荒船出世不動尊

 

 このユーモラスな形。

 

 『カバトット』と云うアニメが昔在りましたけど、連想するのは『カバ』?『ワニワニ・〇ニック』の『ワニ』?何となく『ムー〇ン』にも見えて来ます。

 

 本来は、戦国武将の被った『兜』の意味なんでしょうけど。

 

 

 『荒船山』から『星尾峠』経由でも登れますが、『荒船不動』の手前から直登も可です。

 

 山頂の岩場では注意が必要です。

 

 

 今回、直登ルートを歩こうと思ったんですけど『通行止め』じゃぁ仕方ない。

 

 皆さんに写真をお見せ出来なくって残念。(と云う事にしときまして)

 

 

 『荒船出世不動尊』 

 

 荒船登山の出発点ともなりますけど、大抵の人は旧国道側から登っちゃう。

 

 『水汲み場』もあり、登山前の『安全祈願』に絶好な神社なのにね。

 

 

 湧き出す水は池を造ります。

 

 人間の都合で蛇口を付けられないですから一年中流れっぱなし。

 

 池には『不王明王』と『弁財天』が祀られています。

 

 宗派が『真言宗』ですので『お不動様』にはきちんと参拝します。

 

 

 『回向柱』の文字が滲んで読めない位風化しています。(財政難なのかな)

 

 階段を登って『お不動様』に参拝します。

 

 こーちゃんの店は個人経営ですので『出世』とは無縁ですけど。

 

続きを読む

内山峡・仙ヶ滝

 

 滝の名前で『千ヶ滝』とか『仙ヶ滝』と云うのが実に数多い気がします。

 

 『線ヶ滝』とも在りますか。

 

 次いで多いと思うのが『不動滝』

 

 まぁ『滝好き』のこーちゃんの個人的感想ですが。

 

 国道254号線、通称『内山峡・コスモス街道』を走っていて、あれこんな所に看板在ったかな?

 

 

 以前から『お地蔵様』が立っているのは知っていましたけど。

 

 大型トラックがビュンビュン駆け抜ける場所で、わざわざ停まって見る事もありませんでしたけど『滝』とあらば覗いてみたくなるのが人情。いや物好き。

 

 

 平らな畑の中を歩けば物の1分ですが、恐らく畑の所有者と滝を訪れた人の間で何らかのトラブルがあったのでしょう。『私有地立ち入り禁止』の立て札と『有刺鉄線』が張られて居ます。お陰でかなり急峻な坂を下り、又よじ登り、細い岩棚を歩く事になります。

 

 決して『ハイヒール』などで行かないで下さい。危険です。

 

 

 『滝』と云っても、一枚岩を侵食したいわゆる『滑滝』です。

 

 『滑津川』の上流部分ですので水量は余り多くありませんが、長い年月を掛け創り出された物です。

 

 この両脇に『ナナカマド』なぞ植えようものなら絶好の紅葉スポット間違いなし。

 

 畑の所有者さん。ビジネスチャンスですよ。

 

 

 岩の上には祠が在りました。『水神様』?『不動明王様』?

 

 途中に、大きな穴が穿たれた岩が在ります。

 

 川の流れが入り込む様子は無く、恐らく雨水が溜まったものでかなり腐敗が生じている様子です。

 

 おそらく誰も底をさらった者はいないでしょう。

 

 どうする?小判でも出てきたら。

 

行人岩・高谷岩

 

 『内山峡』は奇岩・奇石の多い所ですが、崩落や倒壊してしまい昔の名残が見えない『岩』も在ります。

 

 その一つが『行人岩』です。

 

 

 確か、頭の部分が載って居た筈ですけど。

 

 『廃仏毀釈』じゃ無いんだから『首なし地蔵』みたいに成らなくってもねぇ。

 

 

 この『中村公園』も中々の曲者。そもそも『公園』?

 

 駐車場から山道を登り、岩場をよじ登ると頂上に祠が在ります。

 

 以前は鳥居も建っていましたが今は倒壊してしまいました。

 

 

 登頂される方、ゴム底の靴と手袋が在れば安心です。

 

 出来れば複数で。スマホとヘルメットは万が一の為。

 

 自己責任でお願いします。

 

 

 聳える絶壁が『高谷岩』です。

 

 国道254号線が大きくうねるカーブの前方に在り、余り脇見運転できない場所ですので、気が付かない人も多いかも。

 

 この岩場は『日本一大きな木製招き猫』通称『De愛猫』の駐車場から近いのですが、多分ロッククライミングの技術と道具が無ければ登れない?

 

 ついでに『De愛猫』 

 

続きを読む

内山峡・姫岩

 

 『内山峡』は昨今『渋沢栄一』さんの『内山峡の詩』で人気の場所です。

 

 秋には国道254沿いに『コスモス』が花咲き『コスモス街道』と呼ばれています。

 

 実は春に咲く『花桃』も素敵なんです。

 

 この『内山峡』 『奇岩・奇石』の豊富な処で、『ナポレオン岩』『ローソク岩』『接吻岩』『行人岩』など様々な形の岩が在ったのですが、崩落や倒壊により随分と数が減ってしまいました。

 

 今回は『姫岩』を探索です。

 

 

 国道から更に脇道へ入るとこんな看板が立っています。

 

 バイクで駆け上がるから全然平気ですけど、車は『四駆軽トラ』以外は止めた方が宜しいかと。 

 

 

 道路の終点には『社』が建っていました。

 

 石垣の上に建っていたのは『諏訪神社』

 

 因みにこの道路幅・急坂ですので、行かれる方は自己責任でお願いします。

 

 

 境内は流石に草が伸び放題。石像は黙って座っているだけですけど。

 

 『廃仏毀釈』で壊された『お地蔵様』 通称『首なし地蔵』も寂しそうです。

 

 その時、一陣の風が吹いてきました。

 

 春の名残の『山桜』が散り、桜吹雪に包まれました。

 

 

 さて『姫岩』まで登ろうかとしたその時、大っ嫌いな奴を発見。

 

 『スズメバチ』が飛び始めていました。

 

 考えるまでも無く即ヤメ。

 

 だって一度刺されていて『スズメバチ毒・アナフィラキシーショック』持っていますんで下手すりゃヤバイ。

 

 そそくさ下りました。

 

続きを読む

諏訪大社・本殿

 

 準備が整い、拝殿の中に上がります。

 

 正座が辛いので椅子をお願いしました。

 

 お祓いと『疫病退散』『交通安全』の御祈祷を受けます。

 

 かしこくも………払え給え 清め給え………の例の『祝詞』を神主さんが読み上げます。

 

 『玉串』を奉納するまで20分程。

 

 終了すると『御札』と『御守り』『交通安全ステッカー』と『滑り止めゴムマット=スマホ置き』を頂きました。

 

 これで¥6000なら安い!

 

 

 お祓いを受けるのは、向かって右側の入り口から。

 

 背後では賽銭箱にお賽銭を入れる音や、『柏手』を打つ音も聞こえてました。

 

 

 『拝殿』の背後に在るのが『瑞牆』に囲まれた『本殿』

 

 『諏訪様』が祀られている処です。

 

 尤も『瑞牆門』から先は一般人進入禁止。

 

 『唐破風』の屋根の下でもう一度参拝。

 

 

 『源頼朝』にして『諏訪様』を『軍神』と奉り崇めたんですからそのご利益は相当なモノ。

 

 更に奥さん(山の神)には頭が上がらなかったんですから何時の時代も女性は強い!

 

 彫刻のお陰で、厳みゆに左右非対称な処も良いですね。

 

 

 この『鏡』の奥、御簾の向こうに『神殿』へと続く階段が在るのでしょうけど伺い知れるのは此処まで。

 

続きを読む

参集殿

 

 社務所でお祓いの申し込みをした後、神官さんの準備が整うまで待機する所が『参集殿』です。

 

 通常は一般公開されていないらしいです。

 

 

 自動ドアが開いた正面に、で~んと鎮座していたのが

 

 

 『日本第一大軍神』と書かれた大きな額。

 

 そして揮毫した人の名前が『東郷平八郎』元帥。

 

 (何だかきな臭くなってきたかも)

 

 今でも『神社』で『必勝祈願』を神頼みする人は多いですね。

 

 『天照大御神』をお祀りする『神宮』(=伊勢神宮)は『天皇家の祖先』であると同時に日本の神社の総氏神にあたります。

 

 第二次大戦中、兵隊に支給される『銃』や『剣』、更には『戦車』『戦艦』などにも『神紋』である『十六弁の菊』が彫られていました。

 

 昔も今も勝負に勝ちたい。勝たねばならない時『必勝祈願』を『神頼み』してきました。 

 

 『軍神』と呼ばれよく目にするのが『素戔嗚尊神社』。『天照大神』の弟にあたりますが暴れん坊で素行が荒く、『天照大神』が天岩戸に隠れた原因を造ったのも『素戔嗚尊』とされています。

 

 他にも日本各地に『戦いの神様=軍神』を祀った神社が在り、『千葉県・鹿島神宮』は『タケミカズチノミコト』。『諏訪大社』は『タケミナカタのミコト』を祀っています。

 

 『諏訪大社』を軍神と崇めたのが『源頼朝』で『日本一の軍神』と称賛しました。その後日本各地に散らばった『清和源氏』系の子孫により日本中に諏訪神社が祀られています。

 

 

 樹齢二千年の『御神木』や、御柱祭で使われる『おんべ』も展示してありました。

 

 そして『?』

 

続きを読む

諏訪大社

 

 この日の目的地は『諏訪大社下社』です。

 

 『諏訪大社』に祀られる『諏訪様』とは夫婦の神様で、『諏訪大社・上社』が男(旦那)『諏訪大社・下社』が女(奥さん)とされています。

 

 真冬、諏訪湖が全面凍結すると膨張から氷がせり上がり亀裂が入ります。これが『御神渡り』と云われているもので、『八剣神社』の神主さんが認定します。

 

 この『御神渡り』は『諏訪大社・上社』から『諏訪大社・下社』まで延びるとされています。

 

 浮気して別居中の旦那が『御神渡り』を通って奥さんの寝所を訪れる。

 

 涙ぐましい男の努力の物語です。(浮気する方が悪いんですけどネ)

 

 

 駐車場は空いていたものの、県外ナンバーのオンパレードです。

 

 まぁ、『諏訪神社』の『総本社』ですから信者の方が参拝に来たと思いたい。

 

 

 鳥居脇の『手水舎』も、コロナ対策の為『柄杓』もは無し。

 

 チョロチョロと流れている水を掌に受けて、手と口を清めます。

 

 

 この『青銅の鳥居』にビッシリと彫り込まれた年号と数字。色々な人からのご寄付の賜物です。

 

 

 参道のど真ん中に聳える『御神木・根入りの杉』

 

 夜泣きする赤ちゃんに苦労する方や、寝つきの悪い方は、この杉の葉を持ち帰り、枕の下などに置くと『寝入りやすくなる』との曰く付きの樹です。

 

 晩酌後はコロッと寝付く『こーちゃん』には必要無しです。

 

続きを読む

水戸浪士の墓

 

 新章は非常事態宣言下、『疫病退散』祈願に諏訪を訪れた時のお話。

 

 4月中旬(今から半年以上遡ります)国道142号線経由で諏訪地方を訪れました。

 

 諏訪市に入り長い下り坂の途中、『水戸浪士の墓』と書かれた看板が立っています。

 

 いつもは素通りしてしまう処ですが、何故かこの時は気になって脇道に入りました。

 

 

 諏訪方面から来ると登坂車線の始まる上り坂。大型トラックがギアを落とし、エンジンが唸りをあげる筈なのに妙に静かな空間です。

 

 『水戸藩士』では無く『水戸浪士』 詳しくはgoogleに譲りますので調べてみて下さい。

 

 簡単に云えば。

 

 幕末、ペリーが来航し開国を要求します。海外の戦力を知っている行政=『江戸幕府』は渋々ながら『開国』を考えます。

 

 それに反し『天皇』を中心にあくまで徹底抗戦=『尊王攘夷派』の考えが生まれます。

 

 『開国派』と『尊王攘夷派』は日本中を巻き込み各地で武力衝突を引き起こします。

 

 本来『徳川幕府・御三家』の『水戸藩』(本来開国派)の中にも『尊王攘夷』の考えを持つ者が現れ、藩を脱藩して『天狗党』(尊王攘夷派の水戸浪士)を結成します。

 

 自分の考え方が『親方政党』の考え方とそぐわない時、離党する政治家みたいですが。(現在そんな骨のある政治家って居る?)

 

 『天狗党』は『天皇』を目指し『京都』へ登ろうとしますが、如何せん資金部足も在り、各地で略奪・狼藉をする者も出てきます。

 

 対して『江戸幕府』はこれを阻止する為に『各藩』に対して鎮圧行動を要求します。

 

 かくて『和田峠』を下ったこの地において『尊王攘夷派』=『天狗党他』VS『開国派』=『幕府&藩』の熾烈な戦いが巻き起こります。

 

 『天狗党』に加担したのは『脱藩浪人』のみならず『お百姓さん』他、命を賭して政治改革をしようとした一般民も多数含まれます。

 

 『江戸幕府』として動いたのは『高島藩』と『松本藩』

 

 互いに戦死者を出す戦いでしたが行軍途中の『天狗党』は、簡単な『お墓』に戦死者を埋葬し行軍を続けます。

 

 対する『高島藩』『松本藩』でも戦死者を埋葬すると共に、驚く事に敵対した『天狗党』の戦死者に対し『塚』を造り手厚く葬りました。

 

 

 尊い犠牲の上で『明治維新』がなされました。

 

 衆議院選挙で騒がしい昨今ですが、命を賭して政治に取り組んでいる人が居るといは思えません。

 

 高い所にいて『敗戦』でも自身は傷一つ負わないなら言いたい事だけいえるわな。

 

 国会の最中に『居眠り』だの『スマホいじる』『本を読む』それでも議員の自覚在るの?

 

 何か問題を起こし、追及されれば『病気理由』で雲隠れ。

 

 そんな『病弱』な人は『立候補』しないでもらいたいなぁ。

 

 

 責任を取らない政治家さん。

 

 『天網恢恢疎にして漏らさず』

 

 国民も見てますし決して忘れない。

 

宝生寺砦跡

 

 『宝生寺砦跡』って何処? って思われる方多いのではないでしょうか。

 

 『南佐久インターチェンジ』降りて直ぐの『道の駅 南佐久テラス』の向かいに在る丘です。

 

 車を『道の駅』に停めて散策開始。

 

 

 時は2021/4の花曇りの日。

 

 『紅梅』『ユキヤナギ』『山桜』もチラホラ。

 

 黄色い『山吹』も芽生えています。

 

 実はこの石段から先は、秋に訪れた時、余りに『ヒッツキムシ』(正式には『ウツギ』の種皮なんですけど)が密生していて服に着いたら取るのが大変だろうと諦めた場所です。

 

 前回のブログを読んだ人はご存じの筈。

 

 

 駐車場から3分でこの雰囲気。『水仙』も春を告げています。

 

 

 山頂付近には領主のお墓が在ります。(倒れちゃっていますけど誰かの意図なのかな)

 

 神聖な場所ですので踏み荒らさない様に遠まきに廻り込んで。

 

 

 『三石勝五郎』さんの詠んだ『岸野の唄』歌碑が立っています。

 

 春の花を満喫しまして。(と云っても10分歩いただけじゃん)

 

津金寺

 

 『春の花』と云えば『桜』『水仙』ともうひとつ『片栗・カタクリ』

 

 本来『片栗粉』とは、この『片栗』の根っこを摺りおろして水に晒し乾燥させた物。今じゃ99%『ジャガイモ澱粉』のです。

 

 一度試しに『片栗』から造ってみましたけど、苦労の割に成果は微々たるもの。そりゃ『ジャガイモ』の『片栗粉』買うって。

 

 

 『カタクリの群生地』で有名な『平林・曽原』は車止めから片道30分は歩くけど、こちらは車を降りて5分ですから。

 

 以前『曽原』で『カタクリ』を観ながらコーヒーを淹れていたら、遠くに『熊さん』発見。日陰にまだ雪が残っていた頃だから冬眠から目覚めたばかり?幸い熊さんの方から山の中に逃げ出してくれたけど。

 

 

 さて『津金字』 境内に面白い物満載のお寺です。

 

 四季折々の花はもとより、『摂社』や『石碑』も見逃せません。

 

 

 

 『保科五無斉』さんを知ったのも此の石碑からです。

 

 『蓼科農業高校』は今の『蓼科高校』 その初代校長先生ですと。

 

 「ゆっくりと 娑婆に暮らして さておいて わしは一足 ちょっとお先へ」

 

 いいですね。

 

 「願わくは 花の下にて 春死なむ その 如月の 望月の頃」は『西行法師』が詠みましたけど。

 

 いざ終焉を迎えるにあたってこの余裕、いいですね。持ちたいですね。

 

 

明神池と国際音楽村

 

 小諸で『桜のトンネル』を堪能して、次に向かったのは『八重原』

 

 『御牧ケ原台地』を下り『鹿曲川』を越えると『八重原』です。

 

 『明神池』をを中心に『温泉宿泊施設』や『キャンプ場』『野球場』から『芸術村』『梅野記念絵画館』などを備えた公共施設です。

 

 

 春。暖かな日差しの中をゆっくり散策します。

 

 遠くに見える『浅間山』から 今日も一筋の 煙立つ。(三筋なんて見た事無いです)

 

 

 歩き易い外周遊歩道を一周しても30分強位です。

 

 体が冷えたら『立ち寄り温泉』もお勧め。

 

 この日『梅野美術館』は展示作品入れ替えの為休館でした。

 

 

 時間を持て余しちゃったので次に向かったのは『丸子・国際音楽村』

 

 やはり春を告げる『スイセン』が見事な場所です。

 

 『コロナ非常事態宣言下』で遠くへ行けない代わりに、近場をチョコマカ走り回って春を探します。

 

 

 『十万本』と云われる『スイセン』の黄色が見事です。

 

 丁度見頃を迎えたこの日、平日でも沢山の人が訪れていました。

 

続きを読む

小諸の桜

 

 新章も『桜』です。因みに2021/4 非常事態宣言下で越境禁止。

 

 大っぴらに旅行も出来ない頃でした。

 

 

 『天狗のムギメシ』に咲く『一本桜』でしたがまだ『三~五分咲き』ってところでしょうか。

 

 遠く『蓼科山』が春の陽気に霞んで見えます。

 

 穴場スポットで知る人ぞ知る場所なんですけど『桜のトンネル』になる場所が在ります。

 

 『布引大橋』を春先に渡ると、橋の下に見える桜並木。

 

 

 実はこの道『布引電鉄』の軌道跡地です。

 

 『布引電鉄』とは昭和元年~八年間のみ営業された鉄道で、『小諸駅』~『布引観音』~『島川原』を結んでいました。予定では『望月』まで延伸させる予定でしたが、『島川原発電所』が完成すると『人員・資材運搬』の需要が無くなり『四十二人乗り(始終二人乗り・運転手と車掌)』と揶揄されていたそうです。

 

 

 電車の車窓からこの景色観たかった。

 

 だって一杯飲めるもん。

 

柳澤神社と半過岩鼻

 

 『戸倉・キティパーク』へ行くには、すれ違い困難な住宅地の狭い道路を通り抜けますので、帰路は一方通行で別の道を案内されます。

 

 さも無きゃ気が付かなかった『柳澤神社』 

 

 狛犬(狛狐?)を見てもわかる通り『稲荷神社』です。

 

 

 朱塗りも鮮やか、灯篭なんかもピッカピカ。

 

 最近建てられたのかも知れません。

 

 『稲荷神社』を見掛ける度に『商売繁盛』を祈願して参拝させて頂きます。

 

 『願掛け』をすると『満願成就』の際に『願ほどき』に再訪しないといけないから軽~くお願いする程度ですけど。

 

 何時、何処で『稲荷神社』を見つけるか解らないから小銭入れの中には沢山の『五円玉』が入っています。

 

 一日に何ヶ所も廻る事もありますので、『百円玉』しか無いとチョットきついです。

 

 

 で次に廻ったのが『半過岩鼻』

 

 この頂上には『千曲公園』が在り、車で登れるんですけど『桜』の名所でも在るんです。

 

 この日『上田 道と川の駅 おとぎの里』から見た限りまだ桜は咲いていませんでした。

 

 『道の駅』は日本各地に点在していて、トイレの利用や仮眠駐車、情報収集や場合によってお得なクーポンもゲット出来ます。

 

 でも『川の駅』って此処だけ? 川と接している訳じゃ無いんですけどね。

 

 この『おとぎの里』は食堂や売店も在り、特に小さい子供には『駄菓子屋』が人気みたいです。

 

 

 駐車場脇にはナント『遺跡』がまで在ります。

 

 『石室の跡』のみですが『古墳』みたい。

 

 

 岩肌の窪みが二つ。『岩鼻』とは言い得て妙なりですね。

 

 この道の駅に車を停めると30分程の山歩きで『千曲公園』まで行けます。

 

 眺めは最高です!

 

別所線・千曲川鉄橋

 

 2019年の台風被害で流失した『別所線・千曲川鉄橋』が復旧しました。

 

 店休日を待って車で出かけたのが2021年3月の事です。

 

  佐久より暖かい上田地方では桜だよりが届いています。

 

 

 赤い色も鮮やかに『別所線復活』です。

 

 

 前方の遮断機が下り、警報機が鳴りだしましたので慌てて側道に車を停めました。

 

 う~ん。丸窓だ! 復旧おめでとう。

 

 

 この日の目的地は『戸倉キティパーク』

 

 南西に広く開けていて、日当たりの良い斜面には『桜』が輝いています。

 

 それにしても何で『キティパーク?』

 

 『白いネコ』でもいるのかなぁ。

 

 

 この日、外出自粛が解除され、公園内には子供がワンサカ。

 

 良いんです。春休みなんだから。

 

 良いんです。久々の公園を走り回っている破顔の笑顔。

 

 見ているこっちもついつい笑顔になりますね。

 

 小動物と触れ合えるコーナーも在りますけど、やっぱり『白いネコ』はいません。

 

 代わりに在ったのが

 

続きを読む

金比羅宮と絹笠大明神

 

 対岸の道路から見える大きな建物は『展望台』でした。

 

 名前はついて無いのかな?

 

 でもこの高台には他にも色々在りました。

 

 

 『金比羅神社』の傍らに立つのは『日露戦役記念碑』です

 

 『戦役』とは『戦争』の事で、『戦争』を肯定している時代の物です。

 

 

 中に祠が在りました。(写真失敗です)風雨除けに建て増しされたみたいです。

 

 

 『かけ不城跡』?読めません。でもこの高台なら『砦』が在ってもおかしくない。案外『信玄の狼煙台』だったりして。

 

 

 そして一番高い岩場の上に建つのが赤い洞の『養影稲荷神社』

 

 別名『絹笠大明神』 『絹笠さん』の愛称で親しまれる養蚕の神様です。

 

 岩場をよじ登って参拝。

 

続きを読む

諏訪神社と展望台

 

 県道78号線『佐久小諸線』を走っていて、千曲川の対岸の山に気になる建物が二つ見えます。

 

 一つは『養鶏場の鶏舎』なんですが、もう一つは?

 

 こりゃ行って確かめなきゃ。

 

 『グーグルマップ』と現在地情報から多分『小諸市山浦・宮沢』辺りから登れそう。

 

 

 『宮沢地区』を走っていると『諏訪神社駐車場』が在りました。

 

 『諏訪神社・歩いて5分』と在りましたけど実際は………

 

 訪れたのが3月初旬です。

 

 石灯篭の『障子紙』や注連縄の『紙垂』が真新しいですので『春祭り』でも在るのか在ったのか。

 

 参拝を済ませ更に登ります。

 

 

 諏訪神社から更に5分程歩き、登りきると急に眺望が開けます。

 

 そこに在ったのは『展望台』 屋根付きの割と大き目な展望台から観た景色がこちら。

 

 大きく蛇行した『千曲川』と『浅間山』 その間の丘の上に、白い建築物『仏舎利塔』が見えます。

 

 

 こちらは展望台から観た『千曲川上流方向』

 

 右上の丘陵地帯に『市川五郎兵衛』さんが用水造って(五郎兵衛用水)水を引き込み、豊富な『五郎兵衛米』を生産する『浅科』を築きました。

 

 今では田園風景が当たり前ですが、用水を引く前は荒涼とした土地だったそうです。

 

大杭橋

 

 『千曲ビューライン』の完成と共に、小諸・森山~御牧ケ原~北御牧~丸子~上田リサーチパークとバイパス出来るようになりました。

 

 『千曲ビューライン』と云いながら『千曲市』でも無ければ『千曲川』の見える場所は『小諸大橋』周辺だけです。

 

 千曲川沿いを走らなくても、なだらかなコーナーの続く丘陵地帯やタイトコーナーの急勾配。交通量も比較的少なく信号も無い。気持ちよく走れるこの道が大好きです。

 

 で『小諸大橋』

 

 かなりの高さが在り、欄干も低い為、橋上から千曲川を見る時は注意が必要です。(実際転落事故が起きています)

 

 この橋の下を『小型ヘリコプター』で潜る事がブームになり、東京・大阪辺りの愛好家に人気のスポットでした。

 

 近くの『蕎麦屋』さんには駐車場の他に、『ヘリポート』を示すⒽマークが描かれています。

 

 でも新しいモノが造られれば古いモノが廃れるのも事実。

 

 その廃れてしまったのが『大杭橋』です。

 

 

 高い橋が『小諸大橋』途中から崩壊してしまったのが『大杭橋』です。

 

 

 

 千曲川渡った場所には温泉宿がありました。(上の写真の手前)

 

 昔はこの辺りで泳ぐことも出来、更には釣りやボート遊びなどの出来るレジャースポットでした。

 

 今でも時たま釣りをする人を見掛けます。(鯰が釣れるんだな)

 

 

 廃業した温泉宿の前には『観音様とお地蔵様』が並んでいます。

 

 コロナ感染拡大の中、マスクを着けたお地蔵さまは自覚的最近の物でしょうか。

 

 『夢地蔵』と書かれたお地蔵様の由来は。

 

 

 秩父霊場を廻った『三山畑八右衛門』が、『大願成就』のお礼に『狭山金剛院』にお地蔵様を奉納します。そのお地蔵様が夢に現れ『千曲川の畔を掘ると温泉が出る』と告げたそうです。自分の為のみならず人々の為に温泉を掘り当てたいと願い、見事温泉宿開業にまでこぎつけました。

 

 努力すれば願いが叶う。夢を叶えてくれるお地蔵様から『夢地蔵』とされました。

 

 えっ、私の夢ですか? 宝くじで『〇億円』

 

山浦の観音像

 

 時代の流れと共に、人が歩いた道から、馬や荷車の通れるように整備した道。車が走れるように広げた道路。乗用車が快適に走れる舗装路。高速移動できるようにバイパスした道。更には高速道路へと必要に応じて進化してきました。

 

 私の家の前の道も、以前はバス一台がゆっくり走れる様な舗装路でしたが、拡幅され交通量も増加、それを解消する為のバイパス道路が近くに開通。挙句交通量も商店数も激減した通りとなってしまいました。

 

 普段当たり前に走っている道路から、一本裏に入るだけで昔の様子に触れる事が出来る場合があります。

 

 

 片足を立てて座る『輪王坐』と云う独特の座り方をしていて『如意輪観音』の特徴です。

 

 他に足の形で有名なのは『半跏坐』(腰を掛けた姿勢で片足だけを組む姿勢)の『弥勒菩薩坐像』も在ります。

 

 

 

 上の『如意輪観音』と並んで数柱の『石柱・石像』が祀られています。

 

 昔の交通の要所だったのか、道路拡幅などの際、邪魔にならない様に一所に集められたのかは分かりませんが、大切に扱われてきた物です。

 

 中には『石碑』に彫られた文字が風化して、読めなくなってしまっているものも在ります。

 

 『庚申塚』など元々は『道教』の習慣だったものが日本全国に広がっていたりします。(沖縄には無いらしいですけど)

 

 『馬頭観音』は前記の通り。『お百姓さんの労働力』や『移動手段』の他に宗教的な意味合いの強い『馬頭観音』は様々な形で祀られています。

 

 他にもよく目にするのが『十九夜信仰』の石碑。女性だけが集まり、子孫繁栄などについて講じたそうです。(昔は赤ちゃんが生まれて、乳幼児から子供になるまでの死亡率が今とは比べ物にならない位高かったそうです)

 

 時代を越えていつまでも残る様に石に彫る。

 

 決して裕福で無いだろう寒村の一角にも見つける事が出来ます。

 

 『受けた恩は石に刻み かけた恩は水に流す』 心がけてはいるんですけどなかなかね。

 

 

馬頭観音

 

 小諸駅の東側。懐古園の脇を千曲川方面へ下って行きます。

 

 アットホームな『遊園地」が在ったり、リンゴの浮かぶ温泉『中棚荘』が在ったり好きな道です。

 

 千曲川を渡ると何やらかしがっている小屋?が在ります。

 

 普段は何気なく素通りするんですけど何かが気になってバイクを停めました。

 

 車だと何処にでも停まれる分じゃァ無いですから、その点バイクは便利です。

 

 

 参拝の後に中を覗いてみますと。

 

 

 『三面八臂・さんめんはっぴ』の『馬頭観音』です。

 

 珍しいのは『馬の顔』が載っている事。

 

 詳しくはウイキペディアに譲りますが(自分で調べてね)顔が柔和に感じる事。

 

 『観世音菩薩』の化身のひとつである『馬頭観音』は憤怒の形相で睨みつけ、ことごとくの悪を成敗する為の武器を持っています。

 

 『輪廻転生』後の『畜生道』を治める神様です。

 

 又、農耕の大切な労力として、農民との関りが強く、大事にされてきましたので、馬が病気・けがなどに合わない様、又死んだ後も手厚く供養してきました。

 

 と同時に主要な交通手段でも在り、各村々の入り口などに旅の安全を祈願すると共に『悪しき者立ち入るべからず』の意味あいを含んで立てられました。

 

 よくあるのは、石の平らな面に漢字で『馬頭観世音菩薩』『馬頭観音とだけ彫られたものです。これは農民などが自費で建てた物かな。

 

 たまに見かけるのが『馬の顔』や『馬の絵』が彫られている物。

 

 そして中には『石工』や『仏師』が彫刻したであろう立派な石像。

 

 多分昔から、橋を渡ってくる多くの人を見据えていたのでしょう。

 

 『悪しき者立ち入るべからず』ってね。

 

青天を衝け

 

 佐久市『内山峡』は奇岩名勝地が多く、今でも『姫岩』や『ローソク岩』などその姿形に納得する物ばかり。

 

 国道254号線、通称『コスモス街道』が内山峠を越えて、『群馬県・下仁田』へと通じています。

 

 そんな『内山』に養蚕業の買い付けに頻繁に訪れていたのが『渋沢栄一』さんです。

 

 某TV局で有名になった『青天を衝け』は『渋沢栄一』さんが詠んだ『漢詩・内山峡』の一部から拝借しています。

 

 

 このバス停の在る地名『イボミズ』が在り、と読みます。

 

 ♬ バスは一日 一度来る おらこんな………村じゃ無くて『市』なんですけどネ。しかも土日祝日は運休ですと。

 

 因みに『初谷』には『日本秘湯の会』加盟の『初谷温泉』が在り、其処に行く為のバスです。

 

 住民は一家に一台どころか『免許所有者一人に一台』の土地柄です。

 

 考えたら免許取ってから地元で『バス』のに乗った事無いかも。

 

 このバス停のすぐ脇に在るのが

 

 

 最初に言っときます。現在この『石板』迄登れないみたいです。

 

 数段の石段なんですけど崩落の危険が在る為、立ち入り禁止になってました。

 

 コスモスの時期までには修復すると思うんですけど。

 

 行かれる方、佐久市観光課に確認してください。

 

 

 石板のはめ込まれた大岩の並びに鳥居が有ります。

 

 この石段も崩落の恐れが在る為迂回して鳥居の奥へ。

 

続きを読む

長福寺

 

 ここんとこ、ブログが『佐久市の神社仏閣名鑑』みたいになってますけど、なんせ廻った順番に描き込んでます。

 

 グーグルフォトに整理された順番で写真を掲載していますので、『神社』の隣の『お寺』、その又隣の『お地蔵さん』とか続く場合があります。

 

 で『長福寺』さん。

 

 正式には『天台宗・金龍山・長福寺』と云います。

 

 

 駐車場から山門を潜りまして。

 

 

 平日の昼下がり。訪問者が少ないからなのか防犯理由からなのか、本堂は施錠されていました。

 

 梅の木がほんのりと色好き始めた3月の事です。

 

 

 境内に在ったお地蔵様『縁結び』ですと。

 

 しっかりお詣りしましょうね。

 

 

 この『長福寺』さん。特筆すべきは『百体地蔵尊』

 

 実際数えてみました。百どころじゃ無いじゃん。

 

続きを読む

園城寺part2

 

 参道を行きますとサンスクリット語の刻まれた石碑が在りました。

 

 

 『サンスクリット語』を『仏教用』にしたのが『梵字』らしいのですが、当然私には読めません。

 

 そもそもの『御経』とは中国大陸に伝わる前はこの『サンスクリット語』で書かれていたとか。

 

 仏教系の学校では勉強するのかな?

 

 23文字で書かれた『光明真言』 これを百万遍唱えたそうです。

 

 

 『覚生殿』と書かれた本堂。

 

 唐破風の彩りに目が行きます。

 

 今日日、本堂の引き戸は施錠されている場合が多く、庫裏に声を掛ければ案内してくれるんでしょうけど………そこまではしたくないし。

 

 ガラスが綺麗に磨かれています。反射して御本尊が見えないんですけど。

 

 

 境内には色々と見所満載。

 

 

 多分、このお寺の中で一番古いんじゃないだろうかのお地蔵さまが『鐘楼』の脇に建っています。でも首が………。『廃仏毀釈令』の被害ですね。

 

続きを読む

園城寺

 

 萩の名刹『園城寺』です。

 

 山号を『照曜山』(正確には照の字が違いますが変換できませんでした。故に読み方も?多分『しょうようざん』)

 

 コスモスを観に佐久に訪れた方から「まだ早かった」と聞いたときに案内するお寺です。

 

 境内参道沿いに植えられた『萩の花』は一万本と云われています。

 

 

 街道から狭い道を登った所に在ります。

 

 入り口目印は『光明真言百万塔』

 

 サンスクリット語23文字で書かれた『光明真言』これを1000000回唱えました記念に建てられたものです。

 

 でも仮に30秒かけて唱えたとしても8333.333時間。(日数にして約347日)

 

 一日一時間唱えたとしたらほぼ23年。出来ない数字じゃないかもです。(計算が間違ってなければ………間違っていてもメールとか送らなくていいからね。〇〇ちゃん)

 

 

 駐車場から参道を登ってくると『御砂踏霊場』が在ります。

 

 四国八十八ヶ所の霊場から『御砂』を頂き、各霊場を記した石柱の足元に埋められています。

 

 この上を歩き、砂を踏みしめる事によって『四国お遍路』をしたのと同じ効果があるとされています。

 

 

 歩くときは合掌をして「南無遍照金剛」と唱えながら歩きましょう。

 

 これで貴方も『お遍路さん』

 

佐久平国際射撃場

 

 「えっ!佐久に射撃場なんて在った?」と驚かれる方が少なからず居ると思います。

 

 長野県下、私の知る限り『佐久平』『軽井沢』『菅平』『松本』とそこかしこに『射撃場』が在ります。

 

 アメリカなんぞの『観光射撃場』は『ハンドガン(拳銃)』ですけど、日本では『散弾銃』による『クレー射撃』になります。

 

 若かりし頃に観た映画『ダーティハリー』では、若かりし『クリント〇ーストウッド』が、片手で『44オートマグナム』を撃つシーンが在りました。

 

 『史上最強の拳銃』とされた『44オートマグナム』は反動が大きく、アメリカ人の大柄な警察官でも両手でホールドしないと、良くて親指骨折、悪ければ肩の脱臼は免れません。

 

 『グァム』旅行の際、この『44オートマグナム』を撃てる射撃場が在ると聞いて行ってみました。

 

 「44オートマグナム・撃てるかい?」

 

 「日本人は無理だ!」(因みに会話は片言の英語です)

 

 「マグナムを撃ってみたいんだ!」

 

 「357マグナムならいいよ」

 

 『オートマチック』じゃ無くて『リボルバー(回転式弾倉)』でしたけど。

 

 「足を斜めに開いて腰を落とす。右手でグリップを握ったら左手で右手手首をしっかり握る。反動が来るけど肘を曲げないで上に逃がす。」(ジェスチャー付きの英語です)

 

 耳に『遮音器』(ヘッドホンみたいなの)を充てて、防弾ガラスの仕切りブースに入ると『S&W357マグナム・リボルバー』と『357マグナム弾×6』の乗ったトレーが台の上に置かれました。

 

 弾を込めている間に『ターゲット(黒い人型の紙)』がレールで運ばれ所定位置にセットされました。

 

 『撃っても良いのかな?』と確認の為、後ろを振り向くと、先ほど迄ニコニコしながら説明してくれていた人、いつの間にか『ガンベルト』を腰に巻き、安全ホックが外されています。

 

 『臨戦態勢!』 ふざけようものなら撃たれる?

 

 『緊張感MAX』の中、ゆっくり時間を掛けて6発を撃ちました。

 

 『ターゲット』がするすると手元に戻ってくると係員が説明してくれました。

 

 「まぁまぁじゃん。」(英語です)

 

 「本物はこの倍の火薬だけどな」

 

 『観光用マグナム』6発撃って$40(定かじゃないです)位でしたかね。

 

 お土産に『ターゲット』をくれました。

 

 

 上の建物に『シューティングレンジ』が並んでいます。

 

 『レミントン社』の『二連式散弾銃』を構えた人が『ハッ!』と声を掛けると左右から『クレー』が飛び出し、引き金を引くと散弾が『クレー』を粉砕します。

 

 『クレー』とは粘土の事ですけど『素焼き』の『小型フリスビー』みたいなもんです。

 

 神社仏閣などで『かわらけ投げ』を経験した人はアレの少し大きいヤツと思って下さい。

 

 『散弾』だから『小さな鉛の粒』が飛び散る為、そこそこ当たるらしいです。

 

 訪れたこの日、通路にはロープが張られていました。『休業』ですと。

 

 子供の頃、『銀玉鉄砲』(知る人は知る)に夢中になりバネを強化したりしてました。

 

 『ルパン三世』がTV放送されると『ワルサーP38』のモデルガンをお年玉で買ったり。

 

 今でも『新宿コマ』隣の『スポーツシューティング』(エアライフル場)は在るのかなぁ?

 

 故に『BB弾』使用の『ルガーP08』を持ってます。

 

 これ、解る人が少ないんです。(大人の男のオモチャですから)

 

 最近手にした鉄砲(オモチャ)は熊除けの火薬鉄砲。100均です。

 

 

佐久リサーチパーク

 

 私的に佐久の中で大好きな場所、ベスト10に入ります。

 

 只、残念なのが公園や駐車場が無い事。

 

 まぁ元々が工業団地ですから最初から計画に無いのは解りますけど、勿体ない。

 

 だって晴れた日には『八ヶ岳』から『北アルプスの白壁』まで一望できるんです。

 

 

 青空に何処までも飛んでいく『割れずらいシャボン玉液』は結構お高めですので『シャボン玉』は100均で買いました。

 

 いいオッサンがおもちゃ売り場で『シャボン玉』買うなんて………全然恥ずかしくない!(写真の為だ)

 

 『フィルムカメラ』を買ったのは初めてボーナスをもらった時。

 

 自分なりの『テーマ』を持って『風景』を撮りたかったので『シャボン玉が飛んでいく空』を思いつきました。

 

 でも唯一の難点は、シャボン玉を飛ばしてからカメラを構えシャッターを押す。一連の流れを一人でやるのは無理。下手すりゃシャボン玉液でカメラがベタベタ。

 

 三脚にカメラを据えても、風任せのシャボン玉が上手く構図の中に入ってくれない。

 

 誰か子供でも近くにいたら飛ばして貰うことも出来るんですけど、小さな子供では小さなシャボン玉しか飛ばせない。

 

 でフィルム一本全部無駄にしたりして。

 

 デジカメはホントに助かります。(何枚撮ってもお金が掛からない)

 

 

 この時は三脚を持って行かなかったので車の屋根にカメラを置いて、セルフタイマーに併せてシャボン玉を飛ばしました。

 

 『黒部ダム』展望台他でも飛ばした事有りますけど、風の強い所では難しいです。あっという間に小さくなっちゃって。

 

 しかも周りの人はスマホで撮影しまくってるのに自分は撮影失敗。

 

 挙句、「どなたか亡くなられたんですか」ですと。

 

 返事の代わりに『寂しそうな笑顔』で答えました。

 

 

 三月の良く晴れた日。無性に『北アルプス』でが見たくなる時があります。

 

 ここなら自宅から10分! うん『槍ヶ岳が綺麗』

 

本覚寺

 

 このブログは、ほぼ訪れた順に書いています。

 

 非常事態宣言が続き、地元をウロチョロするしかないか。の此の頃。

 

 『神社仏閣巡り』が妙に落ち着くんですね。(何?年のせいだって。否定はしないです)

 

 『本覚寺』はホントに目立たないお寺です。

 

 入り口に県下有数の『人形工房〇ンキュー』さんの駐車場が在り、その奥に山門が見えるのですが、何処に車を停めたらいいの?(よく見ると白線が引かれた駐車場と参道が別れていました。)

 

 

 一見、民家なんですけどちゃんと御本尊をお祀りする本堂が在るみたいです。

 

 その山門近くに在るのが

 

 

 『出世地蔵尊』

 

 地元には、他にも有名な『ぴんころ地蔵』が在ります。

 

 う~ん。抱き合わせ商法でおりだせないかなぁ。

 

 

 なになに。 ふんふん。 そうですか。(拡大して読んでね)

 

 ひょっとして『県下最大級の人形工房』の『社長』の兼『元佐久市観光協会長』他諸々の会長職歴任の『荻〇さん』 此処でお詣りしたのかな?

 

 ご利益在りそうなのでお賽銭も奮発です。

 

最明寺

 

 この章は2021/2。この頃のブログは佐久のお寺巡りが続きます。

 

 『佐久の寺院』と云う『リーフレット』と云うを手に入れてこりゃ片っ端から行ってみるか。とカメラ片手に散策を重ねてた頃です。

 

 

 合併前の旧佐久市だけですけど廃寺・無住職などのお寺も中にはあるみたい。

 

 興味ある方佐久観光協会までどうぞ。

 

 『岸野』と云う地名をよく聞くけど住所としては無いみたいです。

 

 大別すると『伴野』と『根岸』に別れているみたい。

 

 『岸野郵便局』とか『岸野小学校』とかあるのにね。

 

 

 根岸・平井地区に在る『最明寺』さんです。

 

 住宅地の一角に在り、石門に続いて『六地蔵』が並んでいます。

 

 『六地蔵』がお寺の山門前に在るのは何故か知っていますか?

 

 童話『かさ地蔵』で、売り物の『笠』を被せて貰ったお礼に翌日お地蔵さまがプレゼントを持って現れた。のイメージが強いですけど、まるっきりの別物です。

 

 人は死ぬとお墓に埋葬されます。(現在は死亡診断書発効後、火葬許可収得、火葬場で火葬、骨壺に入った骨をお墓に納骨)

 

 仏教には『輪廻転生』と云う考え方が在り、一つの命が終わると他の命に生まれ変わる。とされています。

 

 その時、人間が死んだから必ず人間に生まれ変わるというものでも無いらしく、生在る時の行いによって六つの世界(天上界・人間界・修羅・畜生・餓鬼・地獄)に振り分けられるのですが、その時行くべき道を間違えない様に導いてくれる係が『六地蔵』とされています。

 

 逆に云えば『地獄』に落ちる様な行いをしてきた者が、知らん顔して『人間界』に進もうとしても見張っているって事なんですけどね。

 

 『閻魔様』はじめ『お地蔵様』も仏様の化身とされています。

 

 『六地蔵』から先は『あの世』に足を踏み入れる事にもなりますので悪しき人が入り込まない様に見張っている意味もあるそうです。

 

 

 禅宗のお寺は手入れが行き届いていて………

 

 まっ『冬枯れ』の雑草位は在りますよ。現代は忙しいんですから。

 

 

 祭壇に在る写真は前御住職でしょうか。

 

 参拝をして、さて『この世』に戻りましょうかね。

 

うぐいすの森

 

 佐久市・伴野・平井地区から山の頂に高層建築物が見えます。

 

 まぁ『高層』と云ったって佐久市で一高い建築物は『市庁舎』なんですけど。

 

 山の稜線に何やらビル建築が始まったのが今から40数年は前。

 

 バイク免許を習得し、『スーパー・〇ブ』で訪れたた時には結構な賑わいを見せていました。

 

 『丸善』と呼ばれていた建物は『マンション』であり、『テニス・クレーコート』や『プール』を備えた『リゾートマンション』の奔りでした。

 

 都会のお金持ちに人気があり、初めて『TOYOTA・2000GT』を見たのも此処でした。

 

 

 ロビーでコーヒーを飲むのが精いっぱいの背伸びでした。(確か一杯¥350が高いと思った高校一年の秋………)

 

 その後一切訪れる事は無かったのですが、どうなっているんだろうと思ったら即行動。

 

 あらら。廃墟になってます。

 

 

 通用口らしき所には最近まで居住者が居たのか『家具・家電』『雑誌』などが散乱していました。

 

 130室程の山頂付近に建つマンション。登った事はありませんけどその窓からは『浅間山』が綺麗に見えたんでしょうね。

 

 現在も別荘地を管理会社が管理し、永住している方も少なくないようです。

 

 

 佐久は晴天率も高く、冬でも青空が拝めます。

 

 加えて大型病院が三ヶ所も在り、医療面でも充実しています。

 

 貴方も老後の安住の地として如何ですか?

 

 ただ、冬は寒いんだ、これが。

 

大徳寺

 

 10月1日の今日、大型台風接近中です。

 

 甚大な被害をもたらした、2年前の台風19号が頭をよぎります。

 

 さて、時を戻して。日付は今年2月の事です。

 

 

 『京都』や『鎌倉』へ行ったら神社仏閣巡りを当たり前のようにする人が多いのに、何で地元のお寺巡りとかだとしないのかな?

 

 数年前に『佐久教育委員会』が発行した『佐久のお寺巡り』を手にしてから、ボチボチと暇を見つけては廻っています。

 

 でも記載は平成大合併前の『旧佐久市』、尚且つ『廃寺』や『無住職』のお寺は除かれているので………幾つぐらいあると思います?(答えは後程)

 

 岸野・竹田の『大徳寺』です。

 

 田んぼ中に石門が在り、その上に電灯でしょうか(以前はガス灯?)何やら乗っかっています。

 

 駐車場から歩き始め、これからお寺参りするぞって時、フト口ずさむ歌が在ります。

 

 ♬ 京都 大原 三千院 恋に疲れた女が ひとり~。

 

 

 『ディューク・エイセス』の歌う『女ひとり』

 

  渋い男性コーラスが、訥々と女心を歌い上げます。

 

 流石『永六輔・いずみたく』の名コンビ。今でも全然色褪せていません。

 

 ♬ 結城に 塩瀬の素描きの帯が 池の水面に揺れていた

 

   京都 大原 三千院 恋に疲れた女が ひ と~り~。

 

 現実は、仕事に疲れた男が一人ですけど………何か?

  

 

 『曹洞宗・天童山・道樹林・大徳寺』と長い名前になります。(道樹林って何?)

 

 前記『前山・貞祥寺』の三代ご住職『松山龍鶴』が『大沢・龍泉院』と併せて創建した曹洞宗のお寺です。

 

 『小諸城城主・仙石秀久』の庇護・寄進を受けて沓沢のこの地を隠居寺としたそうです。

 

 

 山門脇には『六地蔵』が並びます。

 

 『地蔵真言』=『マントラ』を唱えて参拝します。

 

 (あっ、言っときますけど私、某新興宗教とは何の関係も在りません。)

 

 先ず菩提寺が『真言宗・成田山・薬師寺』です。

 

 更にチョット気の利いたお寺では、参拝の折に唱えて貰える様に『真言』=『マントラ』を仮名書きしてあります。(此の地蔵真言みたいに)

 

 四国巡礼の寺院などでほぼ書かれていました。

 

続きを読む

伴野神社

 

 『前山寺』のすぐ近くに『伴野神社』の鳥居が有ります。

 

 『武田信玄』や『上杉謙信』が馬で駆け回っていた戦国時代、野沢の地を統治していたのが豪族の『伴野氏』=『伴野神社』、と岩村田の豪族『大井氏』。

 

 二つが婚姻関係を結んで出来たのが『大伴神社』(ここら辺が定かでは無いですけど)

 

 望月地区の奇祭『榊祭り』の発祥も『大伴神社』ですが、縁故は解りません。

 

 

 訪れたのは2021/2。

 

 新年の神事に備えたのであろう『灯篭の障子紙』や、『注連縄の御幣』もまだ白いままです。ただ強風に晒されたのか破れちゃっていますけど。

 

 

 『二の鳥居』から石段に成ります。

 

 冬の時期は『蜂』の心配がないですから好き。

 

 チョット石段を登っただけで汗をかきますから(ハイ、デブですけど何か?)冬の山歩きが好きです。

 

 昨今、盗難防止などの防犯理由からか鎧戸の閉ざされている場合が多く、場合によっては賽銭箱も拝殿の中、小さな穴から投げ入れるだけみたいな処も多いです。

 

 

 有名な神社仏閣以外、頻繁に人が訪れるのではないような場所に在る無人の『賽銭箱』 入っている金額にしても『高が知れている』筈です。

 

 そんな賽銭すら盗難に遭う時代。何だかなぁ…

 

前山寺

 

 まだ『洞源湖』が在った頃。

 

 大きな人造の貯水池でしたが、湖畔には『ボート乗り場』『食堂』や『入浴施設』、『ニジマス釣り掘り』や『ゴーカート』などの一大レジャー拠点でした。

 

 桜の頃には屋台が並び、ぼんぼりの下大勢の花見客で賑わっていました。

 

 冬は自然凍結した氷の上で『スケート』が出来ました。

 

 寒風吹きすさぶ中、大した防寒着など無くても、一日中滑ってましたっけ。

 

 その湖畔に『カヌー小屋』が在り、登録して在ればだれが何時練習してもいいようになってました。

 

 『カヌー小屋』や十数艇の『カヌー』『カヤック』(カヌーとカヤックの違いは自分で調べる様に)『競技用タンデム』やらオープンデッキの『ジャジャ』何かも在り、初心者でも遊べました。

 

 なんせ小遣いの無い小学生、『手漕ぎボート・¥200/30min』が勿体なくて何時も『ジャジャ』を引っ張り出していました。

 

 一日遊んだ後、売店のカップラーメンを食べるのが唯一の楽しみだったかな。

 

 そんな『カヌー』を保持管理していてくれたのが『前山寺ご住職』です。

 

 その節、大変お世話になりました。

 

 

 『真言宗・智山派』のお寺で『伴野山・前山寺』

 

 前山集落の道路の一番奥、ホントに山の際に在り、これより上に民家は在りません。(しかし中部横断道が裏山に開通しました。門の奥に盛り土の高速道路が見えます)

 

 

 参道では奥に建つ本堂はこじんまりした感じです。

 

 きっと今後の保存を考え『茅葺き屋根』の上に『赤いトタン』のを掛けたのでしょう。

 

 

 『鰐口』の下、お線香と灯明が置かれていました。

 

 よく見かける『線香¥〇〇・灯明¥〇〇』なんて無粋なものは在りません。

(その分お賽銭を多めに入れます)

 

 残念ながら本堂のガラス引き戸は閉ざされており(昨今の防犯上やむを得ないんですけど)写真を撮ろうにも外光の反射写り込みで失敗しました。

 

 書院への玄関口に面白い物を見つけました。

 

 

 軒を支える部分に『黒帯を〆た稽古着』(作務衣じゃ無いよね)と『五鈷杵』が飾られ、何やら張り紙が貼られています。(おしい!破けちゃって読めないんですけど)

 

 この玄関の中に『佐久寺院巡りスタンプラリー』のスタンプがおかれています。

続きを読む

龍泉院

 

 『佐久平野』 周囲を山々に囲まれた中に『千曲川』が造り出した『扇状地』です。

 

 『平野』と『盆地』の違いが良く解りませんけど、北(小諸方面)に向けて開けているから盆地じゃ無い?

 

 そんな『佐久平野』の西側には低い山々が北西の方向に連なっています。

 

 その一角『大沢地区』を訪ねてみた続きです。

 

 

 『曹洞宗 匡盧山(きょうろさん)龍泉院』  (匡盧山、変換が大変)

 

 市内に『龍泉寺』も在りますが別物です。

 

 『佐久市龍泉院』検索=『ホームページ』=『龍泉院について』を開きました。

 

 版画が載っており開山当時が偲ばれます。

 

 文献によりますと『前山・貞祥寺』三世『松山龍鶴』大和尚が建立し、『前山・貞祥寺』『大沢・龍泉寺』『沓沢・大徳寺』(こちらも『松山龍鶴大和尚建立』)と三つの曹洞宗の大寺院が存在共栄します。

 

 曹洞宗は『永平寺』での厳しい修行を経験しているので、度のお寺も庭の掃除が行き届いています。(他の宗派が手抜きしているという意味ではありませんので悪しからず)

 

 

 『フレアー』が入っちゃってますが、超常現象とかじゃ無いですから。

 

 

 本堂の引き戸を開けて先ずは参拝します。

 

 『御本尊』と『脇観音』の三像が祀られていました。

 

 

 境内には『納経堂』が在り、『大般若経』が収められていました。

 

 『厨子』の中には『観音様』でしょうか。

 

 威厳に満ちた輝きを放っていました。

 

二王堂

 

 小高い丘の上に建っています。

 

 その手前の『松』 実に絵になりますね。

 

 

 前回『長命寺』を訪れた際、佐久市に現存する最古の年号が彫られた石が存在すると在りました。

 

 ところが『長命寺』をが焼失した時、この『二王堂』に移されたそうです。

 

 で『二王堂』 『仁王』じゃ無いんですね。

 

 

 御堂の中や境内を見て廻ったのですが何処?

 

 因みに『応永』は南北朝廷統合後の1392~1428年の事だそうです。

 

 彫られている『応永二十二年七月』は1415年7月に成ります。

 

 『いいくに(1192年)造ろう鎌倉幕府』(現在は『1185年壇ノ浦の戦い勝利』とされています)の『源頼朝』が、『現・神奈川県鎌倉』に遷都した行政機関(幕府)はやがて嫡男の問題から『頼朝の妻方・北条氏』に乗っ取られ、武家社会の確立へと繋がります。

 

 ところが『お金』が無かった鎌倉幕府、十分な報奨金を与える事が出来ず(封建制度の崩壊)各地で『武家』が反旗を翻します。それに乗じて『後醍醐天皇』を中心とする『貴族』が金の力にモノを云わせて出兵、『足利尊氏』や『新田義貞』らが『鎌倉幕府』を滅ぼしてしまいます。

 

 その後、京都に『天皇政権』を開きます(建武の新政)が『足利氏』が実質政権を握り、やがては皇族政治を排除して行きます。

 

 で逃げ出した『後醍醐天皇』が『奈良県・吉野』に開いた『朝廷』(南朝)と、京都に新政権を起こした『足利氏』の『朝廷』(北朝)の二つの政権が生まれてしまいます。

 

 幾度かの戦いの末『南朝総大将・新田義貞』の戦死により『南朝・天皇家』は『北朝・足利尊氏』を『征夷大将軍』に任命し実質『南北朝時代』は終焉します。

 

 西暦1338年『室町幕府』誕生です。

 

 『南北朝の戦い』に勝利し『天皇家』『公家』を牛耳っていた『三代将軍・足利義光』は、権力を見せつける為に『銀閣寺』を建設します。

 

 ※あくまで個人の見解です。違っていたら御免なさい。

 

 の『応永二十二年(西暦1415年)』です。

 

 

 参拝を済ませ、格子の間から中を覗き込みますと

 

 

 厨子の中に見えるのは確かに『仁王像』の様に見えます。(でも片方だけ?)

 

 ここから見える『浅間山』が実に美しく、訪れた冬晴れのこの日、ゆっくりとした時間を過ごせました。

 

長命寺

 

 大沢地区をふらりと探索した新章スタートです。

 

 と言っても2021/2の事なんですけど………ね。

 

 

 穏やかな陽射しの中、こじんまりとした御堂を訪れました。

 

 2月下旬の境内には早くも春の息吹が芽生えています。

 

 

 『蒲公英』じゃ無いよ。『福寿草』です。

 

 寒冷の中、雪の中に埋もれながらも黄色が目立つ生命力を持っています。

 

 

 上の写真は2月初頭の『武石・福寿草園』です。

 

 

 何とも云えない『黄金色』 (お主も悪よのぉ フッフッフッ。て誰かくれないかな)

 

 

 木々の目覚めも感じます。

 

 ♬ 柳の下に猫が居た。だから『ネコヤナギ』 

 

 ヤナギの下にネコなら『ヤナギネコ』じゃないのかい!

 

 良いもんですよね。ふわふわの銀毛に包まれた『若芽』って。

 

続きを読む

玄江院part2

 

 寺院(お寺)には『山号』が付いています。

 

 その昔、修行僧などが修行した山・滝などの在る山に寺院を建てた場合が多く、その山の名前から『〇〇山・✕✕寺』などと明記します。

 

 開祖の建てた寺院を『総本山』などと呼び、分院である寺院も『総本山寺院山号』を名乗る場合が在ります。

 

 『ぴんころ地蔵』で有名な『成田山・薬師寺』は、これまた超有名な『成田山・新勝寺』の分院です。

 

 『山』は無くとも『成田山!』

 

 で『小諸・耳取』の『玄江院』、山号は『鷹取山』

 

 グーグルで『鷹取山』を検索すると何故か『横須賀』と『福岡』、共に大きな『寺院』は見当たりません。

 

 小諸は概して坂の多い地形ですので案外『鷹取山』が近くに存在するのかもしれません。

 

 

 『斜めの杉』下には池が在って『つっかえ棒』が出来ないのか。

 

 その奥に二階建ての『仁王門』が在ります。

 

 普通、仁王様の前面は開いている場合が多いのですが、こちらは『飾り窓』になっていました。

 

 

 この『仁王像』独特な雰囲気でチョットユーモラスを感じます。

 

 ………目つきかな?

 

 

 白砂の敷き詰められた広い境内にはゴミ一つ落ちていません。

 

 残念ながら本堂の入り口は閉ざされており御本尊を拝見することは出来ませんでした。

 

 昨今の防犯理由によるものなのか残念です。

 

 その庭に枯山水の様の庭石が置かれていました。

 

 

 おそらく何処かの瀧の流れを受け止めていたのかもしれません。

 

 自然の造り出した造形美でしょうか。

 

 ほっこりした気持ちで境内を後にします。

 

玄江院

 

 『耳取』旧道を北へ。

 

 石門発見。書かれているのは『鷹取山・玄江院』

 

 

 舗装道路から斜めに参道らしき草を刈られた跡が在ります。

 

 でも民家の庭………?

 

 

 本堂が火災などで焼失した後、取り敢えず運び出された『御本尊』を仮安置する為の『普通の民家』というものを見た事在ります。

 

 でも普通の家ですよね。看板とかも無いし。

 

 この民家の北側200㍍程の所、畑の中に高い木の茂った場所が在りました。

 

 大体が『神社仏閣』 行ってみますか。

 

 

 細い道を曲がると広い駐車場が在りました。

 

 参道の『杉』 どうした? 真っ直ぐ(すぐ)育つから『杉』と名付けられた筈なのに。

 

 一度倒れかけて、尚も点を目指そうとしているのでしょうか。

 

 普通なら倒木していますよね。つっかえ棒など無いのがエライ!

 

 

 樹の根に生命力を感じ、踏まない様に選んで歩きました。

 

 仁王門が見えて来ました。 続きは次回。

 

彌美登里神社

 

 参道を進むと『唐破風』様式の拝殿が見えて来ます。

 

 

 割とこじんまりした拝殿です。

 

 残念ながら引き戸は閉ざされており、硝子越に覗き込みますと。

 

 

 本殿の前には『神器の鏡』が置かれています。

 

 太い梁は『長刃・ちょうな』で削られた跡が付いています。

 

 江戸時代には『鉋・かんな』が広まりましたので江戸初期の建物?

 

 の割には新しく感じます。梁だけ使いまわししたのかな。

 

 

 井戸に彫り込まれていた年号は『寶栄・ほうえい』1704年と検索結果が出ました。

 

 拝殿周囲には数々の摂社が祀られています。

 

 

 でもこの神社一番の見所は『枝垂れ桜の大木』

 

 駐車場の脇に凛とした姿で立っています。

 

続きを読む

小諸市・耳取

 

 『佐久市』と接する『小諸市・耳取』

 

 初めて『耳取』と聞いたとき『小泉八雲作・耳なし芳一』を思い出しました。

 

 多分子供の時、いちばん最初に読んだ怪談でしょう。

 

 でもその時驚いたのは『小泉八雲』が日本人じゃなく『ラフカディオハーン』というギリシャ人で、日本人(帰化)として日本で暮らし、日本から出版された事でした。

 

 筆者近影の写真には和服を着た鼻の高い人がいて『小泉八雲(ラフカディオハーン)とあったので余計に? 今ならスマホに話しかけるだけで疑問に答えてくれますね。

 

 『耳なし芳一』琵琶の語り部『芳一』が亡霊に見染められてしまい、体中に経文を書いて亡霊から見えなくしますが一ヶ所『耳』に経文を書き忘れてしまい、亡霊はこれを持って行ってしまう………んな馬鹿な。

 

 耳に経文を書き忘れる? 有り得ない。

 

 耳だけを引きちぎって持って帰る? 体ごと持って行くだろ。

 

 と思うのは世間に擦れた今になって想う事で、『紅顔の美少年』の頃は『耳が千切れる~!』と恐怖におののいた物でした。

 

 

 千曲川右岸道路『佐久小諸線(県道78号線)』を北に向かって走っていると耳取に入って直ぐ旧道との分岐が在ります。

 

 『何かないかな』と探して走るバイクは、こういう分岐を見逃しません。

 

 で神社の鳥居を見つけて停車します。

 

 神社名が書かれた柱には『彌美登里』と書かれています。

 

 

 珍しい石に彫り込まれた定款。旧漢字を用い、昭和12年と彫られています。

 

 どれどれ。解らなくても読んでみるの好きなんです。

 

 一、車や馬で乗り入れるな。

 一、魚や鳥を捕まえるな。

 一、竹や木を切るな。

 この条例を守る事。 ですかね。普通じゃん。

 

 

 一の鳥居の脇には大きな切り株が注連縄を巻かれ保存されています。

 

 おそらく『御神木』だったのでしょうが、枯木となり倒壊の危険も考慮し伐られてしまったのかもも知れません。

 

 

 『手水舎』と思われますが井戸と直結しています。

 

 残念ながら事故防止の観点からか井戸は格子で囲まれていて中を覗き込む事は出来ませんでした。

 

 石造りの井戸の上部には釣瓶櫓が組まれ『釣瓶車』が在ったのかもと推測されます。

 

 今現役稼働なら観光名所に成りますよ。

 

 手を伸ばし入れて井戸の写真を撮ろうとしましたが上手く撮れていません。

 

 まっ、まさか………。

 

 見えてはいけないモノが写っていたら怖いので深追いせず次に行きます。

 

三嶽神社・多賀神社

 

 『塚原・諏訪神社』から見て北側、道を挟んで『鳥居』が在ります。

 

 

 『諏訪神社』境内に『御岳山大神』『八海山大神』『三笠山大神』の三つの山岳信仰が祀られています。なのにこの距離で?

 

 扁額は『御嶽』じゃ無くて『三嶽』です。

 

 ふと疑問に思ってググってみました。

 

 『wikipedia』『NAVITIME』『神社庁』それぞれの解説がありますけど、読めば読むほど………⁈

 

 地理的に『塩尻市・三嶽神社』の『分社』だと思うんですけど真相は不明です。

 

 個人的には『木花之佐久夜姫・このはなのさくやひめ』に纏わる『白山』『立山』『富士山』の三つの山を信仰していると良いな。

 

 参拝後格子の隙間から覗き込むも神殿は閉ざされており、ならばと拝殿から裏に廻り込むも何も見えません。以上終了。

 

 でグーグルマップを見た時、更に近くに『多賀神社』があるじゃありませんか。

 

 『三嶽神社』から道路を歩いて行くと、マンションの前にそれらしき『祠』は見えるんですけど、マンションのフェンスが邪魔していてたどり着けない。

 

 まさかフェンスを乗り越えたりして、万が一にも警察沙汰になったらと思うとその勇気もないです。

 

 暫く辺りをウロウロしていたらマンション住人が此方を見ている。

 

 何か在って『不審者がウロウロしてました』なんて事になっても嫌だからそそくさ立ち去りました。

 

 で後日。グーグルマップを見ると西側に農道が延びてます。多分此方からからならと再訪しました。

 

 

 農道脇、用水の上に『縞鋼板』が渡されています。

 

 まさか此処が入口とは。

 

 新し目の白い鳥居を潜り、急坂を登ります。

 

 雨が降ったりしたら絶対滑って登れないゾ。

 

 

 多分『古墳』でしょうか、周囲より一段高い所に石の『祠』が祀られています。

 

 参拝を済ませフト目の前のマンション。以前訪れた時に駐車場からこちらを覗っていた方がいた駐車場です。

 

 『変な人がウロウロして写真を撮ってました』なんて云われたくないからサッサと帰ります。

 

塚原・諏訪神社

 

 佐久から小諸方面へ向かう時、中佐都小学校の横を通る県道139号『小諸・中込線』をよく利用します。

 

 新幹線の高架下を潜るのですが、『諏訪神社』がと書かれた石柱を見掛けます。

 

 

 新幹線の高架のお陰で鳥居が隠れちゃって、チョット可哀そうな位わかりづらい。しかも参道を横切って道路が走ってるし。

 

 

 立派な石造りの鳥居の奥、大きな注連縄を新調された本殿が在ります。

 

 きっと地域の氏神様としてお正月には賑わったのでしょう。

 

 大きな社務所が公会堂の様な役割をしているのかも知れません。

 

 

 本殿をぐるりと廻り込むと一段高い位置にも広場が在り、児童公園に成っています。

 

 そして本殿の西側には沢山の石碑・摂社が並んでいます。

 

 

 山岳信仰の『御嶽山』『八海山』『三笠山』

 

 『不動尊』や『摩利支天尊』の文字も見えます。

 

 天然石に機械彫りの文字ですので割と新しいのかも知れません。

 

 台座の石は古そうなんだけど………

 

続きを読む

仙緑湖

 

 『上信越道・佐久IC』の直ぐ傍らに人造湖『仙緑湖』が在ります。

 

 高速道路の料金所付近でカーブや合流が在り、廻りを見廻す余裕なんてない場所です。

 

 湖には紅白の『ラジオ放送アンテナ』が建っています。

 

 

 チョットピントが甘かったです。フルオートなのに何処にピントが行ってる?

 

 

 何故わざわざ湖に建てたのかは不明ですが。

 

 人造湖故に湖底がコンクリートなので、建設しやすかったのかな?

 

 

 『仙緑湖』命名の碑が建っています。

 

 でもその後ろの協賛者の碑の方が大きいのは………

 

 

 農林大臣時代の『井出一太郎』さんの名前が読めます。

 

続きを読む

マンホール

 

 各自治体や所有ごとにマンホールのデザインが違います。

 

 しかも近年、カラーデザインが施されていてコンプリートの対象にもなっているそうです。

 

 さて我が佐久市。

 

 漫画原作者の『武論尊』さんの出身地である事は周知の事実です。

 

 しかも中学校の先輩にあたります。

 

 『武論尊』さんと『原哲夫』さんがタッグを組んだ『北斗の拳』は現在でもパチンコなどの題材に成る程人気が在ります。

 

 佐久市市庁舎のエレベーターホールには『ア タタタタタタタタ~!』の『北斗百裂拳』が待ち構えています。

 

 

 で『佐久平駅』 

 

 北海道に『佐久駅』が存在する為に同じ名前は付けられず、新幹線駅は『佐久平』になりました。

 

 

 そして佐久市の玄関口にあたる『佐久平駅周辺』のマンホールにも白羽の矢が当たりました。

 

 

 北斗七星の形に並んだ傷。胸に七つの傷を持つ男。『ケンシロウ』

 

 佐久平駅周辺のマンホールを『北斗七星』に見立て『北斗の拳』に主要登場人物の絵が描き込まれています。

 

 

 まぁ正直『おすい』は見えない様にして欲しかったかな。

 

 下水用マンホールだからしょうがないんですけど。

 

続きを読む

井川大橋

 

 大井川に沿って北上する県道60号線。いったい何処まで続いているの?

 

 しかも舗装道路とガードレールで走り易い道。

 

 取り敢えずダムに沿って走っていると『井川大橋』の案内看板が出ていました。

 

 

 現役、車両走行可能な吊り橋です。

 

 この手の橋、長野県に幾らも在ったのでそれ程珍しくも無いのですが、大半は老朽化の為『通行禁止』若しくは崩壊しています。

 

 

 私の車は車重≒1.2t。体重≒0.1tの私と、色々の車載物ひっくるめても0.05t。

 

 一応橋の手前で車から降り、歩いて橋を確認します。

 

 『揺れ止め』は無いですけど風も無いから大丈夫だろう。

 

 何時もは『カーナビ代わり』に使う『スマホホルダー』の向きを変えて前方が撮影できるようにセットしました。

 

 

 ソロソロと進み始めると至って普通の橋です。

 

 なんて思ったら、所々に『板の継』が充てられている部分が………

 

 昔見た映画『恐怖の報酬』を思い出してしまいました。

 

 『轍』部分の補修跡を避けるだけの幅は無く、そ~っと、そ~っと。

 

 私の車はFF(フロントエンジン・フロントドライブ)なので、いちばん重い部分の前タイヤが通り抜ければ問題は無い筈。

 

 結構な高さが在りますので脇見なんて以ての外。

 

 無事緊張感の中渡り切りましたが、対岸の道路は直角に曲がっている為、数回の切り返しを要してやっと橋から降りる事が出来ました。

 

 でグーグルマップを確認すると。行き止まりじゃん。

 

 て事は戻らなきゃ。

 

 又数回の切り返しの後、やっと橋の上に。

 

 

 しかもこちら側、手摺が曲がってるし。誰かぶつけたな。

 

 二度目は少し余裕が出てきました。

 

続きを読む

井川大仏

 

 ダムを後に『井川大仏』を目指します。

 

 意外と大きな農耕地などが整備されていてビックリ。

 

 県道を進んでいると『井川大仏』の案内看板に従って左折。

 

 トイレも完備した駐車場に到着します。

 

 

 階段に積もった落ち葉から想像するに、人は余り訪れていないのかな。

 

 『ここから5分』 これが実に怪しいんだけどね。

 

 

 コンクリートの階段としっかりした手摺のお陰で実に歩き易い。

 

 真っ赤な『奉納旗』には地元のみならず、大勢の方が寄進しています。

 

 「ぜ~っ、ぜ~っ、5分経ったぞ。」と誰にともなく文句を言おうかと思った頃、視界が開けました。

 

 

 お~っ。目に痛い程真っ白な『大仏様』です。

 

 手前の『香炉』(人の背丈+α)と比べてもその大きさが解ります。

 

 ググってみますと。

 

 高さ11m。しかもこの付近に寺院がある訳で無くナント個人で建てられたもの。

 

 井川村唯一の『井川診療所』に勤務していた歯科医『佐藤平市郎』さんが、健康に感謝し、還暦に建立を思い立ったそうです。

 

 

 香炉には『灯明』『線香』『ライター』『マッチ』がケースに入って置かれていました。

 

 よくある『灯明¥〇〇』『線香¥〇〇』という無粋な料金箱も見当たりません。

 

 多分、気軽に灯明・線香をあげて貰えれば良いという『佐藤平市郎』さんの意志だろうと思われます。

 

 線香も一杯に補充され、ライターも直ぐに火が付きました。

 

 頻繁に訪れている証拠ですね。

 

 『灯明と線香』に自を付けました。その分お賽銭箱に入れるからね。

 

続きを読む

井川ダム

 

 井川流域には沢山の『ダム』が在ります。

 

 堰き止めては発電し、下流でまた堰き止めては発電し。

 

 その起源を南アルプスの『間ノ岳』や『農鳥岳』まで遡る『井川』 実に沢山の発電施設を擁しています。

 

 『火力』や『原子力』を使わない『水力発電』をはエコロジーの観点からも優位ですが、欠点は大消費地の都市部まで距離が在る事。

 

 送電線を流れる電力は、抵抗によりかなりの電力をロスしてしまいますが、その距離が長くなる程ロス率が高くなります。

 

 又、流れ込む砂泥が溜まってしまう為に、定期的に浚渫(しゅんせつ)しなければ貯水量の低下に繋がります。

 

 もうひとつ憂える点は、万が一にも戦争やクーデター、テロが発生してしまった時、爆破による施設破壊のみならず、下流に甚大な被害を及ぼす可能性が在る事です。

 

 2019年台風19号が長野県・東信地方を襲いました。

 

 普段、溢れることなど想像も出来なかった小川に土石流が流れ込み『ダム化』、ある一定量以上の水圧に成ると耐えられずに崩壊。下流の橋脚などに流木などが引っ掛かり『ダム化』また耐えられなくなり崩壊。

 

 こうして『入沢地区』や『常和』地区の河川氾濫を引き起こしてしまいました。

 

 実際に第二次大戦中には『ダムバスター』と云う『ダム破壊用爆弾』とまで開発されています。

 

 現在稼働中のダムは、損壊しない様に様々な工夫がされているみたいですのでご安心を。(でも絶対安全と云われた核施設が世界中で3ヶ所も事故を起こしているし………)

 

 

 雪解け水が流れ込む時を想定していますので冬場のダムはどこもこんな感じ。

 

 そして水位の下がった時期はメンテナンスに忙しいそうです。

 

 

 本来の水位は流木防止ネットが貼られるこの辺りまである筈。

 

 低い水位だからこそ現れる足場と手摺です。

 

 枯れた流木が引っ掛かってますね。

 

 

 そしてなんと『井川ダム』~『本村』までを遊覧船(渡し舟の扱いですが)が運行しています。しかも誰でも無料!

 

 所要時間15分。発着時間は井川駅の発着時間にシンクロかな?

 

 乗りて~。けど欠航だ~‼ 冬季は土日だけですと。

 

 ダム湖には保全管理の為に船を使う為、船着き場を有する所が多く、一部で観光遊覧船を持ってたりします。(そういえば黒部ダムも点検修理で運休だった。ダム湖の船には縁が無い?)

 

 観光案内図には『夢の吊り橋』や『井川大仏』などが在るみたいです。

 

 にしても何故こんな山奥の不便で在ろう場所にこれ程の集落が在り、人々は生活しているんでしょうか。

 

 駐在所や郵便局、小・中学校なども在ります。無かったのはコンビニ、ファストフード店などかな。衣料品店、食料品店、床屋などがそろった完全な町です。

 

 こんな辺鄙(失礼)な場所に住む理由とは………

 

 

 ダムの傍に建っていました。

 

 扁額も無く何の神社か解りませんでしたが、水神様を祀っているのではと推察します。

 

 大仏様が在るなら行ってみようかな?

 

井川駅

 

 『井川駅』 現在『大井川鉄道井川線』終着駅です。

 

 終着駅では鉄道止めの盛り上がりレールが見られます。

 

 でもこの『井川線』実はまだその先が在ったんです。

 

 現在、建設資材運搬に力を発揮するのはトラック・ダンプ・トレーラーなどですが、山間部奥地に『ダム』を開発する為の主力となったのは『鉄道』でした。

 

 今は無き『小諸・布引電鉄』も『島川原・発電所』建設資材を運ぶ為に運行が開始されましたが、『発電所』完成後の利用率は激減。挙句廃線に追い込まれてしまいます。

 

 『井川線』も以前は『堂平駅』迄続いていました。(一駅区間ですけど)

 

 『堂平駅跡地』は現地を訪れていませんので憶測ですが、多分資材置き場とか宿舎などが在ったのかもしれません。 

 

 

 主要道路から『井川ダム』へ降りていく脇道を行くと、一軒の売店(休み?)とバス停が在り、石段を登ると『井川駅』が在ります。

 

 ♬ バスは一日 ニ度も来る。

 

 

 足腰丈夫なうちに行ける所に行っとかないとネ。

 

 数十段の石段。結構堪えてます。

 

 この手の『駅舎』、『小海線』沿線在住のこーちゃんには珍しくもないですけど、『有人駅』だけこちらの方が『都会』だったりして。

 

 

 駅舎から、道路を経由して線路をたどってみます。

 

 一番奥には『堂平』へと続いていた線路跡と切通が見えます。

 

 

 暫くして車両が駅に到着しました。急いで戻らんと。

 

続きを読む

奥大井湖上駅part3

 

 そろそろ次に行かないと。なんせ奥大井を訪ねたのは2021/1の事なんですもん。

 

 

 凪いだ湖面に映っているのは旧線路の鉄橋です。

 

 ダム湖が出来る前の『井川線』は井川に沿って崖の中腹を走っていました。

 

 こんな湖でパドルを操ったら楽しそう。

 

 こーちゃん。今は無き『洞源湖』でカヌーを乗り倒した事が在りますのでお手の物です。

 

 いかんいかん昔話なんぞを始めたらページがいくらあっても足りない。

 

 トットと行きましょう。

 

 

 youtubeにupした動画です。

 

 東京駅から離れていくので下りになるのかな。

 

 

 同じく『井川発 千頭行き』

 

 両編成とも機関車が一番坂に対して下り側に在るのが解ります。

 

 さて。

 

 

 来る時ゃ下り階段でも帰りは登り階段≒200段。

 

 鉄製の階段は石段や山道の階段と違って歩幅も高さも均一で一番歩き易いんです。 普段ならどうって事無いですよ。でもアッチコッチ歩いていたから膝関節がオーバーヒート気味です。

 

 やっとの事で登りきって、『レインボーブリッジ展望台』まで後15分登り………見なかった事にしよう。

 

 今となっては悔やまれます。何時の日かもう一回チャレンジだ!

 

 待っていろよ『レインボーブリッジ展望台』 

 

 次に行ったら有料駐車場になってんだろうな。

 

奥大井湖上駅part2

 

 ふと気が付きました。駅のホームに立ち入っているって事は『入場券が必要』

 

 でも券売機とかも無いし。

 

 

 小さな待合室(出入り口の戸が無いから待合所)の壁には。

 

 千頭~井川間¥1340はチト高くない?

 

 

 冬季平日は3.5往復? (そうすると回送が一本入る筈だけど?)

 

 問い合わせれば答えてくれるんでしょうけど。

 

 テープで覆われた部分は夏季営業用ですかね。

 

 

 駅から斜面を少し登った所にコテージが建っていました。

 

 暫く機関車の発着は無いみたいだから散策してみますか。

 

 

 このコテージが駐車場の看板に在った『晴耕雨読』なんとカフェです。

 

 冬季閉鎖中にも関わらず、ドアーは解放されていました。

 

 まさか『ドロボー』がこじ開けた⁈ そこには優しさが詰まっていました。

 

 『奥大井湖上駅』にはトイレが在りません。寒風に晒されても戸口を占めることも出来ません。そんな時にこの場所をご利用くださいと施錠されていませんでした。

 

続きを読む

チャバコ自販機

 

 一度は訪れてみて下さい。『奥大井湖上駅』

 

 駐車場から急坂を登り、200段の階段を下り、『レインボーブリッジ』を渡って辿り着くのが『大井川鉄道井川線・奥大井湖上駅』ホント一度は訪れてみて下さい。

 

 

 肩寄せ合えば5人は座れるかなの待合室。

 

 カップルで鳴らして下さいの『HAPPY² BELL』

 

 

 『ハート形のカップルベンチ』といい、オッさんの一人旅にはチト肩身が狭いが幸いな事には廻りに誰も居ない。

 

 鐘も鳴らしましたですよ。澄んだ音が山肌にこだまします。

 

 そして一番の旅の目的『自動販売機』発見。

 

 

 今回この駅を訪れたのはこの『自動販売機の仕組み』を知りたかったから。

 

 以前TVの旅番組で、この『奥大井湖上駅』で芸能人がお茶を買っていました。

 

 お茶と云ってもドリンクじゃなく、抹茶の粉末パック×8杯分が箱に入っています。=『茶箱』

 

 この『自動販売機』実はウチにもある『タスポ対応タバコ自動販売機』です。

 

 『タバコ自販機』でタバコを購入するには『タスポカード』が必要になり、1回目の申請は写真と身分証のコピーを送付すれば無料で造れますが、2回目からは手数料¥1000。無くしたりしたら再申請しない人がほとんどです。だってコンビニ・スーパーでは無くても普通に買えるでしょ?ワザワザ造る人いないって。 しかも『自販機は買取』タスポ対応装置を取り付けるのも有料、通用紙幣・硬貨が変更されるたびに『紙幣識別装置』や『コインセレクター』の交換が有料で必要になります。『二千円札』が出た時も『紙幣識別装置』導入で¥20000の出費。にも拘わらず『二千円札』見た事も無え!!!!!!!!!!新型500円玉?ウチの自販機は使えません!JT産業(旧日本たばこ専売公社)。どうしてくれる?タバコの小売り利益は販売価格の1割程度です。現在主力販売店はコンビニエンスストアであり9割ほどを売り上げています。タバコ離れの進む中、タバコ屋さんは存続が厳しいです。にも拘らず『組合費』や『共済制度』などがあり辞めるにやめられない状態です。見た事無いですか空っぽの『たばこ販売機』だけが置きっぱなしになってるの。JTさん、利権の匂いがプンプンしますね。

 

 この『茶箱販売機』はそんな『タスポ対応自販機』の再利用に繋がるかもしれないんです。

 

 『飲料自動販売機』で珍しいモノを販売しているのも在りますよね。

 

 皆さん四苦八苦して売り上げ向上を考えているんです。

 

 

 実は偶然にも『塩郷の吊り橋』を渡ろうとしたとき見つけちゃったんです。

 

 『茶箱=チャバコ』の自販機。多分同じ人が設置したんでしょうけど。

 

 SLの煙を引き上げると『タスポカード』を感知して販売できる仕組み。

 

 考えてますね。

 

続きを読む

レインボーブリッジ

 

 お台場の橋じゃないです。

 

 『大井川』を『長島ダム』によってできた『接岨湖』

 

 その湖を横断する鉄道橋の赤い橋、それが『レインボーブリッジ』です。

 

 

 『線路』と万が一の『はずれ止め』が線路内側に二本在りますので4本にみえますけど単線です。

 

 そして鉄橋の向かって左側、保護策に囲まれて人道橋に成っています。

 

 人道橋は頑丈なエキスパンド鋼の『手摺』と足元は『縞鋼板+ゴムマット』で覆われている為、歩くのに恐怖感は在りません。

 

 遠くで鳥のさえずり以外、音の無い静寂の中をマットの上を歩くゴソ、ゴソ、という足音が響きます。

 

 

 峡谷に架かる為時に強風が吹き抜けるのでしょう。吹き流しが在りましたが全くの無風・無音です。

 

 ん~。この景色の中に一人だけ!やったね独り占め。

 

 なんせ冬、雪の上を歩くときは人の踏み跡の無い場所を選んで歩きますんで(精神年齢が知れちゃいますけど)こんな雰囲気大好き!

 

 

 鏡のような湖面に冬の太陽が写っていました。

 

 ホント揺らぎのひとつもない。ず~っと見て居られます。

 

 不思議な湖水の色は多分流れ込む成分の化学反応だと思われます。

 

 数年前『小海町・松原湖』でも同じような現象が見られました。

 

 正式に発表は在りませんでしたけど普段澄んだ色の湖が変色していてビックリ。

 

 

 上の写真は2018/10の『松原湖』です。この時だけこのような色に染まりました。

 

続きを読む

奥大井湖上駅

 

 実に娘が赤ちゃんの時、車で『寸又峡温泉』を訪れました。

 

 でもその時にはなかったなぁ。ググってみますと。

 

 2001年完成の『長島ダム』に併せて沿線の移設工事により湖のど真んを線路が通っています。

 

 

 でその線路はこのダムのすぐ傍らを通っており、『長島ダム駅』の可愛らしい駅舎を過ぎるといきなりトンネルへと突入して行きます。

 

 残念ながら道路はぐんぐん高度を上げて行きますので帰りに寄ろうと。

 

 

 湖を見下ろす道路にはガードレールに『駐停車禁止』と書かれた横断幕がこれでもか!って程取り付けられています。景観を損ねる程の注意書きが必要なほど『違法(無法)駐車』の輩が多いのか!

 

 故に写真を撮ってません。もしここからの写真をUPしている人が居たら………

 

 駐車場から歩いて展望台へ行けます。そこから写真も撮れますけど、角度が違いますから分かりますね。

 

 『成らぬものは成らぬのです』某歴史TVドラマの有名なセリフじゃ在りませんけど、『ダメなものはダメ』

 

 幹線道路を走行中、前を走る車が突然止まってハザードを付けました。追い越したくても対向車が途切れず、やっと追い越す時見た光景。『携帯電話』でした。後続車の迷惑を全く考えず、運転中じゃないから違法じゃ無いと主張したいんでしょうけど、何人の運転手をイラっとさせたか解ります? せめて側道に入るとかしないとね。お陰で渋滞が発生し大型トラックはクラクションを鳴らしていました。こんな人ダメだよ運転しちゃ。

 

 

 5.6台停められる駐車場から歩いて15分の案内を頼りに急坂を登って行きます。

 

 観光シーズンには駐車場の空き待ちの車で混雑するらしく、隣接して駐車場を増設しています。(個人所有地の有料駐車場なら『濡れ手に粟』)

 

 

 腹廻りを何とか凹まそうとウォーキングをしてはいますけどこの斜度は山登りですよね。

 

 カメラをウエストバッグに入れ替えまして、靴ひもを締めなおします。

 

続きを読む

アプト

 

 解らない人には何のこっちゃ?ですが、鉄道ファンにはたまらない筈です。

 

 『アプト式』が何たるかはウイキペディアに譲るとして。

 

 鉄道の急勾配を登る為の仕組みで、『スイス登山鉄道』だとか『旧碓氷峠』などでも使われていました。

 

 鉄道は鉄製レールの上を鉄製の車輪が走行します。

 

 急勾配では摩擦係数の関係から、車輪が空回りしてしまい動力を伝える事が出来ません。

 

 そこで二本の線路以外にギザギザのレールを敷き(ラックレール)そのギザギザにかみ合う歯車(ピニオンギア)を用いて動力を伝達し急勾配を登ります。

 

 急勾配を経由する鉄道の鉄則はもうひとつ。

 

 『後押し式』車両編成です。(運転室が最後尾)

 

 機関車を最後部に連結し登坂時には後ろから押し上げます。

 

 もし万が一連結器が外れたりしても一番下で踏ん張る事で事故を回避できる為です。

 

 

 発電の為の『導水管』と『発電施設』の手前、川に架かる急傾斜の軌道をディーゼル機関車は駆け上ります。(いや這い上がる位のスピード?)

 

 見てみたい。スマホで確認すると『アプトいちしろ駅』の時刻表では、ついさっき通り過ぎたばかり。暫くは運行が無いみたい。

 

 

 上の写真は県道の『市代橋』から観た『井川鉄道アプト式市代架橋』です。

 

 鉄道では水平方向1000㍍移動の間に垂直方向へ何メートル移動したかを『〇〇/1000‰(パーミル)』で表します。

 

 そして『日本国内・鉄道で登れる最大勾配』90/1000‰が此処『井川鉄道』のこの辺り。

 

 ただ併走する道路が在りません。

 

 乗車するしかないのかな。

 

 日本には『鉄道営業法・鉄道事業法』と云うのが在りまして、事故を未然に防ぐ為の様々な取り決め『法律』が存在します。

 

 普通軌道で登れる勾配は35/1000‰迄で、それ以上の急勾配では『ブレーキの強化』とか、『アプト式の導入』『下りスピード制限』とか規制が厳しくなります。

 

 

 上の写真は『天狗山』を背景に佐久広瀬付近の『小海線』を走行するディーゼル機関車ですが『アプト式』では在りません。(と云う事は≦35/1000‰)

 

 カメラを水平に構えてなかったかな?背景の杉などは普通垂直に育つ筈です。

 

 更に『鉄道法』には『ケーブルカー』や『ロープウェイ』にも関与しています。

 

 痴漢行為を疑われた男が線路内を走って逃走なんてのをTVニュースは報道していましたけど『軌道内進入往来妨害罪』なんてことに成ればかなり手痛い罰金刑に成る筈です。

 

 『撮り鉄』の皆さん。ルールとマナーは守りましょう。

 

 『自業自得』とか『自分で自分の首を絞める』って意味分かりますよね。

 

両国吊り橋

 

 『日本の屋根』と呼ばれる『北アルプス~中央アルプス~南アルプス』

 

 『フォッサマグナ』と呼ばれる『中央構造線』

 

 その二つが鬩ぎ合っている場所が『天竜川・佐久間ダム』やら『分杭峠』やらでで感じられます。

 

 そしてもう一ヶ所。『中央アルプス』と『身延川』に挟まれた『大井川沿線エリア』です。

 

 秘境の温泉地『寸又峡』や蒸気機関車に乗車できる『大井川鉄道』で近年人気では在るみたいですが。

 

 今回訪れた『奥大井エリア』 長野県から行くには偉い遠い場所に感じます。(中部横断道・山梨区間が開通すればかなり近くなりますね)

 

 高速代金をケチるバイク旅ではやっぱり高速使わないと思いますけど。

 

 『恋金の吊り橋』を堪能した後はもうひとつお目当ての吊り橋『両国吊り橋』を目指します。

 

 

 『塩郷の吊り橋』みたいな何も無いよ(安全性も?)の吊り橋もいいですけど、この張られたワイヤーの美しさ。

 

 

 揺れ止めに上から吊っているワイヤーの他に、左右に引っ張る為のワイヤーのカーブの美しい事。

 

 

 富士山の稜線が美しいと感じるのは『黄金曲線』に近いカーブを描いているからだとか。

 

 このピンと張り詰められたワイヤーも『黄金曲線』じゃないですかね。

 

 でこの美しい橋を渡りきると

 

 

 『川根両国駅』と隣接する『車両保管庫』が在ります。

 

 蒸気機関車は現在『千頭駅』までの運行で『大井川鉄道大井川本線』、『千頭』から終点『井川駅』迄は『大井川鉄道井川線』とチョットだけ名前が変わります。

 

 スマホで時刻表を調べると、まもなく下り列車の通過時間みたい。

 

 吊り橋の途中まで戻り、動画撮影の準備完了。

 

続きを読む

久野脇

 

 『吊り橋』を渡りまして『久野脇地区』へと。

 

 お茶が特産品の集落は観光地化が進み、喫茶店やお茶やさんののぼり旗が揺らめいていました。

 

 『〇〇の鐘』とくれば完全に対象はカップルですが、どんな音色か興味在りますので鳴らしてみます。

 

 カップルが居て鳴らしてくれれば態々鳴らさなくてもいいんですけどね。

 

 

 暗くなれば電飾の中、二人で鐘を鳴らしながら自撮りしているカップルが想像できますね。

 

 でも何で『恋金』なんだろう?

 

 聞いてみたくても人が居ないんですもん。

 

 

 陽射しを存分に浴びる急斜面はお茶畑に適しているようです。

 

 1月下旬でもジャンパーが要らない位暖かい。

 

 お茶も緑色の訳だ。

 

 

 でもう一度吊り橋を渡って戻らなきゃ。

 

 

 河川敷内に支柱が一本も無く、両側で引っ張っているだけですので、吊り橋の自重で橋には勾配が付いています。

 

 木製の足場板より軽いジェラルミン材質の足場なども在るんですけど、そんなの使ったら此の景観が台無しです。

 

 末永く残っていて欲しいなぁ。

 

続きを読む

恋金橋

 

 『塩郷の吊り橋駐車場』に車を停めます。

 

 この駐車場余りキャパは無く、第二駐車場も造られたみたいです。

 

 『大井川』と『県道77号線』に挟まれて『大井川鉄道』が通っています。

 

 この駐車場の近くに駅が在り、駅名が『塩郷』 で着いた名前が『塩郷の吊り橋』

 

 

 『恋金橋』とも呼ばれるこの吊り橋、『久野脇橋』が正式名称です。

 

 何と足場板2枚分の幅(60㎝)しかないこの吊り橋は観光目的ではなく、対岸の『久野脇地区』から『塩郷駅』を利用する人の為に掛けられたものです。

 

 以前、無尽旅行で『千頭』まで行きました。

 

 その時『SL』に乗ってこの橋の下を通ったんですが、車内で配られた『お弁当とビール』に気を取られ見落としちゃいました!

 

 だって4人向かい合わせのボックス席は膝がぶつかる位狭く、膝の上にお弁当広げて、左手でビールの缶を持ち、右手のお箸で食べるという実に窮屈な食事を強いられたんですから。

 

 もし『大井川鉄道SL』にご乗車の際は進行方向左側をお勧めします。

 

 広い大井川の真っ白な河川敷を堪能出来ます。お弁当は我慢かな。

 

 

 『瀧』が好き。『大木』が好き。当然『吊り橋』も大好きです。

 

 『城ケ崎の吊り橋』『四国・かずら橋』やら『寸又峡・夢の吊り橋』『三島・スカイウォーク』なんかも渡っています。

 

 昔、まだスリムで若かりし頃、山登りして結構危ない場所も歩いていましたので、多少の事じゃ驚きませんけど。

 

 

 こちらが『塩郷』側ですけど、ナント普通の民家の上を歩いて行くんです。

 

 時間は朝8:00前。そろそろ車が増えてきた頃ですけど、この橋の周辺には私の他にだれも居ませんでした(ラッキー!)

 

 だってこの橋、定員10名でそれ以上の人数だと渡りきるまで待っていなければならないんだそうです。

 

 しかも『SL』のダイヤに合わせて橋の上でカメラを構える輩が居るとか。

 

 観光地化には成功していますけど『オーバーツーリズム』は痛し痒しですね。

 

 

 『大井川』の水量はすぐ上流のダムで調整されている為、それ程多くは在りません。

 

 河川敷に広がる白い石は重機で整地されていてます。

 

続きを読む

日本一短い〇〇

 

 『ビジネスホテル』に一泊しまして早朝5時から行動開始です。

 

 『ホテル』や『旅館』に泊ると『朝食時間』が設定されている為、どうしても朝方ボケ~っとテレビを見ている時間が勿体ない。

 

 食事無しで泊れる『ビジネスホテル』や場末の『〇ブホテル』なんぞに泊まれば『夜討ち朝駆け』で行動できます。

 

 しかも少しうらぶれた『ラ〇ホテル』なんぞは一泊¥2980で食事つき。何てのまでありますからね。

 

 大きいお風呂、ゆったりベッド。チェックアウトも時間を気にしない。

 

 只一人で入れる図々しさが必要ですけど。

 

 静岡県・浜松市で朝を迎え、牛丼屋さんで朝定食。安くてうまいから大助かりです。

 

 国道473号線で『大井川』を北上します。

 

 

 国道沿いに『日本一短いトンネル』と案内が出ていました。

 

 物好きじゃ無きゃ素通りしちゃうかもの小さな看板に、誘い込まれるように行ってみました。

 

 私の認識では『群馬県嬬恋村』の『吾妻峡谷』附近を走る『吾妻線』に『日本一短いトンネル』にの看板を見た気がしたんですが、そう云えば『八ッ場ダム』建設に伴い、線路そのものを移設した為、トンネル部分は廃線になったそうです。

 

 『日本一短いトンネル』正確には『現在鉄道として稼働している日本一短いトンネル』ですね。

 

 

 お茶畑の中にトンネルは在りましたけど………?

 

 コンクリート製のトンネルだけ? 

 

 山を堀り抜いたとか、交差する道路の為にとかでは無いですよね。

 

 線路の向こう側は普通に民家とか在りますけどこのトンネルの意義は?

 

 誰かに尋ねてみたいと暫く此の地にいましたけど誰も通りゃしない。

 

 勝手に『昔は山や畑が在ったんだろうね』と思い込むようにして先を急ぎます。

 

 そのまま国道を北上して先ずは本日最初の目的地

 

 

 『塩郷の吊り橋』到着です。

 

ねずこ

 

 某大ヒットアニメの登場人物と同じ名前ではありますが。

 

 『ねずこ』は木曽谷に生息する木曽五木のひとつです。

 

 『南木曽』から『嬬恋』を経由して『清内路トンネル』を抜けるのが、権兵衛トンネル以南では唯一『木曽谷』から『伊那谷』に向かえるもう一つの一般国道です。大平峠を越える県道も在りますが、暗くなってからは走らない方が宜しいかと。

 

 何たって『中央アルプス』が間に聳えていますからね。

 

 

 『木曽五木』はとは『尾張藩』が財政確保の為に一般人に伐採を禁じた『停止木・ちょうじぼく』の五種類の樹の事で(翌桧アスナロ・椹サワラ・檜ヒノキ・杜松ネズコ・高山槙コウヤマキ)、頭文字を並べて『旭猫・アサヒネコ』と呼んだそうです。

 

 でもそのお陰で、200年以上経った今日でも貴重な木材が残っています。

 

 木曽谷を戦国武将『木曽義仲』が統治していた頃、『織田信長』が『聚楽第』建築に必要な大木を敵対する木曽から運ばせた逸話『火天の城』を映画でみました。

 

 『西田敏行』さん主演映画の中で特に好きな映画です。

 

 この『ねずこ橋』はアニメとは関係が無く、五つの橋に木曽五木の名前を付けただけでしたけど。

 

 夕闇迫る前にビジネスホテルのある街に出たいと思って国道153号線を南下していました。

 

 『愛知県・静岡県・長野県』の県境の在るこの辺りを『三河・遠州・南信州』の頭文字を並べて『三遠南信』と云い、現在『中央自動車道・飯田インター』から『浜松いなさ』に向けて高速道路を延伸中です。

 

 所々部分開通しているんですけどナビも無ければ地図にも無いので、標識を見つけては勘に頼って走ります。(部分開通=無料区間ですから走るんですけどね)

 

 

 実は『豊田市稲武』で氷瀑のライトアップを探していて手間取ってしまい、辺りはすっかり真っ暗闇。

 

 やっとこさ写真を撮り、時計を見るとまだ19:00。まだ先に行けるかなと地図を確認しないで走り出したのが大失敗のもと。

 

 真っ暗な山道をズンズン走って行くと『緑色の標識』が在りました。

 

 『有料道路』や『高速道路』(一部自動車専用道路)を意味する標識に停まって確認すると『面ノ木』?

 

 キャンプ場とかが在るような山の中をウロウロしていました。

 

 這う這うの体で山道を抜け出し一路ビジネスホテルを目指します。

 

 はぁ~お腹もすいたな。

 

甌穴

 

 小さい頃から『千曲川』で泳いだり、魚を獲ったりしてました。

 

 でも『滝』と『甌穴』は『千曲川』には無かったですね。

 

 バイクに乗れば何処でも行けると錯覚していた高校生の頃、『相木村』や『鹿曲川林道』などに入り込んでは『滝壺』などに行ってました。だって『イワナやヤマメ』がわんさか。その頃は遊漁券を買わなければいけないなんて知らなかったですもん。

 

 『甌穴』詳しくはググって下さい。このブログでは何度も説明しています。

 

 

 『木曽の桟』付近の川原に見える『元甌穴』が在ったであろう岩場。

 

 アメリカの『アンテロープキャニオン』何かとは比べ物にならないですけど水流の造り出したナントも言えないウェイブ。芸術品ですね。

 

 

 上の写真は『軽井沢』の『甌穴』です。『木曽川』じゃ無いです。念のため。

 

 

 川面に降りていく細道の脇に大岩が在り、石像が祀られていました。

 

 

 この『赤い橋』を渡った先には一軒の『温泉宿』が在りますが、バイパスが開通した後は経営も大変かもしれません。

 

 食事だけでもOKらしいので今度来た時寄らせてもらいます。(さっきコンビニでおにぎり買っちゃった)

 

続きを読む

木曽の桟・かけはし

 

 国道19号線は大型トラックもビュンビュン駆け抜ける片側一車線道路です。

 

 生活道路としも利用されてますが、ひとたび事故が起きたら迂回路すらない箇所も多々あります。

 

 暫く振りに走ったら、道路が良くなっていてビックリ。

 

 長野県民なら誰もが口ずさめる県歌『信濃の国』 でも変調する4番を性格に歌える人は少ない筈

 

 その4番の歌詞に『木曽の桟かけし世も………』と謳われている『木曽の桟』

 

 バイパスのお陰で知らずに通り過ぎちゃいました。

 

 慌てて引き返しましたけど。

 

 

 この赤い橋の袂に旧国道19号線が通っています。写真の手前側。

 

 この国道に建っている標識が

 

 

 で国道を通る皆さん、この赤い橋を『木曽の桟』と勘違いしている方も多いのでは?

 

 『桟』とは『架け橋』の事で、垂直面の岩肌に水平方向に穴を開け、そこに丸太などを打ち込みます。それを幾つも並べ、その丸太の上に『板』を架け渡して通路とします。

 

 『旧中山道』は『参勤交代』などで諸大名も通った道です。

 

 それこそ『馬』や『駕籠』に乗った殿様なんぞも渡った筈。

 

 岸壁に打ち込んだ丸太ですから木道の幅も多寡が知れています。

 

 大名行列とすれ違う一般人は、行列が通り過ぎるまで道を譲って土下座していないといけません。一度土下座したら大雨が降ろうが、トイレに行きたかろうが動く事は許されず、ジッと我慢していたそうです。

 

 以前バイクでツーリング中、交差点にパトカーが停まっていました。

 

 「皇族の車両がまもなく通過しますのでそれまで通行止めに成ります。」ですと。道路を横断しようとしただけなので、「じゃあ迂回します」と告げその場を移動しようとすると、「では免許証拝見」ですと。免許証を提示して「行くけど文句無いな!」と確認し、その場を後にしました。(別に見たくも無い)

 

 それ以来『皇族』とか『お偉いさん』の為の『道路確保』が大っ嫌いになりました。その後も『サミット』や『国賓来日』等で数回待たされたことが在りますけど。人に迷惑かけてまで「車で走るな!」と云いたい。

 

 『桟』の話でしたね。

 

 

 絵図を見ても分かりますけど手摺なども無く、落ちたら怪我だけじゃ済まない筈です。

 

 『耐荷重』とかどうだったんですかね?

 

 

 岩肌には『丸太』を打ち込んだ後の穴が確認出来るとか。

 

 う~ん分かりませんでした。

 

 私の居た30分ほどの間、この旧道を走る車は在りませんでした。

 

続きを読む

旭乃瀧

 

 実は境内に入った時から気が付いていたんですけどね、本殿の裏山に見える白い氷瀑。

 

 でも以前来た時『滝』が在れば気づかない訳が無い………。

 

 でも『瀧』は確かに在る。ハテ?

 

 

 不思議に思いながら散策を続けていると石段の先に鳥居が在ります。

 

 おそらく『摂社』の類かなと近づくと。

 

 

 この鳥居を潜ればこの数々の神社のご利益が得られます。

 

 有名所から土地の氏神様迄、一所で参拝出来ます。お得!

 

 参拝を終え、石段を下りかけた時に見てしまいました。

 

 

 『滝』の上部へと続く『黒い塩ビ管』

 

 水を引き込んで『瀧』を造り出していたんですね。

 

 道理で『滝つぼ』や『水路』が見当たらなかった訳だ。

 

 

 『さざれ石』でしょうか小川の傍らに注連縄を巻かれた石が在りました。

 

 来る時には気が付かなかったんですけど鳥居の脇に古い『手水鉢』があり、年号を探していたら

 

続きを読む

南宮神社

 

 木曽路に入ると延々と国道19号線を走ることに成ります。

 

 伊那谷との交通路は『権兵衛トンネル』か『清内路トンネル』の二本のみ。

 

 『権兵衛トンネル』への分岐点『神谷』交差点を過ぎて暫く南下すると鳥居が見えて来ます。

 

 

 駐車場へは一端通り過ぎ、看板の在る処を入ります。

 

 

 実は新聞に『旭の瀧』の氷瀑の写真が載っていて、以前(かれこれ20年も前?)に訪れた時『瀧』を見落としたのか気が付かなかった?

 

 冬に木曽谷に行く事が在れば是非見てみたい。と思ってました。

 

 

 流石木曽谷。神社境内には屋根付きの立派な土俵が設えて在りました。

 

 第二の『御嶽海関』が練習しているかもです。

 

 

 『関ケ原・南宮神社』を『木曽義仲』が分祠勧進したと在ります。

 

 『木曽氏』の必勝祈願の神社だったそうです。

 

続きを読む

奈良井 第一駐車場。

 

 奈良井宿散策を諦め、奈良井 第一(有料)駐車場へ。

 

 季節外れの観光地には一台の車も停まっていない。どころか駐車場の係員も不在です。料金徴収はどうするの?

 

 

 料金箱と書かれたポストが在りました。

 

 この駐車場の片隅に、以前木曽路を走っていたであろう『SL』が保存されていました。

 

 

 『動輪三軸=C 12型。199番目に製造された機関車』です。

 

 小型ながらボイラー出力が高く、D型(動輪四軸)が開発される前の主力機関車です。

 

 小海線を走っていた『高原のポニー C62型』はボイラーを長くした改良型だそうです。

 

 

 手入れや保存状態も良く、とても綺麗な車体にうっとり。

 

 

 何時までも見て居たいけど先に行かなきゃね。

 

 さらに片隅には御堂が在り、石像が並んでいました。

 

続きを読む

六角月見堂

 

 『夜泣き石』からすすり泣きが聞こえたりしたら嫌だから、合掌して坂道の途中に在る『月見堂』へと向かいます。

 

 

 まぁ『展望台が六角形』以外に特筆も無く、矢印に従って『妙義神社』を目指します。

 

 確か案内看板には500~600㍍と書かれていたと思ったので登りでも20分は掛からないだろうと。

 

 踏み跡を辿り歩く事30分。ん? おかしくないかい。

 

 行けども行けども『社』らしいものが見えてこない。

 

 フト見ると雪の上に動物の『フン』が落ちている。

 

 『熊』じゃぁ無いだろうけど、余り深追いしない方がいいみたい。

 

 下ろ。

 

 

 『月見堂』『からの風景ですけど、それ程高度が在る訳じゃ無く帰って樹木が邪魔してる。

 

 因みに右手前の柵で囲まれた中に在るのが『夜泣き石』です。

 

 さて一路木曽路へとはいります。

 

 

 木曽川に架かるこの橋が見えてくると『中仙道・奈良井宿』です。

 

 おっ橋に雪が積もってる。まだ誰も歩いて無いらしい。

 

 って『通行禁止』ですから。 

 

 

 実は『奈良井宿』には『マリア地蔵』と云う『キリシタン+仏教』のようなものが在るらしいのですが、あれ?地域住民以外車は進入禁止ですと。

 

 国道19号から車道で橋を渡ったのですが、線路の向こうに入れない。

 

 駐車場から歩く………。雪道だからなぁ 今回パス。又来た時でいいや。

 

元洗馬・妙義神社

 

 『武石』から『三才山トンネル』を抜け、一路『松本』へ。

 

 今回『松本市内』はスルーする為、『サラダ街道』を経由して『木曽路』を目指します。

 

 『松本空港』西側を大きく迂回して『洗馬地区』へ。

 

 ここでの目的地は『妙義山・妙義神社』

 

 群馬県以外に『妙義山』なんて妙な名前の山が在ると思ったら、『妙義神社』まで?

 

 『妙義神社』推しのこーちゃんとしては行って確かめないと。

 

 

 取り敢えず『六角月見堂』に行けば資料館が在る。行ってみますか。

 

 

 え~っ資料館ですが、展示物入れ替えの為『改修中・閉館』ですと。

 

 仕方ないので『六角堂』へ歩き出すと。

 

 

 傍らに立つ案内書き。Yの三つ重ねの例のマーク発見。

 

 

 この山城の城主『三村氏』が『群馬・妙義神社』を勧進したらしんですが詳しくは解らずじまい。

 

 でもこんな静かな所で暮らせたら風流でしょうね。

 

続きを読む

旧武石村

 

 今回より新章スタートです。と云っても2021/1の事ですけど………

 

 冬故に車にて移動しました。

 

 真冬にバイク………乗りますけど今回は野宿するかものパターンなので車に寝袋積んでます。

 

 現在は上田市に合併した『武石』実に面白い所です。

 

 

 『窯元・武石焼』を目印に『鳥羽山』へ。

 

 この『武石焼』 庭先に人間より大きな『鉢』が伏せて在ります。(電柱の右奥に並ぶ二つの白い焼き物です。)

 

 この日営業はしていなかったので遠くから写真だけ。

 

 

 

 『雪しろ窯』と名付けられていますので、真っ白な焼き物でしょうか。

 

 で目指すは『鳥羽山洞窟』

 

 グーグルマップを見ても近づける道は在りません。

 

 邪魔にならない所に車を停めて『依田川』を渡河出来そうな所を探しましたが、『胴長靴』でも無ければ無理。

 

 遠くから写真だけ。

 

 

 雪の残る河川で足を濡らしたくないですしね。

 

 

 実はこの『鳥羽山洞窟』は昔、亡くなられた方を安置した場所だそうです。

 

 『チベット』辺りでは今だに『鳥葬』が行われているそうですが、日本でも『埋葬』以前は洞窟に収めたそうです。

 

 その後、権力者は『墳(現在の古墳)』を造らせましたが、一般的には埋葬のみ。その後墓石を造る様になりました。

 

 まぁわざわざ登って行くような場所でも無いから見るだけにして。

 

 で目指すは『木曽路』です。

 

 次回に続く。

 

布引山まとめ

 

 今から半世紀も前、親父の運転するバイクの後ろに乗って、小諸の布引迄来たのが始まりです。

 

 4/8の花祭りの日で、結構人出が在りました。

 

 山道を登って観音堂の前に在った『甘茶を掛けるお釈迦様』に興味を持ち、陽気の中の甘茶を一口嘗めてみた記憶が在ります。

 

 その後真っ暗な洞窟を抜け、崖伝いに山頂まで登りました。

 

 当時は金属製の手摺とかなく、必死で岩にしがみついて登ったと思います。

 

 子供が小さい時、やはり下から登り上げ、洞窟を潜って『布引山展望台』まで行きました。

 

 今回は通行止めになっていましたが、本堂の西側から大きく回り込んで稜線伝いに行けるかも。

 

 行かれる方、情報を仕入れてから自己責任でお願いします。

 

 

 『武田菱』が覗えます。武田信玄の庇護、若しくは逆らうと焼き討ちに在ったりしちゃうからね。